愛のうまれた日4

 

 

先ほど父親になったばかりの男は、深々と頭を下げた。

「本当に、先ほどはお世話になりました。先生は命の恩人です」

せんせぇ〜?と笑う悠理を制しながら、僕はコホンとひとつ咳をついた。

「いえ、当然のことをしたまでです」

 

彼の話では、雨も小降りになったため、剣菱家ではヘリを出して病院に送る手配をしてくれるという。

「また後日改めてお礼に伺いますが、ひとつお願いが・・・先ほど生まれたうちの子の名前に、先生のお名前を一字、いただけないでしょうか?私共は名字が三文字ですので、子供の名は漢字一文字にしようかと、女房と話していたんです。それなら、命の恩人の先生の名からぜひ、と思いまして」

「え・・・」

彼の申し出に、僕は恐縮した。医学生を偽った負い目もある。

「初めてのお子さんでしょう?お名前はとうに考えておられたんじゃないですか?」

「そーだよ、おっちゃん。だいたい、女の子なんだろ?こいつの名前は『菊正宗清四郎』だぜ?『菊』はまだしも、『正』や『宗』や『清』じゃ、あんまりだじょ」

悠理の言葉に、父親の顔は引きつった。『おっちゃん』呼ばわりのためだけではないだろう。

 

「僕に気を遣わず、もともと決めておられていた名前にしてあげてください。ご両親の気持ちのこもった名前の方が、赤ん坊にとっては幸福ですよ」

「先生・・・・」

父親の目が潤む。

「ありがとうございます。それでは、女房がつけるつもりだった名前にさせていただきます」

先生のことは、子供が大きくなっても話してきかせて・・・と涙まじりに言い募る彼に、悠理がにこやかに問いかけた。

「で、なんて名前にするの?」

涙をぬぐいながら、父親になりたての男は、照れた笑みを見せた。

「はい、月並みですが、『』と」

 

 

――――愛。

 

 

その言葉を聞いた時、それまで暗雲に遮られていたような視界が、晴れやかに開けた。

 

 

 

 ********

 

 

 そう。

ただ、それだけが理由だったのだ。

 

とうに気づいていてもおかしくなかった、すべての答え。

自分とは関係がないと思い込んでいたために、気づくことのできなかった、真理。

 

 

――――僕、菊正宗清四郎は、剣菱悠理を、愛している。

 

  

 

 

「おお〜い、せいしろぉ?」

気づくと、悠理が僕の眼前でひらひら手を振っていた。

男はいつの間にか消え、室内には悠理と僕のふたりきり。

 

「いま、気絶してなかった?だいじょぶか?」

――――ああ、心配してくれるんですか、悠理!

僕の顔を覗き込む悠理に、あろうことか、僕は目頭が熱くなりかけた。

「笑顔で白目むいてて、気持ち悪かったじょ・・・」

悠理は眉を顰めて蒼ざめていたが、僕は彼女に向き直った。

 

「悠理・・・愛です、愛

「あ、ああ、いい名前だよな」

「違います、名前の話じゃありません!」

 

勢い込んで鼻息を悠理に吹きかけたものの。

どうやって、悠理に自覚したばかりのこの想いを伝えよう?

よりによって、僕が愛してしまったのは、猿で犬で馬鹿で大食いで非常識で下品で幼稚で中身も見た目も性別不詳な、この悠理なのだ。

 

「ちっちゃかったよなぁ、赤ちゃん・・・あたい、生まれたての赤ん坊を見たのなんか初めてだ」

だけど、うっとりと目を細める悠理は、夢見る乙女に見え(ないこともなかっ)た。

悠理を中心に魚眼レンズな視界は、ソフトフォーカス。

きらきら輝く美少女は、僕の愛するひと。

 

世界が180度違って見えるとは、このことだ。

理性では、猿で馬鹿な野生児なのだとわかっている。

それでも、今の僕には、可愛くて純真な天使。 

悠理が愛しくて、胸がいっぱいになる。

これまで、よくも気づかずにおれたものだ。

僕の感情は、いつも悠理に向かっていたのに。

 

感極まった僕は、握りこぶしで悠理に告げた。 

「悠理、赤ん坊なら、僕が取り上げてあげますからね!」

「は?おまえ、産婦人科医になるの?」

「いえ、おまえが産む際の分娩介助!」

 

ドカッ。

 

願わくば、僕の子供を産んでくれ・・・・・・・などと。

口走らなくて良かった。

それで股間を蹴り上げられたら、心身ともに再起不能だ。

 

あらゆる知識を得ようと日夜努力してきたが。

愛の告げ方など知らないのだと、いまさら気づく。

全般の信頼を置いていた己の理性と頭脳が、この局面では役立たずであることを、僕は悟った。

 

 

 ********

 

 

 

僕は憤慨して去ろうとする悠理の腕をつかんで引き止めた。

悠理の顔は、真っ赤に染まっている。

憤怒のためであっても、僕が男で悠理が女であることを、その猿頭でも認識している証ではないか?

