First Valentine

     BY さる様

 

 

  

ふたりが恋人になって、初めてのバレンタインがやってきた。

 

 

悠理が清四郎に贈ったのは、ちょっと不格好な二粒のトリュフ。

剣菱邸のシェフの特訓を受けて、悠理が悪戦苦闘の末作ったものだ。

箱を開けてそれを見た時、清四郎の顔にぱっと浮かんだうれしそうな色。

それを見ただけで、悠理の心は温かくなった。

 

 

放課後、清四郎に急かされて、悠理は部室によるのもそこそこに、ふたりで剣菱邸に帰ってきた。

あらためて取り出された悠理の手作りのチョコレート。

 

「これを悠理がねえ・・・」

箱の中の二粒の宝石を眺め、しみじみと呟く清四郎に、悠理は顔を赤らめつつ口を尖らせた。

「なんだよ、あたいがこんなの作るのは変だってことか?」

「ちがいますよ。うれしいんですよ。僕のために、こんなになったんでしょう?」

清四郎が悠理の手を取る。

あわてて引っ込めようとしたが、清四郎は許さない。

その手は、小さな切り傷や火傷だらけだった。

「ありがとう。悠理。いままでで一番うれしいバレンタインですよ・・・・・・」

そこで黙ってしまった清四郎に、悠理が不審の目を向けた。

「何?」

「いや、ちょっと思い出してたんです」

「何だよ、いったい」

 

片手にチョコの小箱、もう片手に悠理の手をとったまま、清四郎が微笑んだ。

「悠理がね、初めて僕にチョコをくれた時のこと」

「へ?だって、今度が初めてだろ?」

清四郎に握られた手を引っ込めようとしながら、悠理は怪訝な顔をした。

「いいえ。覚えてませんか?」

覗き込むような視線に、悠理は首を捻った。

「もしかして中三のとき?」

 

六人がつるむようになったあの年のバレンタイン。

たしか、倶楽部結成初のバレンタインに張り切った可憐の提案で、女の子三人でチョコを買って男性陣にあげた。

でも、それはその年限り。

野梨子と可憐は、その後も毎年義理チョコを欠かさないが、悠理がそんなことをしたことはない。

悠理にとってバレンタインは、常に「チョコをもらう日」であって「あげる日」ではなかった。

今日までは。

 

「違いますよ」

清四郎が首を振る。

「もっと、ずっと昔です。あの時悠理は、そんなつもりじゃなかったんでしょうけど」

「いったい、いつの話だよ」

悠理が焦れる。

もう一度、悠理の手をキュッと握りしめて清四郎が口を開いた。

 

 

 

******

 

 

 

その年まで、清四郎にとってバレンタインはひたすらに「わずらわしい日」だった。

幼稚舎に入ってからこのかた、毎年、その日は学園にいくのがおっくうだったくらいだ。

 

その日も朝、学園に着いた途端、手に色とりどりの包みをもった女の子に取り囲まれた。

みんな一見しおらしげにしているが、しかし実際にはかなり強引にチョコを押しつけてくる。

しかも、背後からは一緒に登校してきた野梨子の冷たい視線。

自分だって、朝、「はい、清四郎ちゃん」といって渡したくせに。

 

もともと甘いものがそれほど好きではない。

もてるのがうれしい、という性格でもない。

小学部の三年生ともなれば、大病院の息子である自分に、チョコを渡させようとする女の子の親たちの思惑も感じ取れるようになっていたから尚更だ。

 

−−−−−ああ、もう、面倒くさいな。

でも、表面上はあくまでにこやかに。

「ありがとう、うれしいな」

にっこり。

誰からのでもうれしくない以上、全部もらうか、全部断わるか二つにひとつだ。

すでに、優等生の仮面は清四郎の顔にぴたりと張りついている。

優等生のいい子たるもの、女の子の好意を無下に断わるのもまずいだろう。

 

その時、清四郎たちの背後から、「きゃああ」と声があがった。

皆、一斉に振り向く。

大勢の女の子たちの視線を集めて、一人の少女が黒塗りの車から降りたところだった。

 

「剣菱さーん」

「悠理さま〜」

チョコを渡そうと待っていた女の子たちが駆け寄る。

「や、みんな。おはよ」

ふわふわした髪を陽差しにきらめかせながら、アポロンのように悠理が笑った。

ほぉ〜と周りからため息が漏れる。

 

