晩秋の風は、すべてを薙ぎ倒そうとするかのごとく、時折、強く吹きつける。 草叢を断つように伸びた道の真ん中にいると、まるで、波立つ海の只中にいるようだ。
風に合わせて、ざ、ざ、ざ、と、空気を切りながら、草叢がうねる。
草葉の一枚一枚が立てるのは、ほんの微かな音だが、それが群となれば、まるで一個の生命体のように、空いっぱいに響く音の塊になる。
耳元を掠めて過ぎる風が立てる音と、草叢の騒ぐ音が、他の音を遮断しようとしている。 どちらも耳障りで、苛々した。
「見て。風が綺麗。」
そんなとき、彼女が言った。
彼女は、片手で僕の袖口を引きながら、もう片方の手を使って、草叢を指差した。
そこにあるのは、晩秋の風に靡いてうねる、緑の海だけ。 彼女が何を伝えたいのか、僕には分からない。
「ほら、風が綺麗だろ?」
彼女はもう一度そう言うと、僕を見て、幸せそうに笑った。
僕は、はるか向こうまで続く野原を振り返った。
やはり、そこにあるのは、ただ風に靡く緑の海。
そのとき、ざあっ、と強い風が吹いた。
草葉の一枚一枚が身をくねらせて、風が通り抜ける、ほんの一瞬の道筋を、かたち作っていく。
緑の原が、眼には見えない風を捉えて、僕らにはっきり見せてくれているのだ。
「な?綺麗だろ?」
そう言って、屈託なく微笑む彼女。 その柔らかな髪も、一瞬の風を捉えて、大きく靡いていた。 彼女の笑顔は、子供のまま、無垢なまま。
ゆえに彼女は、あるものを、あるがままに受け止めることができるのかもしれない。
僕は、彼女を見つめながら、微笑んだ。
「ええ。本当に、綺麗だ。」
彼女は、誇らしげな表情で、僕を見つめ返している。 気の強さを表した、大きな瞳。
女性独特の華やぎを醸し出しながらも、幼さを残したその顔貌。 アンバランスで、危うくて、でも、誰よりも輝きを放つ、生命力に溢れた魅力。
それらを覆い隠すように、ふわふわの髪が、風に靡いて、大きく揺れていた。
風に煽られた髪が、空に向かって、逆立ちする。
でも、彼女はまったく気づいていない。
「風は、ここにもいますよ。」
僕は、そう言うと、彼女の柔らかな髪に手を差し入れた。
意味を掴みかねているのか、彼女はきょとんとしている。
「なあに?それ、あたいが風みたいだってこと?」
もしかしたら、そうかもしれない。 彼女は、いつだって元気いっぱいだ。
少し眼を離すと、すぐに僕の腕からすり抜けて、どこかへ行ってしまう。 自分から危険に飛び込んで、進んで窮地に追い込まれる。
気の向くままに突き進んでは、あちこちで暴れ回る。 お陰で、こちらはいつも冷や冷やさせられる。 これでは、つむじ風よりも性質が悪い。
なのに、僕は彼女を離せない。
一緒にいても、ロクな目にしか遭わないと分かっているのに。
―― 否。
だからこそ、僕は、彼女から離れられないのだ。
彼女は、僕の心に鮮やかな大気を吹き込む、跳ねっ返りの風なのだから。
僕は、華奢な身体を引き寄せ、まるで風を抱くように、背中にそっと手を回した。
この世でいちばん愛しくて、この世でいちばん大事な存在を、確かめるために。
いきなり抱きしめられ、彼女はびっくりしている。
そんなあどけない表情すら、愛しく感じる。
僕は、風でぐちゃぐちゃになった彼女の髪に、くちづけをひとつ、落とした。
そして、今度は、風が流れるよりも自然に、彼女とくちびるを重ねる。
最初こそ彼女は身を硬くしていたが、すぐに緊張を解いて、僕に寄りかかってきた。
いくら風のように飛び回ろうが、彼女の還る場所は、僕の腕の中しかない。
それは、風が吹くより、当たり前のこと。
彼女も、それを本能で悟っているから、どんなときも僕の腕の中に還ってくる。 ここが、この腕の中こそが、彼女の居場所なのだ。
秋の風が、ずっと抱き合ったままの二人の横を、笑いながら通り過ぎていく。
彼女を抱く腕に力を籠め、僕は、彼女の耳元で囁いた。
「ほら、風を、捕まえた。」
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