「loss of memory(7)」



 

木曜日。
目の下にうっすらクマを作り少々やつれ気味の清四郎に対し、悠理の顔は冴え渡っていた。
「どーしたんだ?その顔」
無邪気に訊いてくる悠理にちらっと視線をやって溜め息をつく。
「・・・どうもしませんよ」
「もしかして昨日あたいが言ったこと気にしてんのか?あれなら前言撤回するよ」
清四郎は何を言われたのか理解するのに数秒かかった。
(あれだけ自分を悩ませた言葉を撤回するだと?それは一体どう意味だ。思い出したいと思ってくれたのか?でもそうすると昨日の魅録達の言ってたことはどーなる。僕を嫌いになりたくなかったんじゃないのか?)
黙り込んでしまった清四郎に悠理は不安になった。
「もしかして怒ってるのか?」
心配そうにきく悠理がかわいくて思わず抱き締めたいと思う。
「怒ってなんかいませんよ。ただどういう心境の変化なのかと思いまして」
「ま、まぁいいじゃん。それより今日もどっかいこうぜ。あたいが何か思い出しそうなとこ」
妙に明るい悠理。
これではどっちが記憶喪失の人間かわからない。
「そうですね。それじゃもう一度事故現場に行ってみませんか。その後、悠理の行きたがってた吉野川先輩の店で晩御飯なんてどうです?」
「さんせー!」


事故現場では悠理はやはり何も思い出せなかった。
内心がっくりときていた清四郎に気付いているのかいないのか、悠理はお腹が空いたとうるさい。
諦めて、食事をしに行くことにした。
「いらっしゃーいって、・・あら今日は二人なの?」
最近大恋愛(?)の末、幸せを掴んだ美人女将の吉野川女史が二人を出迎えた。
「こんばんわー」
二人がカウンター席に着くのを見計らって、お絞りと突き出しを出す。
明らかに営業用の愛想笑いとは違う妙に嬉しそうな顔をしていると思ったら、とんでもない事を言出した。
「ね、ね、もしかしてデートの帰り?」
「へっ!ち、っ違いま・・」
慌てて否定する清四郎を見て、可笑しそうに笑う。
「やぁねー、なに照れてんのよ・・・おめでとう。あんたたちやっと素直になったのね」
「「はい?」」
二人の言葉が重なる。
「あんた達って、ホントそういうトコ不器用そうだもんねー。端で見てるこっちがイライラするくらい。・・・で、どっちから先に言ったのよ。やっぱり菊正宗君?」
「あ、あの、先輩・・?」
女史は完全に二人が付き合っていると勘違いしている。
清四郎はこの嬉しい誤解をどう解くべきか考えていた。
ふと悠理を見ると真っ赤になって固まっている。
「悠理・・・?」
悠理は突然立ちあがると店を飛び出した。
「えっ?悠理ちゃん!どこ行くの!」
「悠理ちょっと待ってください!どこに行くんですか!先輩、スイマセン。また改めておじゃまします!」


いくら悠理の運動神経が並外れているからと云って清四郎には敵うはずもなくあっさりと追いつかれて腕を掴まれる。
元より、悠理自身もどうしてあの場から逃げ出してしまったのかよくわかっていないので、本気で走っていたわけではなかった。
「どうしたって言うんですか、一体」
「ごめん、あたい何か訳わかんなくなっちゃって・・・。・・・えと、その・・さっきの、先輩が言ってた事って・・」
悠理は清四郎に背を向けたまま下を向いている。
「アレには僕もびっくりしましたよ。僕達今までそんな風に見られてたんですかね」
「あたいが知ってるわけないだろ。あたいにはお前の記憶なんかないんだから」
云ってしまってから口を抑える悠理。
清四郎の手が腕から離れた。
悠理の腕がストンと落ちる。
「・・・そう・・でしたね」
清四郎は悠理との事が他人から見てあの様に思われていたことが、嬉しかった。
だがそれは、自分だけであったのか。
「ごめん・・あたい・・・」
「・・・・・今の・・・悠理はどうなんですか?・・・」
清四郎はもう、今のこの関係を維持していくのに無理が出始めていることに気付いていた。
何もないような顔をしてこれからを過ごしていくには、この胸の中にある気持ちは大きすぎる。
今の悠理には過去の自分との記憶はない。
それが何を意味するのか、考えれば考えるほど深みに嵌っていく。
だからこそ、過去とは関係なく今の気持ちが知りたかった。
今、自分は悠理にとって何であるのかを。
「あ、あたいは・・・」
「僕はずっと悠理を愛してる。悠理が記憶を無くす前も無くしてしまった今も」
その言葉に悠理は、やっと振りかえり清四郎の顔を見た。
「・・・やっぱり、僕は必要ありませんか?」
「なっ!違う・・・!!なんで、そんなこと言うんだよ!!」
悠理は思わず清四郎の胸倉を掴んだ。
「言っただろアンタのこと嫌いになりたくないって。わかれよ!」
「悠理・・・」
「それにきっとあたい、記憶を無くす前もずっと、あんたのこと好きだったと思う・・」
その瞳からは涙が今にも零れ落ちそうだった。
「悠理。ありがとう」
清四郎はそっと悠理を抱きしめた。
悠理はその腕の温もりに今まで頭の中にかかっていた霧が晴れていくような気がした。
頬に優しく大きな手が触れる。
悠理はその手の導くまま自分より背の高い男の顔を見上げた。
ゆっくり降りてくる影に目を閉じようとしたその瞬間。
ふいに以前にもこの様にこの男に抱きしめられ、こうして顔を見たことがあるような気がした。
その時のこの男の顔は・・。
「!・・・・清四郎・・・」
今にも唇が触れそうになった瞬間、腕の中の悠理が崩れる様に倒れた。


金曜日。
突然気を失って倒れた悠理を急いで菊正宗病院に運び、気付くまでベッドの傍らで手を握っていた清四郎。
目覚めた時の悠理の言葉は、こうだった。
『な、なんだぁ!清四郎!お前なんであたいの部屋にいるんだよ!!』
そして握られていた手に気付くと、
『何、手なんか握ってんだよ!このスケベ!!』
と、真っ赤な顔で勢いよく振り払われた。
しかも、事故後の記憶、正確には事故に遭った日からの記憶が無いと言う。

「ねぇ悠理、本当に何も覚えてないんですか?」
目が覚めてから何度も繰り返されるこの言葉に悠理はいい加減うんざりしていた。
清四郎がここまでしつこいのも珍しい。
だが、清四郎にしてみれば当然だった。
やっとのことで思いが通じ合ったというのに、それを綺麗さっぱり覚えていないと言うのだから。
「しつこいぞ、お前。だいたい、何をそんなに思い出させたいんだよ!」」
「いや、別に覚えていないのならそれでもいいですけどね。ただ・・・」
清四郎はちらりと悠理の顔を見る。その顔は心なしか紅いように見えた。
「・・ただ、なんだよ」
「昨日した約束はどうなるのかなと思いましてね」
「約束?昨日、あたい何か約束し・・・・・あっ!!」
恐る恐る清四郎に視線を移す。
「やっぱり昨日のこと覚えてたんですねー!!」
不適な笑みをたたえる清四郎の顔がそこにあった。

                        

END   

 

 

 

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