〜7〜
清四郎の心は、驚くほどに凪いでいた。 首筋に悪鬼の爪が向けられているにも関わらず。 「―― 君は、自分の名前を覚えていますか?」 突然の質問に、悪鬼の動きが止まった。裂けた口をぽかんと開けて、考え込んでいる。 「お母さんの名前は?言えますか?」 「・・・おかあさん、の、なまえ・・・」 清四郎とてむざむざ死にたくはない。悠理の身も、まだ危険に晒されている。だが、悪鬼と正攻法で戦っても勝算は限りなくゼロに近いし、閉じられた世界で逃げ回っても、いつかは捕まってしまう。 ならば、頭を使うしかない。せめて悠理だけでも救えるよう、時間を稼ぐのだ。 「君の名前は、筑水浩輔。お母さんの名前は―― 思い出しましたか?」 「おかあさんのなまえ・・・ちくすい、みちこ・・・」 清四郎の咽喉笛を捉えていた爪が消えた。裂けた口が元通りになり、濁った瞳が澄み、頬から血の涙の痕が消えた。 「お母さんから金魚を買って貰ったのですよね?夏祭りのときに。赤い金魚、可愛がっていたのでしょう?」 「きんぎょ・・・おかあさんが、おりこうにおるすばんできるようにって・・・」 「そうですね。いつも金魚と一緒にお留守番をしていたのですよね。」 清四郎は身を屈めて、少年と目線を合わせた。 「浩輔くんは、どうしてここでお母さんを待っているのですか?」 「だって・・・お父さんが、引っ越すって・・・そうしたら、もう、お母さんと会えなくなる・・・ぼく、お母さんに会いたいよお・・・」 浩輔少年の眼から、透明な涙が零れた。 「・・・お母さん、ここで待っていたら、きっと来てくれる。だからぼく、お父さんに見つからないよう、神社の下に隠れていたんだ。お父さん、探しに来たから、ぼく、一生懸命隠れていたんだよ。」 清四郎は想像する。しのつく雨の中、父親に連れ戻されないよう、真っ暗な縁の下に隠れて息を潜めていた少年の姿を。熱に浮かされながら、母親が買ってくれた金魚の水槽を抱えて、心細さに震える姿を。 でも、彼が待ち侘びる母親は―― 既に彼岸へと旅立っている。 そのとき、石段を駆け上がる足音がした。 「清四郎!悠理っ!」 鳥居の向こうに、魅録が現われた。 魅録は鳥居を越えようとして、清四郎と同じように見えざる壁に弾き飛ばされた。 「畜生!何なんだよ!!」 そこに、遅れて野梨子と中年の男が現われた。一気に駆け上がってきたのだろう、野梨子は喋られないほど息が乱れていた。 「魅録!!清四郎が、清四郎が!!」 可憐が大声を上げて魅録に縋る。魅録はこちらの様子を確かめると、表情に緊張を走らせた。そして、後ろにいた中年男の襟を掴み、鳥居の前に引き摺り出す。 「言われたとおり、連れてきたぜ!どうすりゃいい!?」 浩輔の父親は、魅録の迫力にすっかり縮こまっていたが、清四郎の陰に息子の姿を見つけ、眼を見開いた。 「浩輔っ!!」 男は境内に飛び込もうとし、呆気なく弾き飛ばされた。魅録が背後から抱きとめていなかったら、石段を転げ落ちていただろう。男は魅録に抱えられたまま、浩輔、浩輔、と狂ったように叫んだ。 ざわり。 空気が、揺れた。 「お父さんなんか・・・嫌いだ。」 清四郎は咄嗟に少年の前から飛び退り、悠理を背中に庇った。
野梨子は破裂しそうな心臓を押さえながら、眼前の光景を見つめていた。百段もの階段を駆け上がったのは、生まれてはじめての経験だ。何か手助けしたいものの、苦しくて身体が思うように動かせない。 目の前では、浩輔少年の父親が、狂ったように叫んでいる。彼がはじめて見せる、父親の姿だ。鳥居の先には、悠理を庇う清四郎の姿。さらに、その先には―― 子供らしからぬ憤怒の形相で立つ、幼い少年の姿があった。 「・・・お父さんなんか、嫌いだ。」 「浩輔!!」 「お母さんを追い出したお父さんなんか・・・死んじゃえ。」 「きゃあ!!」 何の前触れもなく突風が襲ってきて、野梨子は石段の上に蹲った。千切れた枝が、次々と背中にぶつかってくる。頭上の枝が今にも折れそうなほど撓り、恐ろしさに声も出ない。 