歓びの種−5−

 

 

唐突な清四郎の言葉に、悠理はしばし言葉を発することもできなかった。

口をパクパクさせ、なんとか息を吸う。

そして、清四郎に向って叫んだ。

 

「嘘つけっ!」

 

怒鳴っただけでは飽き足らず、悠理はオールを持ったまま、すっくと立ち上がった。

「おまえは昔から意地悪で嘘つきだったけど、そーゆー冗談言う奴じゃなかっただろっ」

「だから、冗談じゃないんですって。ボートで立ったら危ないですよ、悠理。」

「ふざけたことこれ以上言いやがったら、ぶっ飛ばす!」

悠理はオールを水面から持ち上げて、振り回そうとした。

清四郎はオールの柄を掴み止める。

「危ないですね!オールを寄越しなさい、これから僕が漕ぎます。交替しよう。」

しばしオールを引き合って攻防したが、清四郎の力に悠理が勝てるはずもない。

悠理はオールを放して、憮然と腰を下ろした。腕を組んで上体を反らせ、清四郎を睨みつける。

 

爆発しそうなほど、心臓はまだ早鐘を打っている。

腹が立って、仕方がなかった。

とんでもない言葉で、すべてを無茶苦茶にしようとする清四郎が。

これまでの、あまりに心地良い時間を。関係を。

 

清四郎が甥っ子を悠理の子だと思い込み、笑顔で祝福の言葉を述べたのはほんの数時間前のことだ。

それなのに、いまさら。

何年間も会わずにいて、いきなり『愛している』なんて、信じられるわけがない。

 

清四郎はオールを引き寄せ、漕ぎ始めた。

彼の動きに合わせて、静かだった水面に波が立った。 

 

「・・・・おまえに今告げたのは、おそらく間違いだったんでしょうね。」

 

清四郎の言葉は、川の流れに逆らい、波を立てる行為に等しい。

ふたりの関係はこれまで通り、静かに流れて行くべきだったのだ。

 

「信じないのも、当然です。・・・だけど。」

清四郎は静かに話し続ける。

悠理は暴れだしたいのを堪えて、ボートの縁を握り締めた。

ドクドクと脈打つ鼓動は、怒りのアドレナリン。

 

清四郎は悠理の強張った顔を見て、ため息をついた。

「いつか、おまえが結婚することになっても、今日のように僕を迎えには来ないで下さい。」

投げやりな口調。

怒っているのは悠理の方なのに。

 

「なんでだよ!あたいは結婚なんて・・・」

「いつかはするでしょう。おまえは、剣菱の娘なんですよ。」

ぐ、と悠理は詰まる。

確かにここ数年、両親からはさんざん結婚話を持ちかけられていたのだ。

 

「僕は、おまえの夫となる人間と会いたくないし、もう結婚を祝福することもできない。」

清四郎は唇を歪め、悠理に苦笑を向けた。 

「おまえを、他の男に渡したくはない。」

苦い笑みの中、瞳は笑っていない。

「悠理・・・・・今は何も考えられないだろう。だけどいつか、僕との未来を考えてくれませんか?」

月明かりに見える黒い双眸は、大河のように静かで海のように深かった。

感情を湛えた瞳。

 

「おまえは、変わらなくていい。誰のものにもならないでいてくれ。そのまま、変わらないおまえのままで、僕のことを待っていてくれませんか?」

 

静かな流れの底に、熱い奔流。

悠理自身の中にも。

泣き出しそうなほど、胸が締め付けられる。

こみ上がる感情の奔流が、悠理を飲み込む。

 

「・・・・嫌だ!!」

悠理は叫んだ。

考えるよりも先に、感情が爆発していた。

「嫌だ!あたいをなんだと思ってるんだよっ」

涙が溢れた。

胸の中で疼き続けていたもの。それは、もう抑えることができずに涙と共に溢れ出す。

「おまえを、待ってなんてやるもんか!」

怒りと混乱と。だけど、それだけではない感情に翻弄され、悠理はしゃくりあげた。

 

月が雲に隠れ、お互いの姿が見えなくなる。

水音さえしない、静かな湖上。

清四郎はボートを漕ぐ手を止めていた。

ゆっくりと、惰性でボートは流れてゆく。

 

月がふたたびその姿を現した。

清四郎は悠理から目を逸らして、遠い街の灯かりを見つめていた。

月影が、鋭角な頬に陰影を落とす。

風が乱した前髪を、清四郎は無造作にかき上げた。

そして、憂鬱そうなため息。

 

