月曜日の放課後、久々に全員が部室にそろった。 「ヨーロッパはどうだった?」 「ええ、雑用と使い走りで疲れましたよ。親父も身内だと人使いが荒くなりますからね。」 「そっか、お疲れさん。」 「学校の方はどうでしたか?何かありましたか?」 「いや、特には・・・」 清四郎と魅録は留守中のことを報告しあっていた。
難しい顔でチョコレートを頬張っている悠理に美童が声をかける。 「あれ、どしたの?また難しい顔して。 お探しの歌は見つからなかったのかい?」 「ああ、あれね。見つかったと言えば見つかったかな。」 「見つかったんだ、やっぱりブラックルシアンだったの? じゃあ今度はどうしたの?そんな顔して。」
「ん?ああ、ちょっとね。・・・」 美童は悠理になんだか歯切れの悪さを感じたが、メールの着信に気をそらされた。
昨日はほっとして眠ってしまったが、悠理は昨夜発見した事実に戸惑っていた。ここのところの自分の行動を思い返す。
あたいが探してたのは・・・。 あんなに必死になって探してたのが清四郎の声だったなんて。 あいつの声を聞けて嬉しかったなんて。
あいつがいない間、いじわるされたり、いつものイヤミ聞かされなくて、せいせいしてるって思ってたのに。
なんでだろ。 あんな意地悪で、イヤミ大魔王で、人の弱みに付け込んでばかりで、いばってばかりな、やなやつなのに。 あたいのことなんてペットかオモチャとしか思ってないやつなのに。
でも。 元気が無かったり、顔色が悪かったりすると真っ先に気付いて心配してくれる。 あたいが危ない目にあった時は、必ず助けに来てくれる。 人の弱みに付け込むのも、そうするのはほとんど他人の為。 最善の方法を取る為に、悪役を買っている事もある。 味方にすればこれ以上ないって言うくらい頼りになる。 勉強だって、こんな出来の悪い生徒を根気強く面倒見てくれる。 清四郎に見離されたらきっとまた留年だ。
それに。 「よしよし。」そう言って頭をなでてくれるあの手は、なんであんなに優しいんだろう。自分が小さな子供になったみたいで、なんだか安心する。 いつも、清四郎にからかわれて怒ってばかりだけど、それでもそばに居続けた。 何かあれば清四郎を頼って、背中に縋りついた。
清四郎の話す声が聞こえる。 それだけで嬉しい。 やっぱ、好き、なのかな? そんなことを考えていたら、胸がドキドキしてきた。
「悠理、課題はどのくらい終ってるんですか?」 考えていた相手に急に話しかけられ、チョコがつかえる。 「ぐっ、カハッ・・・、カハッ・・」 「あ〜あ、何やってんの。」 可憐が背中をさすりながら紅茶の入ったカップを手渡してくれる。
「後ろめたいからむせるんですのよ。ほとんどやってないみたいですものね。」 野梨子が代わりに答える。 「ま、予想はしてましたからいいですよ。じゃ、それ食べ終ったら帰りますよ。」
清四郎に話しかけられただけで、嬉しいような恥ずかしいような戸惑いを感じ、顔が赤くなるような気がしたが、回りはむせたからと思ってくれただろう。 「ん。」小さく返事をして紅茶をがぶ飲みした。
野梨子が清四郎に、不在の間に発表になった試験範囲を教えている。清四郎にとっちゃ試験範囲がどこだろうと関係ないだろう。 なんでも出来るすごいやつだし。
清四郎を見ているとドキドキする自分がいる。 でも野梨子と話している清四郎を見るとそのドキドキがズキズキに変わる。
そうだ。 清四郎には野梨子がいる。 いつも一緒にいて、お互いを良く知っている。似合いの一対。 二人の間には見えない絆が確かに存在する。
胸のあたりが、さっきからドキドキとズキズキを繰り返している。 所詮あたいと清四郎は、孫悟空とお釈迦様、ペットと主人。 清四郎はあたいのことを女と思ってないし。
やっぱり清四郎が好きなのは野梨子なんだろうな。 綺麗で、頭も良くて、女らしい野梨子。 見かけによらず、芯が強くて、怒らせると誰よりも恐い。
いつだったか、野梨子が裕也を気に掛けた時、あからさまに不機嫌になってたよな。 逆に裕也が金沢に帰る時は満面の笑みだったし。 野梨子だったらどこに出しても恥ずかしいなんてことは無い。 あたいと婚約したのは剣菱の経営者になりたかったから。 あたいは単なるおまけ。
こんな気持ち、気がつかなきゃよかった。 こんなこと今までなかったから、どうしていいか解らない。 あいつと一緒にいたい。でも野梨子と一緒の姿を見るのはつらい。 食べたチョコが胸にどんどんつかえて溜まっていくようだ。
