驚天動地の今年のバレンタイン。
悠理から、チョコをもらった。
可憐と野梨子と三人での連名だが。 僕に手渡してくれたのも可憐だが。 「なになに、どんなの?」と可憐に尋ねていた様子では、悠理自身はどんなチョコか知らなかったようだが。 美童と魅録と僕に渡されたものはご丁寧に揃って『義理』と書いてあったので、悠理がそれを知らなくても、別にいい。
とにかく。 出会って15年目にして、初めて。 悠理が、バレンタインに、チョコを、僕に、くれたのだ!
3月14日。 僕はさんざん悩んだ末に、決意した。
悠理へのお返しを何にしようか、このひと月考え続けていた。 いや、もちろん僕だとて、悠理が僕に恋をしてチョコをくれたのだと誤解しているわけじゃない。 苦節15年目のあれは、文字通り義理チョコなのだろう。 しかし、これは一つのきっかけになる。 ホワイトディを口実に、僕から告白してもいいではないか――――と、ここまで考えて、僕はようやっと思い至ったのだ。
どうも、僕は悠理に恋しているらしい。
恋はギリギリBY フロ
「まぁ、ありがとうございます」 「あら、結構気が利くじゃない」 野梨子と可憐はにこやかに、僕の渡したクッキーの包みを受け取った。
僕だけが渡すわけにもいかないので、魅録との連名だ。 魅録には、僕から声をかけた。彼はお礼などと気を回す男ではないので、あっさり同意した。 美童は誘わずとも、すでにお返しとして彼女たちをイメージした香水を用意し渡している。
「クッキー?」 美童からのプレゼントは興味なさげに受け取っていた悠理だが、僕からのものが食べ物だと知るやいなや子犬のように目を輝かせた。 期待に満ちた顔で両手を差し出す悠理の手に、僕はもったいぶって包みを乗せた。 「ハイ。もちろん悠理にもありますよ」 「あれ?あたいのだけ違う?」 悠理に手渡したのは、二人よりもう一回り大きな包みだった。
「悠理のは二人と同じクッキーのほかに、特別サイズのものもオマケにつけました。野梨子や可憐とじゃ、胃の容量が違うでしょう」 「わぁい、サンキュー!」 悠理は嬉しそうな笑みを僕に向けた。 その無邪気な笑顔に、思わず見惚れる。 「・・・オマケは、僕の気持ちです」 言葉はポロリとこぼれ出た。
え?という顔をしたのは、悠理ではなく、野梨子、可憐、魅録、そして美童の、外野陣。 「魅録、オマケってなんなの?」 「さぁ、俺は知らねぇよ。清四郎が用意して連名にしましょう、って言われただけだから」 野梨子がさっそく僕の渡した包みを開けた。美童が覗き込んでいる。 「まぁ・・・このクッキー・・・」 「・・・手作り、だよね」 「まさか清四郎の手作り?」 「うわ、『ギリ』って小さく字が入ってるぜ」 「バレンタインのときのお返しで、ひょっとして嫌味のつもりかしら?」
頭を寄せ合ってこそこそ話している四人の会話は筒抜けだったが。 僕はかまわず、悠理に視線を戻した。 「どうぞ、食べてください」 「う、うん」 僕の笑みに不穏なものを感じたのか、悠理が小首を傾げる。 「気持ちって?」 直接話法で、悠理は僕に疑問をぶつけた。 「それは・・・・」
外野の視線が、僕たち二人に突き刺さった。 皆の前で言ってしまってもいいのだが。やはりここは、せっかく用意したプレゼントに威力を発揮してもらわねば。 「そのクッキーを見ればわかりますよ」 なにしろ、最良の小麦粉を買い求め、最高の味になるまで試作を繰り返し、親父の血糖値と姉の体重を犠牲にして完成させた僕の特製クッキーだ。 悠理に僕の想いを伝えてくれるに違いない。 彼女の気持ちを得るには、食べ物で釣るのが一番!と結論付けた結果でもある。
嬉々として包装紙を破くかと思った悠理は、だが訝しげに眉をよせつつそろそろと袋を開けた。 オマケの方を先に取り出す。 えび満月大、巨大なクッキーを悠理は凝視している。そこに、僕がチョコで書いた文字を。
「・・・もちろん深読みしてくれて結構です。さすがのおまえでも、推理不要でしょうが」
僕の言葉に、外野四人がサササと近寄って来た。悠理の背後に回ってクッキーの文字を読もうとする意図は明白。 別にかまわないが、さすがの僕も気恥ずかしくなってきた。 頬が熱を持つ。僕はみっともなくも、俯いてしまった。 「返事は別にいりません。僕の気持ちを知って欲しかっただけですので」 はっきり言って、悠理に多くは期待していない。それが嘘偽りのない気持ちだった。
「・・・・気持ち・・・推理・・・」 悠理はぶつぶつ呟いている。 バリン、という煎餅のような音に、ぎょ、として顔を上げた。 僕の気持ちごと真っ二つに叩き割られたのかと一瞬思ったが、悠理はクッキーにかぶりついていた。 しかし、眉はあいかわらず寄っている。なにやら気分を害している表情だ。 「・・・美味しくないですか?」 さすがの僕も、へこみそうになった。 悠理はバリンバクンとクッキーを齧りながら、首を振った。 「んにゃ、旨い。けどさ・・・」 悠理は特製クッキーをあっという間に完食し、次に小袋の普通サイズクッキーを開ける。 こちらの文字は『ギリ』。なにせ、魅録と連名だからね。
