「ブルースター」

 

「え〜!」
と言う悠理の声は、誰が聞いても「不満」と言う文字を思い起こさせるものだった。
その表情も眉間には縦ジワが寄っている。
「え〜!じゃないわよ。あんたこんなの一着も持ってないでしょ。これからはこういうのも必要になってくるのよっ!」
とコチラも負けず劣らず、その美しい表情に怒気をはらんだ可憐が、一着の真っ白なドレスを目の前の不満顔に押し付けた。
「そうですわよ、悠理。仮にも人妻になるんですのよ。今までみたいなモノばかり着る訳にもまいりませんわよ」
「仮にもって・・・」
ぶつくさ言う悠理は不貞腐れているからと言うより、その響きに照れているらしい。
その証拠に先ほどまでの縦ジワは消え、その代わりに頬がほんのり紅く染まっている。
野梨子の言う通り、悠理はもう時期人妻となる。
周りに釈迦と孫悟空だ、飼い主とペットだと言われた、釈迦であり、飼い主である片割れの。
その片割れである清四郎は、魅録や美童と何処だかに行くと言っていた。
コチラが女性陣で固まるのなら、自分達も、と言うことだろう。

式までもう後一ヶ月を残すのみとなったふたりにとって今日は、独身生活の内でみんなと会える最後の休日だった。
式の日取りが決まってからの今までも、そして明日からも式の準備に追われる生活は当日まで続いている。
何よりも悠理の母である百合子が異様なまでの盛り上がりを見せており、悠理はこれまで散々ウエディングドレスを初めとした種々様々なドレスの類の着せ替え人形となっていたのだ。
だからこそ、可憐の勧める真っ白なそのドレスに、シンプルすぎるデザインだけでなくその経験から必要以上に顔を歪ませていた。

「とにかく着てみさないよ。普段着ないモノって偶に着てみると、意外な発見があるのよ」
清四郎のことを出した途端、表情が明るくなった悠理を、ここぞとばかりに試着室へと押し込む。
「そうですわ。着てみるだけでも、着て見せてくださいな」
野梨子もにっこり微笑むと、悠理は肩を落とし、「要らないからな」と捨て台詞を残して、試着室へと消えた。
ドアが閉まった瞬間、野梨子と可憐は顔を見合わせにやりと微笑んだ。

「どぉ〜?」
物音の止まった試着室のドアに耳を近づけて、可憐が嬉々とした表情で悠理に問う。
しかし返事は帰ってこず、野梨子と顔を見合わせると、「開けるわよ」と周りに人がいないことを確かめて、ゆっくりとそのドアノブに手をかけた。
「悠理?どうしましたの?」
野梨子が顔を覗かせると、眼に入ったのはそのドレスに負けないほどの真っ白の背中、そこから上品に伸びる、シルクの光沢。
そして、ほんのり染まった鏡越しの紅い頬だった。

「悠理・・・」
言葉をなくした野梨子に可憐も覗きこむ。
「な、何だよお。やっぱりあたいこういうの似合わないって」
何も言わない友人ふたりに悠理はドアが開いていることも構わず早くも脱ごうとしている。
それを止めたのは、先に我に帰った可憐だった。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ちなさい!いいわ!あんた似あってる、ううん、似合ってるなんてもんじゃないわよ!」
興奮したようにまくし立てる可憐は「正面から見せて」と悠理の肩を掴むと、向きなおさせ、後ずさる様に離れながらその全体を眺めた。