大風の中、誰かに肩を捉まれた。顔を上げると、すぐそこに魅録の顔があった。 魅録に守られながら、鳥居の脇まで移動する。既にそこにいた可憐が、野梨子に気づいて手を伸ばす。野梨子はその手を握り、しっかりと身を寄せ合った。 「・・・ったく、逆効果じゃねえか。」 魅録は忌々しげに呟き、鳥居の向こうにいる清四郎に向かって怒鳴った。 「てめえ、いったいどうやってあのガキを鎮めるつもりだよ!?」 「今考えているところです!!」 その答えに、魅録は、馬鹿じゃねえか、と吐き捨てるように呟きながらも、見えざる壁に強烈な蹴りを入れはじめた。安全靴が繰り出されるたび、しゅん、と鋭い音がする。あんなもので蹴られたら、堪ったものではあるまい。 「・・・お父さんが女の人を連れてこなければ、お母さんはぼくの傍にいてくれたんだ。ぜんぶ、お父さんのせいだ。お母さんの代わりに、お父さんがいなくなっちゃえば良かったんだ・・・!!」 浩輔!!と、父親が叫ぶ。 「お父さんなんか、死んじゃえ!!」 猛烈な風が、父親を襲った。風に煽られた父親は、木の葉のように呆気なく石段から転げ落ちた。 魅録が咄嗟に石段を駆け下り、父親の服を掴んだ。何とか最悪の事態は免れた。が、安心している暇はない。 魅録は倒れたまま呻く父親を石段の端に移動させると、すぐに鳥居の前に戻ってきた。 少年は、憤怒の形相を清四郎と悠理に向けている。 「お前がお父さんを呼んだ・・・お父さんに見つかったら、お母さんに会えなくなるのに・・・」 少年が指を差した瞬間、清四郎の羽織っていたライダージャケットが、大きく裂けた。 それを見た野梨子と可憐は、同時に悲鳴を上げた。 「・・・お前も、死んじゃえ。」 少年の声と重なるようにして、車が急ブレーキをかける音が聞こえた。 はっとして振り返ると、石段の下に停まったタクシーから、美童が転がり出てきた。 「美童!!」 野梨子の叫びを聞いて、清四郎も石段の下を見る。 「美童!!早くあれを!早く!!」 清四郎が叫ぶ。美童もただならぬ雰囲気を敏感に察知したのか、白皙の頬に緊張が走る。そして、自慢の長い足を生かし、石段を三段抜かしで駆け上がってきた。 その間にも、少年は清四郎に近づいてゆく。 清四郎は悠理を胸に抱いて、石畳の上に伏せた。 「美童!!早く!!」 魅録が怒鳴ると、美童は何を思ったのか石段の半ばで立ち止まった。 「魅録っ!!これを!!」 美童は手にしていた塊を、魅録めがけて放り投げた。
美童もそれが何かは知っていた。 が、清四郎が持って来いと言った理由は、分からないままだった。 でも、清四郎がそれを待ち侘びているのは確かだ。それも、かなり切羽詰った状況らしい。上に行けば行くほど澱んで質感を増す空気からも、尋常ではない状況が分かる。 「美童!早く!!」 魅録が鬼気迫る形相で怒鳴る。 階段を上る時間すらもどかしくて、美童はそれを宙に放った。 それは、吸い込まれるようにして、魅録の手へと落ちていった。 キヤッチすると同時に、魅録は身を反転させて、それを鳥居の洞に叩きつけた。
何かが破裂するような音が、夜闇いっぱいに響いた。 それに合わせて、澱んだ空気がさあっと消えた。 美童は額に浮いた汗を拭い、鳥居の向こうに眼を凝らした。 何となくだが、そこだけが薄ぼんやりと明るい。 魅録も、可憐も、野梨子も、鳥居の先を凝視したまま、微動だにしない。 後ろから、浩輔の祖母がようよう上がってきた。荒い息の中、浩輔、浩輔、と呟く声が聞こえる。年老いた女性に、この石段は辛かろうに、彼女は必死に頂を目指している。 美童は彼女を抱き上げるようにして、一緒に石段を上った。 境内の様子が見える高さまで来たとき、美童の腕の下で、老女が声を上げた。 「み、美智子・・・浩輔・・・」 鳥居の向こう側には、遺影と同じ顔をした女性が立っていた。
