■Glückwunsch
【 Regen des Schmuckes Seite1 】



「つーかーれーたー!」
「確かに疲れましたな」
自室の扉がパタンと音を立てて閉じた瞬間、悠理はソファーへ崩れ落ちた。清四郎もソファーに投げ出された悠理の水色のドレスに包まれた足を払い除けて、その隙間に身体を沈める。
2度目の婚約披露は、前回よりもかなり小さな規模で行われた。
だが、そこは剣菱。
清四郎が実際に剣菱に関わるようになるのは留学後だというのに、報道陣の数が半端ではなかった。会見は質問攻め、たかれる無数のフラッシュ。その後に行われたパーティーも経済界の主だった人物が雁首を揃え、挨拶周りも分刻みだった。外向きの笑顔を貼り付けているのもいい加減疲れてきて顔に力が入らなくなった頃、こちらは本気で満面の笑顔を貼り付けた万作による一本〆でパーティーはようやくお開きとなった。
表になり裏になり協力してくれた倶楽部の連中を見送り、ようやく部屋に戻ってきた。
体力にはかなり自信のある2人だが、足が棒のように重い。
「悠理、ドレス脱がないと」
「わかってるけど、もすこし休憩」
「それもそうですね」
悠理はクッションに懐き、清四郎も蝶ネクタイを外してソファーに深く凭れた。

「せーしろー、今日帰んの?」
悠理が首だけ回して、清四郎を仰ぎ見る。
「今日はコチラに泊まりますよ、家の前にもマスコミが来てそうですし」
「おじちゃんとおばちゃん大丈夫かな?」
「あの2人は心配要りませんよ、何かあれば野梨子が連絡をくれるでしょうし」
「ん、それもそーだな」
「まぁアイツ等が真っ直ぐ帰るとも思えませんけど、今ごろどこかで呑んでますかね」
「何?呑みたいの?持ってきてもらう?」
「できれば、日本茶のほうが良いですね」
のろのろと起き上がった悠理の動作に合わせて、ドレスの裾がサラリと揺れる。今日の為に特別に用意させたドレスは総シルク。デザインは悠理と百合子の間で少し揉めた様だが、レースやフリルの一切無い至ってシンプルなものだ。余計な切り替えのないドレスは、一枚布を贅沢に使い、スクエアにカットされた襟元と、足首の部分だけに少し広がりを持たせた。それが細身の悠理にはよく似合う。光沢を保ちながら艶やかに光る水色は特別に出させた色目。悠理の白い肌をさらに美しく見せる。本来ならこれに絢爛豪華な図柄が染付けられ振袖に仕立てる予定だったそれは、一度目の婚約会見が着物だったことから見合わされ、下塗りの水色のままドレスとして仕立てられた。
会見では、スクエアにカットされた襟ぐりから覗く鎖骨と、出た肩を隠すために、同素材のショールを纏っていたが、今はそれが無いために、その細いラインが強調されている。

電話を持ち上げるしなやかな腕。その指には清四郎が贈った指輪が収まるべき場所に輝いていた。
物議を醸したその指輪は、エンゲージリングにしてはやけにシンプルだった。
剣菱のお嬢様に贈られる指輪は如何ほどのものなのか、何カラットのダイヤか、給料に換算して何ヶ月分に相当するのか。とその豪華さに期待を込めた記者達を呆然とさせた。

このエンゲージリングはジュエリーAKIによるもので、4年後に贈られるマリッジリングと同じデザイン。少しだけ違うのは、その指輪に本当に小さなダイヤが入っていることだった。
その日は、悠理の部屋で清四郎と母の代理として来た可憐とで指輪を検討していた。
黒いケースに収められた豪華な宝石をチラリと横目で見た後、悠理が首を横振った。
「いかにも、ってヤツはいらないからさ、向こうに行っても毎日つけていられるのにしてよ」
最初はそれなりのものを準備しようとしていた清四郎と可憐は、それこそカラットが、クラリティが、カラーがどーのと話し合っていたのだ。悠理の呟きに2人は目を点にするしかなかった。
これから4年間、清四郎の留学先へ一緒に行く悠理が、何カラットもする宝石を毎日つけているのは確かに不便だし、日常生活にも差し障りがあるのだろう。
「剣菱のお嬢様への贈り物がそれでは、清四郎があんまりじゃないの?」
「そうですよ、僕にも体面というものがありますからね」
気を廻す可憐と、いささかプライドを傷つけられた清四郎が抗議するが、悠理は頷けなかった。
「でもダイヤならいっぱい持ってるじょ」
そう言って、悠理はチェストの引き出しから、ビニール袋を持ってきた。
万作ランドでの誘拐事件の一連で、悠理がマオタイの部屋からアメと勘違いして持ってきたそれだ。
「何かあったら使おうと思って、忘れてた」
じゃらじゃらと音をたてるダイヤは過去に鑑定済み。一粒で一億を超える値をもつ。
「それも結構イイものなのよね?じゃあそれで指輪作る?」
「いや、それはちょっと」
口ごもる清四郎の脳裏には、ギロチンに縛られた悠理の姿があるのだろう、その命の代価として持ってきたダイヤを、エンゲージリングとして使用する気はさらさらない。
結局、悠理と可憐の間で話を進め、生活の邪魔にならないように、マリッジリングとお揃いのデザインで作ることに決めた。嵌め込まれた小さなダイヤは清四郎の意地。
将来は2連の指輪が悠理の指を飾ることになる。
清四郎が、電話を置いた悠理の手を捕まえて引き寄せた。
指輪に軽く口付けると、悠理が嬉しそうに笑った。
こんな小さな石でも幸せそうな顔をする彼女を、本当の意味で幸せにするのはこれからだ。



