幸福
「ねぇママ。ママはどうして、パパと結婚したの」 ソファで雑誌を捲って寛いでたあたいに、トコトコと寄って来てこいつってばいきなり変な事を訊いてきた。 子供によくある「素朴な疑問」というヤツなのか? だけどそれは訊く、というよりは咎める、といった感じに近いかもしれないな、なんて気がした。 「な、なんだよ、急に」 でもとにかく。あたいは、こういう質問慣れてなくて焦ってたら、隣に座って新聞を読んでた清四郎が、しれっとした顔で言い切りやがった。 「それは僕と悠理が愛し合ってるからですよ」 「パパには訊いてない」 うわっ。そういう事言うなよなぁ。 後でとばっちり来るのこっちなんだぞ。 「なんですか、その言い方は。結婚というモノはふたりで愛し合ってするものなんですよ。なら、僕が答えようが悠理が答えようがどちらでも問題はないでしょう」 だから、お前も子供相手にムキになんなよ。ていうか、注意するトコはそこじゃないだろうが。 「だってパパ、ママの事いっつもいじめてるじゃないか。おかしいよお。愛してるってすっごく好きって事でしょ?好きなのに、どうしていじめるの?」 「おっ、お前イイ事言うじゃん」 あたいはつい、こいつの言う事に同調してしまった。 ・・・・・・睨むなよ〜。 実際、未だにあたいのことからかうのが趣味だろ? 「冗談じゃありませんよ。一体いつ僕が悠理をいじめたと言うんですか?言っときますけど、この間言っていた、夜、お前が聞いたというあの"なきごえ"は別ですからね」 な、な、なんて事言うんだよ。で、でもそうだよ。あれは確かに泣いてた訳じゃない、からな。うん。 「そうだぞー、アレは違うんだからな。さっさと忘れろよお」 そうだよ、まさか部屋の外まで聞こえてたなんて。あたいってあの時そんなに声でかいのか? 「ぶーっ。やっぱりわかんない。なんでママ、パパにいじめられるのに、いっつもそうやってパパのこと庇うの?」 「べ、別に庇ってるわけじゃ・・・」 ただ、あの時の・・・その・・・声は、ホントに早く忘れて欲しいし。 それに、清四郎言うことは間違ってない。本当にあたいを愛してくれてる。そんで、あたいも・・・。 な、なんて事、絶対本人には言えないけどな。 「なに一人で、赤くなってるんですか?」 ぶーっ。この鈍感男。お前の所為だってのっ! だから言いたくないんだよ、ムカつくヤツめ。 「ねーママー。本当?本当にパパの事すっごく好きなの?いじめられるから、無理にそう言ってるんじゃないの?」 お前、それは言いすぎだろ。清四郎は実の父親だぞ? あ、清四郎怒った。そりゃそうだろ、その言い方は。 でもあたい知ってるんだぞ。お前がそうやって言うほどに、清四郎の事嫌ってないって。 むしろ大好きなんだよな。 抱っこされると、あたいといる時よりニコニコしやがってさ。 ほら今だって、捕まえられて嫌がってるフリしながら本当は嬉しいんだろ。 そのまま抱っこしてもらえるもんな。 清四郎だって本気で怒ってるわけじゃないし。 ・・・やっぱり。二人共もう笑ってる。 いいよな、こういうの。 まさか、こんなにし、幸せっていうのか?そういうの、味わえるなんて思ってなかった。 あたいはいずれ、剣菱の為に誰かと結婚しなきゃいけないと思ってたし、清四郎は病院を継がなくちゃいけないと思ってたし。 だから、こんな風にずっと清四郎といられるなんて思ってなかった。 「―――悠理」 「え?」 清四郎が優しい目であたいを見てる。 ホントに。隠し事なんて出来ない。 思ってることまで、ちゃんと知ってるんだこいつは。
誰に反対されるわけでもなかった、僕達の関係。 反対どころか誰もが喜んでくれた。 悠理の心の奥底にあった懸念以外は。 だけど、そんな懸念も過去の話。 そうでしょ、悠理?