清四郎とて、確信があったわけではない。 しかし―― 読みは、見事に当たった。 腕の中の悠理は、がたがたと震えている。霊感の強い彼女のこと。この中の誰よりも霊気に当てられても仕方がない。 それでも空気が変わったのを敏感に察知したのか、恐る恐る清四郎の胸から顔を上げた。 「あ・・・」 悠理が微かに驚きの声を漏らした。 二人の目の前に、ほっそりとした女性が佇んでいた。 朧な燐光を放つその身は、向こう側の景色が透けて見え、此の世のものではないと、ひと目で判別がついた。 だが、暖かな微笑を浮かべているせいか、不思議と恐ろしくはなかった。 「―― 浩ちゃん、迎えにきたわよ。」 穏やかなアルトの声が、頭蓋に直接響いてきた。 「ひとりにして・・・ごめんね。」 白く細い腕が、幼い少年に差し伸べられる。 鬼にまで変化した悪霊は、待ち望んだ母を前にして、ひとりの幼子に戻っていた。 「おかあさん・・・」 顔いっぱいに、はちきれんばかりの笑みを浮かべ、少年は母の胸に飛び込んだ。 嬉しさに顔を輝かせ、小さな手で精一杯母にしがみつく。 「ぼく、ぼく、ずっと待っていたんだよ。寂しかったけど、怖かったけど、絶対に迎えに来てくれるって、信じていたんだよ。おかあさん・・・」 母の眼から、透明な雫が零れる。 「ひとりで寂しかったわね、怖かったわね。ひとりで辛かったでしょうね・・・」 正直なところ、悠理の命を奪おうとした悪霊を、許す気にはなれない。 だが、ひたすらに母を慕い、ただ、ただ、母の迎えを待ち望んでいた幼子の気持ちを思うと、不憫で仕方なかった。 「これからは、ずっと一緒よ。何があっても、絶対に浩ちゃんから離れない。」 聖母と見紛うばかりの微笑が、光となった。 「浩ちゃん・・・還りましょう。お母さんと、一緒に。」 そして、母と子は光に包まれ、やがて、消えていった。 辺りに静寂が戻っても、しばらくの間は、誰一人として動けなかった。
最初に動いたのは、何故か、浩輔の父親だった。 石段に伏し、おんおんと声を立てて泣きはじめたのだ。 魅録は緩慢な動作で振り返り、父親を見下ろした。 「これが―― あんたが我儘を通して、家族をないがしろにした結果だよ。」 父親は激しく嗚咽しながら、許してくれ、許してくれ、と何度も何度も繰り返した。 すべての責任を父親に背負わそうとは思わない。だが、彼が原因の一端であるのは、紛れようもない事実だ。人生に『もしも』を求めれば、それはただの言い訳になる。それでも魅録は、もしも、と思った。 もしも、浩輔少年が母と引き離されることがなかったら。 もしも、引越しを決めなかったら。 もしも、父親が父親らしく生きていたら。 浩輔少年だけではない。金魚に見立てられた三人の女性も死ななかったし、魅録たちも巻き込まれることはなかった。 首を動かすのも億劫だったが、周囲を見渡してみる。 美童に支えられて、泣きじゃくる老女。青褪めた顔で身を寄せ合う野梨子と可憐。そして、鳥居の向こう側で、互いを守るように抱き合った、清四郎と悠理。 よく見れば、二人とも血だらけではないか。魅録はすぐさま二人の元へ駆けつけようとして、足に急ブレーキをかけた。また鳥居の前で弾かれるのは御免だ。 二、三度、鳥居の下の中空を蹴ってみて、何の手ごたえもないのを確かめてから、境内へ入る。 「大丈夫かよ?」 話しかけると、清四郎は疲れ切った顔に、皮肉な笑みを浮かべた。 「何とか。」 「すげえ血だけど、怪我してるのか?いったいどうしたんだ?」 「まあ、成り行きで。」 「まあいいさ。話は後でゆっくり聞く。ともかく今は手当てが先だ。」 「その前に魅録、あれを持ち主に返してもらえませんか?」 清四郎の視線を追うと、石畳の真ん中に、二人を窮地から救ったものが転がっていた。 魅録は黙って頷いて、それを拾い上げた。 泣きじゃくる老女に差し出すと、彼女はそれを胸に抱いて大粒の涙を零した。 「美智子、浩輔・・・可哀想に・・・浩輔・・・」 老いた母は、娘の位牌を抱いたまま、いつまでも泣き続けた。
