バレンタインの奇跡 

 

 肌寒い2月の午後。

部室に現れた清四郎は、大きな紙袋を二つ提げていた。

「清四郎、今年は紙袋二つ?減ったんじゃないか。僕なんて、今年も6袋だよ〜♪」

本日はバレンタインディ。例年、学園中の人気者有閑倶楽部の面々には、大量のチョコが貢がれる。

トップ争いは美童と悠理ながら、清四郎と魅録にもかなりの量が毎年届けられた。ちなみに可憐と野梨子にも、この日は告白できるとばかり、男女問わず崇拝者よりのプレゼントがある。おかげで、部室はチョコの甘い匂いだけでなく、花の香りも満ちていた。

 

チョコの包みが満載の袋をテーブルに置いた清四郎は、勝ち誇った表情の美童に平然と答える。

「これは、靴箱や机に置かれてあった分だけです。直接渡しに来た人たちは、申し訳ないが断りました。彼女がいるので、受け取れない、と。」

 

「へぇ、断ったって・・・・ええっ?!

美童の素っ頓狂な声に、部室に集う他の面々も、清四郎に注目した。

 

おまえ、彼女いるの〜〜?!

 

紅茶を淹れようとしていた野梨子は熱湯をドボドボ溢し、もらった花束を花瓶に活けていた可憐は水をぶちまけ。そのおかげで、机上で悠理にチョコの包みを剥いてやっていた魅録は、あやうく火傷を免れた。

びしょ濡れの魅録の隣で大きく口を開けていた悠理の、パリンというチョコを噛み砕いた音だけが部室に響く。機械的に口を動かしているものの、悠理も皆と同じく呆然自失。

 

「・・・いますよ、それなりに。そんなに驚くことですか?」

清四郎は心外な、と眉を寄せ、悠理に顔を向けた。

「と、いうわけで。これも、悠理に差し上げますよ。」

机の下に用意された段ボール箱の中の悠理所蔵チョコ山に、清四郎は自分の紙袋の中身を空けた。

ドサドサ落ちる華やかなラッピング群を、皆は呆然と見つめる。

「人外魔境四次元ポケット胃袋の悠理には、この程度じゃ全然足りませんか?やっぱり、断らず受け取った方が良かったですかね。だけどいくら僕でも、直接渡しに来てくれた女子に、うちの飼い牛の胃袋に収まりますがよろしいでしょうか、とは言えませんしねぇ。」

「牛だぁ?」

悠理が我に返って眉を顰めた。

「胃が四つ。」

「ふんぬ〜〜っ!」

憤慨顔の悠理と涼しい顔の清四郎の漫才を、可憐が遮った。

「ちょっと、ちょっと、悠理の胃が四つなのか異次元空間なのかは、この際どうでもいいわよ!それより!」

バン、と可憐はテーブルに乗り出す。

 

「清四郎、彼女がいるって?!どこの誰?!いつから?!」

 

野梨子がため息をついて幼馴染を見上げた。

「・・・全然気づきませんでしたわ。相変わらず秘密主義ですこと。」

清四郎は意外そうに、首を振った。

「別に隠してやいませんよ。言ってませんでしたっけ?結構前からですよ。夏休み前です。」

「「えええーーーっ!!」」

可憐と美童が同時に叫んだ。

「うそっ、あんた夏休みはあたしたちとずっと一緒だったじゃない!クリスマスも年越しもいつも通りだったじゃない!いつデートしてたのよ?!」

「僕と可憐がまったく気づかなかったんだから、清四郎もやるよね〜!」

「もしかして、一緒に居れないような人目を忍ぶ相手?」

「いや、ここで公表してるんだから、もう人目を忍ばなくて良くなったんだよね!」

「やだ〜♪高校生の分際で不倫?!略奪愛?!」

「ん、んまあ、不潔ですわ!清四郎、お相手は人妻でしたの?!」

 

盛り上がる可憐と美童、憤る野梨子に、清四郎は苦笑。

「これこれ、何を言い出すやら。あのですねぇ、僕は・・・」

 

ガタン!