メールを送信し終わった美童があたいの前にきた。 「どうしたの?元気ないね。僕の分のチョコあげようか?」 美童が手付かずのチョコを差し出してくれたけど、あたいはもう食べれなかった。 「ううん、いらない。ありがと。」 優しくされると、涙が出そうになる。 「どっ、どうしたんだよ、悠理。お前が食べ物いらないなんて。 またお化けでも出たんじゃないよね? おまけに涙目になってるじゃないか。 清四郎!悠理の様子が変なんだ。」 美童の声にみんなが振り返る。
「どうしたんですか?」 清四郎がそう言いながら背後に立ち、後ろから顔を覗き込む。 「顔が赤いですね。熱でもあるんですか?」 後ろから大きな手が額にあてられた。
「ちょっと熱いですね。」 なんか頬が熱くなる。だめだ、顔に出しちゃ。 ごまかさなきゃ、こいつには隠し事が出来ないんだから。
「あ、あたい調子悪いから帰る。勉強は明日からな。」 そう言って鞄をつかみ部室を飛び出した。
家に着くと五代が出迎えた。 「お帰りなさいませ、嬢ちゃま。今日はお早いですね。 今、おやつをお持ちします。」 「いい、いらない。」 「ど、どうなさいました?お体の具合でも?」 「おやつは学校で食ってきた。眠いから寝る。」 そう言い残し部屋へと上がって行った。
部屋に戻り、鞄をソファに置き、バタリとベッドに突っ伏した。 何もする気になれない。 あたいはどうしたらいい?
どうしようもない。 解ってる。 清四郎には野梨子がいる。
いいんだ。 あたいに恋なんて似合わない。 想いが通じなくてもせめて仲間として、一緒にいたい。 いつか、あたいが清四郎から卒業できる日まで。
*****
目が覚めると、窓の外はもう薄闇。 ああ、制服のまま寝ちゃったんだ。 あれ、毛布が掛けてある。誰か掛けてくれたんだな。 「んーーー。」 大きく伸びをした。
「熱があるっていうのに、何も掛けないで寝るなんて、もう少し自分の体を労わったらどうですか?」 今、聞くことがありえない声が聞こえてきて飛び起きた。 部屋を見回すと、壁際のソファに清四郎が足を組んで座っていた。部屋の明かりは清四郎の横のランプだけ。 「せ、清四郎。なんでいんの?」
清四郎がゆっくりと立ち上がり、明かりをつけながら歩いてくる。 「調子が悪そうだったから、薬をいくつか持ってきたんですけど、 部屋をのぞいたら、制服のまま掛け布団の上に寝てるし・・・。 メイドさんに頼んで、毛布をもらってきたんですよ。」 この毛布、清四郎が掛けてくれたんだ。 「あ、ありがと。」
「帰ってすぐ寝たようですね。そのかっこじゃ。 2時間ぐらいですかね、寝てたのは。どうですか?具合は? 一応、風邪薬と解熱剤とお腹の薬を持って来ましたけど・・・。」 そう言ってあたいの額に手を当てる。 清四郎の手が冷たくて気持ちいい。 「思ったほど熱はないですね。眠ったのが良かったのかな。 具合は?大丈夫ですか?」 「ん、もう平気。」
清四郎が熱を測った手でそのままぼさぼさになった頭を梳いてくれる。 嬉しいけど、ちょっと悲しい。 自分の心を持て余す。 そばにいたい、でもいられない。 こんなに近くにいたら、離れるのが余計につらくなる。 ぷいっと清四郎から顔をそらした。 清四郎の手がそのまま宙に浮く。
一つ溜息をつき清四郎がベッドの縁に腰掛けた。 「悠理が今日、帰ってしまった後、みんなに聞いたんですけど、先週から元気が無かったそうですね。 昨日の電話でもちょっとおかしかったし・・・。 何かありましたか? 探している歌があることは聞きました。 美童の話では見つかったということでしたが・・・。」
今日はあたいの涙腺はおかしい。清四郎と話しているだけで、目が潤んでくる。見られたくなくて下を向いて話す。 「うん見つかったよ。とっても大事なもの。」 「そうですか・・・。 じゃあ、元気が無いのはそのせいじゃないんですね。」 あたいは何を言っても涙がこぼれそうな気がして、黙っていた。
「僕も今回のヨーロッパの旅で大事なものを見つけましたよ。 この2週間、親父にこき使われて忙しかったんですけど、なんかもの足りなさを感じる事が多かったんですよ。ま、前回ヨーロッパに行ったのは就学旅行でしたし、あの時は大変でしたからね。」 世間話でもするように清四郎が話し出した。 「今更ですけど、倶楽部のみんなと過ごすのは本当に大切な時間だし、生涯付き合っていける大事な仲間だと思いましたよ。」
