■Regen des Schmuckes




―― ガキのとき、からんで悪かったな。

「ノリコ、どうかしましたか?」
「たった一つだけ、心残りがありますの」
心配そうに顔を覗き込んだミセス・エールに静かにそう答えた。



大学卒業を間近に控えた、小春日和。
有閑倶楽部の6人は卒業祝いと称してお茶に招かれた。
美しいケーキと薫り高いお茶、そしてミセス・エールの洒落た会話は、
いつも心地が良く、楽しい時間になる。
もう何度ここを訪れただろう。
最初にここを訪れた時は、一人だった。
それから、かけがえのない仲間達と、何度も。
あの時に拾った宝石は今も輝き続け、キラキラした光を放っている。
そんな日々もあと少し。半年後には私を除く倶楽部の皆が海外へ旅立つ。

美童は本国スウェーデンの大学院に。
可憐はスペインへ宝石の勉強に。
魅録は見聞を広げるために各国を放浪の予定。
清四郎と悠理はイギリスへ。



「向こうの学長とはお友達ですから、カレンは何の心配もありませんよ」
「ええ、心配はしていませんわ、情熱の国ですから今から楽しみです」
大学在学中に、宝石の鑑定士とジュエリーデザインの勉強を始めた可憐。元々努力家の彼女はミセス・エールの薦めでスペインの学校へ行くことが決まっている。
あの日、可憐が渡してくれたディスコの割引券。あれが無ければ今も学校を毎日が単調でつまらないと感じていたと思う。

「ビドー、長い休みには遊びに来てくださいね」
「もちろん。家族はまだこちらですし、日本にはたくさんGFが居ますから」
魅力的なウインクを返す美童は、本国の大学院を受験した。父親と同じ外交官になりたいと言ったのは確か大学3年の時、仲間内には大学を卒業したら一旦スウェーデンに帰ると早々に告げた。
ディスコで会った美童が同い年だと知った時には、開いた口が塞がらなかった。
フェミニストでナルシスト。いつも優しくて、実は鋭い視点で仲間達を見守ってくれた。

「ミロクはどうすることにしたのですか?」
「俺はしばらく放浪です。もっと視野を広げたいので」
バイクであちこちを見て周るからと、見聞の旅に出ると言った魅録。行動力があって、型に嵌らないところがいかにも魅録らしいけれど、実はとても律儀で礼節を重んじる人物だということも知っている。旅の最後はきっとスペインだろう。魅録に最初に会ったのは道端だった。後で悠理の友達として再会したのは偶然。警視総監を父に、世界を飛び回る人を母に持つ。時宗のおじさまにも千秋さんにも何度も振り回された。そして大切な思い出である初恋の人に少し似ている。

「皆さんが卒業すると、学園に華が無くなるようで、淋しいです」
「でも、OB会も同窓会もありますから、これからも学園には係われますよ」
「そうだじょ、あたいたちはいつでも遊びに来るからな」
残念そうに呟く彼女に、笑顔で応えるのは幼馴染の清四郎と悠理。
プレジデントでは幼稚舎から一緒だった。
兄とも弟とも言える程、近くで育った清四郎。中学3年で皆と友達になるまで彼が私の世界の触媒だった。多趣味で多才。品行方性な顔をしていても、実は何を考えているのか計り知れない部分もあって、それでも随分頼りにしていた。気心の知れたお隣さん。
そして、悠理。強烈な出会いが忘れられない。つかみ合いの喧嘩なんて後にも先にもあれ一回きりだ。霊感体質と呆れるほどの食欲、そして倶楽部一のトラブルメーカー。令嬢とは想像を超える破天荒ぶりと純心で無垢な心が同居する人。

「今度セイシローとユーリに会える時はもっといい話が聞けますね?」
この2人は卒業したら婚約する。
清四郎の長い長い片思いが実ったのは、ほんの数年前。
高校の時のような遊び半分の婚約ではなく、お互いに気持ちを向き合わせた婚約に、誰もが喜んだ。
卒業後、イギリスへ留学する清四郎は、悠理を連れて行くと公言した。
片時も離したくないのだそうだ。
悠理は、「あたいは向こうでも剣菱の手伝いがあるし・・・」と照れて真っ赤になっていたが、冷やかす仲間たちの真ん中で、清四郎と微笑みあう悠理がとても綺麗だった。



