■Nur Einer !




美童がその店の扉を開けた時、清四郎と魅録はもう店の奥で飲み始めていた。
明るすぎず暗すぎず、適度な照明と、低く流れる音楽。この店を最初に紹介したのは魅録で、族仲間の親父さんがオーナーらしい。ごくたまに男だけで飲む時に利用する。6人で来たことはまだ無い。
「あら、美童じゃない?久しぶりね!」
入り口付近で飲んでいた数人の顔見知りに、一緒にどう?と誘われたが、彼は上品に微笑みながらも、至極残念な顔を作って見せた。
「今日は男だけの話があるから、また今度ね・・・連絡するよ♪」
店の奥に視線を流し親指で連れを示すと、軽く手を挙げて別れ、2人の居るテーブルに近づいた。コートを空いているスツールに掛ける。
「遅くなってゴメンねぇ〜」
「おぅ、言い出しっぺが遅ぇぞ」
「お先にやってましたよ」
スツールに腰掛け、バーテンダーにオーダーを済ませると、ようやくそれに気づいた。
「あはは、相談もしてないのに、みんな黒だねぇ」
コートの下は、美童が黒のシャツ、清四郎が黒のセーター、魅録は黒のTシャツ。
まるで今日の気分だ。
「フラレ男の集いって感じ?」
美童の言葉に、清四郎と魅録が顔を見合わせた。



*****



―― その日の放課後。

「じゃあ、お先ね!」
丹念に磨かれた爪と、壁にかかった時計を交互に見ていた可憐は徐に立ち上がって、ふふ、と笑うと、自慢のカールをたなびかせて、生徒会室を出て行った。
「あーあ、あそこまで気合入れるのもどうかと思うけどねぇ」
「何時になく、張り切ってますな」
ふふん、と笑う美童に清四郎も呆れ顔で同意する。
魅録が窓の外を見つめたまま憮然とした表情で煙草に火を点ける。ジッポの蓋を開閉するカチカチいう音が耳についた。紫煙がゆらりと部屋の中へ漂う。
すると、それまで黙々とおやつを口に運んでいた悠理が不機嫌に顔をあげた。
ツカツカと魅録の傍へ寄ると、そのまま無言で魅録の煙草を取り上げ、灰皿へと押し付けた。
おいっ、と文句を言いそうになる魅録を悠理は一睨みして黙らせる。百合子譲りのきついまなざしに一瞬魅録が詰まった。次の瞬間その鋭い視線をさっと消すと、そのまま野梨子に笑顔を向けた。
「あ、そうだ!野梨子って今日ヒマ?」
「ええ、特に用事はありませんけど、何か御用ですの?」
今まで見て見ぬ振りをしていた野梨子がゆるりと顔を上げると、へへっと悠理が笑った。
「うん、この間野梨子ん家で食べたお菓子、美味かったから注文しようと思ってさ、一緒に行って紹介してくれると嬉しいんだ、ついでに他のお菓子も見たいから、見繕ってよ」
予め用意されたようにスラスラと用件を並べる悠理に、野梨子が笑みを返す。
実際、部室内の雰囲気が悪い。
可憐、美童にさしたる変化はない。魅録は今日に限って機嫌が悪いようだ。悠理の機嫌はここのところずっと悪い。そして清四郎。いつもと変わりが無いように見えてやはり何処か違うと感じるのだ。
誰も何も言わないところを見ると、まだ問題は表面化していないのだろう。当事者でもない野梨子は口出しすることなく、様子を伺っていたのだが、重い空気に早く帰る口実を探していたのだ。そこへ悠理からの誘い。もしかしたら悠理の不機嫌の理由も聞きだせるかも知れない。
「お安い御用ですわ、母様がとても気に入って、懇意にしているお店ですのよ」
「へぇ〜。野梨子ん家のお墨付きだったら美味いのも当然か。んじゃ帰ろうぜ」
悠理が鞄を持って立ち上がると野梨子もそれに続いた。
「それでは、お先しますわね」
野梨子が男三人に向かって可憐と同じような挨拶をすると、それぞれが手を挙げてそれに応えた。
悠理は一度だけ室内を振り返る。呟かれた一言。
「……ったく、いい加減にしろ」
バタンと音を立てて扉が閉まった。