程なくして部屋がノックされて、メイドがお茶を載せたトレーを運んできた。
「まぁ、まだお着替えもなさいませんで」
まだ会見のままの格好の2人に非難の目を向ける。着替えを手伝おうとしたメイドは、さっと顔を赤らめると先にお茶を淹れると言い、準備を始めた。ソファー前のローテーブルには、見慣れない茶碗が2つ置かれた。
「萩、ですね」
さすがに目が肥えている清四郎が優しく茶碗を持ち上げた。
「私たち使用人一同からのお祝いです。五代様の知り合いの窯元の作だそうですよ」
「わざわざ焼いてもらったのですか?」
「本当はお嬢様のを一回り小さくと思いましたけど、それではお嬢様が納得なさいませんでしょう」
それもそうですね、と清四郎が笑う。
「悠理、見てご覧」
訳がわからないといった顔をしている悠理の目の前に清四郎が茶碗を差し出した。
「萩は山口県の焼き物でね、小さいヒビが沢山入っているでしょう」
ほら、と茶碗の表面をなぞりながら、悠理の目を覗き込む。悠理は軽く頷くことで続きを促した。
「長く使うとね、このヒビにお茶が入って、味わいのある良い色になるんですよ」
「へぇ、どんな色になるんだろうな」
「それは、歳をとってからのお楽しみですかねぇ」
「んじゃさ、あっちに持ってく?」
「いいですけど、悠理は直ぐに割りそうで怖いですね」
「っかー!お前がそれを言うか!」
「ぐっ」
言葉に詰まった清四郎を見てふふんと笑った悠理が、メイドに向けてサンキュと視線を上げると、メイドは顔を寄せ合いじゃれあう2人から、真っ赤な顔で視線を逸らしていた。
清四郎がこの家に出入りしているのは高校生の頃からで、勉強会、遊び、パーティー、誘拐、短い期間ではあったが婚約者としても他の4人と合わせて屋敷内は顔パスだ。しかし、屋敷内での2人は高校生の時とあまり変わりがない。2人が悠理、もしくはこの屋敷内にある清四郎の部屋に居る時にどう過ごしているかは知らないが、使用人のある処であまり恋人らしい雰囲気はない。専ら清四郎が悠理をからかい、悠理がそれに喰ってかかる。それは高校生の時の勉強会と大差なく、じゃれあっているといっても、清四郎に向かって飛び蹴りをかましている悠理だとか、それを跳ね除け、悠理を遣り込めている四郎だとか、そんな遣り取りを微笑ましく見ているのが常だ。だから、こんな風に顔を寄せ合って仲良くしている処など滅多にお目にかかれない。そう、今日から2人は正式に婚約者なのだ。
雰囲気に中てたれたのか、独身のメイドには目の毒だったようだ。
「い、いえっ、喜んでいただけて、何よりです」
メイドはそう言って、お茶の支度を終えると、そそくさと部屋を退散した。



ゆっくりとお茶を飲み終えた頃、悠理がドレスの裾を摘み上げた。
「いい加減、コレ脱ぎたくなってきた。せーしろーも着替えしないとな」
「そうですね、僕の着替えもこちらに持ってきてもらっているはずですが」
清四郎が、ベッドの上にある着替えに目を止めた。
「へ?何でこっち?」
「晴れて婚約者ですからね、今日から同室だそうですよ」
おじさんとおばさんの許可はもらってありますよ、と清四郎がウィンク。
「うそっ!聞いてないって!」
悠理が慌てて部屋を見回すと、清四郎の部屋にあった荷物のいくつかが増えていることに気づく。それらはどうやっても婚約会見中に移動されたとしか思えない。
極めつけは清四郎の着替え、もとい、皺なく畳まれた揃いのバスローブ。
着替えを手伝おうとしたメイドが顔を赤らめた理由が判って、瞬時に眩暈に襲われた。
「さて、シャワーでも浴びますか?」
「あ、あたいは、まだお茶飲んでるから、お前先に行ってこい」
「今更、照れなくたってねぇ」
清四郎はクスクスと笑いながら、バスローブを取り上げると、バスルームへと向かった。



