史上最低のクリスマス・イヴ

by にゃんこビール様

 

 

一体どこからこれだけの人が集まってくるのかと思うくらい

六本木ヒルズは大混雑している。

いつもは静かな庭園もグリーンのイルミネーションで輝き、

あちこちの広場では個性的なツリーか飾られている。

その前では歓声が上がったり、写真のフラッシュが瞬いていた。

中でも高級ブランドが並ぶ「けやき坂通り」は、例年の如く白と青のライトで飾られ、

その下を歩く人たちは幻想的なイルミネーションに酔いしれていた。

大きなプレゼントを抱えた子供を真ん中に微笑む親たち。

予約したお洒落なレストランに急ぐOLたち。

そして他の人は目に入らない恋人たち。

 

誰もか浮かれる日。

今日はクリスマス・イヴ。

 

そんな幸せそうな人たちに逆らって可憐は歩いていた。

モスグリーンのコートのポケットに手を入れ、ブーツのヒールを響かせて

力強く歩いていた。

綺麗にカールされている髪も歩調に合わせて揺れる。

いつもなら男も女も振り返るくらいの彼女の美貌も、今日は誰も気が付かない。

みんな自分のことでいっぱいだから。

それがクリスマス・イヴ。

 

可憐も素敵なクリスマス・イヴを過ごす予定だった。

あの家族たちよりも楽しくて、

あのOLたちよりもお洒落で、

どの恋人たちよりも幸せなクリスマス・イヴを。

今年は特別だった。

彼女の憧れだった玉の輿の夢が叶うはずだった。

28歳にしてIT企業の社長。

ウォーターフロントの高層マンションに住み、所有する車は外車2台。

スポーツ万能、頭脳明晰なのにひとつも嫌みなところがない。

スマートな身のこなしにマナーも完璧。

顔だってそこらへんの芸能人が逃げ出すくらいの美顔。

本当にセレブと呼べる彼と夢のようなクリスマス・イヴを過ごすはずだった。

 

 

***

 

 

「今日は七面鳥の食べ放題なんだ〜♪」

成績表のことはすっかり忘れた悠理が部室をスキップしていた。

「気持ち悪いこと言うなよぉ」

ぐぇっと美童は舌を出した。

「随分と楽しそうですけど、補修はなしでしたの?」

悠理のファンからもらったブッシュ・ド・ノエルを切り分けながら野梨子は家庭教師である

清四郎に聞いた。

「かろうじて。相変わらず大変でしたよ。まったく進歩がない」

大げさにため息をつく清四郎ではあるが、心なしか口元が緩んでいる。

「清四郎も死活問題だよね。悠理とクリスマスまで勉強なんて嫌だもんな」

ふふん、と美童が目を細めて清四郎を見た。

「そうですわね」

くすっと野梨子は笑った。

「僕はただ卒業するまでべんきょっ…」

「あれ?可憐、ケーキ食べないで帰っちゃうの?」

頬を染めて弁解する清四郎を制して、悠理が帰り支度を始めた可憐に声を掛けた。

「今日はイヴよ。デートに決まってるじゃない」

うふふっと可憐は返事をした。

「あー!あのパソコン屋?」

「違いますよ、ITベンチャー企業ですよ」

「今度こそ大丈夫みたいですわね」

やいやい騒ぐ悠理や清四郎や野梨子に可憐はふんっと鼻を鳴らした。

「うるさいわよ。今日は気合い入れなくっちゃいけないんだから!」

「いよいよプロポーズかな」

頬杖をついて微笑みながら美童が言ったとたん、ガタンと音がした。

今まで一言も話してなかった魅録が席を立っていた。

「…わりぃ。俺、用事があるから先帰るぜ」

仲間を一瞥して魅録は部室から出て行った。

「魅録も予定があるのかしら」

「何ですかねぇ」

野梨子と清四郎は顔を見合わせて首を傾げた。

「なんかさ〜最近の魅録、様子がヘンなんだよねー」

魅録の分のケーキに手を伸ばしながら悠理が呟いた。

ふーん、と言いながら美童はそっと可憐の様子を伺った。

可憐はただ黙って、魅録が出て行った扉を切なそうな目で見ていた。

 

 

***

 

 

