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【 Nur Einer ! Seite3
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卒業を一週間後に控えた登校日。 清四郎は職員室に呼ばれ、皆も早々に引き揚げたため、野梨子は一人帰宅の途についた。 徒歩通学である野梨子には、まだコートが必要だったが、それでも穏やかに吹く風の中に、春の暖かさを感じることができた。思いもかけず4年も通うことになった高校生活もあと数日だと思うと感慨深い。
結局、倶楽部の6人とも同じ大学、つまり聖プレジデント大学へ進むことが決まっているので、感慨と言える程ではないのかも知れないが、卒業を目の前にして、今日なども数人の生徒に声を掛けられた。 別れを惜しむ言葉を受けることが多い。相変わらず挿げない態度でやり過ごすのだが、可憐や美童は社交に忙しく、魅録も同級生や後輩に囲まれていた。 そして、ここ数日、悠理と妙に視線が合う。 学園で最も人気があり、休み時間も引っ張りだこで囲まれていたというのに、何故か悠理は此方を見ているのだ。今日も何度か視線を感じてそちらに目を向けると、目が合った悠理はばつが悪そうに、取り巻きを払いのけそそくさと帰ってしまった。 思いあたることがある野梨子は、また今日も逃げられたか、と苦笑を漏らすのだった。
自宅の前に黒塗りの車を見つけた。 見慣れた剣菱の車、悠理が通学で使用している車だ。 思わず、笑いが零れる。 車に近寄り、後部座席を軽くノックすると、悠理が制服のままで顔を出した。 「や、ヒマだったってゆーか、近くまで来たからってゆーか・・・」 てへへと頭を掻く悠理を見て、野梨子はクスクスと笑い出した。 「そろそろ来る頃だと思ってましたのよ」 「ほぇ?」 「悠理好みのお菓子がありましてよ、寄っていってくださいな」 野梨子が笑顔のまま告げると、腑に落ちない顔をしたまま悠理は車から降りてきた、運転手と一言二言会話を交わし、剣菱の車は滑るように白鹿邸の前から去っていった。
「なんで来るって判ったんだ?」 「さぁ、何となくですけれど、・・・私に話があるのでしょう?」 野梨子が見上げると、悠理の顔にさっと緊張が走った。 「う、うん」 門を抜けて、玄関までの間に数人のお弟子さんとすれ違う。野梨子は軽く会釈をしながら、悠理を家に招きいれた。 「私は着替えて参りますわ、悠理は縁側でお待ちになって」 そう言い置いて、野梨子は部屋へと向かった。 野梨子の部屋では話し難いだろうし、居間にはまだ稽古前の母が居るだろう。縁側であれば、悠理も緊張せずに話を出来るだろうと踏んでのことだった。それに悠理は我が家の縁側を気に入っている。 「思いっきり日本の庭ってカンジだけど、落ち着いていていいよなぁ」とは以前悠理自身が言っていた言葉だ。確かに剣菱邸に比べれば、落ち着いているのだろう。 そして、もう一つの思惑もある。
*****
着替えを終え、お茶の用意とひざ掛けを2枚持って縁側まで出ると、悠理は庭下駄を履いて、落ち着かない様子で池の中を覗いていた。池の中の鯉を見て、何を思っているのか、例の事件か。悠理のことだから、料理か。持ってきた菓子盆と、ポットを縁側に置くと野梨子はお茶を淹れた。 「悠理、お茶が入りましてよ」 「あぁ、うん」 カランコロンと下駄を鳴らして、悠理は縁側まで戻って来た。縁側に腰を降ろした悠理に、野梨子はひざ掛けを差し出す。ひざ掛けを見て悠理は怪訝な顔をした。 「あたい、別に寒くないぞ」 「寒くなくても、なさいませ。今風邪を引いたら卒業式に出られませんわよ。それでは困りますでしょう。それにお茶を零したら、制服が汚れますわ」 「まぁいいけどさ」 そう言って、悠理はひざ掛けを広げた。野梨子も縁側に腰かけ、もう一枚のひざ掛けを自分の足の上に広げた。持って来た盆は2人の間に置かれた。 まだ温かい湯気が立つお茶を2人でゆっくりと飲んだ。
悠理は何かを言いかけようと口を開いては、閉じ、手持ち無沙汰で、菓子を口に放り込み、飲み込んではまた決意したように、口を開きかけ、を繰り返していた。野梨子はそんな悠理を急かすこともせず、ただ庭を眺めていた。この庭にも幾分春の気配が感じられる。 悠理のために山盛りに盛ってきた菓子の半分がなくなる頃、ようやく悠理の口から小さな声が届いた。声の震えから悠理の緊張が伝わる。 「あの、さ、もうすぐ卒業じゃん?」 「ええ、来週ですわね」 「それでさ、野梨子も覚えてると思うんだけど、あの・・・さ、その・・・」 あまりにも言い難そうな悠理に、野梨子はふぅとため息をついた。 「清四郎のこと、ですわね?」