「ではノリコだけが残るのですね、淋しくはないですか?」
「もちろん淋しいですわ、でも私もやることがありますし、皆と一生会えない訳ではありませんから」
海外には何度も行っているし、皆と会うのも簡単だ。今更、離れるだけで壊れるような仲ではない。
それだけの体験をこの仲間で乗り越えてきたのだ。
たった数年の我慢。
私は家を継ぐことを決めた。皆が海外へ出ることで父さまも母さまも好きにして良いと言ってくれたが、自分の研鑚のため残ることに決めた。
日本の伝統を守り、茶道を極めるのはこれから何十年とかかるだろう。
皆が自分のやりたい道に進むように、私も私の道を行く。

「そうよぅ〜、すぐに全員揃うわ、また馬鹿やりましょ!」
「2年なんてあっという間だよ、僕もまた日本に戻ってくる予定だしね」
「うん、その時が楽しみだじょ、きっと今日みたいにのんびりお茶なんかしてさぁ」
「そそ、有閑倶楽部は無くならないぜ、いつまでも、な!」
「その間留守を頼みますよ、野梨子」

「ええ、皆で会える日を楽しみにしておりますわ、私も皆さんに会いにも行きますわね」
心から笑ってそう告げた。
本当にそう思っているはずなのに、私の目からは、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「の、野梨子ぉ〜」
「やーねー、泣かないでよ野梨子!」
両隣に居る、悠理と可憐がやさしく肩を抱いてくれる。触れている箇所から優しさが広がった。
滲む視界に、男性陣3人とミセス・エールの微笑みが見えた。



「ノリコ、貴女の宝石たちはとても素晴らしいわね」
「何にも変えられない宝石ですわ」
私は涙を拭きながら、何度も頷いた。



可憐が即座に反応し、私とミセス・エールを交互に見る。
「宝石?」
「ふふ、あれは何年前でしたかしらね、ノリコ」
「中学3年でしたから、もう9年近くなりますわ」
忍び笑いを漏らしたミセス・エールは、そうね、何から話しましょうか、と穏やかに微笑み、ぐるりと一同を見回すと、昔私に聞かせてくれた話を皆にもしてくれた。
くだらない友人など欲しくないと頑なだった私に、友達を作らないのは宝石を捨てるようなものだと諭したこと。でもこうやって、宝石にも負けない素晴らしい仲間を得た今、つまらない大人などではなく、皆がとても魅力的な人間になっていること。そして聖プレジデントの中でそれを得られたのは、理事長として、とても誇らく、心から喜んでいるのだと。

「へぇ、僕たちが出会う前にそんな話があったんだ」
「確かに、ミセス・エールを紹介してくれたのは野梨子でしたね」
「そうそう、喧嘩の後でさぁ、ミセス・エールが停学取り消してくれたんだよな」
「ミセス・エールってば自分がプレジデントの理事長だって黙っているんですもの」
「あん時は、庭でお茶したんだったよな」
魅録が懐かしそうに庭に目を向けた。皆も頷きながら同様に庭を見る。あの時間と、ミセス・エール宅で過ごした時間は皆にとっても大切な思い出だと思うと、それだけで嬉しかった。



「でも、ロマンティックね。私たちを宝石に喩えると何になるのかしら?」
「それは可憐の得意分野だろ?」
可憐が、んー?と唇に指を当てて思案を始めた。

例えば、可憐を宝石に喩えるなら真っ赤なルビー。例の事件を思い出すけれど、ピジョンブランと呼ばれる真紅は可憐の情熱を表すのにふさわしい。
美童はサファイア。金に縁取られたその瞳の色と同じ青。時に緩やかに優しく、時に鋭く光る。その色に魅せられる女の子の気持ちが今は少しだけ理解できる。
魅録はオパール。乳白色の中にレインボーの輝きを持つその宝石は、魅録の包容力と真面目さ、広範囲な交友関係と情報網が多様に交差している文様だと思う。
清四郎は喩えるのが難しいけれど、強いて言うなら漆黒のオニキス。何処までも深くて何色にも染まらない黒。強い意志と底知れぬ知識をその黒に押し込め、表面は鈍い輝きを放つ。
反対に、悠理はダイヤモンド。誰をも惹き付ける強い輝き。純度が高ければ高いほど透明で明るい輝きなのは、悠理の純粋で無垢な心を思わせる。



