「ゆりかごの海」 BY hachi様 ミュスカ王女暗殺未遂事件のあと、傷心の美童を含む六人は、ラスベガスへと向かった。 そして―― 繰り出したカジノで、ものの見事に六人揃って全財産を摩ってしまった。 帰路の船代までなくした六人は、行きは客として堂々と乗り込んだ豪華客船に、船員として乗り込む羽目に陥ったのだ。 このお話は、その長い長い船旅の中での、何ということはない、小さな小さな出来事。 船での仕事は、基本的に八時間勤務の三交替制だ。 しかし、無一文の訳あり新入りに対する風当たりは非常に強く、六人は、こき使われるだけこき使われ、三交代制など無視して、十時間以上も働かせられることも多かった。 まあ、先輩船員の気持ちも分からなくはない。何しろ、乗客として好き放題していた奴らが、自分たちより目下の立場になったのだ。少しくらい意地悪をしたくなっても、仕方ないだろう。 この日も、夜の九時からぶっ通しで掃除をさせられていた清四郎と悠理が、ようやく仕事を終えて狭い部屋に戻ってきたのは、乗客たちが優雅に朝食を取ったあとであった。 「ぶわぁ、疲れた〜」 部屋に入るなり、悠理が二段ベッドの下段に突っ伏した。 「こら。そこは僕のベッドでしょう。」 清四郎は、悠理の襟を掴み上げ、無理矢理に退かそうとした。 「どっちに寝ても、ベッドはベッドだろ〜?ぐちぐち言ってないで、お前は上で寝ろよ〜!」 理不尽な意見に、清四郎は秀麗な眉を顰めたが、今は小言を垂れる気力もない。最後の力を振り絞って梯子を登り、上段のベッドに這い上がった。 六人が与えられた居住スペースは、二段ベッドが押し込まれた小部屋がみっつ。もちろん、トイレどころか洗面台もついていない。もともと船員の部屋は船体の内部にあるため、当然の如く窓もない。むろんのこと狭さも天下一品で、ベッドの横を通り抜けるのも一苦労する。 全財産をカジノで使い果たしたのは、各々の責任ではあるが、圧迫感に押し潰されそうな部屋に、疫病神の美童といるのは、全員が嫌がった。 揉めに揉めた結果、野梨子と可憐以外でローテーションを組み、三日交替で美童と同室になることに決まった。 美童はひとりいじけて泣いていたが、皆の心情を考えれば、当然の決定であろう。 ローテーションに従い、清四郎と悠理が同じ部屋で眠ることも多い。 悠理は猿に見えても女に見えることはなし、清四郎も男女間における情緒が完全に欠落しているので、間違いなど起ころうはずもない。そういう意味では、大変に安全な組み合わせであった。 「・・・腹減った・・・」 ベッドの下段から、悠理のくぐもった声が聞こえた。 「チョコナッツバーでよければ、僕のバッグの中にありますよ。」 枕に突っ伏したまま、清四郎が応える。一時は文無しだった清四郎でも、今はチョコナッツバーを買うくらいの小銭なら持っていた。語学に堪能な清四郎は、乗客からのチップも貰いやすいのだ。 「バッグって、どこ?」 「ベッドの下です。」 「無理。疲れてて動けない。清四郎、取って〜!」 「二段ベッドの上にいる僕が、どうして下のベッドのさらに下にあるバッグを取らなくてはいけないんです?貴女の馬鹿が治ったら、取ってあげますよ。」 「・・・」 悠理のもぞもぞ動く気配が、ベッドの上段まで伝わってきた。 眼を閉じた清四郎の耳を、様々な音が通り過ぎていく。 エンジンの震動。悠理が包装紙を開ける、かさかさという音。 そして、聞こえるか聞こえないかの、波音。 すべてが清四郎を眠りに誘うかのごとく、耳を優しく擽っては去っていく。 ややあって、チョコの匂いが、鼻腔を擽る。 清四郎は仰向けになって、目元を腕で覆った。 ざ・・・ざ、ざ、ざ・・・ 船体が、波を切る。 ゆうら、ゆうら・・・ 海のうねりが、背中に伝わる。 心地良い眠りが、慣れない労働に疲れた清四郎を誘った。 「・・・ミュスカ王女、今頃は何をしているのかな・・・?」 悠理の声が、清四郎を眠りの淵から引き上げた。 清四郎は、腕で眼を覆ったまま、掠れた声で答えた。 「ウィリアム氏との蜜月でも楽しんでいるんじゃないですか?」 エンジンの震動。遠い波音。 睡魔は、すぐ近くまで忍び寄っている。 「美童も馬鹿だよなあ。ちょっと考えりゃ、自分とクリソツな男をさ、好きになるはずないって分かりそうなもんなのに。」 