悠理が剣菱のことで悩んでいるのは、付き合う前から知っていた。 悩んでいるというより、諦めていた、という方が正しいな。 天性の勘だけで剣菱を動かしているおじさんとは違い、豊作さんは色々悩みながら試行錯誤で剣菱を動かしつつあった。 元より人の上に立つ器ではない。それを、「二代目」だとか「頼りない跡継ぎ」だとか言われないように必死に努力して彼は彼なりに今の地盤を築き上げていった。 悠理はそんな兄を少しでも助けることができるようにと、あれだけ嫌がっていた「剣菱の為の結婚」を考え始めた。 だから僕が最初、想いを伝えた時も、決して良い返事はしてくれなかった。 「―――こうなったら、悠理を誘拐でもしましょうかね。それで、ふたりでどこか遠くで暮らすんです」 「何言ってんだよ」 「だって、僕は悠理と離れるつもりはありませんよ。何があったってね」 「誰がお前と付き合うって言った?それに、あたいはお前の事なんて好きじゃないぞ」 悠理は僕に嘘をつけない。僕に悠理の嘘は通用しないから。 自惚れだとなんだと笑われても構わない、それが事実なんだ。 「どこがいいですかねぇ。やっぱり南の島ですか」 「清四郎!」 それは悲壮という言葉が良く似合う声だった。 「わかってるんだろ?あたいの気持ち。なら、もう放っておいてくれよ」 「悠理も。わかってるんでしょ、僕の気持ち。それにどうして、僕じゃ駄目なんだ。確かに僕は一度おじさんの跡を継ごうとして失敗している。だけど、豊作さんのサポートぐらいなら出来るはずだ。第一、その辺の男になんてお前を浚わせたくない」 僕はその手で悠理を壁に縫いとめた。 「愛してるんだ」 「・・・・うちだけの問題じゃない」 唇を塞ごうとした瞬間。悠理が呟いた。 「お前だって、病院を継がなきゃいけないんだろうが」 力強い眼差しで睨みつけてくる目が抵抗ではなく、懇願に思えた。 「姉貴が上手くやってくれますよ」 「でもっ・・・・!」 その後の言葉は次がせなかった。 唇を自分のそれで塞ぎ、言葉を飲み込ませた。
唇を離し、半ば放心している悠理を抱きしめた。 「悠理。僕はどういう男だ?」 突然の僕の質問に、悠理が体を離し探るような目で見つめている。 「どういうって・・・」 「良いから。言って下さい」 悠理は言葉を選ぶように視線を彷徨わせた。 「・・・・・・だから」 「だから?」 「自信家で、厭味ったらしくて、頭が良くて、強くて、何でも出来る」 「なら、そんな僕を信じてもらえないか」 「え?」 もう一度、今度は決して離さない様にきつく、抱きしめた。 「僕は豊作さんのサポートもうちの病院も、お前の心配がなくなるぐらい上手くやってみせる」 「そ、そんなこと無理に決まってるだろ!第一お前の体が持つ訳ないじゃないか!」 離れようとする体を更に抱きしめた。 「出来ますよ。体だって並大抵の体力じゃないことを悠理も良く知ってるでしょ。僕はなんだって出来る。それで悠理が傍にいてくれるのなら、なんだって出来ますよ」 「無理だよ・・・」 「出来ますよ」
怖かったんだ。お前を失うより、お前を縛り付ける事の方が。 縛り付けて苦しめるが怖かった。 それなのに。 あたいがあれだけ心配したのに、それが無駄だと言わんばかりに本当に医者になって、兄ちゃんの手伝いまでするようになって。 今じゃ流石に、「そんなの無理だよ」とは思わないけど、やっぱり時々、体とか心配になる。 でもあの時、お前があそこまであたいの事押し切ってくれなければ、今のこんな時間は絶対になかったんだよな。 あたい、今すごく幸せだよ。 「ママ〜、どしたの?泣くの?」 清四郎の腕の中の小さな顔が歪んでる。 「バカだなぁ。ママが泣くわけないだろ」 頭をくしゃくしゃっと混ぜっ返してやると、くすぐったそうに目をぎゅっと瞑って体を縮ませた。
「―――嘘はいけませんねぇ、悠理」 黙って見ていた清四郎が嬉しそうに口端を上げた。 「な、何がだよ」 「本当は泣きそうだったんでしょ」 そう言って。 事もあろうか、子供を抱きながらあたいの目にキスをしてきやがった。 「ちょっ!コラ、清四郎!!」 だけど、こいつから逃げれるわけなんてなくて。 気付けば腰抱かれて、口付けを交わしてた。 「パパずるーい!僕もママとちゅーする〜」 はっ、しまった。ウットリしてる場合じゃなかった。 慌てて顔を離すと、清四郎のヤツ、ニヤリと笑ってやがった。 「駄目ですよ。悠理とキスできるのは僕だけなんですからね」 また、こいつは・・・。 あたいは顔が熱くなるのを感じつつも、本気で呆れた。 「え〜そんなことないもん。ママ僕ともちゅーするよね〜」 あ、お前余計な事言うな。清四郎には秘密だぞって・・・・。 「どういうことですか、悠理」 うわっ、目がマジだ。 「じ、自分の産んだ子供にちゅーして何が悪いんだよ。どこの親だってしてるだろ、それぐらい」 こんな言い訳、絶対通用しないんだ、わかってる。 「ほお。どこの親が、ですか?」 「いや、どこの親って・・・。せ、世間一般の話だよ」 「そうですか、世間一般の話ですか」 「そうだぞ。じょ、常識ってもんだよ」 あたい、間違った事言ってないぞ。言ってない・・・のに、なんでこんなにビクビクしなきゃいけないんだよお。 「そうですか、僕はその常識を知らなかったらしい」 なんだよ、目なんか伏せちゃって。白々しい。 わかってるんだぞ、この後お前がなんて言うか。 「どうやら僕の知らないことを、悠理は沢山知っているようですね。これはじっくり教えてもらわなければ」 「な、何もないぞ、教える事なんか!」 「僕と悠理はこれから大事なお話があるんだ。向こうの部屋で遊んできなさい」 ・・・・・・やっぱり。やっぱりそう言う事になるんだよな。 「え〜。ヤダー!僕もここにいるー」 おっ、ナイス!そうだ、もっと言え! 「駄目だ。昨日言っておいた英語のテキスト、全部出来たんですか?」 「・・・・まだ」 「だったらそれをやってきなさい」 嘘でも出来たって言えよー!
がっくり肩を落として部屋を出て行く子供にニヤリと笑った最低の父親があたいの事抱きしめた。 だから、あたいも諦めて――――。
|