猫怪談

   作 hachi様  

 

 

                                                                               

 

 


-9-


いよいよ佐賀を旅立つ日、一行は、最後に健司が眠る寺を訪れていた。

健司の墓前に花を供え、皆で揃って手を合わせる。
合わせていた手を下ろし、眼を開けても、誰も墓の前から動こうとしなかった。

「・・・ゆりさん、向こうで健司さんと逢えたのかしら?」
可憐が、立ち昇る線香の煙を見つめながら、溜息を吐くような細い声で呟いた。
「逢ったとしても、怒られているんじゃない?何で敵討ちなんかしたんだ、ってさ。」
美童が、寂しげに微笑みながら答える。
それを聞いて、悠理が、ずず、と鼻を啜った。
「ゆりちゃんなんか、うんと怒られればイイんだ。」
泣きに泣いた悠理の眼は、赤く腫れている。
そんな彼女の前に、野梨子がハンカチを差し出した。
「あまり言ったら、ゆりさんが可哀想ですわ。悠理を哀しませて、一番悔やんでいるのは、他でもない、ゆりさんのはずですもの。」
すうっと微風が吹き、真っ直ぐ天に昇っていた線香の煙が、大きく歪んで、中空に消えた。


幸いにも、忠助は一命を取り留めた。
大人しくて従順だとばかり思っていた嫁から、咽喉笛を食い千切られたのが、よほどショックだったのだろう。意識を取り戻した彼は、警察にすべてを告白した。
今はまだベッドから起き上がれないが、怪我が治ったら、すぐに本格的な事情聴取がはじまるはずだ。
それでも美晴が全財産を失うことに変わりはないが、その立場は、ずいぶんと良いものになった。
もしかしたら、天吹グループが保有する社員寮の管理人として、住み込みで働けるかもしれないと、美晴が報告してくれたことを、皆、ほっとした気持ちで聞いたものだ。



「・・・ゆりさんは、本当に化け猫の振りをしていただけなのかしら?」

野梨子が、まるで独り言のように、墓石を見つめながら呟いた。
「化け猫の振りだけで、仇の咽喉笛を食い千切られるとは、とても思えませんわ。」
「じゃあ、野梨子は、クロがゆりさんに憑いて操っていたとでも言うのかよ?」
魅録が、咥え煙草のまま、逆に質問した。
「そう考えたほうが、自然じゃありませんこと?」
そんな遣り取りを聞いて、美童が小首を傾げる。
「確かにそうだよね。清四郎と悠理は、最後にゆりさんがクロを抱いていたところを見たんだろ?火事の最中、大人しく抱かれている猫なんかいないよ。」
そこで、清四郎が、静かな口調で言った。
「クロは老猫です。主を失ったショックで自由に動き回れなくなっていたとしても、おかしくはありませんよ。」

それに―― と、清四郎は続けた。

「色んな理由があったのでしょうが、宮乃松父子が、殺人に踏み切った一因に、友春さんが、天吹の血を引くゆりさんと結婚したからというのもあったのでしょう。同族経営の企業では、能力よりも血の繋がりが重視されます。友春さんは、ゆりさんの夫という立場を利用するつもりだったんですよ。ゆりさんは、それを知って、自責の念にかられたはずです。殺された相手が、幼い頃から思い続けてきた男性なら、余計に責任を感じたでしょう。その自責の念が、ゆりさんを追いつめて、自分は化け猫だという自己暗示をかけてしまったのですよ。」

「・・・自分は化け猫に憑かれるべき、仇の妻だ、ってか?」
魅録が、煙草の煙を天に向かって吐きながら、ぼそり、と呟く。
「ゆりさんが死んでしまった今、すべては仮定に過ぎませんが。」
清四郎は、墓石から視線を外さぬまま、答えた。

「でも。」
可憐が、反論の言葉を口にしながら、清四郎を仰ぎ見る。
動きに合わせて、自慢の巻き毛が、微風にふわりと舞った。
「・・・でも、ゆりさんのところへ行ったとき、悠理は酷く怯えて震えていたわ。あれは、悠理のお化けレーダーが、化け猫に反応したからじゃないの?」

たしかに悠理は、宮乃松家に着いてすぐ瘧のように震えだした。
超常現象に遭遇したとき、いつもそうなるように。

悠理は何も言わず、固くくちびるを結んでいる。
そして、清四郎は、まだ墓石を見つめている。
「悠理が反応するのは、お化けだけとは限りません。人間の、強い殺意に反応することだってあるでしょう。」
悠理の大きな瞳が、涙の膜で盛り上がった。
あっという間もなく、涙は古びた石畳にぽたぽたと零れ落ち、黒っぽい染みとなった。
「・・・クロ・・・どこに行っちゃったんだろ・・・?」


焼け跡から発見されたのは、ゆりの焼死体だけで、クロの死骸は、どこを探しても見つからなかった。
業火に焼かれて、骨まで燃え尽きてしまったのか。それとも、どこかへ逃げ延びたのか。
あるいは、本物の化け猫になり、実体のない存在へと変わってしまっていたのか。
真相と同様に、クロの行方もまた謎のまま、事件は幕切れとなってしまった。