「悠理の機嫌が、あそこまで悪いのって珍しいね。野梨子も何か気づいたんじゃない?」
女性陣が出払って幾らか和やかな雰囲気になった生徒会室。
美童は大きくため息を吐き、魅録は窓際でもう一本の煙草に火を点けた。
「そうですね、まぁ判らなくもないですが」
「思い当たるフシありってこと?」
清四郎はそれまで広げていた新聞を畳みながら美童の意味ありげな視線を、そっと外す。
責任転嫁と取られようと仕方がない。心の中で詫びてから苦笑を含めてちらりと魅録を見上げた。
「ああ見えても、結構繊細なんですよ、悠理は。」
美童がそれに気づいて、あぁと納得して肩を竦める。
「魅録、あまり窓際で吸うと、見つかってもフォローできませんよ」
窓の外をじっと見続け、心ここにあらずな状態で煙草を吸う魅録に、清四郎は再度苦笑した。
美童が名案とばかりに、パンといい音をさせて手を叩く。
「ねぇ、たまにはさ、男三人で飲みに行かない?その手の話ならいくらでも聞くよ、魅録?」
含みをもたせてゆっくりと提案すると魅録は罰が悪そうに振り返った。
「知ってたのかよ。嫌なヤツ……」
「だって魅録は判り易いもの」
澄まし顔の美童に、魅録はしかめっ面を作って見せるが、直ぐにその寄った眉根を解いた。
「うーん、ま、そうだな、たまには行くか」
煙草をもみ消しながら同意する。
自分だけがいいカモになってたまるか!
わずかの逡巡の後、ニヤリと口の端を少し持ち上げた。
「清四郎の話も聞かせてもらわねぇとな」
「そうだね、自分だけ傍観者だと思ったら大間違いだよ、清四郎」
「・・・そうきましたか、まさか僕のことまで知っていたとは迂闊でしたね」
清四郎が呆然と口を開く。普段見ることのできない顔に魅録も美童も小さく笑った。
「確信が持てたのは今の答えだな」
「僕は悠理の態度で・・・かな?」

男性陣もそれぞれに帰宅の準備を始めた。



*****



3人はグラスを傾けはじめた。
美童がグラスの中の氷をゆっくり廻した。そのままグラスに語りかけるように呟く。
「可憐の爪、キレイだったね」
やはりこういう場面で、嫌味なく話題を振るのは美童。
魅録がここのところ可憐を意識しているのは周知の事実。恋愛の達人を自称する可憐でも、意外と人の想いには鈍く、魅録の想いには気づいていない。イライラと吸い続ける魅録の増えた煙草の本数がそれを証明している。想いを告げているわけではないので、デートへ出かけるのに文句を言う筋ではないことは重々承知している。
魅録には魅録なりの考えがあって可憐へ想いを告げていないのだから、しょうがないとは云え、こうもイライラされるとやはり周囲は気を使うのだ。
もちろん悠理程ではないのだか。
「今ごろは美味いメシでも食ってんだろ?」
魅録がぐっと酒を煽る。アルコールが喉を焼く刺激を目を瞑ってやり過ごす。
「可憐はさ、あんな男願い下げだと思うから、安心していいよ」
「あ?相手の男って美童の知ってるヤツかよ」
だったらもっと早く言え、ジロリと向けられた鋭い目を手を振ることでかわす。
「実はさ、あの男に彼女盗られたコトあるんだよね、可憐はさ、見た目に惚れただけだと思うから」
「お前がそれを言うか」
魅録はつっけんどんに返すが、あの男のせいで女装して怪我までしたんだよと美童は口を尖らせた。
悠理の予知夢での一件。今回可憐の相手はその男。あらゆるイイ男を見てきた可憐であれば、彼氏もちの女に手を出すスケコマシな男の本性を見破るなど時間の問題。
「まったく、男を見る目が無いよね可憐は。こーんなにいい男が近くに居るのにさっ」
美童は大げさにため息を吐き、長い髪を後ろに払うと、魅録を真正面に見据えた。
普段ニコニコとしているぶん、その碧眼に見据えられると、迫力十分。
「魅録は魅録らしくしてればいいの!わかった?」
「なんだその根拠のない励ましは」
「だって魅録のほうが絶対いい男だもの。僕が言うんだから間違いないよ!」
「まだ伝えるつもりもねぇがな」
「魅録だったら可憐の大好きな玉の輿だよね」
「は?どこがだよ」
「そうですか?魅録なら作れそうですけどね」
いろんなオプションつきの玉の輿を。と清四郎が笑った。
「だから、自信持ってください」
ね、と清四郎も魅録の肩をポンと叩く。