「自分のは良く判らないけれど、何となくコレっていうのはあるわね」
うん、と一人納得顔の可憐に美童が身を乗り出した。
「僕ってダイヤっぽくない?」
見慣れた流し目をくれる美童に可憐はあきれ顔。
「バッカじゃないの?ダイヤだったらあんたより悠理でしょうが!」
「え〜、悠理ぃ〜?」
「あたいはダイヤよりケーキのほうがいいぞ」
悠理はミセス・エールお手製のケーキをもぐもぐと幸せそうに頬張る。
「悠理、お前仮にも女なんだぞ!少しは喜べよ!!」
「魅録、それは無理というものですよ、しかし、仮にもとは言いすぎでしょう」
「お前だって、思ってるだろうが!」
皆がわいわいと話始める。それはもう見慣れたとも言えないような当たり前すぎるいつもの光景。
でもこんな他愛の無い会話は、高等部の生徒会室を思い出させた。
それから、初めて皆が揃った中学のあの日を。
誰かの家でも、外出先でもいつも個性をぶつけ合って、それでもずっと仲良くて、家族の次に、否、時には家族以上に信頼できる仲間。場所が何処であろうがそれは全く変わらない。



「ノリコ、どうかしましたか?」
「たった一つだけ、心残りがありますの」
心配そうに顔を覗き込んだミセス・エールに静かにそう答えた。

「野梨子が心残り・・・ですか?」
「野梨子ってば、今更隠し事なんてやめてよね!」
「僕、そんな悲しい顔をする野梨子を放って行けないよ・・・。」
「言いたいことがあるなら言ったほうがいいぜ」
「いつもあんなにきっぱりはっきりしてんのに、んな顔すんなよぉ」
小さな声だったはずなのに、皆が一斉に声をかけてくれる。心からの心配をその顔に貼り付けて。
なんて素敵な仲間たち。なんて素敵な宝石たち。
私はクスクスと笑い出した。
「嫌ですわ、そんな大げさなことではありませんのよ」



ミセス・エールはあの時と同じように穏やかに笑う。
「ノリコの心残りは何でしょう?今解決できることですか?」
言えとも言うなともどちらにでも取れる、手品のような言葉に勇気も引き出された。

「清四郎、悠理を少し借りますわね」
思いもかけず名前を呼ばれた清四郎が、僅かに片方の眉を上げた。それでもいつもの顔で、どうぞ、と手の平を差し向ける。そんな余裕の顔も今の内ですわ。
「悠理、少し屈んでくださいな」
「ん?こうでいいの?」
座ったまま、私の目線に合わせて、悠理が少し背を丸める。

私の心残りは、悠理への謝罪。
幼稚舎の入園式のわだかまりが溶解したのは例のディスコへ行った日。友達になれたのは悠理のたった一言。照れ隠しの小さな咳払いと共に呟かれた悠理の一言が無ければ、きっと今も悠理を毛嫌いしていただろう。呆けた私の中で長年の確執があっさりと剥がれ落ちた。
卒業を控えた今、学園内でも様々な思い出話が飛び交う。特に幼稚舎から上がってきた者にとって、始まりの日の喧嘩は、よく話題に登っているようだった。そんな話を聞くにつけ、いつか悠理に謝りたいと思っていた気持ちが膨らんだ。

悠理の左頬に手を伸ばした。何度か撫ぜると、悠理はくすぐったそうに目を閉じた。
「なんだよ、野梨・・・!」
悠理が最後まで言葉を継げなかったのは、私が悠理の頬にキスをしたから。
そのまま、悠理の首に腕を回し抱きつくと、悠理の肩が大きく揺れた。
悠理の耳元でコホ、と小さく咳払いをする。
「入園式の日、叩いてごめんなさい」
先ほどよりもっと小さな声、ゆっくり噛み締めるように、悠理だけに聞こえるように。
それから腕を外し、悠理の顔を真正面に見つめた。悠理は当然驚いた顔をして、瞬きすら忘れていた。
「ずっと謝りたかったんですのよ?」
そう伝えて笑うと、今度はがばりと悠理に抱きつかれた。
「きゃっ!」
「のり、こ、・・・野梨子〜っ!!」
頬に、肩に、悠理の涙が降る。嗚咽を漏らす悠理の頭を優しく撫ぜた。
ふと見回すと、ミセス・エールは慈愛に満ちた顔で微笑み、可憐、魅録、美童はあんぐりと口を空けて呆け顔、清四郎は眉間に皺が寄っていた。
「野梨子、悠理に何を・・・? 悠理、大丈夫ですか?」
清四郎の問いに、悠理は私の肩に顔を埋めたまま、こくりと頷く。
「清四郎を頼みましたよ、と言っただけですわ」
にっこり笑って悠理の身体を離そうとしたら、ますます腕に力が篭った。
皆は悠理の態度を見て、私の言ったことなど嘘だと判っている。
だけれども、あの日の謝罪は、悠理だけに伝わればそれでいい。
今度こそ、悠理の身体を押して顔を覗き込んだら、涙まみれで真っ赤な顔をしていた。
「野梨子・・・あんが、と」
「こちらこそ・・・」
そう言った時には、また私にも涙がせり上がってきた。
素直に謝罪して、受け入れてもらえたことが嬉しかった。
「淋しいのはあんた達だけじゃないのよ!何よ!2人して判り合っちゃって!!」
可憐もすでに涙声で、結局3人で抱き合って泣いた。