「可憐ちゃん?」

名前を呼ばれて可憐は我に返った。

豪華なクリスマスディナーも終わり、夜景がよくみえる席に移って

デザートとコーヒーを飲んでいるところだった。

「あっ… ごめんなさい。ちょっとぼーっとしちゃって」

可憐は急いでにっこりと微笑んだ。

さっきから可憐の頭の中から消えないもの。

不機嫌そうに出て行った魅録の顔。

「今日は、魅録くんの話をしないね」

コーヒーカップを口に運びながら彼は聞いた。

「えっ…」

一瞬、可憐は言葉を詰まらせてしまった。

「そ、そんな。私、いつも話ししてましたっけ?」

笑みを浮かべながら膝の上のハンカチをぎゅっと掴んだ。

彼は静かにカップを置いて優しく微笑んだ。

「いつも楽しそうに話していたよ。とても大切そうにね」

「………」

可憐は言葉がでなかった。

そうだ、可憐にとって魅録は大切な存在。

「僕は何回しか魅録くんに会ってないけど、本当にさっぱりとしたいい男の子だよね」

そう、コンピュータに興味がある魅録を何度か会わせたことがあった。

そのとき意味もなく胸が苦しくなった。

あれは切ない恋心。

「君を幸せにする人はすぐそばにいるんだって気が付いてるんだろう?」

彼の優しい言葉に何も返せない。

「もっと自分の気持ちに正直にならなくっちゃ」

ほら、と彼に促されて席を立った。

可憐は小さい声で「ごめんなさい」と呟いて踵を返した。

 

 

 

彼と別れて店を出たところで行く当てもない。

ただ人波をかき分けて歩き続けるしかなかった。

この気持ちを伝えることができなくて、

この気持ちが通じることがなくて、

立ち止まったらそんな切ない気持ちが溢れ出しそうだから。

可憐はぐっとグロスが光る唇を噛んだ。

「泣くもんですか…」

力強く歩いているブーツのつま先はジンジン痺れてきたし、

北風に頬も冷たく強張ってきた。

「サイテー…」

可憐は赤くなった鼻をズズッとすすった。

 

BuBu… BuBu

バックの中の携帯が振動した。

こんなときは誰とも話したくないし、誰かと話したい、複雑な気持ちだ。

可憐はため息をついてバックから携帯を取り出した。

 

送信者:魅録

用件:no title

本文:今、どこにいる?

 

可憐は立ち止まった。

胸の奥から熱いものが沸き上がってくる。

「…なんで?」

魅録から、どこにいるかなんてメールがどうして入ってくるのか、可憐は呆然と

携帯を見つめていた。

BuBu… BuBu

またメールが入った。

 

送信者:魅録

用件:no title

本文:だからどこにいるか返事しろ!

 

「え…?」

可憐は頭が混乱してきた。

「なに?」

人通りが激しくなってきたところでひとり立ち止まっている可憐のそばに

革ジャンを着たひとりの男性が近寄ってきた。

「だから返事しろって言ってんだろ」

聞き覚えのある少しハスキーな声に可憐は振り返った。

そこには少し目を細めて、少し照れている魅録がいた。

「み、魅録、なんで?」

可憐は何度も瞬きをして魅録を見上げた。

うー…、と魅録は頭を掻きながら唸った。

まさかひとりでバイクを流していたら、可憐の彼氏から連絡をもらった、

なんてことは言えない。

「クリスマス・イヴ… だから」

苦し紛れに答えた魅録の言葉に可憐は吹き出した。

「なによぉ〜 それ〜」

「いいんだよ、なんでも!!」

魅録はぶっきらぼうに言うと可憐の腕を掴んだ。

可憐はゆっくりとコートのポケットから手を出して魅録の腕に絡ませた。

「行くぞ」

魅録はしっかりと可憐の腕を組んで歩き出した。

「行くってどこ行くわけ?」

可憐に見つめられて魅録は小さい声で呟いた。

「…決めてない」

可憐はピタッと立ち止まった。

ぐいっと腕を引っ張られて魅録が振り返って可憐を見た。

可憐は困り顔の魅録を見て楽しそうに笑い出した。

「もぉ〜 今日はクリスマス・イヴなのよー。サイテー!」

きゃははは、と笑う可憐に魅録もへへへ、と笑い出した。

 

 

 

人混みの中にふたりが消えていった。

誰よりも楽しくて、幸せなクリスマス・イヴ。

Merry Christmas!

 

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素材:canary