唐突な清四郎の言葉に、悠理はしばし言葉を発することもできなかった。 口をパクパクさせ、なんとか息を吸う。 そして、清四郎に向って叫んだ。
「嘘つけっ!」
怒鳴っただけでは飽き足らず、悠理はオールを持ったまま、すっくと立ち上がった。 「おまえは昔から意地悪で嘘つきだったけど、そーゆー冗談言う奴じゃなかっただろっ」 「だから、冗談じゃないんですって。ボートで立ったら危ないですよ、悠理。」 「ふざけたことこれ以上言いやがったら、ぶっ飛ばす!」 悠理はオールを水面から持ち上げて、振り回そうとした。 清四郎はオールの柄を掴み止める。 「危ないですね!オールを寄越しなさい、これから僕が漕ぎます。交替しよう。」 しばしオールを引き合って攻防したが、清四郎の力に悠理が勝てるはずもない。 悠理はオールを放して、憮然と腰を下ろした。腕を組んで上体を反らせ、清四郎を睨みつける。
爆発しそうなほど、心臓はまだ早鐘を打っている。 腹が立って、仕方がなかった。 とんでもない言葉で、すべてを無茶苦茶にしようとする清四郎が。 これまでの、あまりに心地良い時間を。関係を。
清四郎が甥っ子を悠理の子だと思い込み、笑顔で祝福の言葉を述べたのはほんの数時間前のことだ。 それなのに、いまさら。 何年間も会わずにいて、いきなり『愛している』なんて、信じられるわけがない。
清四郎はオールを引き寄せ、漕ぎ始めた。 彼の動きに合わせて、静かだった水面に波が立った。
「・・・・おまえに今告げたのは、おそらく間違いだったんでしょうね。」
清四郎の言葉は、川の流れに逆らい、波を立てる行為に等しい。 ふたりの関係はこれまで通り、静かに流れて行くべきだったのだ。
「信じないのも、当然です。・・・だけど。」 清四郎は静かに話し続ける。 悠理は暴れだしたいのを堪えて、ボートの縁を握り締めた。 ドクドクと脈打つ鼓動は、怒りのアドレナリン。
清四郎は悠理の強張った顔を見て、ため息をついた。 「いつか、おまえが結婚することになっても、今日のように僕を迎えには来ないで下さい。」 投げやりな口調。 怒っているのは悠理の方なのに。
「なんでだよ!あたいは結婚なんて・・・」 「いつかはするでしょう。おまえは、剣菱の娘なんですよ。」 ぐ、と悠理は詰まる。 確かにここ数年、両親からはさんざん結婚話を持ちかけられていたのだ。
「僕は、おまえの夫となる人間と会いたくないし、もう結婚を祝福することもできない。」 清四郎は唇を歪め、悠理に苦笑を向けた。 「おまえを、他の男に渡したくはない。」 苦い笑みの中、瞳は笑っていない。 「悠理・・・・・今は何も考えられないだろう。だけどいつか、僕との未来を考えてくれませんか?」 月明かりに見える黒い双眸は、大河のように静かで海のように深かった。 感情を湛えた瞳。
「おまえは、変わらなくていい。誰のものにもならないでいてくれ。そのまま、変わらないおまえのままで、僕のことを待っていてくれませんか?」
静かな流れの底に、熱い奔流。 悠理自身の中にも。 泣き出しそうなほど、胸が締め付けられる。 こみ上がる感情の奔流が、悠理を飲み込む。
「・・・・嫌だ!!」 悠理は叫んだ。 考えるよりも先に、感情が爆発していた。 「嫌だ!あたいをなんだと思ってるんだよっ」 涙が溢れた。 胸の中で疼き続けていたもの。それは、もう抑えることができずに涙と共に溢れ出す。 「おまえを、待ってなんてやるもんか!」 怒りと混乱と。だけど、それだけではない感情に翻弄され、悠理はしゃくりあげた。
月が雲に隠れ、お互いの姿が見えなくなる。 水音さえしない、静かな湖上。 清四郎はボートを漕ぐ手を止めていた。 ゆっくりと、惰性でボートは流れてゆく。
月がふたたびその姿を現した。 清四郎は悠理から目を逸らして、遠い街の灯かりを見つめていた。 月影が、鋭角な頬に陰影を落とす。 風が乱した前髪を、清四郎は無造作にかき上げた。 そして、憂鬱そうなため息。