清四郎が、墓石から視線をはずし、悠理を見た。
「きっと、ゆりさんが最後に逃がしてくれたんですよ。」
泣きじゃくる悠理の頭を撫でて、清四郎は微笑んだ。
大事な人たちを失い、嘆き哀しむ悠理に、せめて、クロだけでも生き延びていると、希望を与えたかった。

「そうですわ。きっとクロは生きていますわよ。」
野梨子も、悠理の肩をそっと抱いて、優しい声で励ました。
「そうさ。猫っていうのは、見た目よりずっと図太いからな。どこかで逞しく生き延びているさ。」
すっかり短くなった煙草を咥え、魅録が片頬を上げて笑う。
「今頃、天吹さんの家の庭で、昼寝をしているかもしれないわね。」
可憐も明るい声を出し、手桶を持って、立ち上がった。
「そうそう。猫ってさ、いなくなったと思ったら、ある日ひょっこり帰ってくるものだもの。」
美童も立ち上がり、膝についた土埃を軽く払った。

悠理が涙に濡れた顔を上げて、にっこりと笑った。
「うん。クロは、きっと生きているよね。」
まだまだ哀しげな表情だったけれど、それでも普段の爛漫さを取り戻しつつある笑顔だった。


清四郎は、優しい微笑を悠理に向けた。
「今度、佐賀を訪れるときは、ゆりさんのお墓参りもしましょう。」
ゆりの遺骨は、婚家ではなく、実家の墓に納められることが決まっていた。
ゆりの実家は皆、死に絶えており、墓を見る人間は誰も残っていないが、これからは、代わりに美晴が守っていくという。
「うん。」
悠理は袖口で涙を拭いてから、勢いをつけて立ち上がった。
「さあ、最後に九州の美味しいものを食べ尽くすぞ!」
そんな悠理の台詞に、皆は呆れて苦笑した。



皆は最後にもう一度、健司の墓に手を合わせてから、歩き出した。
墓苑の狭い歩道を、足元を気にしながら、ゆっくりと進んでいく。

「へっくしゅ!」
歩道の中程で、悠理が盛大なくしゃみをした。
「風邪ですか?」
清四郎が、心配げに眉を顰める。
「違う違う。鼻がむずむずしただけ。」
「用心に越したことはない。早く車に戻りましょう。」

そう言いながら、清四郎が、悠理の背中を押した、そのとき。

すぐ脇の繁みから、猫の鳴き声がした。



自然と、皆の視線は、鳴き声した繁みへと注がれた。
朽ちかけて、繁みに埋もれかけた石塀の上に、大きな黒猫が座っている。

黒猫は、皆を見て、にゃお、と鳴いた。
大きく開けた口の中は、血のように赤かった。


「・・・クロ!?」
悠理が叫ぶ。
「クロ!クロだろ!?やっぱりクロだ!」
嬉々として、黒猫に駆け寄ろうとする悠理。
だが、倒れた石塔が邪魔をして、前へ進めない。

悠理は仕方なく、黒猫に向かって、手を伸ばした。
「クロ、おいで!あたいだよ!!」
黒猫は、もう一度、にゃあ、と鳴いて、尻尾を振った。

「!!」

全員が、黒猫を凝視したまま、固まった。

そんな一同を、黄金色の瞳でぐるりと見回してから、黒猫は、身を翻して、石塀の向こうへと消えていった。


最後に、二股に裂けた尻尾を、大きく一振りして。



しばらくの間、全員が、黒猫が座っていたあたりを凝視したまま、固まっていた。

「・・・今の猫が・・・クロですの・・・?」
野梨子が、操り人形のように頭を捻り、悠理を見た。
「たしかにクロっだったけど・・・あたいの知っているクロの尻尾は・・・二股じゃない。」
悠理が呆然としたまま答えた。
頭に飛び込んできたデータに、情報処理能力が追いつかないのか、その瞳は、焦点を失っていた。
「でも、今の黒猫は、確かに尾が二股になっていたぞ?」
努めて平静を保っているが、魅録の頬は、明らかに引きつっていた。
「あんな猫、はじめて見たけど、日本じゃ多いの?」
「猫の尻尾が一本っていうのは、世界共通だと思うわよ。」
美童の質問を可憐が一蹴し、場に、ふたたび沈黙が満ちた。


重苦しい空気の中、天高く飛ぶ雲雀が、朗らかに歌う。


「・・・猫又・・・」


清四郎の掠れた呟きは、穏やかな春の風に、掻き消された。








――――― 猫又

伝説上の生物で、年老いた飼い猫が変化した妖怪である。
尻尾が二股になっているのが特徴で、人語を解すだけでなく、人を操り、また、人を食い殺すこともある。

中でも、黒猫の変じた猫又がもっとも強い力を持つとされ、無限の命を手に入れることもできると伝えられる。









―― 完 ―― 



 

 

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