「あっ、かわいいぞ!」

パソコンの画面に食い入るように、悠理はそれに見入っていた。

「これってお腹にチョコレートが入ってるのかな〜?」

悠理が目を凝らすのは、某有名ブランドのバレンタインベアー。ピンクのハートを持ったクマのぬいぐるみだ。だがクマのお腹がぱっくり開いて、中からチョコレートがゴロゴロ出てきたら、それはそれで怖いではないか。

断言する。天下のG社がブランド生命にかけて、そんなことをするはずがない。

「いいよなあ。アメリカでは男が女にチョコをあげるんだって。おいしいチョコ食べ放題だもんなぁ」

・・・悠理、それは何かが違う。だが、かつて男性陣3人を押しのけ、倶楽部内でバレンタインのプレゼント数第一位を誇った悠理である。僕のかわいい婚約者は、その頃のチョコ山を思い出したのだろうか。ふう、と悩ましげなため息をついた。

「その分、日本ではホワイトデーがあるでしょ?」

半ば呆れながら、読んでいた本を閉じる。

「でもチョコの方がいいもん!」

「じゃあ、ホワイトデーにはチョコをプレゼントしますよ」

そろそろ愛の確認作業に入ろうとベッドサイドの明かりに手を伸ばした時だった。

「やだ〜3月までは遠いもん。そうだ!“おいしいバレンタイン”にしてよ。お前、この間も言ったじゃん。“二人でおいしいクリスマスにしましょう”って。だから今度はバレンタインな」

左手に持っていた本がばさりと床に落ちた。振り返ると悠理はにっこりと笑いながら、期待に目を輝かせていた・・・。

 

 

 

おいしいバレンタイン

 BY だりあ様

 

 

 

 

212日−

 

「清四郎〜?」

コンピュータールームのドアを開けると、大きな椅子に座りながらコンピューターの画面を見つめている後ろ姿が見えた。

「ねえ〜清四郎ってば〜」

だけどいつまで待っても返事がない。カタカタとキーボードを打つ音が聞こえるから、決して眠っているわけではない。

「清四郎!!!」

「・・・何ですか?」

3回目の問いかけにようやく清四郎が返事をする。でもその声は不機嫌そのもの。

「聞こえてるなら、返事くらいしろよ」

ぶうたれてみても、清四郎はこちらを振り返りもしない。いつもだったら、困ったように笑いながらぽんぽんと頭を撫でてくれるのに、つまんない。

「今、ものすごく忙しいんですよ。話なら後で聞きますから」

「後でっていつ?この間だってそんなこと言って、結局間に合わなかったじゃん!」

「・・・それはすみませんでしたね。急ぎだとは知らなかったもので」

今に始まったことではないが、婚約者である仕事中毒男はよりにもよって結婚披露宴の打ち合わせをすっぽかしたのである。

「何度も言ったじゃないかぁ!」

「披露宴のメニューなんて何でも同じです。悠理が好きなのを選べばいいんですから、僕はいなくても構わなかったでしょう?」

・・・違うよ、そんなんじゃない。メニューを選ぶためだけに呼び出したわけじゃないのに。あたしは清四郎と一緒に選びたかった。どんなに小さなことでも、一緒に選んで、一緒に決めて・・・。何よりもそんな理由でもなければ、いつも仕事に走り回っている清四郎と一緒に過ごすこともできないのに。とにかくこの情緒障害男は、あたしの気持ちなんてちっともわかってくれない。腹が立つ!再びぶーっと膨れてみるものの、清四郎はあたしを見もしなかった。

「とにかく・・・今は忙しいんです。急ぎでなければ後にしてください」

「じゃあひとつだけ!14日なんだけど覚えてる?」

聞きたいのはバレンタインの約束を覚えているかどうか。それだけ確認できればよかったのだ。

「はいはい。14日の昼休みに電話しますから、その時に待ち合わせ場所を決めましょう。悠理も閑なら、たまには本でも読んだらどうです?」

清四郎は結局振り向きもせず、いかにも面倒だというふうに答えた。

 

 

ぶちっ

 

 

堪忍袋の尾が音を立てて切れた。

覚えてろ、清四郎・・・。

今度こそ絶対にぎゃふんといわせてやる!