 

清四郎が弁明しようとした時、悠理が椅子を蹴って立ち上がった。

「・・・あたい・・・」

悠理は真っ赤に染まった顔を歪めた。泣き出しそうに。

「あたい、おまえの貰ったチョコなんて、いらねーやっ!!」

悠理はそのままスカートを翻し、駆け出した。蹴破るようにドアを開けて外に飛び出す。

 

「「「「「悠理?!」」」」」

いきなりの悠理の激昂に、一同唖然。

 

疾風のように悠理が駆け去った数秒後。

「ったく、この寒空にあんな薄着で!獣じみていても一応人間の端くれなんだから、いくら馬鹿でも風邪を引いてしまいますよ!」

清四郎が苦々しげに悪態をつき、紙袋と一緒に持っていた自分のコートをつかんで、悠理を追いかけて走り出した。

 

残された一同は、毒気を抜かれ開け放されたドアを見送る。

 

「・・・・・僕の聞き間違いじゃないよね・・・悠理が“チョコを要らない”だって?」

「あの悠理の反応って・・・まさか。」

「ひょっと・・・しますわよね?」

 

「「「悠理って、清四郎を好きだった(んです)の?!」」」

可憐、美童、野梨子の声が重なった。

 

「まさか、清四郎の性格を良く知っている悠理に限って、と思うんですが・・・」

「でもあれは、恋する乙女の反応よ〜〜vvあの悠理も、女の子になる日がついに来たのね〜vv

「その言い方やめてよ、可憐。でも悠理、可哀想だよね。清四郎に彼女がいるって知って。」

美童の言葉に、人の良い可憐と野梨子の顔が曇った。

「・・・おまけに、当の本人には“牛“扱いよ?可哀想すぎるかも・・・」

しんみりと、三人は肩を落とす。

 

 

「・・・・・えーと・・・。」

それまであっけに取られ一言も発しなかった魅録が、濡れた制服をヒーターの前で乾かしながら口を開けた。

「あのよぉ、清四郎のカノジョって、やっぱ・・・」

 

決めた!!

魅録がぼそぼそ呟いた言葉を遮って、可憐がガバリと顔を上げた。

「あたしは、悠理の味方よっ!悠理の初恋成就を、応援するわ!」

可憐は握り拳で燃え上がる。

「だけど可憐、あの清四郎が、いまさら悠理を女の子として意識するようになると僕は思えないな。」

「そりゃ、悠理は女としてはちょっとアレでナンだけど、元はいいし可愛いところもあるんだから、あたしが全面協力して清四郎を悩殺するような美女に生まれ変わらせて見せるわーっ!」

「・・・それは、奇跡の力が必要だと思いますけれど。」

「そうだよね。いくら可憐が凄腕でもさ、神頼みか奇跡の領域だよ。だいたい、清四郎にはすでに彼女が居るんだよ?相手はなにしろ、離婚してまで清四郎に尽くした熟女(注:推測)だし。」

「何よりも私には、清四郎と付き合うことが悠理の幸せとは思えませんわ。」

「う・・・・。」

美童と野梨子の言葉に、可憐の勢いは急速に萎んだ。

「確かにそうね・・・悠理の幸せを思うと、あの清四郎に弄ばれるより、一時の失恋の方がマシなのかしら・・・」

 

 

どよ〜〜んと、暗くなった友情厚き三人に対し。

魅録はため息をついて、頭を掻いた。

ヒーターの温風で上着を乾かしながら、魅録は目の前の窓の外を見下ろす。

ちょうど、校舎を駆け出した悠理と、彼女を追いかける清四郎の姿が見えた。

 

 

 

――――『おまえに惚れました!僕に付き合ってもらいますよ!!』

清四郎が鼻息も荒く悠理に宣言したのは、夏休み直前。

あの時は、泡を噴かんばかりに慄いていた悠理だったが。

 