なんて、すべてをプラス思考で考えてしまうのも、恋の魔法か。

そうして僕は、つかんだ悠理の手首の細さに、感動していた。

 

「離せよ!」

悠理は乱暴に僕の手を振りほどいた。

プラス思考に、影が差す。

「悠理、今日は僕の誕生日なんですよ?悠理からの進呈が蹴りだけとは、あんまりでしょう」

我ながら、卑怯な台詞だ。

僕らの間で、誕生日プレゼントの交換などという習慣はないのだから。

 

「ぐ・・・待ってろ、明日びっくりさせてやるから!」

だけど、悠理は赤らんだ顔のまま、鼻息も荒く宣言した。

 

と、いうことは、野梨子の読み通り、今夜悠理は僕のためのケーキを(可憐の協力で)作り上げたに違いない。

再び、胸に満ちる幸福感。たとえ、明日は腹痛でのたうつことになろうとも。

僕は喜びにほころぶ表情をコントロールできなかった。 

「・・・・待ってますよ。ええ。悠理が驚かせてくれるのを」

 

彼女が僕に同じ想いを抱いてるなんて、思えない。悠理は恋愛から、程遠い。

だけど、悠理が僕のために一生懸命になってくれたことが、嬉しかった。

小さな幸せに今は浸ろう。

ご機嫌で過ごしてもいいじゃないか。

今日という日ぐらいは。

 

にこにこしている僕に、悠理は逃げ腰。

「本当にどうしたの、おまえ?」

扉から顔だけおっかなびっくり覗かせて、悠理は愛らしく小首をかしげている。

些細な幸福感で満足している理性に反して、もうおなじみとなった衝動が体を動かした。

 

 

チュッ。

 

口づけは、桃色の頬に。

 

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!?」

 

悠理は突然のキスに、真っ白になっている。

 

しかしやはり。

数秒後、頭上から蒸気を噴き出しわめきだした。 

 

「な、なにすんだーーっ!!」

 

僕はにっこり答えてやる。

「心配してくれたお礼です」

「おまえは、美童か〜っ?!」

「美童はこんなことするんですか?」

「したら、蹴り入れる!」

僕だと蹴り入れないんですか?とは訊かないでおこう、先ほどすでに蹴られている。

 

悠理は真っ赤な顔でわめいているが、もう猿には見えなかった。

僕の口づけた頬に手をやって唇を尖らせている彼女は、抱きしめたいほど可愛らしい。

さすがの僕も、今度の衝動はぐっと堪えた。

それは、また後日。段階を踏まなければなるまい。

 

しかし。

「誕生日特典で、お返しよろしく」

と、自分の頬を指差したら、拳骨が飛んできた。

 

あやうくそれを避けたら、悠理が僕の胸に飛び込んできた。

せっかく、抱きしめたいのを堪えていたのに、僕の努力を悠理が無にする。

悠理は僕が避けられないように掴みかかっただけのようだが、飛んで火にいるなんとやら。細い腰をしっかり抱いた。

襟元を掴み上げられ、頭突きが飛んできたが、余裕の笑顔で避けてやった。

暴れる体を、ぐっと抱きしめる。

「積極的ですね♪」 

攻撃的=積極的といえないこともない。

プラス思考、楽観主義。

僕は愛しい女を腕に抱いた幸福感に酔っていた。

 

「おま、おま、おまえ、今日は絶対変だーっ!」 

悠理がわめくのももっともだ。

自分でも、らしくないと思っているよ。

 

「愛を、見つけたんですよ」

こんな気障な台詞も。

 

はたして、悠理はポカンとして、もがくのをやめた。

「??・・・ああ、道端でな。うん、よくやったよ、おまえは」 

 

いや、そっちじゃなくて・・・・と、否定しようと思ったが。

「おまえも今日は大変だったよな。もしかして、そんでナチュラルハイ?」

 

勝手に納得したのか、悠理はうんうん頷いて僕の頬をぺちぺち撫でるように叩いた。

くすぐったさに、苦笑する。

ご褒美なら、キスの方がいいんだけどね。 

 

だけど今度は、僕は余計なことは言わなかった。

もう少しこのまま、彼女のぬくもりを感じながら、幸せに浸っていたい。

 

少々調子に乗っても、いいじゃないか。

だって、今日は、僕の誕生日。

 

 

――――愛の、生まれた日。

 

 

 

 

 

END(2006.12.5)

 


あれれ・・・ラストは清×悠ラブラブにしたかったのに、悠理ちゃんがどうにも無自覚のまま終わってしまいました。ま、いっか、清四郎くん、幸せそうだし。

 

 

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