清四郎と悠理が、高校を卒業したら、交際を始めるというのは、あの夜の約束だった。 悠理の『卒業まではトモダチ』宣言により、2人は本当に仲間に気を遣わせることもなく、『トモダチ』のまま高校生活を終えようとしている。あの夜が夢では無かったのかと思ったことなど、一度や二度ではない。大学へ進んでも、このまま済し崩しになるのではと、傍で見ていても心配になる程に。 でも悠理がここへ来たということは、その『トモダチ』期間が間もなく終了することの証。
「清四郎に何か言われまして?」 「ううん、何も言われてないけど」 「改まってなんですの、悠理らしくもない」 「いや、話っていうのはさ、野梨子に聞きたかったことがあったんだ」 まだしばらく言いそうにもないかと思った悠理が、ゆるゆると、だけどしっかりと野梨子に視線を合わせた。下唇を一度、きゅっと噛み締める。
「あたいと清四郎が付き合うの、嫌じゃない?」 予想されたその言葉はあまりにも直接的で、しかし悠理らしいと云えば悠理らしくもあり、野梨子の頬は自然に緩むのだった。 「まぁ、悠理は優しいですわね、清四郎と幼馴染の私に気を遣ってらっしゃるのでしょう」 にっこりと笑った野梨子に、優しいと言われた悠理のほうが驚いた顔をしている。しばらく野梨子をじっと見詰めていた悠理の瞳が、ふと揺らいだ。 「あたいさ、どうやっても野梨子に適う気がしなくってさ、なんだかずっともやもやしててさ」 「何故?」 「うーん、うまく言えないんだけど、清四郎と野梨子って小さいときからずっと一緒だろ?野梨子は何でも出来るしさ、2人みたいに、ツーカーっていうの?あたいにはそんなの無理かなぁって」 「考えすぎですわ、それとも、清四郎にはふさわしくないとでも?」 「ふさわしいとか、じゃなくて・・・」
こんな風に悩むとは、いかにも悠理らしい。 悠理は自分のことばかり考えている風で、実は相手のことを一番に考える。それも自然に。 今、悠理が一番気にしているのは、野梨子なのだろう。 彼女の幼馴染を取ってしまうのではないかという恐怖、だから野梨子の元に確認に来たのだろう。 だけれども、それを素直に言い現すことのできない、天邪鬼な性格。 清四郎も随分難儀な方に恋をしたものだと、思わなくもない。
野梨子は新しいお茶を淹れる手元を見詰めたまま静かに口を開いた。 「ねぇ、悠理、少しだけ聞いてくださいます?」 うん、と答えた悠理の手がぎゅっと握り締められた。 「清四郎と一緒に育って、もう19年ですわ」 そう言って、野梨子は語り始めた。 生まれた時には、すでに隣同士で、学校も地域の学校ではなく、二人とも聖プレジデントに通い、何をするにも一緒だった。一人っ子の野梨子にとっては、兄であり、弟であった清四郎。 学校でも、中々友達の出来なかった野梨子に、当たり前のように差し伸べられる手。 それを、本当に当たり前だと思っていたこと。守ってもらっていることに少しも気づかなかった。 倶楽部の人たちと過ごすようになって、自分がいかに清四郎に甘えていたかを思い知らされたこと。 そして、清四郎と悠理の婚約の時に生じた、我侭な独占欲。 野梨子はそれが傲慢だったと笑った。 それでも、これからもきっと何かあれば、頼ってしまうであろうこと。それを悠理が快く思わなかったらと心配していることまで、素直に話した。 清四郎が、悠理を気にしているのは、感じていた。 中学で同じクラスになった時から、そのもっともっと前から。 だから、負け惜しみでもなんでもなく、幼馴染の清四郎の恋の成就を喜んでいること。 悠理に判り易いように、言葉の中にほんの少しの棘も含めないように、野梨子は時間をかけてゆっくりと語り終えた。
「は〜〜〜〜〜」 全身で野梨子の話を聞いていた悠理が、長いため息を漏らす。 「やっぱ、野梨子には勝てる気がしないぞ」 「それは、幼馴染の年季ですわね。でも勝たなくていいんですのよ」 「うん、まぁ勝ち負けじゃないってのは判るけどさ」 悠理は、ひょいと菓子を放り込んだ。居心地が悪そうなのは、野梨子の話の内容によるものではなく、悠理が恋愛体質でないため。 清四郎との付き合いに踏ん切りが着いていない訳でもあるまいに、何をそんなに気にするのか。 でも、それが卒業を目の前にして、野梨子の元を訪れた悠理の優しさ。
