■Richtige Hand
【 Besonderes Zimmer Seite1 】



「悠理をからかうのはお止めなさいませ、嫌われましてよ」
「別段、からかっているつもりはありませんが・・・」
帰り道。並んで歩く野梨子がふと思い出したように言った。
はて?と、とぼけてみせたものの、今日の生徒会室での出来事を言われているのは明白。
皆を何とかなだめすかして、今度の生徒会役員選挙に立候補することにした。
最後は悠理にこじつけて。
その時に悠理の頭を触った。くしゃっとかき混ぜるように。たまたま手近に悠理が居たからだ。
2度目のそれは嫌そうに払われた。

「・・・野梨子にはしませんよ」
「私だって、嫌ですわ。でも悠理の髪はふわふわで撫で心地が良さそうですわね」
クスクス笑いを漏らす野梨子の意図が判らず、思わず顔をそちらに向けると、野梨子は可笑しそうに目を細めただけだった。その中に何故か意地悪な色が見え隠れしたのは気のせいだろうか。
野梨子の髪のほうが、真っ直ぐで、よほど手の滑りが良さそうだ。
もちろんそんなことはしないが。



*****



今日は家族揃って夕食を摂った。
「どうだ、高等部は。楽しくやっておるのか」
「顔ぶれは変わりませんしね、それなりにやってますよ」
「そうか、それは何よりだ。ふぅ〜今日は疲れたな」
珍しく夕食時に家に居る親父は、先ほどからしきりに疲れたを連呼している。
医者というのは下手をすれば24時間体制で、患者の容態次第では、病院に泊り込むこともある。医院長なのだからその辺もっと巧くやれないのか、とも思うが、他の勤務医に示しがつかんと第一線に居る。そういう処は尊敬に値する。
僕が医者になった時、親父のようになれるかどうか。僕だったらもう少し要領良くやるような気がする。
疲れている親父に、肩を揉め、腰を揉め、と言われる前に部屋へと退散することにした。
「おい、もう行くのか、最近やたら部屋に居るな、夕べも遅くまで電気が点いとったぞ」
「そうねぇ、机に噛り付いていますけど、何をしていますのやら」
立ち上がりかけた僕に、逃げるのか?と目で訴えてきた親父と、不思議そうに首を傾げるお袋。
「どうせ、清四郎のことだもの、相変わらずの趣味走りでしょ」
ふん、と鼻を鳴らす姉貴に、顎を反らせて「そうですよ」と返す。
「勉強もいいがな、高校生らしく少しは遊ぶこともしなさい」
親父のため息まじりの声は、案外本気が含まれていた。

―― だから、その為に今頑張ってるんですよ。
口には出さずに、風呂が空いたら教えてくださいとだけ伝えて部屋へと戻った。



*****



有言実行。
書棚から数冊の本を抜き取り、机の前に座る。
論文に書きたいテーマはたくさんあるのでどれか一つに絞っているところだ。取り出したノートに箇条書きでテーマを書き連ねていく。そこから展開されるであろう論点もメモ程度に書き出していく。
あまりの多さに自分でも驚いた。どれも書きたいテーマなだけに、どれも捨て難いと苦笑を漏らした。
何時の間に、こんなに多趣味になってしまったのか。
もちろん、結果には原因があるワケで・・・。
原因ははっきりしている。あの日、僕の自尊心を粉々に打ち砕いてくれた彼女。
「剣菱悠理」
彼女に負けたのが悔しくて、情けなくて、それから何事も経験と俄然やる気を出した気がする。
そのうち、そちらが楽しくなって、思い出すことも少なくなったが、修行が苦しい時、新しい事にチャレンジする時、「彼女に負けたくない」と思い出すような心の奥にしまってある思い出。
それだけ、僕にとっては衝撃の出来事だったのだ。

ふと、ペン先ではなく、ペンを持つ右手に焦点が合った。手からペンを離して、手の平を見詰める。
何度か、握ったり開いたりしてみた。
あの頃、小さすぎて軟弱だと悲しい気持ちで自分の手を眺めたものだった。
あれから随分時間が経ち、拳法を身に付け、拳も大きくなった。
それでもまだ悠理とは、顔見知り、知り合いから友達になっただけだ。
さすがに負かしたいとは思わなくなったが、気になる存在である事には変わりない。

―― 相変わらず、柔らかい髪でしたね。
実は悠理の髪に触れたのは2度目だ。
一度目は中学の時、まだ同じクラスになる前。



*****



その日は、午前中で授業が終わりだった。僕は図書室で調べ物をしていた。
興味のあることに没頭してしまうのも、この頃にはすっかり身についていた。
昼を過ぎ、巡回の先生に急かされるように図書室を追い出された。
靴を履き替え校門に向かっている時だった。
体育館から、ダンダンとボールが床を衝く音がした。
今日はクラブ活動もないはず。不思議に思って、足を校門から体育館へと向けた。

