誘拐

・・・・・ぴちゃん、・・・・・ぴちゃん、・・・・・ぴちゃん・・・。
規則正しく水滴が落ちる音がする。
どこかのパイプが水漏れでもしているのかもしれない。
悠理は目の前の男を睨みつけながらもそんなことを考えていた。

薄暗い部屋の片隅。
縦横無尽に走る水道管のパイプに悠理は身体ごと縛られていた。
両手首は後で縛られ、両足もキツク縛られている。そして声も出せないほどに締められた猿轡。
悠理には鋭い眼差しで睨みつけるしか、目の前の男に抵抗する術がなかった。
だが、薄笑いを浮かべたその男は悠理の前にしゃがむと、その白い首筋に一本の紅い筋をつけた。
首筋に、触れた金属とは違った、別の冷気が走る。
その瞬間悠理は初めて恐怖を感じた。

「お嬢ちゃん、あんたには申し訳ないが、あの現場を見られたんじゃ生かしておくわけにはいかないんだよ。悪いね」
どこか楽しげな声の男。
悠理は必死に心の中で叫んだ。
(清四郎ー!!!!)
男のナイフが悠理の頭上へと振り上げられた。
悠理がぎゅっと目を閉じた、そのとき、
突然男の背後のドアが激しく開いた。
「悠理!!!」
清四郎が部屋に飛び込んできた。
男がナイフを使う間もなく、あっという間に叩きのめす。
男はあっけないほどにあっさり気絶した。

清四郎は悠理の猿轡を急いで外した。
「清四郎!!」
悠理の眼からは大粒の涙が溢れ落ちる。
「悠理、大丈夫か。すぐに病院に連れて行ってやるからな」
清四郎は悠理の首筋に気付くとそう言った。
手足と身体の縄が外れると悠理は清四郎に抱きついた。
清四郎も悠理をきつく抱きしめる。
「あ〜ん。せいしろー、怖かったよぉ〜」
「もう大丈夫だ、悠理。僕がいつだってお前を助けるから」
清四郎は安心させる様に言うと、その頬に触れた。
「清四郎・・・」
「悠理・・・・」
みつめあう二人。
二人の影が一つにになろうとしたその刹那、銃声が鳴り響いた。
「清四郎!!!」


「っはっ!!!」
悠理は首を振って辺りを見まわした。
「なんだ、夢か・・・。よかった、清四郎が撃たれたかと思った・・・」
悠理は今、薄暗い部屋の片隅で縛られている。
いつものごとく誘拐されて監禁されているのだ。
だが夢の中と違って、ナイフを持った男もいなければ猿轡もされていなかった。

部屋の外からは銃声や男たちの騒ぐ声が聞こえている。
夢の中での銃声はこれだったらしい。
どうやら、清四郎達が助けに来たようだ。
「遊んでないで、さっさと助けにこいよなぁー。おかげでヘンな夢見ちゃったじゃないか」
助けがきたことに安堵したのか、悪態をついて時間を潰す。
誘拐(され)慣れている悠理ならではでの余裕であろうか。
「それにしてもなんなんだよ、あの夢。アレじゃまるであたい、"清四郎に"助けてもらいたいみたいじゃないか。べ、別に清四郎じゃなくても魅録でも時宗のおっちゃんでも、とーちゃんだって、そうだよ根性があるなら美童だって構わないんだ。それなのに、抱きついちゃったりなんかして」
今の状況と酷似している先ほどの妙な夢が、なんだか気恥ずかしくて必要もないのに言い訳してみる。
「しかも、なんだよ清四郎のあのセリフ。『僕がいつだってお前を助けるから』だぁ〜?ならさっさと助けに来いって言うんだ!!」
清四郎もイイ迷惑である。
しかしその先のシーンを思い出して悠理の顔は一気に赤くなった。
「あの時銃声が鳴らなきゃ、あたいらもう少しで・・・・・」
ブルブルブルと首を振る。
「あ、あたい何考えてんだ!今ちょっと『惜しかった』とか思わなかったか?」
不意に浮かんだ感情を慌てて否定した。
「ま、まさかな。・・・・それよりあいつらホント何してんだ〜?早く来いよー!!」
急いで神経をドアの向こうへと向けた。