敢えて、全くなんの装飾もないこのドレスを着せてみた。
たった一つのアクセントは首に回ったパールの付いたチョーカーのみ。
強いて例えるなら雪の白ではなく、光の白を思い起こさせるその色。
いつも派手で奇抜なものを選ぶ悠理の趣味からは絶対に選択し得ない、シンプルなライン。
しかし、そのシンプルさがかえって悠理の華やかさを惹き出していた。
「綺麗ですわ、悠理」
感嘆の嘆息と共に野梨子が頬を染める。
当の悠理は何もないそのドレスに心元なさげに、腕を上げたり、広がる布地を引っ張ったりしている。
これではまるで、最近毎日のように着せられていたものと同じ類ではないか、と何やら妙に感動している二人に気付かれないように、溜息をついた。
「なぁ、もういいだろ。脱ぐからな」
一体これが人妻になるのとどういう関係があると言うのか。
確かにこれからのパーティーの類は清四郎と共に、その傍らで彼の妻として紹介され、彼を自分の夫として紹介する事になるだろう。
だからこそ、これからはいつものような服装ではまずいと、母親からも言われた事がある。
そういうことなのだろうと思うと、二人がこのような自分の趣味とは全くかけ離れたところにあるドレスを選んだ気持ちもわからなくはないのだが。
何もこの色でなくても・・・。
悠理は鏡と実際の自分を代わる代わる眺めては、ウットリとしている親友二人に、なんだか恥ずかしさも相俟っていたたまれない気持ちになった。
「なぁ」
ともう一度声をかける。
「いいじゃない、もっと見せてよ。当日はこんなにゆっくりとまじまじみる事なんて出来ないんだし」
その言葉に、悠理は、あぁそれでか、ともう一つの理由に思い当たった。
二人が選んだこの色にはそういう意味も込められていたのか、と。
悠理と清四郎の結婚式は、当然のように半端じゃないほど派手になる。
国内は元より、万作や百合子の親友を初めとした各国の要人達がふたりを取り囲む事になるだろう。
それでも有閑倶楽部のメンバー達は特別であり、誰よりも近くでふたりを見守る予定になっている。
だが恐らく、ゆっくりと話せる機会も間近でその幸せを分かち合う時間もそうは取れないだろうと、悠理もわかっていた。
誰よりも祝福して欲しいメンバー達にかえって気を使わせてしまう結果になるだろうその式を、今まで叩きこまれてきた段取りなどの多忙さからも感じ取っていた。

「なんて顔してんのよ。せっかくのドレスが台無しじゃない」
知らず知らずのうちに、曇っていた表情の悠理の背を可憐がパシンと叩く。
「ゴメンな」
ポツリと漏らしたその言葉に、野梨子が微笑んだ。
「素敵ですわよ、悠理。笑ってくださいな」
「そんな顔、あんたらしくないわよ」
二人の言葉に、「そうだな」と悠理はへへっと笑って見せた。
その時だった。

「お、お、お嬢様〜!!」
"こけつまろびつ"と言う言葉がぴたりと当てはまるような慌て様で、表に待たせておいた運転手がその店に駆け込んできた。
剣菱家の運転手を勤める彼は、大概の事に慣れてしまい何があっても顔色を変える事はほとんどない。
その彼が顔面蒼白もいい処といった風で駆け込んできたのだ。
三人は顔を見合わせた。
「なんだよ。なに慌ててんのさ」
悠理は一歩前にでると、肩で息をつく運転手の顔を覗きこんだ。
「そ、それが・・・清四郎様が、拉致されたと・・・」
「は?」
顔色悪く言いよどむ運転手に、これでもかと言うほど悠理は間抜けな顔と声で返した。
「拉致?」
横で聞いていた可憐と野梨子も、顔を見合わせている。
「なに言ってんの?拉致って・・・。拉致ってあれだろ?誘拐されるって事だろ?」
怪訝な顔で運転手を見つめる悠理は、その青ざめた顔に更に首を捻って応えた。
「先ほど五代様から御連絡がありまして。清四郎様がお屋敷を出た直後、不審な車に連れ込まれた、と・・・」
確かに清四郎は自分達よりも遅くに出かけると言っていた。そうちょうど今時分だ、と悠理は店にかかる時計を見て思った。
「嘘だろ。・・・なんだよ、それ。そんな冗談・・・」
「お嬢様・・・」
「本当ですの?なにかの間違いでは」
「私もそう信じとうございます。しかし、五代様が・・・」
不意によろけた悠理の身体を可憐が慌てて抱き止めた。
「悠理、しっかりしなさい」
「清四郎・・・」
悠理はその名を呟くと、運転手を押しのけ、表に飛び出して行った。
「悠理!」

