■Kirschenbaum

【 Das Volumen auf Extraausgabe 1 】



『昼ごろ着く。待っている場所は「秘密」。お前にわかるかな?』
携帯に入ったのはこれだけのメール。
僕は思わず微笑んだ。いたずらっ子のように笑う悠理の顔が目に浮かぶ。

久しぶりのイギリスだった。
僕は聖プレジデント大学を卒業した後、こちらの大学に留学した。
悠理を連れて。
僕は学生だったし、悠理もこちらに来る条件で家業を手伝っていたから、互いに忙しくすれ違いも多かったけれど、充実した4年間だった。

日本に帰って、僕たちは結婚した。
長い時間を経て、僕はやっと悠理を手に入れた。

結婚して正式に「剣菱」に入社し、現在は豊作氏の秘書をしている。
今回のイギリス出張も、同時期にアメリカへの出張が重なった豊作氏の代理だ。こちらでの仕事はほぼ終了し、週末のパーティーに出席すれば、帰国する。
1日空き時間が出来て、社に顔を出した後、懐かしい町並みを歩いたり、親父と懇意の教授を訊ねたりしていた。そんな時に入ったメール。
週末のパーティーに合わせて、悠理が今日こちらに来る予定になっていた。
「愛する人が来るとでも云う顔だね」
メールを見ていた僕の表情を読んだのか、教授はくすくすと笑い出した。
「ええ、妻です」
修平と一緒の時は、ロボットみたいな息子だと思ったのに、そんな顔もするんだな。君のそんな顔を見られただけでも、セイの妻が素晴らしい人だと判るよ、と教授は笑って僕を送り出した。



「どちらまで行かれますか?」
「キューガーデンへ」
行き先を聞く運転手に、迷わずに告げた。悠理が選ぶとすればそこしかない。
キューガーデンは世界遺産にも登録されている王立植物園だ。
ロンドン南西部にある僕と悠理のお気に入りの場所だ。
120ヘクタールもの土地、大きな6つの温室には、世界中の植物が集められ、大きな森もある。
こちらで生活している間、何度となく足を運んだ。休日にどこかに出掛けましょうと誘うと、必ずといっていい程、植物園!という返事か返ってきた。おにぎりやサンドウィッチを持って良く出掛けたものだ。
何故悠理がそんなに植物園に行きたがるかというのは、数度足を運んで理解した。
不思議な形をした温室、そして敷地内の並木道を抜けると、突然巨大なオレンジ色のパゴダがそびえ立つ。そのアンバランスがどことなく剣菱邸を彷彿とさせるのだ。
あの家でも純和風の整った庭の中に、どんと金の茶室があったり、義母の趣味により設えたイングリッシュガーデンの中に、万作氏の石像があったりしたのだ。悠理は機嫌よく僕の手を引いて歩き回った。
キューガーデンの一角には桜の木があった。そこが悠理の目的だった。
桜の花が咲いている時でも、そうでもない時も、悠理は樹を見上げた。
「もしかして、日本に帰りたいですか?」
何度か悠理に聞いたことがある。その度に悠理は首を振った。
今、ここに居るほうが大事だからと。
実際、悠理は年に数度、帰国している訳だから、郷愁という程のことはないだろう。でも桜を見上げる悠理はどこか遠くを見ているようで、いつも腕の中からすり抜けてしまうような錯覚に捕らわれた。
腕を引き無理やり腕の中に閉じ込めると、悠理は屈託無く笑った。



腕を持ち上げて時計を見ると、昼を少し廻ったところだった。
丁度良いタイミングだろう。
途中のパン屋で買い求めたバケットサンドとコーヒーを持って、僕は園内を歩いた。
目的の桜の下に、まだ悠理の姿は無かった。
普通ならここで場所を間違えたか、と焦ったりするのだろうが、悠理が指定したのは絶対にここだ。
のんびり待つことにした。そう長く待つわけでもないだろう。
それに悠理を待つことには慣れている。なにせ年季が違うのだ。
悠理がいつも見上げていた桜を、僕も見上げる。
春が遅いロンドンでは、まだ開花にはだいぶ早いが、枝には小さな小さな蕾が連なっていた。