「そんなに気になるのでしたら、少しでも長く清四郎と一緒に居るといいですわ」 野梨子の発言に悠理の手が止まった。 「へ?長く?」 「簡単に別れられては困りますもの、そうですわね・・・少なくとも19年ですかしら?」 「19年?あたいら38じゃん!」 「あっという間ですわね」 「想像もつかねぇ」 悠理が唸った。 「私以上に、清四郎と時間を共にして、私を超えれば満足できますでしょう?」 「そんなもんか?」 「そんなものですわ、きっと」 やけに自信満々の野梨子に、悠理はさらに首を捻った。 想像はつかなくても予想することは出来る。 今よりも少しだけ大人になった皆が、それぞれに仕事や家庭を持ちながらも、この共有した4年間を思い出として生活しているのだろう。誰が何処に居ても相変わらず連絡を取り合い、非常事態があれば駆け付ける。 そこには「有閑倶楽部」の名前はないかも知れないけれど、それぞれの存在が有閑倶楽部として残る。 やはり、遠い将来の現実ですわね、と野梨子は心の内で笑った。
「でも、野梨子が反対したらどうしようって思ってたからさ、安心した」 「悠理ったら!そんな事ありませんわ!」 「や、気になってたのは、ホントだからさ」 そうでなければ、わざわざ野梨子の元に来たりなどしない。 「気の廻し過ぎです、それで?卒業式の日は清四郎に何と言いますの?」 野梨子の質問に悠理の顔が一瞬にして真っ赤になった。 「あ、いや、そ、卒業式の後って、み、皆で、どっか行くだろ?」 しどろもどろに答えを返す悠理に、野梨子が噴出した。 「それじゃあ私たちはご遠慮させていただきます?」 「そんなんじゃ楽しくないだろぉ〜」 「清四郎にとっては、そのほうが宜しいのではなくて?」 「野梨子、お前楽しんでるだろ?」 真っ赤な顔でじろりと睨み返してくる悠理に、野梨子の笑いはいつまでも止まらなかった。
「で?僕がどうしたんです?」 「あら、清四郎」 「せ、せーしろー!」 「悠理、野梨子、何をしているんです」
縁側へひょいと顔を出した清四郎に、悠理が慌てた。 部屋からここが見えたので来てみました、と清四郎は頬を掻いた。
もう一つの思惑通り。
この縁側に居れば、必ず清四郎は悠理を見つけてやってくるだろう。 そして、全くその通りやってきた清四郎に悠理への一方ならぬ心を垣間見た気がした。 「2人して、日向ぼっこですか?風邪ひきますよ?」 「対策は万全ですわ」 野梨子が、2人のひざ掛けを指差すと清四郎は肩を竦めて見せた。 制服姿の悠理に、寒くないですか?と声を掛けながら、隣に座る。悠理がピクリと反応したのに、清四郎が驚いた顔をした。野梨子に向かって、目線で何かありましたかと訴えるが、野梨子はさぁと意地の悪い笑みを返しただけだった。
「清四郎、悠理を送って差し上げてくださいます?」 「いいですよ」 「ついでに、お茶でも飲んで帰ったらいかが?」 菓子鉢に残った菓子は残り僅か。 ほとんどを悠理が消化してしまった。それでも普段の悠理の消費量にはまだまだ足りないのだ。それに、悠理にしては難しすぎる話の内容。菓子など何処に入ったかも判っていないだろう。 「商店街のほうに新しいカフェが出来てましたね、悠理、寄ってみますか?」 「う、うん。行く」 「?」 ボソボソと返答を返す悠理に、清四郎はまた野梨子に視線を流したが、野梨子は知らん顔。 今の悠理の頭の中は、きっと卒業式の後のことで占められているのが、手に取るように判る。 清四郎へのぎくしゃくした態度。 あれでは、清四郎も先が思いやられると苦笑が混じるのは、致仕方ない。
「じゃあ、行きますか」 「野梨子、サンキュ・・・な」 「いいえどういたしまして」 照れくさそうな悠理に、野梨子は首を振る。 玄関から遠ざかる2人はの背中には春の陽気と温かい風を纏っている。
卒業まであと一週間。 倶楽部の皆にとっても、野梨子にとっても、吉報まであと少し。 6人の関係が、ほんの少し変化する瞬間。 この分だと、明日はコートは必要ないと、野梨子は空を見上げた。
ヒトリゴト またまた野梨子さんでした。悠理サンと野梨子サンの会話って好きです。 清×悠だと、野梨子の存在は、時に頼もしかったり、目の上の・・・だったり。 難しいですね。3人の幼馴染バンザイ!
2007/10/29
素材:GreenTea
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