「どうしよう。どうしたらいい・・・。魅録?時宗のおっちゃん?・・・あいつ、なんで?」
剣菱邸に向かう車の中で悠理は祈るように両手を固く握り締め可憐に身体を抱え込まれていた。
「大丈夫よ、悠理。あいつに何かある訳ないじゃない。そうでしょ」
優しく諭すようなその言葉も、今は悠理の耳には届いていなかった。
店を飛び出した悠理は、そのままの恰好で人込みを掻き分けるように走り出していた。
それを慌てて追いかけ、尚も先を急ごうとするその身体を無理やり車に乗せたのだ。
「悠理、あなたがしっかりしなくてどうしますの!」
野梨子の声に悠理の体がビクリと、揺れる。
「そうよ、考えてもみなさい。あの清四郎がただ大人しく拉致られると思ってんの?!あいつの事よ今じゃもう犯人ぶちのめして逆に酷い目に遭わせてるに決まってるわ」
「それは、それで問題ですわね・・・」
野梨子が頬を引き攣らせ漏らした言葉にも気付かず、悠理は前を見据えた。
「そうだな。あいつがそんな簡単にやられちゃうわけないよな。ってか、拉致されたってのも本当かどうか・・・」
そう、自分の目で見た訳ではないのだ。
悠理は固く唇を引き結んだ。その顔にもう血の気は戻っていた。
さすがあの百合子の娘だ、とその気丈さに可憐、野梨子、運転手は思った。

「・・・なに、何処行くんだよ・・・」
どう見ても車窓を流れる景色は自宅へ向かうものではない。
いくら気持ちを奮い立たせたところで、一目その姿を確認するまではやはり早く自宅へ戻り事の真意を五代にも問いたださねばならない。
それなのにどういうわけか、いつしか町並みを離れ、段々と人気も喧騒もなくなっている山道を思わせる道を走っている。
なのに可憐も野梨子も何も言わない。
悠理は、おかしいと思いながらも運転手を信じる事にした。
清四郎が拉致されたと連絡が入った時、他にも何か言われてそこに向かっているのだろう、と思ったのだ。
と、その時気付いた。大分余裕が戻ってきた証拠かもしれない。
野梨子と可憐の様子もおかしいのだ。何も言わないだけでなく、何やらそわそわしている風に感じる。
そして、本当に、心底清四郎の事を気にしている様子もないのだ。
むしろ、可憐のウインドウの桟を弾く指先は軽やかな物に見える。
悠理がそれを見ていると、その反対の隣に座っていた野梨子が可憐を嗜めるように名を呼んだ。
「あ、あぁ、ごめん。やっぱり少し落ち着かなくて・・・」
確かにいつもの可憐と違っていた。
悠理が不審そうに見ると、顔を逸らしてしまう。
「かれ・・・」
「悠理、着きましたわよ」
可憐の名を呼ぼうとした悠理の声を野梨子が遮った。

「ここは・・?」
車が静かに止まった場所、それは一軒の別荘風の家の前だった。
森に遠巻きに囲まれたその場所には細々とした木が何本かと、その下は草原とも言える緑が広がっている。
車から出た明るい日差しに照らされたその光景に、悠理はこんな時だと言うのに、眼を奪われた。
ふと気付くと、運転手は消え、可憐と野梨子も姿は目の前の建物へと消えるところだった。
「あ、ちょっと待てよ!」
追いかけようとして、ひやりとした感覚に悠理はそこで初めて自分が素足のままだと言う事に気付いた。
思えば、このドレスを試着し終えた時、思ってもいなかった言葉が飛び込んできたのだ。
居てもたってもいられなかった。靴の事はおろか今着ているモノがドレスであると言う事も忘れていた。
元より例え靴の事を思い出していたとしても履く事はなかっただろう。
網上げのブーツだったのだから。

悠理はこんな事考えている場合ではないと、急に思い出しドレスを踏まないように軽く持ち上げ、草の冷たさを感じながらその建物へと向かった。
この際ここが何処であれ、どうでもいい事にした。何か意味があって連れてこられたのには違いないのだから。
今は何より清四郎の安否だ。
可憐の言う通り、彼の男がそう簡単に人に浚われるとも思えない。
しかし剣菱家と深く関わるということはその危険がないとは言えないのも事実だった。
大丈夫だと思う気持ちと、不安が鬩ぎあう。
悠理はまるでそこが審判の門であるかのように、建物への入り口のドアを開ける手を躊躇った。
ここを開ければ、なにか起こる気がしたのだ。
猶予はない。
悠理はそのドアを開けた。