そこに居たのは「剣菱悠理」
バスケットボールをドリブルし、返り具合を確かめている様だった。
すっと息を吸い込んだ彼女は、右から大きく回りこんで左足で踏み切り、上へと飛び上がる。
身体全体を大きく伸ばし、手を離れたボールは、リングへと吸い込まれた。
手本通りの、綺麗なレイアップ。
落ちてきたボールをすかさずキャッチし、また伸び上がってリングへと押し込む。
着地の時に、制服のスカートがふわりと広がった。
何度かそれを繰り返す。彼女が運動を得意としていることは知っていたが、本当によく動き、確実にゴールを決めるその姿から目を離すことが出来なかった。
体育館の入り口に立ち尽くし、その光景に魅入られていた。



何度目かのシュートは、バックボードに当たり、弾かれ、ボールは僕の足元へ転がってきた。
「あ・・・」
それまで、伸び伸びと動いていた彼女が急に固まった。人が見ていたことにとても驚いた顔をしていたが、立っている人物が僕だと認識すると、その目が嫌そうに細められた。
聖プレジデントは中途入学が少ない。ほとんどが幼稚舎からの持ち上がりなので、ほぼ全員顔と名前が一致する。僕を嫌がる原因は、もちろん入園式の野梨子がらみであろうことは容易に想像できるが、何も僕まで目の敵にしなくても良いのではないかと思う。

さて、この場をどうしようか。
ボールを投げ返し、体育館を去るのが得策なのだろう。
そう思って、鞄を足元に置きボールを拾い上げる。距離のある彼女まで届くように、手を大きく後ろへと引くと、彼女は手を広げ、ゴールを守る体制をとった。
ニヤリと笑って、くいっと顎をしゃくる。
おもしろくなってきた。
外靴であることが気になったが、そのまま体育館の中に足を踏み入れる。
ドリブルをしながら、ゆっくりと体育館の中央まで進んだ。
彼女は楽しそうに目を輝かせ、瞳は僕とボールの間を行ったり来たりしている。僕は腰を落として、ドリブルの速度を速めるとゴールに向かって斬り込んで行った。

結果から云えば、僕はシュートを決めることが出来た。
だが、右へ、左へと揺さぶりをかけても、彼女は即座に反応し、何度もカットされそうになった。シュートを打とうにも、彼女の手は目の前に翳され、何度もタイミングを失う。ボールと彼女の間に無理やり身体を割り込ませ、ブロックし、振り向きざまにジャンプして放ったシュートは、何とか彼女の手の上をすり抜けリングに吸い込まれた。
ネットをくぐり抜けたボールは、タンタンと規則正しい音を響かせて体育館の隅へと転がっていった。
互いに肩で息をつく。
目が合って、どちらからともなく笑い出した。



「あはは、面白かった!やるな、お前」
「君こそ」
まだ荒い息を吐きながら、彼女が僕を見上げてきた。
「えっと・・・、キクマサムネだっけ?」
「そうですよ、剣菱サン」
「このガッコに、あたいからゴール奪うヤツが居るとは思わなかったよ」
心底悔しそうな彼女はそれでも楽しそうに笑う。いつもどこか冷めていて、喧嘩している時以外はつまらなそうで、どこか大人っぽく見える彼女も、笑うと歳相応だった。
一歩近づく。目の前には色素の薄い金茶の髪。
身長差、約10cmといったところだろうか。野梨子に比べれば彼女は随分長身だ。
「僕もシュートが決まるとは思いませんでしたよ、身長差に助けられました」
そう言って、何気なく、本当に何気なく彼女の頭に手を置いた。
手には驚くほど柔らかい感触。
驚いたのは僕だけではなかった。彼女は咄嗟に僕の手を振り払う。
「すみません」
「・・・・・・別に」
手を引いて謝罪の言葉を口にした僕に、彼女は素っ気無い返事を返してよこした。
今まであったはずの親密な空気が、一瞬にして無くなった。
この雰囲気を何とかしたくて、言葉を探すが、こういう時に限って、気の効いた言葉など一言も出てこない。彼女は手持ち無沙汰で、体育館の隅に転がっていったボールや、ゴールを見上げていた。
沈黙が重い。