「で、その自信満々の清四郎さんは悠理と何があったのさ?」
美童が、魅録から清四郎へと視線を流した。
「まだ言いたくないのですが・・・と言っても無駄なんでしょうね」
「隠し事ななしだぜ、清四郎さんよ」
自分から話題が逸れてほっとした魅録が、肘で清四郎をつつく。
好奇の目から逃れるように、しばらく目を瞑っていた清四郎は、ゆっくりとその瞼を開いた。

「悠理に、告白しました」
静かに口を開いた清四郎に、美童はにっこり笑い、魅録も頬を掻いた。
「やっぱりね、僕の勘は当たったね」
「お前、本気かよ?悠理だぞ、悠理」
女に見えないって言ってたのはお前だろう、と魅録は呟く。
「本気じゃなきゃ告白なんてしませんよ」
「で?悠理の返事は?」
「まだ貰ってません、今日の「いい加減にしろ」って魅録も美童も聞いていたでしょう」
今度は清四郎がグラスを煽る。



*****



―― 一週間前。

放課後の生徒会室で、あの日のように一人椅子の上で膝を抱えて丸まっていた悠理を見た瞬間、思わず後ろから抱きしめてしまった。あの日堰を切ってを溢れ出した想いを止めることが出来なかった。
悠理が膝の上から、首だけ回してこちらを伺った。
「誰?って清四郎かぁ」
「どうしたんです?一人で丸くなって」
「名輪待ってんの」
今日は父ちゃん送ってそれから来んだって〜と小さく歌うように呟いた。
「せーしろーも珍しく遅いじゃん」
「ええ、職員室に居ましたから」
「野梨子とっくに帰ったよ」
「・・・・・・悠理」
震えを含んだ己の声色に少しだけ笑った。あれだけ我慢を重ねて律してきた気持ちは、悠理の前では何の意味も為さなかったのだ。力を加えた腕を悠理は振り解かなかった。
「悠理、僕は悠理が好きです」
何度も喉元まで出掛かった言葉を絞り出した。しばし清四郎を見上げていた悠理が、つい、と前を向き、膝の上に顎を乗せた。しばらく続いた沈黙を破ったのは悠理だった。
「なぁ・・・」
「何です?」
「なんで?」
「好きになるのに、理由なんか無いでしょ?」
「清四郎みたいなヤツが、なんであたいなんだか、わかんない」
「ずっと好きでしたよ」
祈るような気持ちで、一言一言を紡ぎだす。
「あのさぁ・・・返事って直ぐにしなきゃダメ・・・か?」
あまりに細い声に、後ろから抱きしめたことを後悔した。今悠理がどんな顔をしているのか見ることが出来ないことがもどかしい。頑なに前を向き続ける悠理に、胸の中を嵐が過ぎる。
努めて平静なフリをした。
「いえ、今でなくて構いません」
「うん。少し考えさせて」
まさか悠理からそんな返事が返ってくるとは思わなかった。腕を緩めると、悠理の肩から力が抜けた。それで随分緊張させてしまったことがわかった。いつもの様にくしゃりと頭を撫でる。
「気の済むまで考えてください」
それだけを伝えると、来たばかりの生徒会室を後にした。
自分にはもっと自制心があるものだと思っていたので、この行動は完全に想定外。
実はこの日、どうやって家に帰ったのかも正直覚えていない。
次の日から、悠理はあからさまに清四郎を避け始めた。
極めつけが今日の「いい加減にしろ」だ。すでに失恋決定なのだが審判を待つだけの日々は辛い。



*****



「それにしても、僕はそんなに態度に出ていましたか?」
清四郎の問いに、2人は顔を見合わせた。
「んー、僕はそういうの何となくわかっちゃうからね」
「喧嘩にしちゃ、悠理の態度がおかしかったからな」
恋愛に対しては抜群の洞察力を持つ美童と、悠理の親友である魅録には、何があったのか筒抜けだったらしい。それを言ったら、同じく恋愛に興味のあり好奇心旺盛な可憐と、清四郎と行動を共にすることが多い野梨子にも同じことがいえるのだが。苦虫を噛み潰した顔をする清四郎の肩を、今度は魅録が叩いた。



