「本音」


 

「あれ・・・?悠理、僕の整髪料知りませんか?」
清四郎はその朝、すっきりと身支度を整え、後はトレードマークとも言える髪型を作るだけであった。
鏡越しに、バスローブを羽織って後ろでぺちゃんとへたり込んでいる悠理に問いかける。
その髪からまだ雫の垂れているのに気付くと、清四郎はふ〜と息を吐き半分寝かかっている恋人の正面に膝を折った。
「コラ、寝るんじゃありませんよ。これから学校ですよ」
悠理の首にかかったままのタオルで、その髪をガシガシといささか乱暴に拭いていく。
だがそれは悠理からすれば結構いい力加減だったらしい。
思いがけず頭をマッサージされた感になった悠理は、瞼を落とすと、気持ち良さそうに清四郎の胸に頭を預けた。
「だって、眠いんだから仕方ないだろぉ。元はと言えば、お前の所為じゃないか」
ふたりは悠理の部屋で同じ朝を迎え、一緒にシャワーを浴びながら、・・・・・・少し、運動もした。
その運動の所為なのか、それとも昨夜の所為なのか、さすがの悠理も、今朝は少々お疲れ気味らしかった。
「制服が濡れるじゃないですか・・全く」
そう言って溜息をつきつつも、清四郎は別段その体を動かそうともせず、仕方ないとばかりに、先ほどよりほんの少し優しく、幸せそうに眼を閉じる恋人の髪の水分を拭ってやった。

「ほら、後はドライヤーで乾かしますから、ちゃんと起きてくださいよ」
と、そこで清四郎は思い出した。
「そうだ、僕の整髪料がないんですけど、何処にいったか知りませんか?」
清四郎の方も、どうやら少しぼんやりしているらしい。いざ使うまで整髪料がなくなっている事に気付かなかった上に、今また、悠理の髪の毛に気を取られ、その事を忘れていたのだ。
「お前の〜?知らん、そんなもん」
「何処にいったんですかねぇ」
剣菱家に泊まる事が多くなってから、清四郎は悠理の部屋と、剣菱家の自室に、自宅と同じように普段使うものを揃えていた。
その内の一つ、整髪料が今日に限ってどういう訳だか見当たらない。
それが無ければ、髪を上げる事が出来ないのだ。
確かにこの部屋のは残りが少なくなっていた。
剣菱家の優秀なメイドがそれを"もう不要"として捨ててしまったのだろうか。
それにしては、以前の経験から言っても新しいのを用意してあるはずなのだが。
自室の方へ取りに行こうか、そう呟くと胸に凭れていた悠理がふと顔を上げた。
清四郎の前髪に右手を差し入れ掻き揚げる。
「いいじゃん別に、今日はこのままでさぁ」
ふわりと手を放し、柔らかく落ちた前髪に微笑んだ。
「あたい、こっちもその・・・」
――好きだぞ?
小さなその声も清四郎に届くには十分な大きさだった。
ほんのりピンクに染まった頬ものぼせているた所為だけではなさそうである。
清四郎はたまらず、その頬に口付けた。
「随分可愛い事を言ってくれるじゃないですか。そんな恰好で、そんなことを言われたら、今日はもう外に出る気なんて無くなりますよ」
にやりと笑って、悠理の頬を両手で挟む。
「バ、っバーカ!なに言ってんだよ!」
更に紅くなった悠理は慌ててその手を掴むと、それを支えにするかのように立ち上がった。
「起きればいいんだろ。・・・あぁ眠い・・・」
清四郎は自分もゆっくり立ち上がった。