「・・・・・悠理、もう随分時間が過ぎてしまいましたね。これから街に向っても、遅刻ですな。おまえはどうしてもパーティに出たいですか?」 悠理は鼻をすすりながら首を振る。 「別に、あたいは・・・」 「かまわないなら、このまま船に戻りませんか。どうも僕は、パーティという気分になれないものでね。」 「・・・・・ん。」 悠理が頷いた、その時。
急に、周囲が明るく照らされた。 「え、何?」 夜空に、ライトの照射。眩い光が乱舞する。 「うわぁ・・・!」 悠理は驚いて言葉を失った。 湖岸の壁面がいくつものライトに照らされている。 「ああ、アブシンベル大神殿の音と光のショーが始まったんですね・・・。」 清四郎の声は沈んでいたが、悠理は魅入られ、意識が空白になった。
星空に聳える岸壁。そこに刻み込まれた、数千年前のファラオの像。 古代の神殿が幻想的に浮かび上がる。光の饗宴。
「・・・すっげ・・・おまえ、あーゆーの掘ってるの?」 「まさか。今の現場は地層の調査ですよ。」 口を開けて遺跡を見つめる悠理の横顔を、清四郎は見つめている。 「あの神殿はこの湖に沈むところだったのを、ユネスコが岸辺に移築したんですよ。」 「えっ、そーなの?ほんとは水の下にあったの?」 「いいえ。この湖が、ダムを作ったことで出来たんです。でも、あの神殿は200年ほど前までは砂に埋もれていたそうですよ。何千年もの間ね。」 悠理は感嘆のため息をついた。 「あんな大きなのが、砂の中に・・・・。」 彼の言葉よりも、自分の中に見つけたものが胸に迫る。
長い長い間、埋もれ続けていた。 胸の奥深く、自分でも気づかないまま。 だけどそれはもう、目を逸らせないほど、存在を主張している。
「・・・悠理、もう戻りますよ。」 チャプリとオールが水音を立てた。 「あたい、もうちょっと、このままでいたい。他に誰もいないしさ、すごい特等席じゃん。ロマンチック・・・っての?」 悠理がうっとり呟くと、清四郎はまた、ため息をついた。 「何がだ・・・・ひとを振ったくせに・・・・。」
悠理は神殿から目を離し、清四郎に顔を向けた。 ふたりの視線が合った。 清四郎はずっと、悠理の横顔を見つめ続けていたから。
光の乱舞。 ライトが反射し、ふたりの姿も色を変える。 本当は何も変わっていない。 そこにずっとあったものに、気づいただけ。
「戻って明日になったら、おまえはまたあっちこっち駆け回るのか?」 「そうですね・・・・。そろそろ日本に帰るのもいいかと思ってましたけれど、今は、このまましばらく行方をくらませたい気分ですよ。当分、探さないで下さい。」 清四郎は拗ねたように言い捨て、ぷいと悠理から視線を外した。 案外と子供っぽい男の表情に、悠理は笑みを浮かべた。 「何言ってんだよ。魅録と野梨子の結婚式もじきにあるってのに。それに・・・」 涙はまだ乾かない。 それでも、胸を満ちる感情に、自然に笑みが零れる。
「言っただろ。おまえを待ってるだけなんて、嫌だ。」
悠理は清四郎の頬に手を伸ばした。 背けられた顔を、無理に自分の方に向けさせる。
「あたいは、おまえと離れたくない。」
悠理は両手で清四郎の頬をつかんで、目を覗き込んだ。
「・・・え?」
清四郎は唖然と絶句。
「迷惑でも、ついて行くから。世界のどこに逃げたってな。覚悟しろよ!」
彼の言葉を信じたわけでなくても。 自分に正直になる。 ようやく、見いだすことのできた感情に。
清四郎は目を見開いた。 黒い瞳。 そこには、泣き笑いの悠理の姿が映っていた。
チャポン。
小さな水音と共に、オールが清四郎の手元から消えていた。 「清四郎、オール、オール!」 悠理は思わず立ち上がる。 湖面に手を伸ばし沈んでゆくオールを掴もうとするが、届かない。 ボートがぐらりと傾いだ。
「あぶない!立つな、悠理!」
視界が回った、と思った瞬間、悠理は船底に転がっていた。 だけど、どこも打ちはしなかった。 清四郎が悠理を守るように、抱きすくめてくれたから。