「フラレ男の集いは撤回するよ」
美童が肩を竦める。先ほどまで真剣な眼差しだっただけに、ふわと顔を綻ばせると場が和む。美童もそれを自覚しているのか、可笑しそうにクスクスと笑った。
「君たちと恋の話をする日がくるとは、ねぇ〜」
「まだ、告ってもねぇし」
「そうですよ、僕だって、まだ返事を貰ってないだけです」
心の中まで見透かされたようなクスクス笑いに、清四郎と魅録は憮然と答えた。
いくら恋愛方面には強い美童でも、この2人に力では適わない。一段トーンの下がった2人の声に、慌てて目の前で両手を振る。
「でもさ、ふっちゃけ、お互いに倶楽部内でライバルにならなくて良かったよね」
「まぁ、それは確かですが」
清四郎は手元のグラスを見詰めた。
もしかしたら、と考えたことも無くはない。
例えば美童。悠理とは全く正反対だが、美童の優しさを悠理は素直に受け入れる。もし清四郎が美童と同じことをしたならば、悠理はすかさず「今度はなに企んでんだよ」と言うだろう。日頃の行いと言ってしまえばそれまでだが、ありえない組み合わせではないのだ。
そして魅録。知り合いというだけなら清四郎のほうが遥かに長い。幼稚舎の入園式が初対面だ。しかし、付き合いの深さでは魅録には及ばない。最初に魅録を皆に紹介したのは悠理だ。学校でも外でも趣味も話も合う2人に嫉妬を覚えないといえば、それは嘘だ。
ライバルにならなくて良かった。心からそう思う。
例えライバルなったとしても諦める気など毛頭ないが。

「これで僕もある意味安心なんだよね」
心底安心したように笑う美童に、閃くものがある。魅録もそれを感じ取ったようだ。
「美童、もしかして野梨子ですか?」
「おいおい、今までおくびにも出さなかったじゃねぇかよ」
まっね、と美童はポケットからパスケースを取り出した。そこには中学時代に撮った野梨子の写真が入っていた。車で通学している美童にパスケースは必要ない。それを持ち歩いているということは本気なのだろう。
「僕の一目惚れ。屈強なボディーガードが居たからね、今までは遠慮してたけどさ」
そう言って悪戯な瞳を清四郎に向ける。
「もしかしてボディーガードって僕ですか?野梨子とは幼馴染なだけですよ」
「それは知ってるけどさ、野梨子って清四郎が男の基準だからねぇ」
「まさか、だったら刈穂君はどう説明するんです?」
「あの時も予測はついてたよ、だって野梨子が惚れるには申し分のないヤツだったしさ」
美童の余裕が2人には理解できない。何故ここまで落ち着いていられるのか。
可憐が他の男と出かけるだけでイライラが募る魅録と、いくら平常心で生活を送ろうとも悠理からの告白の返事を貰うまでは身辺が落ち着かない清四郎。美童がいくら安心だとはいえ、もう少し喜びを表してもいいとも思う。そこが「世界の恋人」たる所以なのか。
そんな表情を読んだのか、また美童がクスクスと笑い出す。
「野梨子はあの性格だろ?僕の今までから言っても信用されないと思うしね、だからさ急に「好き」って言ったって逃げられるのがオチだもの。じっくり待つのもいいかなって思ってさ、それにさ、野梨子にはもう一つ二つ恋愛を経験してもらってからって思ったりするんだよね」
焦ってないよと言う美童は、君たちとは違うんだよねと言わんばかり。男としての余裕を見せ付けられたようで、魅録は渋い顔、清四郎もあっけにとられていた。
「ま、清四郎が悠理を・・・って判ったから、ばらす気にもなったんだけどね」
美童は茶目っ気たっぷりに舌を出した。
「しっかし野梨子とはねぇ、ありゃ難攻不落だぜ?」
「一筋縄ではいかないでしょうな、何せあの気の強さですからねぇ」
「それだけじゃねぇだろう、野梨子の場合は。潔癖にかけちゃ群を抜いてるしな」
「そうですね。美童も前途多難と言わざるを得ませんな」
美童と野梨子の実りの薄そうな恋談義を始めた2人を美童は鼻で笑った。
「ふん、そうやって好き勝手言っていられるのも今のうちだからね」