「それにしても、どうしましょうかねぇ」
悠理に、着替えるから出て行け、と背中を押されながら清四郎は困ったような顔で前髪を掻き揚げた。
同じ夜を過ごし、一緒にシャワーも浴びるのに、悠理は着替えるところを見られるのは嫌だと言うのだ。
恥ずかしいと言っては、いつも追い出される。
清四郎は常々その辺が不思議で仕方なかった。
しかし、今はその事よりも髪の方が気になっていた。
「何が?―――あぁ、髪か。だから、いいじゃん別に、このままで」
悠理は清四郎の背中を押しやっていた手をその髪に伸ばすと、子供のように毛束を持ち上げては落とした。
「とは言ってもねぇ・・・」
清四郎の方はまだ決心が付かないらしい。
「なんでそんなに悩むんだよ。しょうがないだろ、ないんだから」
悠理と言えば、そんな清四郎に段々むっとしていた。
恥ずかしいという気持ちを抑えて、敢えて素直に「そのままも好き」と言ったのに。
自分だったら、もし清四郎に何かについてに「こっちがイイ」などと言われたら、悔しくてもそうしてしまうだろうと思う。
―――しかも。
整髪料が見当たらないのは、実は悠理の仕業だった。
昨日の夜、清四郎にばれないように、そっとベッドの下に隠してたのだ。
悠理とて、いつもの清四郎の髪型は好きだ。
きっちりしているし、大人っぽいし、何より本人には口が避けても言えないが恰好いいと思ってる。
だが今朝のように一緒にいる時は、清四郎が髪を上げる=ふたりだけの時間が終わる、事を意味しているのだ。
いつも清四郎が身支度を整えるのを見るのが、その後も学校などで一緒なのに、なんだか寂しくて泣きたくなってしまうのだった。
だから、隠した。
それで引き留められる訳もないし、引き留めるつもりもない。
髪型がどうであれ、一緒にいられる事には変わらないのだから。
ただ、髪を上げてない清四郎は、まるで自分だけの特別のように錯覚出来る様な気がした。
しかし、ただでさえ悠理の気持ちに鈍い清四郎に、そんな乙女心などわかるはずもなく。
せっかくの作戦が思うようにいかないことで悠理の頬が段々膨れていくのにも気付かず、自分でも毛束を持ち上げては、持て余すように落とした。

「―――清四郎のバカ」
「はい?」
急にむっとしだした悠理に、清四郎は首をひねった。
フイっと膨れっ面を背けられ、何がなんだかわからないという風に眉を顰めてみる。
しかし、恐らく流れから言って、自分の髪に原因があるのだとは思う。
まさか、先ほどのシャワーの時、少しいじめすぎたとか、昨夜じらしすぎた、とかではないだろう。
(そもそも、それはそれで既に怒られ済みなのだ)
ともかく、それでどうして、不機嫌になるのか。
清四郎は、今までの会話を思い出しながら、方程式を解くように、頭の中でキーワードを探していった。
その中で、悠理が怒る事があるとすれば、自分の態度だろうか。
いつまでも、迷っている事が気に入らない?
悠理はこっちも好きだと言ってくれたのだ。それなのに、という思いなのかもしれない。
それしか思い当たらなかった。
やはり、流石に核心部までは想像だに出来なかったようではあるが、清四郎にしては良く出来た解答だった。
その結果。
「悠理の言う通り、今日はこのままで過ごしますよ」
にっこり笑ってそう言うと、悠理の顔は一気にパッと明るくなった。
「いいのか!?」
「だって、悠理はこっちも好きなんでしょ?」
その表情にニヤリと笑ってこう続けると、悠理は真っ赤になって「バ、バーカ」とくるりと背を向けた。
そんな悠理を、後ろからそっと抱き締めた。

「悠理が好きだって言ってくれるのなら、これからは上げるの止めましょうか」
耳元でそう囁くと、ボソボソと悠理が何かを呟いた。
「―――――」
「え?」
抱き締める腕を掴んでいる手まで真っ赤にさせている。
心なしかその体温も上がっているようだ。
「なんて言ったんですか?」
「だから!・・その・・いつもじゃなくて良いから・・・・う〜っ・・あー、もういい!!」
(今朝みたいな日は・・・、なんて何度も言えるか!)
だがそれでもなんとか言いたかった事はちゃんと伝わったようである。
「・・・そうですね、偶には」
その優しい声に、悠理はこくんと頷いた。

「―――さぁ、そろそろホントに着替えてください。遅刻しますよ」
「うん。・・・って、こら!何処触ってんだよ!!」
「いや、着替えを手伝おうと思いまして」
バスローブの紐を解こうとした清四郎の手が小気味いい音を立てて叩かれた。


  作品一覧