体育館の壁に掛かった時計を見て、僕はようやく会話の糸口を見つける。
「そろそろ先生の巡回の時間ですよ」
そう言いながら、靴を指差した。互いに外靴。先生に見つかれば小言の一つも言われるのが確実だ。
そして、彼女はそれを嫌がるだろうことも知っている。
「あ、もうそんな時間か」
彼女も時計を見上げると、僕の横をすり抜け、すたすたと歩き始めた。
僕も体育館の入り口に置いてあった自分の鞄を拾い上げ、彼女の後を追う。
彼女は手ぶらで、校門へと向かった。
「剣菱サン、鞄はまだ教室?」
「名輪・・・ウチの運転手に持っていかせた」
「じゃあ帰りは?」
「あー・・・それは大丈夫」
「・・・そう」
「うん」
彼女は返事すら面倒なようだ。全くかみ合わない会話をしながら、校門まで彼女と歩いた。
校門から出たところで、彼女はピタリと足を止めた。
「剣菱サン?」
「じゃあな」
別れの挨拶と言うにはぶっきらぼうな言葉を投げかけ、彼女は校門に寄りかかった。
迎えは?どうやって帰るんすか?待ち合わせ?
聞こうと思っていたことは、しゃがみ込んだ彼女の全身に遮られる。
まるで相手にされていない。
対抗心が湧き上がってくる。
一つため息を吐いてから、彼女の横にしゃがみ込んだ。彼女は驚いた顔で、ようやく僕に向き合う。
「な、なに?」
怪訝な顔を向けてくる。僕はクスリと笑って肩を竦めて見せた。
「いや、どんな人が迎えに来るのかなと思いまして」
「お前には関係ないだろ?」
「まぁそうなんですけどね」
「いいから帰れよっ」
怒鳴る彼女を無視して、隣に居続けた。
笑ったり、拗ねたり、怒ったり、随分良く変わる表情。
いつもつまらなそうな顔をしているところしか見たことが無かっただけで、こんなにも喜怒哀楽のはっきりした人だったのだ。近くで見るその表情に驚いた。
彼女は何を言っても無駄だと思ったのだろう。完全に僕は居ないものだと思うことにした様だった。
だから、「迎え」が来るまでの約10分間に、僕達はニ言三言、言葉を交わしただけだった。



大きな排気音と共に、一台のバイクが僕達の目の前に現れた。
彼女が顔を輝かせて、パッと立ち上がる。満面の笑顔とはきっとこのこと。僕もつられて立ち上がる。
「遅いぞ、ミロク!」
「悪ぃ、これでも急いだんだぜ、お前の学校は午前で終わりかも知れねぇけどな、俺は午後サボりだぜ」
ったく、と口悪く文句を言いながらも、待たせたな、と指を立てる。
バイクに乗っていたのは、僕等と同い年かそれとも少し上ぐらいだろうか、ピンク色の髪をした男だった。
白いパーカーにジーンズにブーツ。バイクに乗るにはかなりの軽装だ。
「よう、お前も悠理の子守りか?」
彼女の隣に立つ僕に、ん?と方眉を上げて見せる。
「なんだよ、子守りって!」
男の質問に答えたのは、僕ではなく彼女だった。怒って拳を振り上げた彼女に向かって、笑いながらヘルメットを放る。彼女はバスケットボールのように、それをキャッチした。
「いや、悠理が学校のヤツと一緒に居るトコなんざ、初めて見たからよ」
男は、僕を真正面から見た。自己紹介でもすべきなのだろうが、彼女と僕は友人ですらない。悪戯心を出して彼女と一緒に居たのは失敗だったと思った。考えあぐねていると、すっぽりとヘルメットを被った彼女が、男の肩を借りて、ひらりとバイクの後ろに跨った。
「じゃあな、キクマサムネ」
ヘルメットの奥から聞こえるくぐもった声に、片手を挙げることで応えた。
声が出なかったのは、男の登場に唖然としたためだったのか、先ほどまでいくら話し掛けても無視を決め込んでくれた彼女に対する報復のつもりだったのか、それとも、声を出すことで、男より幼いと思わせる自分を見せたくなかった為なのか。
「んじゃ、行くぞ悠理」
「おうっ!」
男は僕に向かって、同じように軽く手を挙げた。
彼女を乗せたバイクは、あっという間に走り去った。
「・・・・・・へぇ」
僕から出たのはその一言だけだった。
その後、彼女と学校ですれ違っても、特に言葉を交わすようなことは無かった。僕は相変わらず野梨子とセットで彼女に嫌われ続けた。