美童が携帯を取り出し短縮を押した。
「あ、可憐?今ドコ?うん、うん、うん。あ、近くに居るんだ」
かすかに漏れ聞こえる可憐の声は、何かを喚いているようだ。美童の予想通りどうやら今日のデートは不発に終わったらしい。美童が困った顔で携帯を少し耳から離した。
「判った。話聞くからさぁ、おいでよ。今、清四郎と魅録と飲んでる」
それから、と魅録と清四郎に向かって視線を流す。
「野梨子と悠理も誘ってよ。店は○○の○○だから、場所わかる?あ、そう、じゃ後でね」
じゃぁね、と軽い電子音で携帯を切る。得意気な顔だ。
「皆呼んだのですか?」
「そう、男ばっかりで飲んでても華が無いしね、可憐は近くに居るから直ぐ来るって」
「男だけで飲むって言ったのは、お前だろうが」
「まぁまぁ、楽しく飲めるほうがいいじゃない」
「楽しいか、清四郎?」
「さぁ、魅録こそどうなんです?」
そんな2人を他所に、美童は呑気に酒を追加していた。



店内には、レコードのピアノトリオが流れていた。
有名な小説にも登場し、その世界では伝説的なピアニストによって演奏される軽やかなメロディー。
しばし、聞き入っていた静かな時間は、バタンと開く扉にかき消された。

「もう、最悪!デート中に他の女の自慢話するなんてどういうつもりよ!!この可憐さんも随分甘く見られたもんだわっ!もうこっちから振ってやったわよ。願い下げね、あんな男。今日は飲むわよ、付き合いなさいよ!嫌だなんて言わせないんだから!ところであんた達、何飲んでんの?っていうか、皆揃いも揃って黒い服ってちょっと暗いんじゃないのぉ〜」
テーブルについた途端に、一気にまくしたてた可憐は、そこでようやく一息つくと、店員を呼び止め、オーダーを伝える。美童が苦笑交じりに清四郎と魅録に向かってウィンク。ほらね、と言わんばかりだ。
「野梨子と悠理は?」
「野梨子は直ぐ来るって、タクシーに乗るって言ってたから間もなくじゃない?悠理も来るって、買い物してたみたいね、どうせなら帰る前に電話くださいなって野梨子に怒られたわよ」
まったく今日はツイてないわ、と可憐は怒りを隠しきれない。
「それでね、あの男ってば・・・・・・」
まだ酒も来ないうちから、くだを巻き始めた可憐に男性陣は堪らず笑い出す。
「笑いたかったら、笑えばいいわ」
ふん、と顎を反らす可憐に、魅録がテーブルに届いた酒を差し出す。
「まぁ、飲め」
「言われなくても飲むわよっ!」
可憐が、ごくごくと喉を鳴らしてグラスを空にした。
「おかわりっ!」
「可憐、急に飲むと明日辛いですよ」
清四郎が諭してみたが、可憐は、じろ、と清四郎を睨んだだけだった。清四郎は肩を竦める。
「同じものでいいのか?」
「何でもいいわよ、早く酔えるヤツね」
「へいへい・・・」
魅録が手を挙げて店員を呼び、可憐の注文をする。
「魅録ぅ〜アンタいいヤツね。今日は可憐さんがとことん付き合ってあげるわ!」
「はいはい・・・つーか逆だろう」
今までの会話からすれば、可憐の発言は爆弾発言。
魅録は苦笑いしながらも、かいがいしく可憐の世話を焼くことに決めたようだ。美童がにっこりと笑った。
可憐は魅録にまかせた、とばかりに親指を立てて見せる。