やはり別荘なのだろうか。
ホールの端にゆったりとした階段が目に付いた。壁には剣菱の家では考えられないような趣味のいい絵画と置物。
古めかしい調度品は今ここにいない、そして今最も求めている最愛の男が好みそうな趣味ばかりだった。
「清四郎・・・」
頬を伝い落ちた冷たい雫を拭いぶるぶると頭を振ると、悠理はその室内に入り込んだ。
「可憐!野梨子!」
先に入ったはずの二人の名を呼ぶ。
しかしその声はホールに響くだけだった。
「可憐?野梨子?」
もう一度、呼んでみる。
しかし、誰の応えも返って来ない。
悠理は手近なドアを一つ開けた。
しかし客間と思えるその部屋に誰かいた様子は感じられない。
急いで踵を返すと、目に付くドアを片っ端から開けていった。
「野梨子!いるんだろ!可憐、何処だ!」
こんな事をしている場合ではないのだ。
一秒でも早く、清四郎の身を確かめたいというのに。
「可憐!野梨子!」
最後に開けたドアに悠理の足も声も漸く止まった。

リビング、なのだろうか。
室内は広く、そして、壁一面にある外へと続く大きなガラス窓。
その一つは開いており、そこから入り込む庭の風は心地良いとさえ感じる。
だが悠理の動きを止めたのはその風ではなかった。
その風景。
白い壁に薄い三角の屋根。
その頂には―――十字架。
「嘘だろ・・・・」
悠理の足は、惹きつけられる様にそこへと向かっていた。
窓を手で押しのけるように、大きく開け、部屋から出る。
その時、足に何か当たった。
「え?」
ドレスの下になってしまっているそれを、裾を持ち上げ窺う。
それはきちんと揃えてあったであろう、白い靴。
シンデレラのガラスの靴のように、片方が横に倒れてしまっていた。
足をそっと入れてみる。あつらえたもののように、履きなれない悠理をも拒むことなくそこにピッタリと収まった。
もう、何も考えるまでもない。ただ悠理は目の前の建物―――教会へと向かっていた。

ギギギギギっ、と重い音をさせて開いたドアの向こうに、想像した通りの人物が居た。
「・・・・ふざけんな」
明るい所から入った悠理からはその建物の中は眼が慣れなくて良く見えない。
だが、それでもそこに居る全員の表情は手に取るようにわかった。
ステンドグラスから差し込む光が、十字の影を作っている。
「ふざけんなぁ・・・」
悠理はもう一度呟くと、赤い絨毯の上を真っ直ぐ駆けだした。正面で、はにかみながら自分を待っているだろう男の元へ。
「悠理!」
名を呼ぶ愛しい男の首にそのままの勢いで抱きつく。
まるで真っ白い弾丸のような勢いに飛びつかれた清四郎は思わず、体を仰け反らせた。
だが、すぐに震えるその小さな身体を強く抱きしめた。
「悠理」
「ふざけんなぁ・・・あたいがどれだけ心配したと思ってるんだよお・・・」
清四郎は片腕で抱き、もう片方の手で悠理の髪を梳く様に撫でた。
「心配させて悪かった・・・」
「馬鹿、清四郎のバカー」
ぎゅうとしがみつく悠理が堪らなく愛しくて、清四郎は何も言わずただ抱きしめた。