 

 

人気のない中庭で悠理を捕まえた清四郎は、彼女に自分の上着を着せ掛けようとする。

イヤイヤと頭を振った悠理に焦れたのか、清四郎は悠理を上着でくるみ、その上から強引に抱きしめた。

わずかにもがいただけで、悠理は彼の腕の中に収まる。

 

「えーと・・・やっぱそのぉ・・・結構、幸せそうだよなぁ?」

魅録は頬を染めて、窓から目を逸らした。

だけどやはり、魅録の言葉は皆に届かず。

仲間たちは気づかなかった。

 

奇跡のような、恋の行方に。

 

 

 *****

 

 

 

一方、中庭で奇跡は現在進行中。

 

後ろから悠理を抱きしめた清四郎は、安堵の息をついた。

「まったく、どうしたっていうんですか。おまえがチョコを要らないなんて・・・びっくりして雪が降りますよ。」

清四郎がそう言った途端、空からひらひらと白い雪が舞い落ちた。

 

ふわりと鼻先に落ちた結晶に、悠理は目を丸くする。

「・・・すっげ・・・おまえ、魔法使い?」

 

「何言ってるんですか。2月だから当然でしょう。言い間違えました。おまえが食い物を置いて来るなんて、地殻変動天変地異が・・・」

「わ、わーっ!」

悠理は慌てて振り返り、清四郎の口を両手でふさいだ。

「本当になったら、どうすんだよ!」

 

「ムガ。」

清四郎の抗議の目に、悠理は首を振った。

「ダメ。もう何もしゃべんな。」

 

清四郎は口をつぐむ代わりに、悠理の腰に回した手に力を込めた。もう逃さないように。

悠理は清四郎の口から手を離し下ろす。悠理ももう、逃げる気はない。

 

真正面から向かい合い。

悠理の大きな目が潤んだ。

すん、と鼻をすする。

 

「・・・・・。」

清四郎は悠理の赤らんだ鼻の先に、自分の鼻を、トンとぶつけた。

「ひゃっ」

唐突にくっついた肌と肌に、悠理は頬を染める。

「な、なにすんだよ?!」

「口をきいてもいいんですか?」

清四郎はニッと笑った。

「いえ、悠理が変なことを言うもんですから、病気かも、と。鼻が乾いていると病気ですからね。」

「あたいは、犬かよ!」

「僕は犬好きなんです。あ、牛ももちろん好きですよ。」

清四郎は悠理の顔を覗き込んだ。

「本当に、どうしたんですか?様子が変ですよ。」

悠理はぷいと清四郎の視線を避ける。だけど、抱きしめられている状態では、結果的に赤らんだ頬を彼の腕にすりつけることになっただけだった。

 

「・・・・おまえさぁ・・・・あたいの他にも、付き合ってる奴、いるの?」

「はぁ?」

清四郎は間の抜けた声を出す。

「もしかして、さっきの人妻がどうとかいう、あいつらのファンタジックな妄想を本気にしたんですか?」

「・・・・そーゆーわけじゃないけど・・・・・」

「そうですよね。悠理が僕にヤキモチなんか焼くわけはありませんよね。それこそ、奇跡、天変地異だ。」

清四郎は少し切ない笑みを浮かべた。

 

 

あれは夏。

南の島の白い浜辺で。

――――『僕は、奇跡など信じちゃいませんから。』

かつて、清四郎はそう言った。切ない笑みで。

――――『いつかおまえが僕を恋するようになるなんて、奇跡が起こらないと無理でしょう?』

 

あれから季節が変わっても、清四郎は変わらない。

悠理の心も知らぬまま。

 

 

白い雪が、ゆっくりと舞い落ちる。

清四郎と悠理の上に。

寒さなど、ふたりとも感じてはいなかったけれど。

 