「・・・ごめん、清四郎。痛くなかったか?」 自分をかばって船底に体を打ちつけた清四郎の胸から、悠理は顔を上げた。 だけど、清四郎は悠理の背中に回した腕を解かない。 寄せた眉を下げて、清四郎は苦笑した。 「こっちこそ、ごめん。オールを流してしまいました。」 「・・・・ん、どーする?」
ボートの揺れは収まっていた。船底に当たる水音が聴こえる。 抱き合ったまま横たわり、ふたりは顔を見合わせた。 清四郎の顔から笑みが消えていた。
「もう、おまえを離さない。」
彼の瞳に映った感情は、言葉以上に雄弁だった。
「・・・・ん。」
悠理が頷いた途端、唇をふさがれた。
「ん・・・・んっ」
息を吸い取られ、歯を割開かれる。 深く、奥まで侵入する清四郎と舌を絡めあった。 熱い口づけ。 頭の芯が蕩け、意識が白濁する。
とくん、とくん、と心音が響く。 悠理のものか清四郎のものか。 ぴたりと重なった体が、熱く共鳴している。 ひとつに溶け合ってしまいそうな一体感。 こうしてふたりが触れ合うことが、自然なことに感じた。 それは、流れに逆らったのではなく。 ふたりが流れてきた時間の先に、今この時があるのだと思えた。
名残惜しげに糸を引き、唇が離れる。 閉じていた目を開けた悠理は、照れくささに、すぐに顔を伏せた。 そして、清四郎の胸に顔を押し付け、肩を震わせて笑う。 笑みは抑えようもなく溢れでた。
「・・・なんか、変な感じ。」
何年も何年も、お互いを友人としてしか見ていなかったのに。それで、満たされていたはずなのに。 一度触れ合ってしまったら、求め合わずにはいられない。
「・・・・不思議ですね。」
清四郎も笑った。
体の奥から、感情が溢れでる。 とめどもなく、愛が満ちてゆく。 心の中で温めていた歓びの種が、芽吹き葉を広げようとする。
ゆっくりと流されるボートの中で横たわり、ふたりは抱き合ったまま子供のように笑いあった。
笑い過ぎて、涙が滲んだ。 悠理は目尻を擦りながら、清四郎に真顔を向ける。 「どうすんの?これから。」 「さて・・・・やっぱり一度、日本に戻った方がいいですかね。」 「やだよ!あたいにもインディジョーンズな冒険をさせてくれよ!・・・・って、んなことじゃなく、ボートが流されてるんだけど!」 「ああ、そっちですか。まぁ、あいつらがいずれ見つけてくれますよ。」 「探さないって、メモに書いてなかったか?」 「そのときは、そのときです。」 度胸があるといえば聞こえがいいが、清四郎は緻密に見えて出たとこ勝負なところがあった。昔はその原因の大半は悠理が作っていたのだけれど。 「おまえって結構、イーカゲンだよな!」 悠理の言葉を賛辞と取ったように、清四郎はニヤリと笑って顎を撫でる。 悠理に剃刀を持たせるくらいには、楽天家だと言いたいらしい。
「流されるのもいいと、学んだんですよ。」 こうして、ふたりが抱き合っていることも。 もう、必然にしか、思えない。
清四郎は悠理の背中に回した手に力を込めた。 お互いの目を見つめたまま、チュ、と口づける。 何度も、何度も。 ふたたび悠理が笑い出すまで。
ふたり一緒なら、流されてもいい。 ゆったりと流れる時に運ばれ、やがて海へと辿り着く。 芽吹いた愛は、大きく葉を伸ばし広がってゆく。
水面を輝かせた光のショーが終わった後の静かな空。 ふたりを見つめているのは、降るような月と星だけだった。
遠くで、ヘリの音が聴こえる。 それでも、ふたりの重なった影が離れることはなかった。
胸で芽吹いた、歓びの種。 実らせてみよう。 温かい大地で、育ててみよう。 世界中を駆け回って、愛を注ごう。
これからも、ふたり一緒に。
END(2007.3.31)
なんで、舞台がエジプト??さすが夢、脈略なし!(←殴) 髭剃りシーン以外は、ほぼ完全に夢のままです。悠理と清四郎の心情を交互に書きましたが、夢では私は完全に悠理ちゃん視点♪ こんな夢を見る私は間違いなくビョーキですが、幸せで〜すvv(爆) タイトルにしたお歌は、映画『タッチ』の主題歌です。原作も好きでしたが、映画も爽やかな青春物の佳品で好きなんです。幼馴染のふたりが自然に結ばれる、というイメージを拝借しちゃいました。 |
背景:季節素材の雲水亭様