「・・・・・悠理、もう随分時間が過ぎてしまいましたね。これから街に向っても、遅刻ですな。おまえはどうしてもパーティに出たいですか?」

悠理は鼻をすすりながら首を振る。

「別に、あたいは・・・」

「かまわないなら、このまま船に戻りませんか。どうも僕は、パーティという気分になれないものでね。」

「・・・・・ん。」 

悠理が頷いた、その時。

 

急に、周囲が明るく照らされた。

「え、何?」

夜空に、ライトの照射。眩い光が乱舞する。

「うわぁ・・・!」

悠理は驚いて言葉を失った。

湖岸の壁面がいくつものライトに照らされている。

「ああ、アブシンベル大神殿の音と光のショーが始まったんですね・・・。」

清四郎の声は沈んでいたが、悠理は魅入られ、意識が空白になった。

 

星空に聳える岸壁。そこに刻み込まれた、数千年前のファラオの像。

古代の神殿が幻想的に浮かび上がる。光の饗宴。

 

「・・・すっげ・・・おまえ、あーゆーの掘ってるの?」

「まさか。今の現場は地層の調査ですよ。」

口を開けて遺跡を見つめる悠理の横顔を、清四郎は見つめている。

「あの神殿はこの湖に沈むところだったのを、ユネスコが岸辺に移築したんですよ。」

「えっ、そーなの?ほんとは水の下にあったの?」

「いいえ。この湖が、ダムを作ったことで出来たんです。でも、あの神殿は200年ほど前までは砂に埋もれていたそうですよ。何千年もの間ね。」

悠理は感嘆のため息をついた。

「あんな大きなのが、砂の中に・・・・。」

彼の言葉よりも、自分の中に見つけたものが胸に迫る。

  

長い長い間、埋もれ続けていた。

胸の奥深く、自分でも気づかないまま。

だけどそれはもう、目を逸らせないほど、存在を主張している。

 

「・・・悠理、もう戻りますよ。」

チャプリとオールが水音を立てた。

「あたい、もうちょっと、このままでいたい。他に誰もいないしさ、すごい特等席じゃん。ロマンチック・・・っての?」

悠理がうっとり呟くと、清四郎はまた、ため息をついた。

「何がだ・・・・ひとを振ったくせに・・・・。」

 

悠理は神殿から目を離し、清四郎に顔を向けた。

ふたりの視線が合った。

清四郎はずっと、悠理の横顔を見つめ続けていたから。

 

光の乱舞。

ライトが反射し、ふたりの姿も色を変える。

本当は何も変わっていない。

そこにずっとあったものに、気づいただけ。

 

「戻って明日になったら、おまえはまたあっちこっち駆け回るのか?」

「そうですね・・・・。そろそろ日本に帰るのもいいかと思ってましたけれど、今は、このまましばらく行方をくらませたい気分ですよ。当分、探さないで下さい。」

清四郎は拗ねたように言い捨て、ぷいと悠理から視線を外した。

案外と子供っぽい男の表情に、悠理は笑みを浮かべた。

「何言ってんだよ。魅録と野梨子の結婚式もじきにあるってのに。それに・・・」

涙はまだ乾かない。

それでも、胸を満ちる感情に、自然に笑みが零れる。

 

「言っただろ。おまえを待ってるだけなんて、嫌だ。」

 

悠理は清四郎の頬に手を伸ばした。

背けられた顔を、無理に自分の方に向けさせる。

 

「あたいは、おまえと離れたくない。」

 

悠理は両手で清四郎の頬をつかんで、目を覗き込んだ。

 

「・・・え?」

 

清四郎は唖然と絶句。

 

「迷惑でも、ついて行くから。世界のどこに逃げたってな。覚悟しろよ!」

 

彼の言葉を信じたわけでなくても。

自分に正直になる。

ようやく、見いだすことのできた感情に。

 

清四郎は目を見開いた。

黒い瞳。

そこには、泣き笑いの悠理の姿が映っていた。

 

 

チャポン。

 

小さな水音と共に、オールが清四郎の手元から消えていた。

「清四郎、オール、オール!」

悠理は思わず立ち上がる。

湖面に手を伸ばし沈んでゆくオールを掴もうとするが、届かない。

ボートがぐらりと傾いだ。

 

「あぶない!立つな、悠理!」

 

視界が回った、と思った瞬間、悠理は船底に転がっていた。

だけど、どこも打ちはしなかった。

清四郎が悠理を守るように、抱きすくめてくれたから。

 

 

 

「・・・ごめん、清四郎。痛くなかったか?」

自分をかばって船底に体を打ちつけた清四郎の胸から、悠理は顔を上げた。

だけど、清四郎は悠理の背中に回した腕を解かない。

寄せた眉を下げて、清四郎は苦笑した。

「こっちこそ、ごめん。オールを流してしまいました。」

「・・・・ん、どーする?」

 