後日―― 神社の本殿の床下から、筑水浩輔の遺体が発見された。 調べてみると、縁の下に張り巡らされた平板の一枚が外れるようになっていたが、内側から小石を積んで、外れないよう細工がしてあったという。 恐らくは、父親に連れ戻されないよう、浩輔少年が自らの手で出口を塞いだと思われた。 小さな骨は、すっかり干上がったプラスチックの水槽を抱いていたそうだ。 そして、水槽の中には、三匹の金魚の骨が残されていた。
「もお、もお、あのときの清四郎ってば、この私が惚れそうなくらい格好良かったのよ!躊躇いなく腕をすぱっと切って、流れる血を自分の服につけて、『僕が金魚になりますから、悠理を返してください』よおっ!?格好良すぎてクラクラしちゃうわ!」 「だから可憐、その話はもういいじゃないですか。」 清四郎が本気で嫌そうに顔を顰めている。それも仕方がない。可憐は壊れたデッキのように、先ほどから同じ話を繰り返している。 「僕はもっと聞きたいけどな。今後の参考にしなくちゃならないし。」 「俺も何回聞いても飽きないぜ。色男さんの話はよ。ま、清四郎は金魚って面じゃねえけどな。」 男二人にまでからかわれ、清四郎は諦め気味に溜息を吐いた。皆、普段は隙を見せない清四郎をからかうのが楽しくて仕様がないのだ。 悠理のほうは、恥ずかしさに耐え切れなくなったらしく、既に逃亡している。 野梨子は緑茶をいただきながら、仲間たちのやりとりを面白げに眺めていた。 「『悠理はあなたのものではありません。僕のものです』・・・って、普通、本人を前にして言える!?」 「可憐!いい加減にしないと、怒りますよ!」 「いい加減にしてほしいのは、清四郎のほうだよ。もう、悠理を見る眼の蕩けそうなこと。恋愛に興味のない男が急に恋すると、ああなるのかって、感心しちゃうよ。」 「美童!!」 耐え切れず怒鳴った清四郎の顔は、羞恥に染まっている。野梨子は緑茶を一口飲んで、ふうと息を吐いた。 「清四郎。図星を指されて怒るなど、男らしくないですわよ。」 ぐっと詰まった清四郎を見て、魅録が吹き出した。それにつられて、美童と可憐も笑い出す。 弾ける笑い声。窓の向こうは抜けるような青空。絵に描いたような天下泰平。 清四郎が逃げ出すように帰宅すると、可憐と美童もそれぞれデートへと出かけた。残された野梨子と魅録は、当然のように肩を並べて部室を出た。 魅録は相変わらず大股でずんずん歩く。野梨子は一生懸命に足を動かして後を追う。 清四郎なら野梨子の歩調に合わせてくれる。それはとても楽なことだけど、楽ばかりしていては、成長は止まったままだ。 「悪い。また早すぎたな。」 魅録が立ち止まって振り返る。野梨子は僅かに息を弾ませながら、首を左右に振った。 「いいえ、自分のペースで歩くのは楽ですけど、たまには他人のペースに合わせてみるのも楽しいですわ。何だか、いつもと違うことをしているようで、わくわくします。」 「でも、早すぎるだろ?」 「早くても構いませんわ。私、魅録のスピードで過ぎる景色を見てみたいんです。」 魅録の眼が細くなった。笑っているような、怒っているような、照れているような、複雑な表情だ。 いきなり魅録が歩き出した。今度は、野梨子の手を掴んで。 「こうすりゃ俺にも野梨子のスピードが分かるからな。」 見上げた首筋が、髪と同じ色に染まっている。 「はい。」 野梨子は笑いながら、大きく頷いた。
清四郎は悠理の右手首に包帯を巻きながら、深々と溜息を吐いた。 「まったく、あいつらは何でもかんでも茶化して面白がるんですから、堪ったものではないですよ。」 「あたいは何にも覚えていないのに、何で一緒にからかわれなきゃいけないんだよ?お前が恥ずかしい台詞を撒き散らしたせいだぞ。」 不満そうに頬を膨らませながらも、悠理はどこか嬉しそうだ。 ここは、悠理の部屋である。人の目を気にせずに済むため、安心して会話ができるが、悠理の態度はどこかぎこちない。どうやら進展した関係に、戸惑っているらしい。 今の清四郎は、悠理のそんな姿すら愛しいと思う。 「・・・あの子、お母さんと一緒のお墓に入れたって?」 悠理が遠慮がちに尋ねてきた。清四郎は微笑みながら、ええ、と頷いた。 