4.
滝のそばの岩風呂では魅録と美童がのんびりと温泉に浸かっていた。 「マイナスイオンを浴びながら、温泉に入れて、おまけに森林浴までできて、ホントここ良いところだよね・・・。」 美童はすっかりご満悦だ。
そこへ可憐と野梨子がやってきた。 「悠理はどこかしら?」 全てのお風呂を制覇すると意気込んでいた悠理は可憐や野梨子とは別行動になってしまった。 「悠理なら穴風呂に行ったぜ。清四郎と一緒だと思うけど。」 「あら、そう。二人一緒なのね。」 んふふ、と笑う可憐に魅録が不思議そうな顔をする。 「そういえば、昨日からあの二人に対して、態度が変だよな。美童も可憐も。 一体どういうことなんだ?」 野梨子も不思議そうな顔をしている。
美童と可憐が顔を見合わせた。 「うーん、まだ確信は無いんだけど、最近の清四郎って悠理のこと、随分気にかけてるなあって思ってさ。」 「そうなのよね。以前のようなペット扱いとは変わったような気がするんだけど・・・。」 「そ、そうかあ?」 仲間内で一番恋愛に縁遠いと思っていた二人の話だけに、魅録はにわかには信じられない。 「そうなんですの?」 野梨子も半信半疑といった感じだ。
その時、急に雨が降り出した。 あんなに晴れていたのに、いや、まだ晴れているのにだ。 お天気雨とはいえ、結構なその量に他のお客さん達が引き上げて行く。 皆も近くの屋根のあるお風呂に避難した。
そこへ清四郎が現れた。 「悠理、来ませんでしたか?」 魅録は首を振る。 「なんだよ、一緒じゃなかったのか?」 「ええ、ついさっきまで。 穴風呂から出て、こちらに来てるかと思ったんですが・・・。」 あたりを見回すが、それらしい人影は無い。雨のせいで外にいた人はほとんど館内へと避難している。
「ねえ!あれ、悠理じゃない?」 突然可憐が滝の方を指差し叫んだ。 見ると、悠理が滝口に張り出した崖の方へふらふらと登って行く。 その様子は心ここに在らず、といった感じだ。 「なんかちょっとヤバくないか?」 「そうですね。」 言いながら清四郎は走りだした。 魅録は崖下に向かう。美童もその後を追った。 その間にも悠理は覚束ない足取りで登っていく。 「悠理、危ないわよ!戻りなさい。」 可憐が叫ぶが悠理には聞こえていないようだ。 そうこうしている内に悠理は滝口の近くまで行ってしまった。 崖っぷちに立ち、両手を前に差し出す。 見ると滝の対岸のあたりに、異様なほどまとまった霧が発生していた。 悠理の足は止まっていたが、両手を前に出したため、体がふらつく。 「きゃー!!」 「悠理!」 可憐も野梨子も正視できず、手で顔を覆う。
が、間一髪、清四郎が間に合った。 悠理の腹に手を回し、横にさらうように抱き寄せる。 狭い崖の上、抱き寄せた勢いで後ろの岩壁に当たった。
ほっと息をつく清四郎、しかし、悠理はまだ前を目指し、手を差し出している。 「・・・・・・・・行かなきゃ・・。」 うわごとのようなつぶやきを清四郎が聞きとがめる。 「どこへ行こうって言うんですか。」 「・・・・あの人の所へ・・・」 対岸を目指し、真っ直ぐに手を伸ばす悠理。
「悠理!目を覚ませ!」 「・・行く・・・」 「だめだ!悠理、行くな!」 清四郎は悠理を抱く腕に力を込めた。
(「どこにも行かせない!」)
清四郎が強く思った瞬間、悠理の体から強ばりが無くなった。 頭を垂れ脱力した体の重みが清四郎にかかる。 霊感の無い清四郎にも何かが悠理の体から抜け出たような気配を感じた。 対岸に発生した霧がまるで意志を持っているかのように、こちらへと近づいてきた。 「う・・ん・・・」 悠理の意識が戻ってくる。 「悠理、悠理、分かりますか?」 「うん?清四郎?え?なに?」