「女の子っていいねぇ〜」
ほう、と呟かれた美童の一言が場を和ませた。
「・・・同感」
「・・・ですな」
魅録と清四郎もテーブルに頬杖をつき、温かいまなざしをくれる。
「本当に素敵な宝石たちですね」
ミセス・エールもうっとりと手を合わせた。
一呼吸置いてから、ようやく離れた私たちは、互いに上目遣いで照れて笑い合った
清四郎が立ち上がって、悠理を引き寄せた。
「まったく泣き虫ですねぇ」
「もう泣かないわい!甘やかすな」
強がりながらも、悠理はうー・・・と清四郎の腕に縋った。清四郎がその背をゆっくり撫ぜる。
そういえば、悠理は清四郎に謝ったのかしら?そんなことが頭をよぎったけれど、
あの2人には、それすらも懐かしく、楽しい思い出なのかも知れない。
だって悠理が蹴飛ばしたから、清四郎は変わった。
長い時間をかけて、知性だけでなく、悠理と共に歩む強さを身に付けた。
そしてたくさんの想いを乗り越えて、清四郎を受け止めた悠理も。
この幼馴染2人がいつまでも幸せであるように、願わずにはいられない。



「悠理がダイヤだったら、野梨子は真珠かしらね?」
可憐が私の目尻の涙を指で掬ってくれた。
他の鉱石とは違い、硬い殻に守られ、幾年もかけて作られる真珠。
球体は美しく、淡い輝きを持つ。万葉集などにも登場する歴史の古い宝石。
日本では、古くから「護り」を現す宝石として、慶事仏事には欠かせない。

可憐が私を真珠だと言うのなら、皆が帰ってくるまで、「護り」として持っていよう。
皆の無事を願って。近い未来の再会を願って。

「今度、可憐の家のお店に、真珠を買いに行きますわ」
「そう?じゃあママに頼んでどびっきりのを用意して貰うわね」
可憐がまかせて、と魅力的なウィンクを寄越した。
「野梨子、折角だからさ、可憐にデザインして貰えよ」
ようやく涙の止まった悠理が、清四郎の手を払って話に加わる。清四郎はやれやれと浅く息を吐いて座りなおした。
「素敵ですわね、可憐、お願いできますかしら?」
「ちょっと待ってよ!今から勉強しに行くのよ?そりゃ出来るかも知れないけど・・・」
「いいじゃん、試作一号ってことでさ、頑張れよ」
「簡単に言わないでよ、もう〜〜〜っ!」
イシシと笑う悠理につられて、私も可憐を見上げた。何?と横目で私を見る可憐はすでに嫌そうな表情を貼り付けている。
「3人で御揃いにしませんこと。可憐の記念ですものね」
「わっ!それナイスアイデア!」
「野梨子!悠理!面白がってんじゃないわよ!」
可憐は目をぎゅっと瞑って、拳を振り上げた。



「女の子って可愛いけど、三人集まると何だっけ?」
「姦しいですな」
「意義なし」
清四郎、美童、魅録は顔を合わせて苦笑している。それもいつものこと。

「さぁ、お嬢さん方、新しいお茶を淹れましょうね」
ご機嫌なミセス・エールが、新しいお茶をサーブしてくれる。
紅茶の良い薫りが、部屋中に広がった。
それからいつものように、他愛もない会話で盛り上がり、楽しいひと時を過ごした。



卒業まで・・・私たちの旅立ちまで、あと少し。
今から再会できる日が待ち遠しくて仕方がない。


ヒトリゴト
フロさまにシリーズ化のお誘いを受けました。ありがとうございます。
最初に出来上がったのがエピローグってどうだろう。辻褄が合わなくなって困るのは私自身ヨ!
ご存知、PART7がベースになっております。野梨子サン視点です。書きづらいのなんのって!

2006/09/25

素材:MINE CHANNEL!

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