思わず、清四郎も見とれていた。

日に透けて金色に輝く髪、白い肌、淡い色の大きな瞳。

美少女とも美少年ともみえる整った顔立ち。

見かけだけなら、まるで人形のようにかわいい。

まさか、この子がとんでもない乱暴者とは誰も思わないだろう。

 

しかし、ガサツな言動すら女の子達には「男らしさ」として魅力的に映るらしい。

だから、バレンタインデーには、清四郎を含めた男の子達をしのいで、つねに悠理が一番人気なのだ。

 

「じゃ、菊正宗君」

清四郎の周りにいた女の子たちの一部も、悠理を囲む輪の方へ移動していく。

 

「女の子が女の子にあげるなんてヘンだわ。ね、清四郎ちゃん」

いつの間にか横に並んだ野梨子が、険のある声で言う。

「人気者ってことだよ。いいじゃないか」

清四郎は、いつものように軽くかわす。

もう一度、悠理が見たくてそっとそちらに顔を向けたら、当の本人と目が合った。

悠理の顔が一瞬険しくなる。そしてすぐフンとばかりに顔を背けた。

あの時からずっとそうだ。

清四郎と野梨子がふたりでいるとき悠理と出くわすと、いつもあんな顔をする。

そして、それを見るたび、清四郎は少し寂しい気持ちになる。

−−−−もう、あの時野梨子ちゃんにかばってもらってた僕じゃないんだけどな。

 

 

悠理にコテンパンにやられたあの時はショックだったが、不思議と不快感や嫌悪感は残らなかった。

面白い子だな。むしろ、興味を引かれた。

だから、それからずっと、ひそかに悠理を見てきた。

確かにガサツで乱暴者で、しょっちゅう女の子にあるまじき喧嘩をする。

しかも、喧嘩のタネをすすんで拾いたがるきらいがある。

でも、理不尽に相手に喧嘩をふっかけたりすることは決してない。

そして、それは、ほとんどが自分より弱いものを守るためだった。

 

−−−−じゃあ、悠理ちゃんのことは誰が守るんだろう。

あるとき、ふと清四郎はそう思った。

悠理にやられたことがきっかけで始めた武道だったが、その頃から清四郎にひとつの目標が出来た。

「いつか、悠理ちゃんを守ってあげられるくらい強くなろう」

 

 

しかし、守るも何も、あれから五年もたっているのに友だちにすらなれていない。

そっとため息をつく清四郎の腕を、野梨子が引っ張った。

「何してるの?早く行きましょう」

背後に心を残しつつ、清四郎は野梨子と共に校舎に向かった。

 

 

 

放課後。

清四郎は、朝から続く女の子の波状攻撃に疲れて、早々に教室から逃げ出した。

何となく、まだ野梨子とも顔を合わせたくない。

潔癖な性格から来ているのだろうが、チョコを渡す時媚をうる女の子たちに対する野梨子の批評は手厳しい。

好意の押し売りも、厳しい批評ももううんざりだった。

 

どうせ、野梨子と帰らなければならないのだが、とりあえずしばらくひとりになりたかった。

よい子の仮面を着けるのに疲れた時行く場所は、いくつかある。

その一つに向かいかけて、清四郎は思いなおし、ある場所に向かって歩き出した。

 

校舎の裏手に、普段あまり使われない準備室や視聴覚室などに面した裏庭がある。

清四郎は、生徒が中に入らないようお義理につけられた仕切りを難なく越えた。

低い植え込み越しに、人影がないのをみた清四郎は、ほっとしたような残念なような気持ちになった。

それでも、しばらくそこにいようかと、足を進めたとき。

ガサガサっと音がして、「わっ」と声があがった。

清四郎も思わずビクンとする。

植え込みの奥から頭をあげた悠理が、目を見張ってこちらを見ていた。

「き、きく・・、ななな、なんで、お前が、こ、ここ・・・」

驚きの余り悠理がどもっている。

こちらも内心焦っていたが、清四郎は、素早く落ち着き顔を取り戻し、にっこり笑った。

「あれ、ゆう・・剣菱さん。君もここ、知ってたの?偶然だね」

 

実は嘘だ。

清四郎がここへ来たのは、ここが悠理の隠れ場所だと知っていたから。

二年生の頃、ひとりで校舎の裏手に行く悠理を見かけ、こっそり後をつけてここを知った。

以来、清四郎もたまにここに来る。

いつも、悠理とばったり会えたらという気持ちと、そうなってしまったら悠理がもうここへは来なくなってしまうという相反する気持ちでドキドキしながら。

これまでは、鉢合わせしたことはなかったけれど。

 