10分程経った頃、後ろに、サクサクと足音が聞こえて、僕は振り返った。
シンプルなシャツにジーンズというラフな格好の悠理がこちらに向かって歩いて来る。
「ゆう・・・」
「清四郎!動くな!!」
大きな声に一瞬えっと固まった僕の肩の辺りに、ふわりと桜の薫りが漂った。

「よっ!お前のほうが早かったな」
「ええ、悠理の考えはお見通しですからね」
「ふんっ!どうせ相変わらずの単細胞だって言いたいんだろ?」
膨れた顔で、僕から目を逸らした悠理は、桜の樹を見上げた。それから、目を細め心底ほっとしたように微笑む表情を見せた。
「ところで今のは何です?また何か見えましたか?」
悠理の夫である以上、今更多少のことでは驚かない。
「うん、こんなにはっきり見えたのは今日が始めてだけどな」
「それにしては、怖がりませんねぇ」
悠理は、僕の手にあるバケットサンドの袋を見ると、食べよ?とベンチへ移動した。
本来は目の前の大きな樅を見るために置かれたベンチなのだろうが、視界の隅にわずかに桜が入る。



バケットをコーヒーで流して一息ついた頃、悠理がポツリと呟いた。
「桜の樹に登ってさ、降りられなくなった男の子が居たんだ」
僕たちが始めてこの植物園に来た時、何かの気配は感じたらしい。けれども、それはいつもの幽霊騒動の時とは違い、嫌な感じも鳥肌も立たなかった。一緒に来ていた僕にも悠理の体調の変化は感じ取れなかったのだから本当なのだろう。
悠理自身も不思議に思いながらも、何度か足を運んでいるうちに、それが男の子だと判明した。
どうやら仲の良い女の子に桜の枝を取ってあげようとしていたのだが、その男の子にしては高い所に登り過ぎたようだ。降りられなくて男の子はとても困った顔で桜の枝から下を見下ろしていたそうだ。
いつもなら触媒にされ、助けを呼ばれる悠理が、何度桜を見上げても、男の子は悠理に気づくことは無かった。こっちに気づけ!と何度も念じたそうだが、それも届かなかった。
男の子は困っていたようだが、それはとても幸せな雰囲気を纏っていたらしい。きっと男の子を桜の下で待っていた女の子のせいだろう。そして桜の下で男の子を待ち続ける女の子も、とても幸せそうに見えたそうだ。桜の淡いピンクと混ざってそれはこの世のものとは思えない、幸せを作り出していた。
他の幽霊とは違い、助けを求めているのではなく、紗のかかった淡いものだったという。
古いセピアの映画のような、朝靄につつまれた風景のような。

「だからさ、これは桜自身の思い出だと思ったんだよ」
「それは素敵な考えですね」
僕が悠理を見下ろすと、悠理は、だろ?と得意げに笑った。
「それで、僕の肩を借りて降りたというわけですか」
「え?お前も見えたの」
「まさか、肩の辺りにね、桜の薫りがしたんですよ」
いくつか辻褄の合わない点もあるが、悠理がそう思うのなら、きっとそれで良いのだ。
それに、幸せな映像ならば、決して悪くない。
せっかく久しぶりのイギリスで、幽霊騒動は勘弁願いたいとの気持ちも働いたのは否めないが。
霊感が全く無い僕でも少しは役に立ったのだ。
「お前と野梨子の小さい頃に似てたぞ」
男の子も女の子も黒い髪だったしさ、男の子なんて得意気に登った割には降りられなくなっちゃうしさ、女の子もハラハラしながら見てるだけだしさ、と何時を思い出しているのかは明白だが、あえてそこには突っ込まないことにした。横から別の女の子が出てきて、桜の木を蹴飛ばされては、男の子が落ちてしまう。それに桜の木の下で女の子が喧嘩でも始めようものなら、のんびり桜の枝に座っているなどできないのだから。
「野梨子に桜の枝を取ってあげたという覚えはありませんねぇ」
はぐらかして、そう答えてみる。
もう一つの可能性について、言ってみることにした。
「桜が見せた未来かも知れませんよ?」
「未来?」
「そう、悠理には未来も感知できる能力がありますからね」
「未来ってことは、清四郎の子供?」
「僕とお前の、ですよ」
「それだと楽しいけど、木登りもできないヘナチョコはやだじょ」
「まぁお前に似れば野生児でしょうね」
だから一言多いっての!とパンチが飛んできた。軽く受け止めてポンポンと背中を叩くと、うーっと唸ったあと、諦めたようにため息をついた。
結婚しても、このコロコロと変わる表情はちっとも変わらないし、見飽きることがない。