「ふーん・・・。」 あたいのことも大事な仲間だと思ってくれるなら、それで十分だ・・・。 「それと、僕にとって大事な人がいる事に気が付きました。いつも一緒にいる時は感じないのに、離れてみて初めて気が付くなんてね。こんな感情は初めてなんで、どうしたらいいか解らなかったんですが・・・。」
いつも一緒にいる『大事な人』? 野梨子のこと・・・か・・・。 もしかして清四郎はあたいの気持ちに気付いていて、遠まわしに望みが無いと言いたいのかな・・・。何でもお見通しの清四郎のことだもんな・・・。
「悠理、卒業するまで勉強を見る約束をしてましたけど、 その期間を延長したいと思ってるんですけど。」 突然、話が方向転換したので、あたいはびっくりして顔をあげた。 延長?延長って延ばすってことだよな。
「えっ、何?急に・・・。 それって高校卒業して、大学に行ってもってこと?」 大学部に行ったら清四郎は今よりも更に忙しくなるだろうに。 それでも? スパルタはいやだけど、何よりその分一緒にいられる。 どんな家庭教師より清四郎に教えてもらった方がずっといい。 でも、野梨子が清四郎と付き合うようになったら、近くにいるのはつらいだろうな・・・。 あたいは受けたらいいのか、断ったらいいのか考えていた。
「ええ、大学ももちろんですが、その先もね。」 なんだ、それ。 「あたい、大学卒業できたらもう勉強なんてしないぞ。」 清四郎はくすくすと笑いながら言う。 「解ってますよ。勉強だけでなくその他の事もずっと面倒見たいと思ってます。」 ??? 「それってどういう意味?」
「ずっとお前のそばにいたいと思ってます。 できれば、一番近い場所で。」 倶楽部の仲間とは何があろうと、一生つるんでいると思う。 でも、一番近いって?
清四郎は真っ直ぐあたいの顔を見た。 あたいは目を逸らしたいのに、まるで催眠術にかけられたように、清四郎から目が逸らせない。 「お前が好きだから、ずっとそばにいたいんです。」
「へっ?」 あたいは口を開けたまま清四郎を見返した。 清四郎が言ったことを、ゆっくりと頭の中で繰り返す。 清四郎があたいを好き?野梨子じゃなくて? いや、ペットとして?オモチャとして? それとも、からかったりとか冗談とか? 「それ、なんかの冗談?」 「いえ、本気です。」 真っ直ぐにあたいに向い、口を少し引き結んでいる。 ああいう表情の時は本気だ。
「この2週間で、大事な人を見つけたって話はしましたよね。 それに気付いたのは、なにか物足りないと感じたことからだったんですけど。 それはお前がそばにいないことだと気付いたんです。」
あたいが感じていたことを、清四郎も同じように思っていたっていうこと?
「悠理は・・・、 僕のこと、どう思ってるのか聞いてもいいですか?」
嬉しい、けどこの後どうしたらいいのか解らない。 こういうのって、なんて言ったらいいんだ? 『好き』って言えばいいのか? そんな恥ずかしいこと言えない。あたいのガラじゃない。 でも、どう思っているんですか?って聞かれたら、 その返事は一つしかないんだけどさ・・・。 「んと、えっと、あのさ・・・」 じっと見つめる清四郎のまっすぐな瞳が逃げることを許さない。
心臓がバクバク音をたてている。 「あたいは・・・」 頭に血が上ってきて、頬がまた熱を持ったような気がする。 意を決して口を開いた。 「さ・・、さ行3段目、か行2段目。」 あたいは早口言葉を言うように一気に言った。
清四郎の顔が一瞬きょとんとした顔になった、と思った途端吹き出した。 「ぷーっ、くっくっくっ・・。」 「なんだよ、やっぱからかってたのかよ。」 あたいが振り上げた手を清四郎が受け止める。 「違います。僕は本気だってちゃんと言ったでしょう? いや、なんだか、言い方が悠理らしいと思って。 昨日、悠理が電話を掛けてきてくれた時に、もしかしたらと思ったんですが。ちゃんと悠理の口から聞けて、安心しました。」 やっぱり、あたいの気持ちなんかお見通しだったって訳ね・・・。
「それは僕と同じ気持ちだっていうことですよね。 悠理、・・・僕の恋人になってくれますか?」 「・・・うん・・・・。」 清四郎は掴んだ手を引き寄せ、そっとあたいを抱きしめた。 「ありがとう。嬉しいですよ。」
しばらくそうしていたのだが、ふっと腕の力を緩めると、 「さて、じゃあ、夕飯食べたら、早速勉強始めましょうか? 一緒に大学部に行きましょうね。」 と、家庭教師から恋人になったはずの男はにこやかに言った。
終り
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