念が通じたのか部屋のドアが勢い良く開いた。
「悠理!!」
「せっ!・・・・え・・あれ・・・・魅録・・・?」
部屋に飛び込んできたのはどう見ても魅録。
助けに来てくれれば誰だっていいのだが、なんとなく拍子抜けしてしまった。
魅録は悠理の顔が明らかに落胆したものになったことにも気付かず、そばまで来てしゃがむと縄を外しにかかった。
「大丈夫だったか?あーあー、こんなにがっちり縛られちゃってよー。待ってろよ、今外してやるからな」
「あ、あぁ・・・。なぁ、魅録、お前一人?」
「うん?いや、清四郎とオヤジたちも一緒だよ。・・クソっ、なかなか外れねーやこれ・・。あいつらも、もうすぐ来るんじゃねーか。・・ん?これ、どーなってんだ?」
縄はなかなか外れてくれない様である。
(なんだよ、清四郎もやっぱり来てるんじゃねーか。なんであいつは助けに来ないんだよ。・・・・ってだからあたいは、なに考えてんだ?!)

「あーっ!クソぉ、外れねー。こうなったらライターで焼き切るか」
余りにもキツク縛られていてなかなか解けないので、魅録はポケットからライターを取り出した。
「ちょっ、ちょっと待てよ!そんなことしたらあたい火傷するじゃないか!!清四郎はもっと簡単に外したぞ!!」
思わず口走ってしまう。
「はぁ?なんだよ、それ。『清四郎は』って・・・」
当然のことながら、魅録は訳がわからないという顔をしている。
まさか、「夢の中では清四郎が助けに来てくれた」とは言いにくい。
「い、いや、ほら、さっ・・」
「あぁー、そうか!」
焦って言い訳を考える悠理をよそに、魅録は何か思いついたというように大きく頷いた。
「な、何が『そう』なんだよ」
あるワケないのだが、夢のことを感づかれたと思って悠理はさらに焦った。
「ほら、アレだろ?雅央ってヤツに間違われて誘拐されたとき。あの時は清四郎が助けたモンな。そうか、あれな」
魅録は一人で納得している。
悠理は魅録に気付かれない様に、そっと安堵の溜息をついた。
「とにかく、こんなしっかり結んであるんじゃいくらあいつでも素手じゃムリだよ。焼き切った方が早いって」
「わ、わーったよ。その代わり絶対あたいに火ぃつけんなよ」
「ヘイヘイ」

「ほら、解けたぞ」
「あーっすきりした。サンキュー魅録。それにしても、何もこんなにキツク縛ることないよな」
悠理は立ちあがって一旦大きく伸びをすると赤くなってしまった手首をさすった。
「お前、よっぽど暴れたんじゃないのか?」
魅録はからかったつもりで言ったのだが、まさにその通りだったのだ。
パイプに括り付けられてからも2,3人の男を蹴り飛ばしていた。
「あたいは、当然の事をしたまでだい!!」
「まぁ、な。おとなしく縛られてるなんてお前らしくないしな」
魅録はニヤリと笑うと「ほら、帰るぞ」と続けた。
「うん」
そう頷いたときだった。
「悠理!!」
夢の中と同じように血相を変えた清四郎が部屋へ飛び込んできた。
「清四郎!!」

「悠理、無事か?」
清四郎は赤くなった悠理の手首や足首を見て心配そうに駆け寄った。だが、実際に触れてみてたいしたことがないとわかると、漸く笑顔になった。
清四郎と一緒に部屋に入ってきた時宗も笑顔を見せている。
「悠理君、よく頑張ったな。もう犯人一味は捕まえて連行したから安心してくれたまえ」
「えへへへ、ごめん。心配かけたな」
「全くですよ。でも大した怪我がなくて良かった」
抱擁こそなかったが、至近距離で清四郎の優しい眼差しを見上げると、否が応でも先ほどの夢を思い出してしまう。
突然真っ赤になった悠理に、
「どうしたんですか?まさか熱でも出たんじゃ!」
と言って、清四郎がさらに顔を近づけた。
「違う!違う!何でもない!!」
悠理は慌てて大きく首をふって清四郎から離れた。