ボートの揺れは収まっていた。船底に当たる水音が聴こえる。

抱き合ったまま横たわり、ふたりは顔を見合わせた。

清四郎の顔から笑みが消えていた。

 

「もう、おまえを離さない。」

 

彼の瞳に映った感情は、言葉以上に雄弁だった。

 

「・・・・ん。」

 

悠理が頷いた途端、唇をふさがれた。

 

「ん・・・・んっ」

 

息を吸い取られ、歯を割開かれる。

深く、奥まで侵入する清四郎と舌を絡めあった。

熱い口づけ。

頭の芯が蕩け、意識が白濁する。

 

とくん、とくん、と心音が響く。

悠理のものか清四郎のものか。

ぴたりと重なった体が、熱く共鳴している。

ひとつに溶け合ってしまいそうな一体感。

こうしてふたりが触れ合うことが、自然なことに感じた。

それは、流れに逆らったのではなく。

ふたりが流れてきた時間の先に、今この時があるのだと思えた。

 

 

名残惜しげに糸を引き、唇が離れる。

閉じていた目を開けた悠理は、照れくささに、すぐに顔を伏せた。

そして、清四郎の胸に顔を押し付け、肩を震わせて笑う。

笑みは抑えようもなく溢れでた。

 

「・・・なんか、変な感じ。」

 

何年も何年も、お互いを友人としてしか見ていなかったのに。それで、満たされていたはずなのに。

一度触れ合ってしまったら、求め合わずにはいられない。

 

「・・・・不思議ですね。」

 

清四郎も笑った。

 

体の奥から、感情が溢れでる。

とめどもなく、愛が満ちてゆく。

心の中で温めていた歓びの種が、芽吹き葉を広げようとする。

 

ゆっくりと流されるボートの中で横たわり、ふたりは抱き合ったまま子供のように笑いあった。

 

笑い過ぎて、涙が滲んだ。

悠理は目尻を擦りながら、清四郎に真顔を向ける。

「どうすんの?これから。」

「さて・・・・やっぱり一度、日本に戻った方がいいですかね。」

「やだよ!あたいにもインディジョーンズな冒険をさせてくれよ!・・・・って、んなことじゃなく、ボートが流されてるんだけど!」

「ああ、そっちですか。まぁ、あいつらがいずれ見つけてくれますよ。」

「探さないって、メモに書いてなかったか?」

「そのときは、そのときです。」 

度胸があるといえば聞こえがいいが、清四郎は緻密に見えて出たとこ勝負なところがあった。昔はその原因の大半は悠理が作っていたのだけれど。

「おまえって結構、イーカゲンだよな!」

悠理の言葉を賛辞と取ったように、清四郎はニヤリと笑って顎を撫でる。

悠理に剃刀を持たせるくらいには、楽天家だと言いたいらしい。

 

「流されるのもいいと、学んだんですよ。」

こうして、ふたりが抱き合っていることも。

もう、必然にしか、思えない。

 

清四郎は悠理の背中に回した手に力を込めた。

お互いの目を見つめたまま、チュ、と口づける。

何度も、何度も。

ふたたび悠理が笑い出すまで。

 

 

ふたり一緒なら、流されてもいい。

ゆったりと流れる時に運ばれ、やがて海へと辿り着く。

芽吹いた愛は、大きく葉を伸ばし広がってゆく。

 

水面を輝かせた光のショーが終わった後の静かな空。

ふたりを見つめているのは、降るような月と星だけだった。

 

遠くで、ヘリの音が聴こえる。

それでも、ふたりの重なった影が離れることはなかった。

 

 

 

 

胸で芽吹いた、歓びの種。

実らせてみよう。

温かい大地で、育ててみよう。

世界中を駆け回って、愛を注ごう。

 

これからも、ふたり一緒に。

 

 

 

 

 

END(2007.3.31)

 


なんで、舞台がエジプト??さすが夢、脈略なし!(←殴)

髭剃りシーン以外は、ほぼ完全に夢のままです。悠理と清四郎の心情を交互に書きましたが、夢では私は完全に悠理ちゃん視点♪ こんな夢を見る私は間違いなくビョーキですが、幸せで〜すvv(爆)

タイトルにしたお歌は、映画『タッチ』の主題歌です。原作も好きでしたが、映画も爽やかな青春物の佳品で好きなんです。幼馴染のふたりが自然に結ばれる、というイメージを拝借しちゃいました。

 

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背景:季節素材の雲水亭