それから、学年が上がり、中学3年で僕達は同じクラスになった。
野梨子、可憐。そして悠理。
「ミロク」こと松竹梅魅録に再会したのも、その少し後。可憐に誘われたディスコだった。
向こうは僕を初対面だと思っていたようだが、忘れるはずもない。
可憐の文通相手である美童にも会った、美童はその後、僕達のクラスに転入してきた。
とある騒動を切欠に6人で過ごすことが多くなり、野梨子と悠理が和解したおまけのように、悠理の僕に対する態度も徐々に変わっていった。
魅録は交友関係が広く、専門知識も類を見ない。気持ちのいいヤツで、度胸もある。
何となく「こいつには適わない」と思わせるヤツだ。
悠理が魅録に懐くのも判る気がする。
一年をかけて、益々仲良くなった魅録に「聖プレジデントへ来ないか」と誘った。
魅録は難関と言われる入試を難なくクリアし、高等部へ入学してきた。
魅録を聖プレジデントに誘った理由は今でも判らない。
人の顔を覚えるのも得意な魅録が、僕を覚えていないのが不思議だった。まぁ数分にも満たなかったのだから覚えていなくても無理はないのだが。
只単に今まで以上に親しくなりたかっただけなのか、魅録が傍に居ると悠理が良く笑うからなのか、それとも、魅録も悠理も手の内に入れておきたかっただけなのか。



*****



そして今日。皆を誘って、生徒会室へ向かった。
昨夜、ミセス・エールと電話をした際に、生徒会役員選挙のことを聞かされた。
中学で生徒会長だった僕は、興味があってミセス・エールに高等部の生徒会の活動について話を聞いた。もちろん学業が優先だが、それぞれの家の事情で高等部から家業の訓練をする者も多いため、中学に比べればそれは随分簡単そうに思えた。しかしやり甲斐もありそうだ。
先日入った生徒会室というには豪華な部屋。あの部屋を使えたら、高校生活も楽しそうだ。
「じゃあ6人で出馬でもしてみましょうか?」
軽い冗談のつもりで言ったはずなのに、ミセス・エールは電話の向こうでクスリと笑った。
「では、セイシローのお手並み拝見といきましょう、期待していますよ」
その瞬間に、生徒会役員になるための図式、算段が頭の中で組みあがった。
皆も賛同してれた。

自分達が特別だとは決して思ってはいない。
だけれども、
社交的で取り巻きの多い美童と可憐の傍にはいつも誰か人が居る。
悠理との和解があってから、険が取れて柔らかくなった野梨子。
入学したばかりだというのに、兄貴肌で友人が増えつつある魅録。
小さい頃から、野梨子と僕を除けば、誰にでも分け隔てなく接し、圧倒的人気を誇る悠理。
そして僕。
放課後、皆で集まっていても、常に誰かの目に曝されて、中々落ち着いて話をすることもままならない今の状況を打開するには、生徒会選挙を利用するのは、とてもいい案だと思えた。
魅録ではないが、遠慮せずに使える場所が欲しかったのだ。



扉がノックされて、我に返る。随分長い間、回想に耽っていたらしい。
「清四郎、お風呂空いたから入りなさい、さっさと済ませなさいよ」
「はいはい、今行きます」
「ハイは一回!」
姉貴は部屋に顔を出すこともなく、自室へと引き上げて行った。
遠ざかる足音を聞きながら、風呂上りはどこから手をつければいいのかとノートに視線を落とす。
そこには、軽く握られた右手。その手に残る、悠理の柔らかな髪の感触。
ぎゅっと強く手を握った。その感触を忘れないように。いつでも思い出せるように。

この手に彼女を捕まえてみたい。
そこまで思ってから、はっとした。
もしかして、僕は悠理が、悠理のことが・・・・・・。

いや違うな、と首を振る。握った手をゆっくりと解いた。
この想いには、とりあえず蓋をすることにした。
今はまだ、友人でいい。
何せ、出会いは幼稚舎の入園式だが、友人として付き合いだしたのは去年からだ。
まだこの心地よい関係を壊したくはない。
友人として1年。笑ったり、拗ねたり、怒ったり、良く変わる表情は変わらない。
あの細い身体のどこに入るのかと思う程の食事量、ずば抜けた運動神経、勉強が嫌いで、面倒ごとはもっと嫌いだが、情に厚く涙もろい。
もっと見たいと思う。友人として最も近しい場所で。
魅録に向けられたあの笑顔を自分にも向けさせたい。そして、それが真っ直ぐに僕に向けられるようになったら――。
そんな日が来るかどうかも定かではないが。

でも、いつか、必ず、きっと。


ヒトリゴト
中学、まだ同じクラスになる前です。清四郎くんの片思いスタート?
この辺は妄想が難しいですね。過去を書くより未来を書くほうが微妙にラクな気がします。
魅録がヘルメットを被ってないのは、やっぱりマズイですかね?

2007/01/29

素材:GreenTea

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