ふと、目が開いた。 障子越しの薄明かりに、ここが自室でない事を思い出す。 可憐と野梨子の静かな寝息と、外から聞こえる虫の声が静寂に響く。 悠理は、二人を起こさないようにそっと起き上がると、枕元に置いてあった携帯の時刻表示を見た。 「ちぇっ、まだ二時じゃん」 もう一度眠ろうと、頭から布団を被る。 だが、どういうわけか目が覚めてしまい、何度も寝返りを打った挙句、起き上がった。 旅先だからと言って、眠れなくなる事などまずないはずだというのに。 悠理は体を解す様に首を二、三度回すと大きく伸びをした。 「結構、外明るいな。電気なんてついてたっけ?」 首を回すうちに、先程はなんとも思わなかった外の明るさに目が行った。 障子の向こうは剥き出しの廊下―――縁側になっている。 少し風に当たるのもいいかもしれない、と悠理は起きだしそっと障子を引いた。
「せーしろ・・・」 悠理の胸がドキンと一つ高鳴る。 「悠理。どうしたんです、トイレですか?」 部屋から出ると、清四郎が縁側に脚を組んで腰掛けていた。 「ううん。なんか、眠れなくてさ。お前は?」 「僕もですよ」 そう言ってにっこり笑うと、最初悠理が見た時と同じように、庭に目を向けた。 (何、考えてるんだ?) 清四郎の視線は庭よりももっと遠くを見ているような気がした。 この旅の最中、清四郎はずっと何かを考えているように見えた。 「―――隣、いいか」 悠理は後ろ手に障子を閉め、「もちろんですよ」、そう静かに答えた清四郎の隣に腰を降ろした。 相変わらず「庭」に目を向けたままの清四郎を横目で盗み見る。 凛としたその横顔は、いつもの自分をからかう時のそれとはまるで違う。 悠理は昼間でなくて良かったと思った。 日中の明るさでは、今の自分の顔の紅さは隠せない。 それでも照れを隠すように、両膝を抱えて座るとそこに顔を預け、清四郎からは見えないようにした。 「悠理、そんな風に座ると見えないですよ」 「何が、だよ」 その言葉にまた胸の高鳴りを聞いて、悠理はそれを悟られないようにぶっきらぼうに訊き返した。 「空ですよ」 帰ってきた答えは望むものではなかった。だが、空を見上げる。 外に出てから今まで、清四郎しか見ていなかった悠理は、部屋から見た明るさの原因をやっと突き止めた。 「うわっ・・・」 「凄いですよね」 「・・・うん」 ぽっかり浮かんだ白い、大きな月。 その明るさで、見えるはずの星々が暗闇に溶け込んでいる。 「・・・・・・でも、なんか、ちょっと怖いな」 「怖い?」 清四郎が不思議そうに、空を見つめたままの悠理を見た。 「よくわかんないけど、怖い」 悠理は視線を落とすと、ぎゅっと目を閉じた。 横でクッという、いつもの皮肉交じりの小さな笑い声が聞こえた。 「お化けとテスト以外で悠理が怖いというものがあるなんて」 「だって・・・」 悠理はフンと鼻を鳴らした。 「だって、なんか・・・・どっか連れてかれそうって言うか、閉じ込められそうって言うか、あたい一人だけにされちゃいそうって言うか・・・・」 「全然、どれも違うじゃないですか」 清四郎は可笑しそうに、それでも声を殺しながら笑った。 「でもまぁ、わからない事はないですよ。とりあえず、不安になるってことですよね」 悠理は少し考えるように間を開けると、「うん」と小さくうなずいた。 「確かに、吸い込まれそうですよ。何もかも・・・」 「せーしろぉ?」 空を見上げたままの清四郎はやはり、どこか遠くを見ている。 白い月よりもその横顔に不安になった。 「なんか、あったのか?」 「え?」 「い、いやほら、なんかお前。いつもと違ったし、悩み事でもあるのかなぁなんてさ」 悠理は、慌てて視線を逸らした。 「別に言いたくない事だったらいいんだぞ。ただちょっと気になったからさ」 清四郎の秘密主義は今に始まった事ではない。 だが悠理は、清四郎への想いに気付いてからそれがどうしても苦しかった。 何を考えているのか知りたい。何を見ているのか知りたかった。
「―――迷ってる事がある」 ぽつりと、清四郎が呟いた。 「迷ってること?」 「悠理は、将来どうするかって考えた事ありますか?」 「そ、そりゃな」 清四郎の顔を見ることが出来なかった。 一緒にいたい、だなんて自分らしくない願い。 「そうか・・・。そうですよね」 「将来の事なのか?」 清四郎はふと肩から力を抜くと、漸く視線を空から足元へと落とした。 「どうするか決めあぐねていてね。医者になるか、何処かの会社に勤めるか、それとも学者を目指すか」 「お前なら、どれにでもなれそうだな」 悠理は気付かれないようにぎゅっと掌を握り締めると、笑顔を作って清四郎を見た。 「でも、どれになるにしてもなんか、寂しくなるな」 「どうしてですか」 「だって、お前忙しくなっちゃうだろ。そしたら、・・・・・・もう今みたいに会えないじゃん」 「おや、それで寂しいと思ってくれるんですか」 にやり、という音が聞こえそうなぐらい嬉しそうないつものからかう時の口調。 悠理はつい出てしまった本音に、真っ赤になった。 「あ、当たり前だろ。今までずっと一緒だったんだからさ」 頬を膨らませると、膝に顔を埋めた。 (ずっと一緒にいたかったのに) 「でも、それなら大丈夫ですよ。別に遠くへ行くつもりはありませんから。僕だって、皆と離れるのは寂しいですからね」 「へ・・・?」 てっきり、「寂しい」なんて清四郎の口からは出ないものだと思っていた。 「なんですか、その顔。僕だって寂しいに決まってるでしょ。だから多少忙しくなったところで、皆に会わずにいるなんて事しませんよ」 むっとした顔なのは、きっと照れくささを隠すためだ。 悠理は、自分がそうなのでそれが手に取るようにわかった。 「そか、良かった・・・・」
「―――で、悠理は将来・・・・・・」 清四郎は肩に重みと温もりを感じて言葉を切った。 悠理が微笑を残したまま、あどけない表情で眠っている。 知らず知らずのうちに、清四郎の顔に笑みが浮かんでいた。 「寂しい、か・・・」 やけに素直な悠理に、つい自分も素直になってしまった。 きっと悠理の言うとおり、この先いつかは皆それぞれに忙しくなり今の様には決して会えないだろう。 だが、出来るならそうならずにいられるようにしたい。せめて自分だけでも。 悠理のこの穏やかな寝顔を壊したくないと思った。 そして、ずっと見ていたいと思った―――。 悠理の傍にいる未来。 「それも、いいかもしれないな」 今のこの不思議な心地良さを、悠理が与えてくれるものならば。 柔らかな髪に頬を埋めると、ゆっくり瞼を落とした。
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