程なくして、野梨子がやってきた。
「出かけるのだったら、もう少し早く連絡をくださいな」
美童がさりげなく空けた、美童と魅録の間に野梨子が座る。
必然的に空くのは美童と清四郎の間。悠理が来たら、ここに座ることになる。
「あら?可憐はもう出来上がってますの?」
「まだよっ!今からよ、今から!」
「今日のデートは芳しくなかった様ですわね」
辛辣な口調を、美童がまぁまぁと押さえる。
「悠理と買い物したんだろ?どうだった?」
「ええ、相変わらずたくさん買い込んでましたわ、でも悠理少しおかしくありませんこと?元気がないというか、いくら聞いても何も言ってくれませんのよ」
野梨子は悠理と一緒に和菓子を選んでいる間に、幾度となく何があったのかを聞き出そうとした。
しかし、悠理はその話になると笑って誤魔化したそうだ。笑いながらも、申し訳なさそうな、身の置き処のないような顔をしたという。
「悠理と何かありましたの?」
野梨子が美童越しに、清四郎へと問い掛けた。
「何故、僕だと思うんです?」
逆に清四郎が野梨子へ問い返した。1週間も避けられ続けたのだから今更の質問なのだが。
「最初は魅録に対して怒っていると思いましたのよ、生徒会室で、魅録の煙草を取り上げてましたものね、でも魅録の話をしても普通でしたのに、清四郎の話をした途端に顔を逸らすのですもの」
悠理に聞くより、清四郎に聞くほうが早そうですわと、野梨子は言った。
「何も無かった、とは言いませんがね」
清四郎がグラスを爪で弾いた。キンといい音が鳴る。無表情の中に隠された照れを感じ取ったのか、野梨子は清四郎から美童へと視線を移した。美童は静かに頷く。
「ま!清四郎も隅に置けませんわね」
野梨子が、ほほ、と笑った。

「清四郎、悠理になんかしたのぉ〜?またいじめたんでしょう?ダメよ〜」
間延びした声は可憐が発したもの。
「いいから、可憐は飲んでろ」
「もう十分飲んでるってば!で?清四郎今度は悠理に何したのよ?」
頬杖をついた可憐が、楽しそうに清四郎を見上げる。
「そのうち、わかりますよ可憐。その時はフラレ者同士、浴びるほど飲みましょう」
「ちょっと、聞き捨てならないわね、私が振られたんじゃなくて、振ったのよ!」
これでは、悠理に告白しましたと白状したものなのに、可憐が反応したのは別のところだった。
プライドに抵触したのか、憮然とした顔を造る可憐に、魅録が黙って新しい酒を差し出した。可憐がそれを掴み、口を付けようとして、思いついたようにテーブルに戻した。
「清四郎が悠理を好きだなんて、中学の時から知ってたわ」
ねっ、と美童に向かって視線を移す。美童は「まぁね」と肯定。魅録と野梨子は顔を見合わせた。
「同じクラスだった時から、悠理のこと気にしてたもんねぇ」
「そんなに前からですの?」
「まぁ、言われてみれば、思い当たることも無くはねぇな」
「婚約が破談になったあたりから、清四郎おかしいもの」
一瞬清四郎がぎくりとするが、誰もそれに気がつかなかったようだ。ほっと安堵のため息を吐く。
長年想いつづけてきた気持ちが、溢れ出したのはあの日。
隠し通せると思っていた。悠理のためにも隠さなければならないと思っていたはずなのに、あの日と同じように小さく丸まっていた悠理に、溢れ出した気持ちが止まらなかった。
もう一度グラスを弾く。底に数センチだけを残したグラスは、さらに高い音を響かせた。
「振られても諦める気は毛頭ありませんがね」
清四郎はきっぱりと顔を上げて断言した。
「さっすが、生徒会長様、言うことが違うわね」
「それだけ悠理を好きだってことですわね、悠理も罪つくりですこと」
晴れやかな声を出す可憐と野梨子に対して、魅録と美童は静かにグラスに口を付けた。
清四郎はきっと振られることを覚悟しているのだ。なにせ相手は恋愛から最も遠い悠理。それでも諦めないと言い切ったこの男の心情を察した。
「なるようにしかならない・・・ね」
「悠理だしな」
そんな男達の会話を、可憐が遮る。
「本当に暗いわね。清四郎もそんな顔しないの!もうショットで頼むのも面倒だからボトル入れる?」
「そうするか?」
「うん、今日はとことん飲むんでしょ?」
「何時の間にそんな話になってましたの?」
「飲みたい気分ってヤツですかね」
可憐が満足気に微笑むと、店員を呼ぶために大声を出した。