「あいつのあーいうトコは、昔からぜんぜん変わんないよな」
茶碗に残ったお茶をちびちびと飲んでいると、部屋がノックされた。
「嬢ちゃま、宜しいですか?」
五代の声に悠理はソファーから立ち上がって扉を開ける。
「じい、茶碗アリガトな」
「気に入っていただけましたか?」
「うんっ」
まだドレス姿の悠理を五代は微笑んで見詰める。剣菱家の執事として今日の日を迎えることは喜びだった。万作と百合子の結婚式を懐かしく思い出した。先代と万作に仕え、剣菱家を見守ってきた五代にとっても、悠理は手のかかる孫娘のようなものだ。全く手のかからなかった豊作と違い、悠理にはとことん手を焼いた。その分、今日の感慨もひとしおだった。
一瞬涙ぐみそうになるが、そこは執事としての仕事が先。
「嬢ちゃまにお手紙を預かっております」
「誰から?」
「東村寺の雲海和尚でございますよ」
そう言って差し出された封筒を悠理が受け取る。その手に真新しい指輪が光っていることも五代の微笑を誘った。
「清四郎様は?」
「あ、今シャワー浴びてる」
「そうで御座いますか」
では、と軽く頭を下げた五代を悠理が引きとめた。
「あの、さ、4年近く留守にするけど、とうちゃんとかあちゃんのコトよろしくな」
突然そんなことを言い出した悠理に、五代は目を見開く。結婚というのは女性にとって一大事。ナーバスになるのも判らなくはない。あの百合子でさえ、万作との結婚前はいろいろあったのだ。五代は直ぐに優しい笑みを浮かべると、悠理に向かってしっかりと頷いて見せた。
「お任せください、この五代、剣菱はしっかり護ってみせますぞ」
「ん、今日はいろいろアリガト、じいもゆっくり休んで」
本日は誠におめでとう御座います。もう一度頭を下げると、五代は悠理の部屋を後にした。



*****



悠理がバスルームから出ると、清四郎はベッドの上に寝転んでいた。
枕をクッション代わりに、手を頭の後ろで組み、目を閉じているがまだ寝入っているわけではなさそうだ。
悠理が先程の手紙を手に取りベッドの上に登ると、清四郎がゆっくりと目を開けた。
「見て、じっちゃんから」
「和尚からですか?」
「うん、清四郎じゃなくてあたいにだって」
封筒の表書きを清四郎の目の前に差し出した。そこには見慣れた和尚の字で「嬢ちゃんへ」と書かれてある。婚約の段階での和尚の登場に清四郎の胸を不安なものが掠めるが、東村寺には先日2人揃って報告を兼ねた挨拶へ行っている。和尚も昔話に多少の嫌味を織り交ぜながらも、2人の門出を喜んで祝い酒を振舞ってくれたのだ。
ぴっと封筒と開けた悠理が中身を確認し、一瞬ヤバイという顔をして出しかけたものを封筒にしまった。それを見逃す清四郎ではない。清四郎の顔色を伺う悠理にニヤリと笑って見せて、その手から封筒を取り上げた。
中から出てきたのは預金通帳、名義は「剣菱悠理」。
見ても?と問い掛ければいーよ、と素っ気無い返事が返ってきた。
記帳された最後の頁には、相当な額が印字されていた。前のページを繰ってみると、毎年決められた額が引かれている。この金額には清四郎も覚えがあって、東村寺に毎月納めている月謝だ。
確かに高校生の時から、清四郎が東村寺に修練に行く時に悠理がついて行くことが多かった。その分の月謝を年払いで引き落とされているにしても、最後の残高があまりにも多すぎる。
「悠理、コレはなんです?」
気まずそうに清四郎から視線を逸らせている悠理の顔を覗き込む。
「えーっと、じっちゃんに預けてたやつ」
「婚約者に隠し事はいけませんねぇ」
「うーん、やっぱ言わなきゃダメ?」
「悠理」
「判った、言えばいいんだろ」
低い声で名前を呼ばれ、唇を尖らせた悠理が、ポツポツと語りだしたのを纏めるとこういうこと。
前回の婚約の際、清四郎との決闘に負けた悠理は、分刻みで始まったレディー教育に嫌気がさして家を飛び出した。すべてを和尚のせいと決め付けて、喰ってかかったのである。何とかしてやらんこともないと言った和尚は寺の貧乏を嘆いた。そこで貯金を全てやると言ったのだった。それがこの通帳。おかげで和尚を引っ張り出すことに成功し、あとはご存知の通り。
あの婚約破棄が、こんな高額と引き換えだったとは、清四郎の知らなかった事実。
「僕はそんなに嫌われていましたか?」
「あん時は、だろ?」
まだ拗ねた顔をしている悠理の頬がほんのり紅い。今日は正式な婚約披露だったのだ。
今度は嫌がられることも決闘することもなく、皆の祝福を受けて婚約を披露した。実際の結婚は清四郎の留学後となっているので、4年近く待たせることになる。それでも卒業と同時に婚約したのは、悠理と一緒にいたかったため。片時も離れていたくない清四郎の意見が通ったといっても過言ではない。