「悠理、あれ。」 抱き締めた手を緩めないまま、あごで前方を指し示す。 まだはっきりしない意識の中、悠理が前方に目を向ける。 そこには霧がまるで手を広げるように、広がっていた。 それはやがて何かを包み込むように一つにまとまり、ゆっくりと螺旋を描くように空へと上がっていった。 滝の下で、はらはらと様子を見ていた魅録と美童も、目をこすりながらその光景に見入っていた。
「狐の嫁入りだあ・・・。」 悠理が漏らした言葉。 清四郎はなるほどと合点がいった。 先程までは霧に紛れて気付かなかったが、滝の対岸に、昨日海岸で見たのと同じようなほこらが見えた。
眩しい陽の光と雨の中、霧のかたまりが空へ消えるのをじっと見守った。 上を向いた顔に雨粒が落ちる。 その冷たさに悠理はゆっくりと現実に引き戻り、ようやく状況を把握した。 水着を着ているとはいえ、清四郎の両腕ががっしりと悠理の前に回されている。 筋肉質の腕に囲われ、背中には清四郎の鍛えられた腹筋の堅さを直に感じる。 「わっ、なんだよ清四郎。」 清四郎の腕から逃れようと身を捩った。 が、清四郎の腕は逆に力を増す。 「悠理、前を見ろ。」 「へっ。」 清四郎の腕に手を添え、前を見る。と、そこにあるはずの地面が無い。 恐る恐る下を覗くと、滝壺が見え、自分が崖のような所に立っているのが理解できた。 「わわっ!」 悠理の足がすくむ。
清四郎は悠理を抱き締めたまま少しずつ後退し、安全な場所まで来ると、悠理を解放した。 力の入らない悠理はその場にヘナヘナと座りこんでしまった。 「あたい、また憑かれたんだな。」 茫然自失でつぶやく悠理の横に清四郎がしゃがみこむ。 「多分、昨日のお稲荷さんですよ。 あの海岸にあったお稲荷さんは、あそこに見えるお稲荷さんのところに来たかったんでしょうね。」 悠理がぼーっと対岸を見上げる。 確かに昨日海岸で見たのと同じような鳥居とほこらがあった。
「大丈夫ですか? さ、みんなが心配してるから戻りましょう。歩けますか?」 清四郎は悠理の頭に手を乗せ顔を覗きこむ。 「・・うん。」
坂を下り始めた清四郎の後を悠理はついていく。 清四郎の後を歩きながら、悠理の視界に赤いものがちらついた。 何気なく前を見ると、清四郎の右の肩甲骨の辺りがひどい擦り傷になっていて、赤く腫れ血が流れている。 「せ、清四郎! そこ! 肩のとこ、血が出てるぞ。」 「え、そうですか。どうりでチクチクすると思った。」 清四郎は自分の肩ごしに振り返って答える。 「何言ってんだよ、チクチクするとかのレベルじゃないぞ。」 「切れてますか?さっき岩にぶつけたからその時に切れたんでしょう。」 悠理がはっとした顔をする。 「・・・ごめん、あたいの為に。」 「別に取り憑かれたのは悠理のせいじゃないでしょ。大した傷じゃないし、そんなに痛みもないですから。」 「でも・・・」 「大丈夫ですから、気にしないで下さい。」
皆の所に戻ると可憐が悠理に抱きついた。 「良かった〜、悠理。」 「心配しましたわ。」 野梨子が悠理の手をぎゅっと握った。
まだ、お天気雨は続いていたので、とりあえず部屋へ戻った。 魅録が車から救急箱を取り出してくる。 まだ血が止まらない傷口を野梨子が手際良く消毒する。 清四郎は表情を変えないが、背筋の緊張がその痛みを伝える。 「痛い?」 心配そうな悠理に清四郎は笑って見せる。 「このくらいの傷、大したこと無いって言ったでしょう、大丈夫ですよ。」 傷は擦ったためか、かなり広範囲にわたってしまい、絆創膏で貼りきれなかったので、ガーゼをのせテープを貼った。 手当てを終えた清四郎が衣服を整える。
「それで一体何が起こったんだ?」 皆が落ち着いたのを見計らって魅録が口火を切った。皆の視線が悠理と清四郎に集中する。 「僕にも良く分からなかったんですが、多分悠理に憑いてた“何か”が、滝の向こう側にある“何か”のもとへ行ったのでしょう。」 清四郎が悠理を見やる。 「えっ、清四郎も皆もあれが見えなかったの?」 悠理はなんでこんなことも分からないの?とでも言いたげだ。