店の入り口のドアが開いた。
皆はようやく悠理が来たと思い、そちらに視線を向ける。
しかし、ドアを開けたのは、無造作な髪に目つきの少しキツイ男だった。店の中に入るでもなく、かといって店内に待ち人を探している風でもなく、ただ、ドアを押さえている。
その腕を潜って悠理が店内に現れた。
可憐がハッと息を飲んだ。
今まで男が押さえていたドアを今度は悠理が押さえ、振り向いて男を見上げる。2人は何やら楽しそうに話し込んでいる。それは悠理の後ろ姿でも十分に伝わる程だった。
「どなた、ですかしら?」
「さぁ、知らねぇ顔だな」
野梨子の呟きに、魅録は知り合いの顔を思い出してみるが、該当する人物は居なかった。
別れの挨拶でもしているのだろう、男が悠理に向かって何かを囁く。悠理は笑って、軽く蹴りを繰り出した。こちらも笑顔の男が悠理の頭に手を置くと、くしゃりと髪をかき混ぜた。
清四郎がいたたまれず2人から目を反らした。きっとこれが悠理の返事。
男が悠理越しに店内を見渡して、店の奥に居る皆を見つけると軽く手を上げるが、やはり誰だか判らないまま、皆は硬い表情でぺこりと頭を下げた。

「ゴメン、遅くなっちゃった!」
男を見送った悠理が、皆のテーブルまで来た。スキップしそうなほど上機嫌で。
生徒会室を出た時とは雲泥の差。空いている席が清四郎の隣だということも気にせず、すとん、と腰を降ろす。何飲もっかな♪とメニューに手を伸ばした。近くの店員にオーダーを伝える。
「悠理、今の誰ですの?」
「ん?知ってんだろ?」
「知らねぇから誰だと聞いてんだろうが」
少し怒りの混じった魅録の声に、悠理が口を尖らせる。
「兄ちゃんだよ」
「どこの「兄ちゃん」なのよ?」
可憐までが悠理に向かって身を乗り出した。悠理はメニューから顔をあげてぐるりと皆を見る。隣に居る清四郎が、頑なに悠理から視線を逸らしている。それで、皆の勘違いに気づいた。それと同時に清四郎の告白も皆の知るところなのだと。
「お前等、本当に気づかなかったのか?豊作兄ちゃんだってば!」
「え〜、豊作さん?なんか随分印象違うじゃん」
「メガネ外すとあたいより母ちゃんに似てんだよ」
勘違いを慌てて訂正すると、皆は一様にほっとした表情を浮かべた。
「どうして、一緒でしたの?」
「兄ちゃんも大学時代の友達と飲むっていうからさ、途中まで乗せてきてもらったんだよ」
悠理が、ちら、と清四郎を伺う。
顔は普通にテーブルに向いているが、思いつめた表情。そして、膝の上で固く拳が握られていた。
それが如実に清四郎の気持ちを語っている。
言うなら早いほうがいいよな
悠理はつばをゴクリと飲み込んだ。



「あ、あの、あのな、清四郎」
「何です?」
「こっ、この間の、なんだけど・・・」
「・・・・・・返事を聞かせてくれるんですか?」
清四郎がゆるりと悠理に身体を向けた。清四郎を見上げる悠理の目には揺らぎがない。睨まれているようにも見えなくはないが、それだけ真剣なのだろう。唇が一瞬ためらうようにもごもごと動いた。

「そういうのは2人の時にやりなさいよ」
「私たちが聞いてもいいんですの?」
「だーっ!お前等、何も言うなよ!」
気を削がれたのか、悠理が真っ赤になって手を振り上げる。その手をすとん、と落とすと、大きく息を吐き出してもう一度清四郎に向き直った。

「あのな、返事はOKだ」
「え?」
「ただし!」
悠理がびしりと人差し指を突きつけた。清四郎が人差し指を見たまま、若干顎を引く。
「高校卒業までは、このままトモダチだからな」
どういう事です?と問う清四郎に、悠理は卒業まであと少しだし、皆とこうやって遊んだり飲んだり、わいわい過ごしたいのだと言った。自分達のことで皆に気を使わせるのが嫌なのだろう。
あまりに悠理らしい返事に、清四郎の握り締められていた手が緩んだ。
悠理は言いたいことを言ってほっとしたのか、一人呆ける清四郎を置き去りにして、「何飲んでんの?」と皆の酒を覗いていた。