「ぐ、ぐうぜんて、ここは、あたいが見つけた場所だぞっ」

「でも、僕も、ここ好きなんだ」

わめく悠理を軽くいなし、平静を装って、清四郎は悠理に近づく。

植え込みの陰には、沢山のチョコの残骸が散らばっていた。

どうやら、今日の戦利品を試食中だったらしい。

「でも、なんで、こんなところにいるの?放課後、チョコ渡しに来る子だっているんじゃない?」

「は、腹減ったんだい」

ふてくされた顔をして、悠理がそっぽを向いた。

「だいたい、お前こそ何でここにいるんだよ。あの女と帰るんじゃないのか」

 

相変わらず悠理は野梨子を毛嫌いしている。

それは、野梨子も同様で、ふたりは決して口を利こうとしない。

だが、清四郎は、機会があれば悠理に話しかけるし、悠理も喧嘩腰ではあるが返事をするのだ。

 

「うーん、ちょっと疲れちゃったから、帰る前に少し休もうかと思ってね」

ぷっと悠理が噴きだした。

「なんだよ、ジジイみたいだな」

悠理が笑ってくれたのがうれしくて、清四郎も笑顔になる。

「君だって、同じだろ」

これだけの量をもらったということは、それに見合う愛想を振りまいたということだ。

悠理の人懐こさは天然のものとはいえ、一日中では疲れるだろう。

 

「それにしても、ずいぶんいっぱいもらったんだね」

開けたもの、開けてないもの、色とりどりのチョコの包みが山になっている。

さりげなく、悠理の向かいに腰を下ろした清四郎は、周りを見て言った。

すると、思いがけない反応が返ってきた。

「お、お前だって、いっぱいもらってたじゃないか、鼻の下伸ばして」

驚いて、顔を見るとなぜかまた不機嫌になっている。

「別に、鼻の下なんて伸ばしてないよ。でも、せっかくの好意を断わるのもわるいだろ」

「やっぱ、お前はいい子チャンなんだな」

揶揄するように言われて、つい本音がこぼれた。

「でも、もらっても、そんなにうれしいわけじゃないけどね」

 

悠理が目を丸くした。それから、ニヤッと笑った。

「へえ、お前って、そういうヤツなんだ」

清四郎も、同じような笑みでそれに応えた。

ふたりの間に共犯者めいた空気が流れた。

 

初めて悠理とこんなふうに話せたのがうれしくて、清四郎は気にかかっていたことを聞いてみる気になった。

「だけど、剣菱さんは?誰かにチョコあげないの?今日は、女の子が男の子にチョコあげる日でしょ」

途端に悠理が顔をしかめた。

「気持ち悪いこと言うなよ。なんで、あたいが、男にチョコなんて。それに・・・」

そこで言い差す。 

「それに?」

肩を竦めて悠理が言った。

「あたいからチョコもらって喜ぶ男はいないよ」

 

「そんなことないよ」

清四郎の口から、考えるより先に言葉が飛び出した。

「僕なら、うれしいよ」

 

あっけに取られたように、悠理が清四郎の顔を見つめる。

清四郎も、自分の言った言葉に驚いて、悠理を見たまま固まった。

 

しばらく、ふたりは黙っていた。

さすがの清四郎も、このあとどうしていいかわからなくなった。

 

「あ・・ごめん、変なこと言って」

先に視線を逸らしたのは清四郎。

悠理はまだ、びっくり顔で固まったまま。

 

いたたまれず、清四郎は立ち上がった。

何でそんなことを言ったのか、自分ではうすうす自覚していた。

でも、こんなことをいま言ったら、悠理は戸惑うだけだろう。

 

「じゃまして、ごめんね。僕もう行くから・・・・」

背中を向けた清四郎を悠理の声が引き止めた。

「待てよ」

振り向くと、物問いたげな顔の悠理と目が合った。

悠理は、すぐに俯くとがさごそと周りをかき回し出した。

そして、散らばっていた包みからひとつ取り上げて差し出す。

「一個やるよ」

 

驚きと、うれしさと、戸惑い。そして、ちょっと呆れる気持ちが同時に湧いた。

清四郎は、ふっと笑うと手を振ってそれを断わった。

「それは、君がもらったものだろ。くれた人に悪いよ」

 