が。
「――――何処行こうってんですか」
突如、低く冷たい声を発した。
「え゛!?」
自分のでも抱きしめてくれている男の声でもないそのどこか焦りの混じった声に、悠理はゆっくりと身体を離した。
「まさか、このまま逃げようってんじゃないでしょうねぇ」
悠理が離れた事で、清四郎は一歩足を踏み出した。
それとは逆に一歩後ず去る影四つ。
この教会に入ってきた時に見つけた愛しい男とは違う人影。
その四人は、既に出口付近。
「い、イヤァ僕達お邪魔かなぁ・・・なんて」
「そうですわ。私達は後から・・・」
「ま、まぁな。うん。落ち着いたら呼んでくれりゃいいし」
「良かったわね〜。悠理、清四郎が無事で・・アハハハハ」
―――皆、笑っているらしいのだが。
悠理の横で、ポキポキと乾いた音が鳴った。
それは離れている四人にも聞こえたらしい。いや、例え聞こえていなくとも、悠理の涙を見た時点で身の危険を感じていたようだ。
「せ、清四郎。話せばわかる!」
魅録が両腕を突き出し、それ以上近寄るな、とばかりに頭を振った。
「えぇ、話ならさっきちゃんと聞かせていただきましたよ?僕達の望む形でない式よりも僕達の望む式をしてくれるのだと。でもそこに、悠理の涙ってのは入っていませんでしたよねぇ」
「あたいはまだ何も聞かせて貰ってないぞ」
追い討ちをかけるようなその声に、更に四人は身体をビクリと揺らした。
「え〜とね、だからね・・」
可憐が必死に何か言おうとしているのだが、いかんせん話を出来る距離でもなければ、それを落ち着いて聞ける気分でもない。
悠理はにやり、と口元に笑みを浮かべた。
「覚悟しろよ?」
先程までの涙はもうなかった。
傍にその存在を感じるのだ、あるはずがない。
悠理の纏う雰囲気が変わったのを感じたのか、四つの影は脱兎の如く表に飛び出した。
「行きますよ!」
「おう!」
ふたりは光射す方へと、四つの影を追い走り出した。
「待てー!お前ら!」


夜風がレースのカーテンを揺らしている。
悠理はソファの上で清四郎の胸に身を預けながらその風を感じていた。
泣いた所為か、瞼が重い。
清四郎の温もりと心音にいつの間にかうつらうつらとしてしまっていた。
「全くあいつ等も、もうちょっと他にやり様はなかったんですかねぇ」
清四郎は悠理の髪に手を入れ、梳きながらその表情に笑みを浮かべる。
「・・・あたいがこういうの着たトコ見たいって・・・可憐と野梨子・・・」
ウトウトしながらもまだ身に付けたままの白いドレスを少し持ち上げる。
「今度の式じゃ、きっとちゃんと傍にいれないからって・・・」
「あいつ等も言ってましたよ。今度の式は僕達らしくないってね。でもだからと言って・・・」
部屋にはふたりだけだった。
清四郎を「拉致」した男達も悠理をここまで連れ出した可憐と野梨子も既にこの地を後にしている。

あの後四人に改めて話を聞いた悠理は、声を上げて泣いた。
清四郎も悠理も、幸せになるはずの結婚式を望んでいなかった事。その理由が、自分達を祝福するための物ではなく、事実上「剣菱家の結婚式」という意味合いしか持たない事。
もちろん百合子と万作がそう望んだわけではない。彼等は四人と同じく、ふたりの幸せを願っている。
だが、どうしても「清四郎のお披露目」という意味合いが強くなってしまうのはどうしようもないことだった。
それを感じていた悠理は、剣菱の娘である自分と結婚するが為に見世物のようになってしまう清四郎に申し訳なくて仕方なかった。
またそう感じている悠理に清四郎も心を痛めていた。
ふたりのそんな心情を、いつも傍にいた四人が気付かないはずなかった。
――きちんと、ふたりが幸せを感じる事の出来る式を挙げさせたい―――
そう考えての今回の企みだったようなのだが。
「あたい、本当に怖かった。お前が誘拐されたって聞いて。このまま会えなくなったらどうしようって・・」
「本当に―――」
清四郎は大きく息をつくと、頭を軽く振った。
「素直に悠理を連れてくれば良いのに、なんだってこんな回りくどい事を。しかもこんなになるまで泣かせてまで・・・」
悠理の張れた目の淵に清四郎の指がそっと触れる。
「結婚式ってだけであたい、参ってただろ?だからなんだって。だから、式を挙げるって言えば、あたいが嫌がると思ったんだって――――馬鹿だろ、あいつ等」
悠理は微笑むと、清四郎の胸に顔を埋めた。この日何度目かの涙が、清四郎を濡らす。
「随分荒っぽい祝福ですねぇ」
しかしそういう清四郎の顔は穏やかだった。

「幸せにならなくてはね」
「うん。そんで、あいつ等が結婚する時は絶対仕返ししてやるんだ」
「それは妙案ですね。楽しみが一つ増えました」
ふたりは微笑みあうと、どちらからともなく顔を近付け唇を重ねあった。



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