「嫌味きついよな、おまえも」 「嫌味?」
「なになに、なんて書いてあったの?!」 覗き込むよりも悠理が齧る方が早かったのだろう。可憐が悠理に問いかけた。 野梨子も美童も魅録も興味津々。 三日月形に細めた目で僕を見る仲間たちの視線は雄弁で。彼らには今のやりとりで、すべて悟られてしまったことは明らかだった。 だけど、当の悠理はしかめっ面だ。
「あれはおまえの気持ちだろ?んで、まさか、あたいにも同じ気持ちを持てって言うつもりじゃないだろな?」 「・・・!!!」 ざっくり図星。
悠理の言葉は、ボディブローのように効いた。 よろり、と体が傾ぐ。 胃の腑が焼け付くような痛み。いや、胸の裂けるような痛み、がこの場合適切だろう。 どちらにしろ、ひどい衝撃だった。 しかし、僕は必死で踏みとどまった。ここが男の踏ん張りどころ。 はなから、悠理が頬を染めて「”義理”は照れてたんだ。アタシも清四郎が本命だったの・・・v」なんて言うわけはないと思っていた。 だから、ショックを受けることはない。まだ、想いを伝えたばかり。これから一歩ずつ距離を詰めて行けばいい。
悠理のジャブを避けるボクサーのような足取りで、僕は彼女に近づいた。 悠理はカウンターパンチを狙うかのような鋭い視線で、僕を睨んでいる。 向かい合う、僕たち。
恋は、闘いに似ている。
「確かに、僕の気持ちを押し付けているのかもしれません。でも、あなたも真剣に考えてください」 悠理も一歩も引かない。 「だって、”ほん、いのち”だろ?おまえが本好きなのは知ってるけど、あたいにそれを求めんなよな!」 それも、デカデカ大文字でさー、と悠理は口を尖らせた。
お見事な右ストレートがカウンターで入った。いや、実際の悠理の手はクッキーの袋をごそごそ探っているだけなのだが。 僕は、ガクリと足の力が抜けるのを感じていた。
――――ぷ。
吹き出したのは、野梨子か可憐か美童か、それともまさか魅録なのか。 僕はキッと仲間たちを睨みつけた。
はたして、四人とも笑顔ではあったが、爆笑している者は一人もいず。 穏やかな微笑を一様に浮かべている。
「・・・清四郎、悠理にゆっくり説明したら?」 「俺らは席を外すからよ」 「ええ、二人きりにして差し上げますわ」 「じゃ、がんばってね〜」 四人は僕の肩をぽんと軽く叩き、部屋から出て行った。
二人きりにしてくれたのはありがたいが。僕に向けた生温かい笑みに、明らかに憐れみが入っているのが気に入りませんね。
そうして、僕は悠理と二人、四角いリング、もとい、生徒会室に取り残された。
こうなったら直接話法で、告白するしかない。 そうだ、僕がしたいのは、言葉のボクシングではなく、愛の告白。
僕は思いのたけを込めて、悠理を見つめた。 戦闘態勢の僕につられてか、悠理はわずかに緊張した顔をしている。そこに恋する乙女の恥じらいは、微塵も見出せない。 偏差値よりもまだ低いだろう悠理の恋愛指数。 彼女に想いを告げても、殴られるのが関の山かもしれない。 だけど。 とうに腹はくくっていた。
「”ほん、いのち”ではありません。”本命”です!」 「本命?なんの?」
この程度のボケで引く僕ではない。
「だから、義理の反対です!」 「ギリの反対はリギだろー?」
そう来るか、と一瞬ひるんだが。
「・・・・・・わかりました。はっきり言います」 僕は大きく息をひとつ吸い込んだ。ぐぐぐ、と丹田に力を込める。
「『本命』の意味は、『好き』ってことです!」
恋は、勢い。 鍛え上げた腹式呼吸で、大声で告げてしまった。 至近距離の悠理は、失礼にも耳をふさいでいる。が、片手にクッキーの袋を握ったままでは片耳がお留守だ。しっかりと僕の告白は聴こえたはずだ。
悠理は袋を握り締めたまま、見えない棒を肩に振りかぶるような仕草をしつつ、首を傾げた。
「スキって・・・・・鋤?」
案の定、僕の声は届いていたが。想いは悠理に届いていなかった。
「・・・・・・今度はそう来ましたか。次はクワかツルハシで来る気ですね?」 先ほどからのジャブ攻撃(時々カウンターストレート)で、僕は疲労困憊。 「なんだよ、そりゃ。連想ゲームかシリトリか?」
鋤、隙、数奇――――好き。
「シリトリだとしても、スキのあとに続くのは、鍬でもなく鎌でもないでしょう!」
人より強いと自負している忍耐力が、限界だった。 僕は焦れて、実力行使。 悠理の肩をつかみ、引き寄せる。 そのまま、唇を奪った。
わからないなら、教えてやる。シリトリの続きは、こうだ。
スキ――――キス。
僕は悠理の唇の甘さに陶酔した。 甘い唇は、高級砂糖を惜しげもなく使用した、クッキーのせいかもしれないが。
――――ばっっこん!