悠理は清四郎の腕に頭をもたせかけ、小さくため息をついた。

「・・・・あたいあんまり、おまえのカノジョって気がしない。」

「そうですか?僕は思いっきり、おまえの彼氏気分ですけど。」

清四郎はいつものごとくマイペース。

 

悠理は清四郎の腕から頭を上げて、キッと彼を睨んだ。

「だけど、あたい、おまえにチョコなんか用意してないもん!」

「は?」

「おまえ、チョコ断ったんだろ?でもあたい、なんにもやるもんないもん!」

悠理の目に涙が盛り上がった。

「こんなカノジョ、変だろ!」

 

清四郎はあっけに取られて、悠理の顔を見つめていた。

絶句した彼は、呆然自失。

 

奇跡を信じない彼も、気づき始める。

本当の奇跡は、この瞬間だということに。

恋する人に想い想われ、ふたり共に過ごすこの瞬間が。

 

清四郎は呆然とした表情のまま、やっと口を開いた。

「・・・・全然、変じゃありません。むしろ、おまえがチョコを僕にくれたりなんかしたら、地殻変動です。大地震の前兆、温暖化で氷河が溶解・・・」

「あ、あ、言っちゃダメ!」

悠理は慌てて清四郎の口にまた手を押し当てようとする。

その手を、清四郎は握った。

 

彼は微笑む。

ふわりと、柔らかな笑み。

今度は、幸福感に満ちた笑みだった。

 

「僕は、チョコなんか要らない。」

「そりゃ、知ってるけど。」

「これからも、全部おまえにあげます。」

「・・・そりゃ・・・ちょっとマズくないか?」

山のように寄せられる綺麗なパッケージに包まれたチョコ達。

大好きな甘い菓子。

それに込められた思いなど悠理の興味の外だった。

なのに、初めて意識してしまった。これまで考えもしなかったことに。

「あれって・・・・みんなおまえのこと好きな子からのプレゼントなんだぜ?」

ズキン、と悠理の胸が痛んだ。

初めての痛み。

それは、恋の痛み。

 

「チョコよりも嬉しいものを、いつもおまえは僕にくれるから。」

「ふえ?」 

首を傾げている悠理に、清四郎は再び顔を近づけた。

チュ、と唇に口づける。

 

「・・・わ!」

唐突に奪われたキスに、悠理は飛びのこうとしたが。

ぎゅ、と強い腕に抱きすくめられ、適わなかった。

 

清四郎は悠理の髪に顔を埋める。

切なさは、胸に満ちる愛しさに変わる。

清四郎が隠したのは、緩んだ顔。

「僕はこのまま、天変地異が起きてもいいです。」

「・・・・あたいは、そんなのヤダぞ!」

「おまえがずっと、猿で犬で牛で馬鹿でもいいです。」

「・・・・そんなの、ヤダぞーっ!」

悠理はポカポカ清四郎の背中を叩く。

だけど、やがて諦めてその手を止めた。

悠理もいつまでもふくれっ面ではいられない。

抱きしめられた温もりが、あまりに心地良くて。

 

ふわりふわりと雪が降る。

悠理の上に伏せられたままの清四郎の黒髪に。

清四郎の背に回された悠理の手にも。

 

 

 

それは、悠理がチョコを食べ残した日。

奇跡は現在進行形。

 

雪が降るのに、胸の奥があたたかい――――真冬の奇跡。 

 

 

 

 

(2007.2.14)

 


「真夏の奇跡」シリーズも、なんだか知らないうちに真冬に突入しました。

ほとんど携帯で打った突貫SS。つくづくこのシリーズは突発的に書いてしまうようで、自分でもいつ書くかわかりません。(あ、いつもか・・・)

魅録をのぞく仲間達には、元人妻と付き合っていると思われている清四郎。その清四郎に片思いしていると思われている悠理ちゃん。周囲の同情をよそに、ラブラブに突入してしまったようです。(笑)

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