「そうですね、悠理。絶対に幸せにしますよ」
「すっげぇ自信過剰、いいよ幸せにしてくれなくて」
「僕では役不足だとでも?」
「違くてさ、幸せだったら一緒に作ればいいじゃん」
だろ?と見上げる悠理が愛しくて堪らない。
清四郎は悠理を腕の中へ閉じ込め、キスを一つ落とす。そのまま体重をかけようかと悠理の腰に手を廻したところで、悠理がするりと身をかわした。

「手紙入ってる」
「え?」
「ほら、じっちゃんからの手紙」
悠理が、カサカサと音を立てて手紙を開いた。男として盛り上がりかけたところを挫かれるのはいささか気になるが、ふ、と一つため息を吐くと、悠理の手元を覗き込んだ。
「・・・いちれん?」
「一蓮托生ですね」
一蓮托生、そう書かれた下には、清四郎が嫌になったらまた助けてやるからいつでも来なさいという和尚の文字が綴られている。
「どういう意味?」
「仏教用語ですよ、行動や運命を共にするということです。良い行いをした者は、死後同じ蓮華の上に生まれ変わるということらしいですよ。夫婦に使う場合には「連理の枝」や「鴛鴦の契り」というほうが正しいと思いますけどね、和尚らしいというか、まだ信用されてませんかね」
清四郎が苦笑と共に呟いた。
良い意味ではそう言われるが、一蓮托生とはこれから悪いことへ立ち向かう時に使用されることが多い言葉だ。どちらかといえば「死なばもろとも」に近い。
悠理に逃げ場を作ってもらえるのは有りがたいが、清四郎は折角この手に捕まえた悠理を手放す気はさらさらない。でもそれだけ前の婚約が皆に影を落としているのだ。
この汚名は何としても返上しなければならない。そんなことを口に出そうものなら目の前の悠理の目が曇るのも知っているから敢えて口には出さないが、これは決意。

「でもさ、あたい等らしいかもな、行動や運命を共にだろ?でもそれを言ったらアイツ等もか?」
「腐れ縁ですからね、でも・・・・・・」
茶目っ気たっぷりに見上げてくる悠理の額に唇を落としてから耳に唇を寄せる
「悠理の一番は僕にしてくださいね」
くすぐったさに首を竦めた悠理が、キッと清四郎を睨む。
「ったりまえだ!じゃなかったら、婚約なんてしないっつーの!」
「ま、それもそうですな」
再度腕を廻すと、悠理は肩口に頭を預けてきた。その髪の中に手を差し入れ、くしゃっと撫ぜる。
慣れた仕草に安心するのか、悠理が目を細める。それは清四郎も同じ。
最初は単なるスキンシップだった。いつしかその手に情熱か篭り、互いに向き合ってからは安定剤のように繰り返される癖。手の届く距離に居るという証。

出合って20年目。
友達として10年目。
恋人として5年目。
婚約者として1日目の夜。

「なんかさ、嬉しいよな」
「ん?」
「仲間に祝ってもらってさ、じっちゃんにも五代たちにも。清四郎んちもだし、うちの人も喜んでくれたし」
「そうですね、だから僕たちは幸せにならないと」
「だから、それは一緒にっ」
悠理の言葉は、清四郎の唇に塞がれ、最後まで言うことが出来なかった。
「もう、お喋りはおしまいですよ、悠理」


ヒトリゴト
小話的なものを寄せ集めて一話にしてみました。いや、何処にも入らなかったもので(汗)
書くもの書くものこんなんばっかで・・・。
薀蓄を語らせようと思っていたのに、書き手に薀蓄を垂れる程の知識が御座いませんでした・・・orz
糖度アップ大作戦まだまだ継続中です。

2006/11/05

素材:GreenTea

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