目の前に星が散った。 他の人間なら顎骨折しかねない悠理の拳骨。真下から繰り出されたそれは、見事なアッパーパンチ。 鍛えようもない顎からの衝撃で、脳が縦に揺さぶられた。 目の前の悠理が二重に見える。
真っ赤な顔。 しかめっ面。
「この、この・・・スケベッ!」
泣き出しそうな悠理が二人(に見える)。 その周りで舞い飛ぶのは、天使か星か。
くらくらする頭で考えた。 「・・・なるほど・・・悠理も・・・なかなかやりますね」 口の中に広がる血の味が口惜しい。彼女の甘い唇の感触が去るのが惜しい。 遠のきそうになる意識を、悔しさが繋ぎとめた。 なにしろ、見事に切り返されたのだ。
麻痺した脳内で、繰り返される彼女の言葉。
スキ――――キス――――スケベ。
シリトリは続いている。 つまり、次は『べ』のつく単語だ。 べべべべべ・・・・ 便秘便意便座便器――――
思いつくのは、おおよそ相応しくない言葉ばかり。
殴られ吹っ飛び床に腰を落とした体勢のまま、僕は必死で考えていた。どうにも頭は回ってくれなかったが、意識を集中していないと、気を失いかねなかった。
ブツブツつぶやいている僕に、おっかなびっくりそろそろと、悠理が近づく。 上履きの先で、つんつん脛を蹴られた。 「どうしたんだ、スキだらけだじょ、おまえ」 見上げると、不安げに眉を下げた彼女が二人(に見える)、僕の目の前に立っていた。
バカでサルで性別不明で食欲のみで乱暴者の、悠理。 だけど、優しいところだってある。 いつだって、彼女が本気で怒るのも泣くのも、人のため。 今だって心配そうに僕を見つめている。 たとえ、自分が殴り飛ばしたためであっても。
無邪気で純粋で誰よりも生き生きとした、悠理。 白昼の部室で。キラキラと星と天使が、彼女の周りで踊ってる。
愛しい。
”好きだらけ”なのは、認める。 「スキあり!」 まだ二重にぶれて見える悠理の細い腰を、僕は捕らえた。 膝立ちのまま抱きしめる。
「あんぎゃっ!」 驚いて放り投げたのか。悠理の握っていた袋が宙を舞った。 バラバラと僕の頭上に降ってきた、クッキー。 チョコで書いた『ギリ』の文字が、星と一緒に目の前を乱舞した。
ギリギリギリギリ、煩いくらい。
「うわぁ、クッキーがぁっ!」 「そんなもの、いつでも作ってあげます!」 泣き声の悠理に、きっぱりと告げる。
「だから、悠理、僕と付き合ってください!!!」
『だから』――――は、かなり情けなかったが。 人より高いとよく言われるプライドを投げ捨て、僕は懇願していた。 恋は、かくも男を愚かにするのか。
僕の腕の中でもがきかけた悠理は、はたしてピタリと動きを止めた。 「・・・付き合ったら、また作ってくれんの?」 「ええ、美味しかったんでしょう?」 「うん、まぁな♪」 僕にしがみつかれている状態で、悠理は舌なめずり。愁眉も解けている。 やはり、悠理には餌付けが一番。 しかし。
「んで、付き合うって、どこへ?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」 悠理の言葉で、思わず心の堰が崩れかけた。 悠理が馬鹿なのは周知の事実。そんな彼女を好きになった僕のカナシミ。 愛と憎しみは表裏だが、恋は哀しみとセットなのか。
ギリギリギリギリがけっぷち。
人より強いと自負している、僕の理性も限界だった。
――――わからないなら、教えてやる。体で行為で今すぐに。
そうして僕は実力行使。 華奢な体に回した腕に、力を込めた。
うららかな春の午後。 一歩ずつ距離を詰めるはずが、目測違い。余裕のないこと、甚だしい。
――――恋は、ギリギリ。
(2006.3.16) ギリギリなのは、私の企画参加です。(笑) なんじゃこれ?なお馬鹿話で失礼しました〜。 |
背景:柚莉湖♪風と樹と空と♪様