「しょうがないですよ。みんなお前さんのように霊感が有るわけじゃないですからね。おそらく、皆が見ることができたのは、霧が渦を巻きながら空に上がっていった光景くらいでしょう。」 清四郎は皆を見回しながら言った。皆も頷いている。 「へー、そうだったんだ。あたいが見たのもそれとそう変わんないんだけど、その霧の中に2匹の狐がいたんだ。 会えたことを喜んでるみたいでさ、それで2匹で空に昇ってっちゃったんだ。」
皆は昨晩の事を思い出し、納得顔だ。 「やっぱりね〜。狐だったんだ。」 可憐の言葉に悠理は怪訝そうな顔をした。 「な、なんだよ。やっぱりって。」 皆は顔を見合わせた。清四郎が説明を始める。 「昨晩、お前の様子が変だったんですよ。 夜食に出てきたお稲荷さんを手掴みで一心不乱に食べたり、皆の声も耳に入ってないようでね。 夜中には美童の髪に頬擦りしてましたしね。」 「えっ、そうだったの?」 「ええ。 これは推測ですが、つがいのお稲荷さんが何らかの理由で別々の場所に奉納されたんでしょう。 一緒になりたい気持ちから悠理に憑いたんだと思いますよ。 かなり古いものでしたし、誰も管理していないようなので、確かめるのは難しいですがね。」 「なんで皆、言ってくれなかったのさ!」 悠理は一人のけ者にされたようで機嫌が悪くなった。 「いや、今朝の様子でもう大丈夫かと思って、かえって恐がらせるのも何なんで言わなかったんです。」 「でもさ・・・。」 「だから、今日は俺か清四郎がなるべくそばにいただろ?」 魅録が宥めるように言うと、悠理がほんの少しがっかりしたような表情になった。 「え・・・、なんだ、見張ってたのかよー・・・。」 そんな悠理の表情に気付いた美童と可憐は、顔を見合わせ微笑んだ。 「まあまあ。 悠理のおかげであのお稲荷さん達も思いを遂げられたんですし、良いことをしたと思いましょう。」 「ん、そだな。」 清四郎にそう言われ、悠理もやっと機嫌を直した。
ホテルから出ると、もうすっかり雨も上がっていた。 「わ、見て、虹よ。」 可憐の声にみんなが空を見上げる。 真っ青な空に、色も鮮やかな虹がかかっていた。 「おっすげえな。」 「うわっ、こんなきれいな虹、久々に見たよ。」 「本当ですわね。こんなにくっきりと見えるのも珍しいですわ。」 「“狐の嫁入り”のおかげですね。」 「うーん、そっか。あの狐たちからのお礼かもしんないな。」 あんな経験をした後では、そんなこともあるかなと思ってしまう。 6人はしばらくの間、虹に見入っていた。
帰りの車に乗りこむ時、清四郎はそれまでと違い3列目の右側の席に座り、悠理に向かって手招きをする。 「悠理、ちょっと。」 と、隣の席に悠理を呼び座らせる。 「後ろに寄り掛かると、傷が痛むんですよね。」 そう言いながら、悠理の膝に己の頭を乗せた。 「な、なに・・・。」 悠理はびっくりして両手を振り上げたが、何もできず、何も文句は言わず、ましてや清四郎の頭を落とすようなことも無かった。 挙動不審だった両手は居心地が悪そうに両脇に下ろされた。
運転席には魅録、助手席には野梨子。 (「やっぱり三四郎島の言い伝えは本当だったのかしらね。」) 美童と可憐が含み笑いをしながら、2列目の席に座る。
清四郎は車に揺られながら、昨夜のことや悠理が崖から落ちそうになった時のことを思い出していた。 何だか不思議な感情に支配された。 こうして悠理の膝枕と、それを拒絶しない悠理を嬉しく思う自分がいる。 美童や可憐の意味深な視線も構うもんかという気持ちだ。 東京へ戻るまでに、この不思議な感情の答は出そうな気がした。
owari
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