「そ、そか。そうだよな」

悠理は、一瞬しゅんとした。

が、すぐにぱっと顔を輝かせた。

「そうだ」

なぜか、制服のポケットに手をつっこんでいる。

左右探し回って、何かを引っ張り出す。

 

「ほら!」

手のひらに乗せて差し出されたものは−−−−−

 

カラフルな銀紙に包まれた小さな円錐、下からJの字をした棒が飛び出している。

そう、それはパラソルチョコレートだった。

悠理の体温で溶けたのか、傘の部分が少しひしゃげている。

 

「おやつにしようと思って持ってたんだ」

少し得意そうに悠理が言った。

「これなら、いいだろ。お前にやるよ」

 

「なんで、僕に?」

差し出されたそれと悠理の顔を見比べて、つい清四郎は訊いた。

「へ?」

一瞬怪訝な顔をしたあと、悠理は顔を赤らめた。

「だって、お前が言ったんだろ。あたいからチョコもらったらうれしいって」

 

果たして悠理がどんなふうにあの言葉を受け止めたのか、どういうつもりでこうしてくれるのか、清四郎には分からなかったが−−−−−。

 

「ありがとう」

素直にうれしかった。

バレンタインに女の子からチョコをもらって、うれしかったのは、これが初めてだった。

悠理の小さな手からパラソルチョコレートをそっと取ると、きゅっと握りしめた。

「本当にありがとう」

 

 

 

******

 

 

 

「そんなこと、あったっけ?」

悠理が首を傾げた。

「ひどいですね。僕は、あの時のパラソルチョコレートの銀紙も柄も大事に取ってあるのに」

「え、そうなの?変な奴」

 

 

 

あのあとしばらく、ふたりでもじもじしていたが、すぐに下校の校内放送があった。

先生が見回る前に帰らなくてはならない。

清四郎は、野梨子が待っていることをようやく思い出した。

腰が浮いた清四郎に、瞬く間に悠理の機嫌が悪くなった。

「早く行けよ、どうせ、あいつが待ってるんだろ」

それでも、清四郎は、何度も「ありがとう」をくり返しながら、その場を立ち去った。

 

翌日から、またいつもの喧嘩腰の悠理に戻ってしまったけれど。

清四郎は、しばらくその時のチョコを宝物のように持っていた。

やがて、食べてしまったあとも、銀紙と柄をきれいに洗ってしまっておいたのだ。

 

 

 

箱を覗き込んで、くすり、と清四郎が笑う。

「あの時のチョコも、ちょっとひしゃげてましたね」

 

悠理がムッとした顔をする。

「そんなこと言うなら返せよ」

伸ばした手をかわして、清四郎が箱を高く持ち上げる。

「いやですよ」

 

 

たぶん、あの時から。

清四郎は、この日が来ることをずっと待っていた。

 

 

「だって、どんなにひしゃげてたって、悠理がくれるチョコがいちばんうれしいんですから」

 

 

悠理が本物の恋人になって、心をこめてチョコをくれる日を。

 

 

清四郎は、黙ってしまった恋人の前に笑いながら箱を突き出す。

「何だよ?くれるの」

一緒に食べようということかと、悠理が手を伸ばす。

 

「悠理」

 

顔を上げた悠理に向かって、清四郎は大きくあーんと口を開けた。

「な、ななな、お、おまえ、な、なに、ハズいこと・・・」

「いいじゃないですか。悠理の作ってくれたチョコを、悠理の手で食べさせてくださいよ」

清四郎は子供のようにねだって、再び口を開けた。

悠理は顔を真っ赤にしていたが、しかたないなあ、と呟きながらチョコをひとつつまんだ。

 

おずおずと伸びてきた悠理の手が、口元まで届く前に。

パクリと悠理の指をくわえる。

「あっ」

そしてそのまま、悠理の手首を引き寄せて清四郎は囁いた。

 

「お返しは早い方がいいですよね」

 

 

初めのバレンタインも、ホワイトデーも。

ふたりで一緒に味わおう。

こうして、たがいの甘い唇で−−−−−。

 

 

 

end. 

 


楽しそうなみなさまの様子を見て、ついつい、バレンタイン話を書きなぐってしまいました。

お祭りに参加できてとてもうれしいです。フロさま、麗さま、ありがとうございました。

ところで、あとから急に不安になりました。パラソルチョコレートって、まだあるの?

検索検索・・・・あ、あった。よかった。もうとっくに売ってなくて、いつの話って言われたらどうしようかと思いましたよ。 

 

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