あたしは密かに心に誓ったのである。

 

 

 

214日−

 

一秒一秒と時を刻む時計と睨めっこしながら、買ったばかりのボディクリームの蓋を開けた。甘い香りが部屋の中に漂う。全身にくまなくクリームを塗りこむと、リップクリームをつけた。昨日から今日のための準備に奔走したのだ。これで準備は万全。あとは清四郎を待つだけだ。

甘い香りに幸せを感じて、ふぅ〜と大きく息を吐いたのと同時だった。バン!と大きな音を立てて、部屋のドアが開かれる。

「悠理!どういうつもりだ?」

振り向くと、清四郎がぶるぶると震えながら青筋を立てている。予想以上の顔に一瞬怯んだけれど、平静を装って答えた。

「な、何が?」

「携帯が通じなかったんですけどね」

「ふうん」

ベッドサイドに置いた携帯を手に取り、電源を入れる。

「あ、ほんとだ。何度も電話くれたんだ」

「まさかとは思うが・・・今日の約束を忘れてたんですか?」

こめかみを揉みながら、清四郎が怒りを抑えようとしているのがわかる。

「ううん。だって“行かない”って留守電入れたじゃん。だから行かなかったの!大体、今日の昼に電話するって言ってただろ?」

「・・・僕が?いつ?」

「ほら覚えてない。あの時、あたしの話聞いてなかったもんな。話を聞くどころか、あたしの顔すら見なかった。大体、今日だってあたし何回も電話したんだからな!」

ジト目で見上げると、清四郎は微妙に目をそらしながら引きつった笑いを浮かべた。

「・・・・・・」

「この間、何を話したか覚えてないだろ?」

「・・・・・・」

「今日だってお昼に一回電話入れて、待ち合わせ場所を決めようって言ったじゃないか!」

「・・・よく覚えてますね」

「忘れるもんか!あたしは楽しみにしてたんだからな。だけど何度携帯に電話しても出ない。約束の時間になっても連絡がないから、今日の約束はキャンセル!」

相変わらず、清四郎の視線は泳いでいる。

「そんなこと言いましたか・・・」

「言った!」

ふう、とため息をついた清四郎は、いつものようにあたしの頭をポンポンと叩く。

「そりゃ確かに電話の約束は忘れてましたけどね。今日の予定を空けるために、仕事を片付けてたんじゃありませんか。・・・悪かった。悠理の好きなG社のチョコとバレンタインベアーを買ってきましたから、機嫌を直してください」

あんまり素直に謝る清四郎を訝しく思いながら、あたしはベッドに座りなおして両手を清四郎に向けて差し出した。

「はいはい」

清四郎がぎゅっと抱きしめてくれる。いや、G社のチョコがほしいんだけど。でもその心地よさは、そろそろ許してやるかと思わせるから不思議。

いやいや、まだダメ。ここで負けたら、いつもどおりになっちゃうもんな。緩む頬を慌てて引き締め、再び怒り顔を作った。

「ところで悠理・・・」

「何?」

「この部屋、やけに甘い匂いなんですけど・・・?」

「うん。チョコの匂い」

「チョコレート、作ったんですか?」

う〜ん、と唸りながら首を傾げた。

「そうだなぁ、作ったといえば作った?」

清四郎がぱちぱちと瞬きをする。自慢の頭脳をフル回転させて、色々考えてるんだろうなぁ。あたしは内心にやりと笑いながら、ジト目で見上げた。

「食べたい?」

「・・・ゆ、悠理が一生懸命作ったものなら、僕は・・・食べます!」

引きつった笑みと、その妙な言葉の間が少々不快だけど、まあいい。

「じゃあ、先にシャワー浴びてきて」

「・・・はい?シャワー?」

引きつった笑顔が崩れていく清四郎をバスルームに追いやりながら、あたしは頬が緩むのを必死に抑えていた。胸焼けするほどの甘い匂いに囲まれたら、いくら清四郎でもいつものパワーは出せないはず!むふふ、と思わず笑みが漏れる。シャワーの水音が聞こえるのを確認して、ベッドの上で雑誌を開いた。

 

〈男ゴコロをつかむ5か条〉これでアナタも恋愛の達人! 

1、まずはきっかけ作り

2、自分からよりも相手に追わせるという駆け引き

3、ムードを大切にする雰囲気作り

4、褒め上手になって、相手を引き立てる

5、柔軟性を持って、臨機応変に態度を変える

 

1のきっかけ作りは、清四郎が約束の電話を忘れたという時点で労せず達成。

2の相手に追わせる駆け引きも、今日のデートをキャンセルした時点で達成。

残るは3つ。雰囲気作りと褒め上手と臨機応変である。

とりあえず雰囲気作りのために、部屋の明かりはアロマキャンドルを残して消してみる。うん。ムーディーな雰囲気。甘い香り。そしてアルコール。・・・こんなもんか。

次は褒め上手・・・。

褒め上手・・・・・・。

む、意外に難しいな・・・。

 

 

 

半ば無理やりにバスルームに押し込まれ、やれやれと思いながらシャワーを捻った。バスルームまで甘い匂いが漂っている。

まったく“おいしいバレンタイン”にしろと言うから、必死で努力をしたんですけどねぇ。しかし約束を忘れたのは他でもない自分である。仕方ない。今日は悠理の機嫌をとらなくては。

ボディシャンプーをプッシュすると、茶色い液体。極甘な匂いが鼻をくすぐる。一瞬固まったが、今日はバレンタイン。その演出なのだろう。

だがシャンプーもリンスも、バスルームに置かれた全てのものが甘ったるいチョコレートの香りなのはどういうことだ!胸焼けがしそうなくらい、どこもかしこも甘い匂いがする・・・。