「そうそう、野梨子っていえばさぁ・・・」
思い出してくすくすと笑いはじめる。
「美童さぁ、野梨子ん家に住むって」
「は?」
「あたいもびっくりした。いつの間にって思うよな、可憐と2人して詰め寄ったらさ、「下宿ですわ」って笑ってやんの、野梨子も食えないヤツだよ、ホント・・・っておーい!清四郎〜!!」
美童もとうとう行動に出ましたか・・・。
手の平を目の前でぶんぶん振る悠理の手首を掴んで止める。
「野梨子の家も男手が無いですからね、いいんじゃないですか?」
「なに?お前美童にやきもち?」
「ありえません、確かに驚きましたけど」
「なーんだ、美童にやきもちかと思ったのに」
本当につまらなそうな顔をする悠理は、まがりなりにも僕の妻である。
先ほどの教授の言葉が思い出され、苦笑せずにはいられない。
「僕には悠理が居ますからね、妬きませんよ」
「結局、倶楽部内でみんなくっついちゃったのな、魅録と可憐なんて未だラブラブだしな」
「ま、それだけの経験をしてますからね、他の人じゃつまらないでしょ?」
「それもそうだけどさ」
「おや?僕では不満ですか?」
「なっ!」
顔を覗き込むと、悠理は紅くなった頬を隠すように、下を向いてしまった。
照れ屋なところも、ちっとも変わらない。
頬に手を掛けて、上を向かせると、じろりと睨み返してきたが、紅い顔で睨まれても全然怖くない、どころか愛しさが増すばかりだ。
「あのなぁ、お前が嫌いだったら結婚なんかしないぞ」
「そうでしたね、僕が悪かった。苛めすぎましたかね」
「素直に謝られても、怖いじょ・・・」
「まったく難しい人ですね、僕の奥さんは」
「難しくしてんのは、お前だ!」
折角のオフを言い合いで潰すのは勿体ない。まだ膨れる悠理の手を取って、ベンチから立ち上がった。

「さて、荷物はホテルへ送ったんでしょう?これからどうします?」
「目的のココには来ちゃったしな」
「じゃあ、美味いモノでも食べに行きますか?」
「賛成!」



悠理はもう一度、桜を振り返った。
「あ・・・」
悠理に釣られて僕も振り返って見るが、風が桜の枝を揺らしているのが見えるばかりだ。
「誰か居ますか?」
「うん、さっきの男の子。女の子と一緒にありがとって手を振ってるよ」
「良かったですね」
悠理もバイバイと小さく手を振り返した。僕も手を軽く挙げる。
次に此処に来るのはいつだろう、でも必ず悠理が隣に居ることだろう。
もしかしたら、仲間達と、新しい家族と来るのかも知れない。
桜を背に、僕たちは歩き出す。

「やっぱりあの男の子、清四郎に似てる」
「おや、じゃあ未来ですかね?最初は男の子かな?」
「ふーん、あたいはどっちでもいいけどな」
「ご所望なら、今晩頑張りますけど?」
「いいっ頑張らなくていいからっ!それよりさ、美味いモノ食いに行くんだろ?」
ほら、早く!と悠理に手を引かれた。


ヒトリゴト
春企画開催おめでとうございます!!!!
クロノ設定の番外として書かせていただきました。
オカルトにもSweetにも程遠いですが、楽しく書かせていただきました。

2007/03/26



素材:white garden

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