「よぉーし、それじゃ帰って宴会でもしようぜ!!」
「そうですね。さぁ悠理、行きましょう。みんなも心配してますからね」
「オウ!」
「それにしても・・・」
張り切って返事をした悠理に苦笑を浮かべると、清四郎が思いついたように言った。
「ん?」
悠理が清四郎の顔を見上げる。
「え?いや、よくもまぁ毎度毎度、こう簡単に誘拐されるなぁと思いましてね」
呆れた口調で言う。
「んなモン知るかよ。あたいだって好きで誘拐されてるわけじゃないんだからな」
その言い方に、悠理は眉間に皺を寄せて不貞腐れたように答えた。
「当たり前ですよ。好きで誘拐されたりなんかしてたまるもんですか。―――大体、日頃から注意力が足りないんじゃないですか?」
悠理が無事だったことに安堵した所為なのか、いつものように皮肉交じりの言葉つきになっている。
「ちょっと待てよ。それじゃなにか?誘拐されるのはあたいが悪いって言うのかよ!」
「何も、そんなこと言ってないでしょ。ただ、もうちょっと気をつけろって言ってるんですよ」
「やっぱりあたいが悪いってことじゃないか!!」
なんだか雲行きが怪しくなってきた二人に松竹梅親子は顔を見合わせる。
「お、おい、清四郎その辺でやめとけよ。悠理だって大変だったんだから、なっ?」
「ゆ、悠理君。落ちつきなさい。清四郎君だって君を心配して・・」
慌てて止めに入った松竹梅親子にふたりは、
「「うるさい!!」」
と見事にハモッて返した。


監禁されていた建物から出た後も、言い争いを続けているふたり。
もう、売り言葉に買い言葉状態だ。
魅録はもはや「勝手にやってろ」とばかりに離れた所でタバコをふかしている。
事情を聞こうと話しかけた警官は、松竹梅親子同様けんもほろろにあしらわれた。
「大体、悠理に何かあるたびに助けに行く、僕達のこと少しは考えたらどうなんです!!」
「なんだよ、それ!!なにもムリに来てくれなんて言ってないだろ!!」
(ホントなんなんだよ清四郎のヤツ!夢ん中じゃあんなに優しかったクセに!!)
「ほー、そう言うことを言うわけですか。なら今度悠理に何かあっても絶対助けてなんかやりませんからね!!」
「あー!いいよ、別に!!ふんっ、なんだよ!このスケベ!!」
「ス、スケベ?!なんで僕がスケベ呼ばわりされなきゃいけないんですか!!」
「スケベだろ!!あたいを助けにきたときどさくさに紛れてキっ・・・・・」
―――キスしようとしたクセに
悠理はすんでの所でその言葉を飲み込んだ。
「助けたとき、なんですか?!」
急に言葉を切った悠理の顔をいぶかしげに覗き込む。
「な、な、な、なんでもない!!!」
(あ、あぶねー。アレはあたいの夢の中での話じゃないか・・。クソー!あんな変な夢見るからつい余計なこと口走りそうになっちゃったじゃないかぁ)
「悠理?」
真っ赤になって明らかに動揺している悠理。それを見逃す清四郎ではない。
オマケに突然「スケベ」呼ばわりされたのだから、これはもう追求しないわけにはいかない。
「はははは」と笑いながら踵を返す悠理の首根っこを捕まえる。
「どういうことなのか、じっくり説明していただきましょうか」
悠理が恐る恐る振り返ると、そこには先ほどの剣幕からは考えられないほどの微笑みを見せる清四郎の姿があった。

悠理は結局、誘拐犯よりも怖い男に捕まってしまうハメになった。
そして今になって先ほどの清四郎の言葉が身に染みる。
(あたいって、ホントに注意力足んないかもしれない・・・)
 

 作品一覧

 素材:MoMo house