シャワーを浴びてスッキリするどころか、頭痛がしてきた。ぐったりしてバスルームを出ると、ベッドに寝転がっていた悠理が飛び起きた。

「あ、シャワー浴びた?喉渇いただろ?ビール用意したんだ♪」

悠理は嬉しそうに冷蔵庫からベルギービールを取り出すと、グラスにビールを注ぐ。こぽこぽと小気味良い音を立てながら注がれるビール。笑顔でグラスを差し出す婚約者に、僕は感動した!今なら首相の言葉を実感できる。

「はい、清四郎。飲んで!」

顔面が雪崩を起こしそうなほど嬉しかったのだが、ポーカーフェイスを誇る菊正宗清四郎。そこはぐっと堪えて、ニヒルに笑いながらグラスを受け取った。シュワシュワと白い泡が立つビールに口をつける。爽やかなビールの味が口の中に広が・・・った???

「どう?おいしい?」

わくわくと何かを期待した表情でいる悠理のお尻から、悪魔の尻尾が見えた気がした。

「・・・これ、ベルギービールですよね?」

「うん♪バレンタイン仕様なんだぞ〜。チョコ味のビール!」

口の中に広がる極甘なチョコの味と、全身から漂うチョコの香りにくらくらと眩暈がする。

「今日はバレンタインだから、アロマキャンドルもチョコの香りだし、ボディシャンプーもシャンプーもリンスもボディクリームもリップクリームもチョコの香りなんだ。パックもチョコの香りだったんだぞ」

・・・ああ、悠理。気持ちは嬉しい。きっと僕と過ごす“おいしいバレンタイン”のために努力してくれたんですよね?

「で、これがあたしからのチョコ!棒つきチョコ。かわいいだろ?」

極めつけは特大チュッ○チャップス型のチョコレート。チョコ部分はいよかんくらいの大きさがある。にこにこと棒つきチョコを差し出す悠理の笑顔に、僕は凍りついた。

 

 

 

しめしめ。

いよかん大チュッ○チャップス型のチョコを手に、明らかに清四郎は弱っていた。いつもここらで清四郎の思う壺になっちゃうからな、今日こそは主導権を奪還せねば!

まずは“褒め上手”だよな。

「清四郎って、あたしのことよくわかってるよな。さっきG社のチョコ買ってきたって言ってたじゃん。あたしG社のチョコが一番好きなんだ♪どこ?やっぱり男からもプレゼントが貰えるバレンタインの方がいいよなっ」

「・・・・・・」

清四郎は何かを考え込んだまま、じっとこちらを見つめていた。何か覚えのある目つき・・・。嫌な予感がした。

「ふむ。こちらからプレゼントする前に、まず悠理からチョコレートを貰わないといけませんね」

「い、今あげたじゃん!ほらそれ、棒つきのチョコ・・・」

答え終わる前に、ベッドに押し倒されていた。

「うぎゃ〜!!!」

「色気のない・・・まずは悠理のチョコから戴きましょうか。そのために全身チョコの香りにしたんでしょ?」

「ちっがーう!」

清四郎は嬉しそうに笑った。

「僕は悠理のことをよくわかってるんでしょ?悠理も僕のことをよくわかってますよね?」

「そりゃそうだけど、って待て!うわぁ、脱がすなぁ〜!!!」

あたしの褒め言葉は、清四郎をすっかり「やる気」にさせただけだった・・・。

 

 

「んっ!あ、ちょっと待てってば!」

「はいはい、わかってますよ」

「・・・ねぇ、あたしのチョコは?」

「ありますよ」

「食べたい〜」

「こっちが先です。チョコは腐りません」

「チョコ〜〜〜!!!」

 

 

またしてもいつもと同じ展開・・・。

あたしの主導権奪還計画も水の泡。

いつもいつも清四郎の思う壺

だけど・・・。

もしかして、これって5つ目の“臨機応変”?

 

 

「おいしかったでしょ?」

「チョコが?」

「違いますよ、僕が、です」

「さぁな、知〜らない!」

 

 

ご機嫌な清四郎が背中で笑いをかみ殺している。その笑いに気づかぬふりをしながら、大好物のチョコを口に放り込んだ。

ベッドサイドには、清四郎が買ってきてくれたクマのぬいぐるみ。

ピンクのハートを抱えたバレンタインベアーがちょこんと座っていた。

 

甘い香りに包まれて、ハッピーバレンタイン♪

 

 

 

 

おわり

 


 たまにはかわいい清×悠が書きたかったのに、なぜか微妙な方向に・・・。

書き終わるまではバレンタイン企画に足を踏み入れぬと心に決め()妙なテンションのまま書き上げてしまいました。ギャグにもラブラブにも転がれぬ中途半端なお馬鹿でいいのだろうか・・・と今頭が禿げ上がるほど悩んでいます。

だりあ

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