筑水氏は、贖罪の意味を込めてか、息子の骨を祖母に託した。言うまでもなく、祖母は孫の骨を娘と一緒の墓におさめたそうだ。 筑水浩輔の死因は、完全に白骨化しているせいもあり、最先端の化学技術をもってしても断定できなかった。それでも失踪当時の状況から、推察することはできる。 恐らくは、発熱した状態で冷たい雨に打たれたために、さらに病状が悪化し、神社の床下に隠れたまま衰弱死したのだ。 誰にも気づかれず。金魚の水槽を抱えたまま。 「あたいさあ・・・あの子のこと、すんごく怖かったし、清四郎を殺そうとしたことは絶対に許せないけど・・・何だか、可哀想で仕方ないんだよね。」 悠理が絨毯に視線を落としたまま呟く。 「ええ。僕もそう思います。」 子供だからこそ純粋に母を求め、子供だからこそ無邪気に残酷な仕打ちができる。 まるで、白秋の詩のように。 「でも、可哀想のひと言で済ませては、惨殺された三人の女性も浮かばれません。事件は迷宮入りになるでしょうけど、我々だけでも真実を忘れないでいましょう。」 包帯の交換が終わると、悠理は次は自分がやる番だと言って、清四郎の左手を指差した。それを丁寧に固辞したのは、悠理がやるより自分が片手でやったほうが上手く巻けるからに他ならない。無論、それを口に出すほど、清四郎は馬鹿でない。 「僕の傷はもう塞がっていますから大丈夫です。それより悠理の火傷が心配ですよ。軽傷で済んだといえ、悠理は女の子なんですから。もう二度と自分の手を焼くなんてことは、しないでくださいね。」 「そんなこと言われても、覚えてないから仕方ないじゃん。そういう清四郎こそ、反省したほうが良いんじゃないか?肘から手首まで、自分でざっくりやっておいてさ、人のこととやかく言うなよ。」 「あのときは悠理を取り戻そうと必死でしたからね。考える余裕もありませんでしたよ。」 「必死だって言ってもさあ。自分の腕を切ることないじゃん。」 悠理の手が、遠慮がちに清四郎の包帯の上を滑る。 「清四郎の手は、あたいのものなんだろ?清四郎が傷ついたら、あたいも痛いよ。」 泣き出しそうに掠れた声。悠理は俯いたままで、顔を上げようとはしない。 「命がけで守ってくれて・・・ありがとう。」 清四郎は俯いたままの悠理を、そっと抱き寄せた。 「僕のほうこそ、感謝します。僕を愛してくれて―― ありがとう。」
あの夜―― 清四郎は、悠理を手に入れた。 そういう意味では、少年に感謝すべきかもしれない。 筑水浩輔は今、思い慕う母とともに、母の故郷で眠っている。 白秋が生涯捨てられなかった郷愁が、今もって漂う、かの地に。 人の手で裁かれることはないとはいえ、少年の犯した罪は、永遠に消えない。 だが、たとえ地獄に堕ちようと、母はどこまでも一緒だろう。 母は、永遠に我が子の傍から離れないと誓ったのだから。 少年は、もう、独りではないのだ。 二度と―― 金魚と戯れることはない。
「悠理・・・いつか二人で、白秋の故郷に行きましょうね。」 母と子が眠る、遠い街へ。 清四郎の胸の中で、悠理は小さく頷いた。
―― 完 ――
またやってしまいました。 人様のサイトで、長々と。 しかもフロさまのところには存在しなかったホラー(一応)ですし。 ある意味、道成寺もホラーでしたが。(←清四郎が姫なところから既にホラー) 実はワタクシ、お馬鹿部屋のヌシ(前)は仮の姿でございまして、下手糞なりに、本当の得意分野はこっちだったりします。 ちなみに今回も描きながら泣きました。命懸けで悠理を守る清四郎にではなく、子供のほうに感情移入して、涙でキーボードが見えなくなるほどでしたわ。これぞ正しくブラインドタッチ(笑) 我ながら馬鹿ですね〜。 蛇足ながら、『筑水』は福岡の地酒です。 こんな愚作を公表させて頂いて、フロさまには感謝感謝で恐悦至極でございます。 最後まで読んでくださった皆様がたにも感謝しつつ、失礼をばいたします。
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