プルシアンブルーの肖像   -エピローグ-   

 

 

 

その夜の悠理の言葉は、夢ではなかった。

 

幼さと不器用さで他愛のない喧嘩を何度も繰り返し、仲間たちには呆れられたりもしたけれど。

僕と悠理は、それから離れることはなかった。

もちろん、物理的距離ではなく。

心は、二度と離れない。

 

 

 

 

 

「おまえ、その格好ダサすぎ!オヤジ臭い!」

真っ赤なレーシングスーツを着た悠理の容赦ない指摘に、僕は眉を寄せた。

外歩きには気持ちの良い夜。

だけど、数刻だけのふたりきりのデートを、悠理は楽しむつもりはないらしい。

 

「こんな服しか持ってないんですよ。悠理のような悪趣・・・派手好みでないんでね。」

僕はいつものようなブレザー風のジャケットと合わせたパンツ。

いくら恋人とはいえ、悠理にだけは服装の趣味をとやかく言われたくはない。なにしろ、彼女の赤いツナギには、一面に大きな流れ星がプリントされてあるのだ。手に持った揃いのメットを被れば、戦隊物のヒーローにしか見えないシロモノだ。

 

「だいたい、何でおまえまでついて来るんだよ。だって、族の集会だぜ?しかも、歩きで行くなんて、ダサすぎ!」

「仕方ないでしょう。僕も悠理も免許を持ってないじゃないですか。」

もちろん、運転はできるが。悠理も僕も免許の必要性を感じることは少ない。さすがに、今夜の集会場所にお抱えロールスで乗りつけるのは憚られ、いまは最寄駅から徒歩の最中だ。

「だーかーらぁ、あたいだけなら魅録の後ろに乗っけてってもらうのに!」

僕は片眉を上げただけで、返答しなかった。

そうですか、僕はお邪魔でしたか――――なんて、拗ねて見せるつもりはないけれど。 

いくらもっとも信頼できる親友だからといって他の男の後ろに恋人を乗せることに、僕がなんとも思わないと、彼女は本気で思っているらしい。自分はひどく、嫉妬深いくせに。

 

「ま、ご要望なら、自動二輪免許ぐらいすぐに取りますよ。おまえだって、すぐに取れるでしょう?あ、筆記がダメですかね?」

「うるせー!たとえ取っても、そんなオヤジルックな野郎と、ニケツしたかねーや!」

悠理はプイと前を向いて大股で歩き始める。

僕は苦笑しながら、後に続いた。

 

今夜は、魅録と悠理の友人の、族からの卒業式だそうだ。地元では有名な存在らしく、今夜のラストランには、彼を慕う多くの配下が集まる。

彼の先代にあたる(といっても、歳は同じらしいが)魅録も久々に走るそうで、自慢のバイクで参戦予定だ。

 

まぁ、確かに。僕には興味のないイベントではある。

もっとも、友人であった頃から随分なトラブルメーカーであった恋人からは、目を離すつもりはない。

決して、嫉妬のためだけではない――――と、自分に言い訳をしつつ、僕はふわふわの髪を跳ね上げながら歩く恋人の背中を追った。

 

 

「あ!」

突然、悠理が立ち止まった。

悠理の視線の先を見て、僕も気づいた。

視力3.0の彼女でなくても判別できる、ピンク色の目立つ髪。しかし、見慣れた魅録のそれではなかった。

グルーピー然とした娘が数人、バイクの男達と笑いあっている。彼女らの中の一人、ピンクの髪の娘が、悠理と僕の直視に気づき、こちらに顔を向けた。

僕が記憶を失った雨の夜に、助けてくれた娘だった。

 

 

「・・・清四郎、行こう。」

悠理が僕の袖を引っ張った。

「・・・ああ、でも彼女には、あれからちゃんと礼を言ってないんですよ。謝礼を魅録に言付けただけで。」

偶然の再会が良い機会だ。

僕はピンクの髪の娘に礼をせねばと、足を踏み出した。

 

「いいって!」

悠理が苛立ったように、今度は僕の腕を引っ張った。

「どうせ、あっちはおまえに気づいていないよ!」

 

悠理の言葉は正しかった。

確かに、僕の会釈にも、娘はキョトンとしている。

おそらく、僕が彼女の知っている姿から変わってしまったのだろう。

 

古い木造アパートで洗面台の鏡に映っていた男の顔を思い出す。

過去も自分も捨て、投げやりな暗い目をした若い男。

逃げるしか出来なかった、愚かな自分。

もう、あの男はどこにもいない。

 

 

「清四郎、行こうってば!」

何度も引っ張られ、僕はやっと悠理に視線を向けた。

悠理の唇は尖り、頬はぷっくり膨れていた。

「・・・・なんだ、その顔は。」

思わず、吹き出しそうになる。

「なんだって、なんだよ!あたいは元から、こんな顔だよ!」

僕は笑いを堪えつつ、恋人の頬をつつく。

「まさか、妬いてるんですか?」

 

僕が僕でなかった時にわずかに邂逅した、名前も知らない娘。

もっとも、悠理には彼女と腕を組んでいるところを目撃されているわけなのだが。

 

「・・・・・・・・自惚れんな。」

悠理はプイと顔を逸らせた。

掴んだままの僕の腕に、それでも悠理は身を寄せた。すり、と甘えるようにもたれかかる。

 

無自覚なのか、自覚があるのか。

日頃は人前で手を繋ぐことすら照れる悠理が、時折、拗ねたようにこうして僕に甘えてくる。きっと、また胸の中の石がゴロゴロと落ち着かないんだろう。 

やきもち妬きの、僕の恋人。

 

僕は安心させるように、悠理の腰に腕を回し、抱き寄せて髪に口づけた。

周囲にはバイク少年達が群れていたが、一向に構わなかった。

魅録が僕らに声を掛けそびれ、あさっての方を向いたこともわかっていたが、僕は愛しいぬくもりを腕に、幸福感に浸っていた。

 

目に映るのは、悠理の姿だけ。

僕の眼差しに気づいた悠理が、やっと少し微笑んだ。

照れたような、柔らかな笑みだった。

 

それは、青い夜に浮かび上がる肖像。

もう、僕は悠理の姿を見失うことはない。

 

無邪気な笑顔も、切ない笑みも、ふくれっ面も。

泣き顔も、雨の中の怒りに歪んだ顔さえ。

すべてを記憶し、憶えている。

痛みも喜びも、愚かな過去も。

目を逸らさない。忘れはしない。

 

そして、これからも思い出を重ねてゆく。

ずっと、ふたりで。

 

 

 

 

 

END(2007.1.25)

 

やっと終わりました。お気楽に書き始めた記憶喪失モノが、清四郎悶々話に変貌。どうなることやらと思いましたが、小ネタで描いてた「気づかせないで」に無理やりくっつけ、落着。

そーいや以前、「すき」も、無理やり「サンキュ.」とくっつけることで終わらせたなぁ。得意の(←自虐)後付け設定体質です。

こんなイーカゲンな連載に付き合ってくださった皆様、本当にありがとうございました。

 

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