「婚約期間みたいなものですかしら」
「馬っ鹿ねぇ、違うわよ、キープって言うの!悠理もやるわねぇ」
「いわゆる保留ってヤツだろ?」
「いいんじゃない?結局付き合えるんだから」
首を傾げる野梨子と、高笑いをする可憐。
一方の男性陣は、「やったな」と清四郎に向かってニヤリと笑って見せた。
好き勝手に言い始める皆を横目に、悠理はもう一度清四郎を見上げる。
「やっぱ、だめ?」
「いいえ、悠理がそれでいいなら、僕は構いません。待ちますよ」
気を取り直した清四郎が、ゆっくり微笑む。
「じゃ、そーいうことでよろしくな、卒業までこの話はすんなよ」
振られるのを覚悟していたのだから、この返事は自分にとって相当嬉しい結果だ。
「ええ、悠理」
右手を悠理の頭に置き、くしゃっと撫ぜると、悠理はえへへと擽ったそうに笑った。

ふいに魅録が顔をあげる。
「もしかして俺に怒ってたのも同じ理由か?」
「うん、ごめん魅録、八つ当たりだよな」
「いや、いいけどよ」
生徒会室で不機嫌だったのも、魅録が可憐を想っていると気づいた悠理が、変化を恐れて持て余した感情を魅録にぶつけただけ。魅録にも可憐にも何一つ悪いことはないのだ。
清四郎に返事をした今となっては、ひどいことをした、と後悔でいっぱいだ。
「俺も、悠理見習って、卒業まではこのままだから」
俯く悠理に、「ばーか、顔あげろ」と魅録が笑った。



「折角だから乾杯しない?」
美童がグラスを掲げた。
「清四郎と悠理にですの?」
「だーっ!だから、その話はすんなって!」
悠理が真っ赤になって否定すると、一同から笑いが上がった。清四郎も苦笑するしかない。
「悠理が無事に卒業できれば、の話ですな」
「一言多いわいっ!」
高校卒業まで、ほんの少し待てばいいだけなのだ。想ってきた長さに比べれば、ほんの一瞬。
「この場合、倶楽部に乾杯でいいんじゃねぇの?」
「それも、そうですな」

乾杯!とグラスが合わされた。
「あ〜ぁ、まさか悠理に先を越されるとはねぇ〜、どっかにいい人居ないかしら」
可憐は相変わらずのペースで飲み続けている。コホン、と咳払いをした清四郎が可憐を呼んだ。
「可憐」
「なによ?」
「フラレ者同士飲み明かすのは無理そうなので、すみませんね」
いつもの冷静さを取り戻した清四郎が、意地の悪い顔で笑った。
「なんだ、可憐。またフラレたのか?」
懲りねーなと笑う悠理に、可憐が拗ねた。
「うるさーいっ!振られたんじゃなくて振ったの!」
可憐がドンとテーブルを叩いた。魅録が可憐のグラスをさっと除ける。
「案外近くに居たりして。ね♪」
「どちらにいらっしゃいますことやら」
「野梨子〜!あんたもね、その性格直しなさいよ!」
「可憐には言われたくないですわ」
「お前ら喧嘩すんなって!酒がまずくなる!」
言い合いを始めた可憐と野梨子を悠理が止めに入る。
美童はそんな様子を見てクスクスと笑い、魅録は知らん顔で煙草に火を点けた。

確かに、皆で騒げるのもあと少しの時間なのだろう。
生徒会室は卒業のその日まで陣取るつもりでいるが、それも、もう間もなく。
悠理の言う通り、卒業まではこのかけがいの無い時間を、楽しく過ごしたい。
あと少しと云えども、そこは有閑倶楽部。
いくつかの事件を引き起こし、巻き込まれ、そしていつもの様に解決するのだろう。
そして、その先に悠理が居る。

「・・・悪くないですね」
清四郎はグラスの底に残った酒を飲み干した。
「何が?」
「いえ、感慨に浸っているだけですよ」
声が聞こえたのだろう。悠理が怪訝な顔をしている。清四郎はなんでもありませんと首を振った。
ならいいけど、と悠理が清四郎のグラスに、新しい酒を継ぎ足した。

「好きになってくれて、ありがと」
清四郎の隣で、悠理が小さく呟いた。


ヒトリゴト
クロノグラフもようやく折り返しです。
下書きは出来てるけど、文章にならない。久しぶりに難産を味わいました。
とにかく皆に喋らせたくて会話のオンパレード・・・。
「あの日」がまだ出ておりませんが、後ほど。
魅録×可憐の話はまた別で書こうと思ったら、なんだか薄っぺらくなってしまいました。

2006/12/02

素材:MINE CHANNEL!

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