清四郎は、眼を閉じたまま、つまらなそうに答えた。 「美童が一番好きなのは、自分ですからね。気づかなくても仕方ありませんよ。」 答えながら、意識が遠くに引いていくのを感じる。 「あはは、確かにそうだよね。」 くしゃ、と包装紙を丸める音が、ずっと遠くに聞こえた。 ・・・ざざ・・・ざざ・・・ざざ・・・ 繰り返す波音は、覚えてもいないのに、母の胎内を思い起こさせる。 ごそごそと、悠理が動く気配がした。 「・・・せーしろー、寝ちゃった?」 「・・・いえ、まだ寝ていませんよ。」 やけに声が近い気がして、重い瞼を開けると、悠理が清四郎の顔を覗きこんでいた。 大きくて印象的な瞳が、くたびれたシーツの上から覗いている。 「何か用ですか?」 不機嫌丸出しの声で尋ねながら、悠理に背を向ける。 「別に用はないけどさ、何となく・・・」 悠理の指が、清四郎の背をつんつんと突つく。 「何となく?」 背を向けたまま、恐ろしく不機嫌な声で聞き返すと、悠理はうーんと唸って、黙り込んだ。 しばしの沈黙のあと、清四郎は小さな溜息をひとつ吐いて、身を反転させた。 悠理は上段のベッドに顎を乗せて、清四郎をじっと見つめていた。 「疲れているし、眠いのに、何となくこのまま眠ってしまいたくない、ですか?」 栗色の髪が、大きく上下に揺れた。 「分かりましたよ。とにかく、その恰好じゃきついでしょう。付き合ってあげますから、下のベッドに戻りなさい。」 「でも、下にいたら、お前の声が聞こえないんだもん。」 腕っ節は強いのに、悠理は甘えん坊で、加えて重度の寂しがり屋でもある。 清四郎は仕方なく悠理に背を向けて、身体を壁に寄せた。 「ほら、これでいいでしょう?」 「うん!」 悠理は弾む声で答えると、すぐに梯子をのぼってきた。 ぎし、と固いベッドが軋み、清四郎の背中に、あたたかいものがつっついた。 頭だけ起こして後ろを見ると、悠理も清四郎と同じように、こちらに背を向けて寝そべっていた。 年頃の娘が、男とひとつのベッドに寝るなど、無防備が過ぎるが、清四郎も、悠理も、色恋とは程遠い位置にいる。 誰よりも安全で、誰よりも安心できる、そんな関係なのだ。 二人は、狭いベッドで背中をくっつけながら、思いつくままにおしゃべりをはじめた。 船上でのハードな労働についてや、失敗談。 貧乏神を背負った美童への、悪意のない文句。 そして、一緒に危機を掻い潜ってきた、いくつかの冒険について。 波音を枕に、海をゆりかごに、二人はとりとめもない会話を交わしつづけた。 三十分ほどしたところで、二人の口から、同時に欠伸が漏れた。 「そろそろ寝ましょうか。」 「うん・・・」 悠理は半ば眠りの世界に引き込まれかけているらしく、返事はほとんど声になっていなかった。 「ほら、眠るのなら、下のベッドに戻りなさい。」 「・・・ん。」 答えながらも、悠理が動く気配はない。 清四郎が下に行こうにも、悠理が邪魔になって降りられないし、とにかく起き上がるのも億劫なほど、眠かった。 清四郎は、仕方なく、悠理の気配を背中に感じたまま、心地良い睡魔に身を任せることにした。 ざざ・・・ざざ・・・ざざ・・・ 繰り返す、波音。 ゆうら、ゆうら。 海の胎動が、ベッドを揺らす。 背中に感じる、悠理の体温。 そのすべてが、やけに心地良かった。 「・・・せいしろ・・・」 悠理の囁きが、ほんの少しだけ、清四郎を現実の世界へ引き戻した。 「・・・ん?」 「ずっと、こうやって一緒にいられたら良いね・・・」 そうですね、と答えたかったけれど、声にはならなかった。 眠りの淵を彷徨っていた意識が、限界を迎えたのだ。 本当は、清四郎も同じ気持ちだと伝えたかった。 ずっとずっと、悠理とこうしていたかった。 だけど、それを伝える前に、清四郎は眠りの世界へと落ちていった。 胸のいちばん奥に、生まれたばかりの小さな感情を抱きながら。 悠理とて、完全に起きていたわけではない。 ふわあ、と大きな欠伸をすると、狭いベッドで背中を丸めた。 ぎゅう、と二人の背中がくっついた。 悠理が、満足げに微笑む。 合わせた背中だけでなく、胸の真ん中も、ほっこり暖かい気がして。 「なんでだろ・・・せいしろーと一緒にいるとね、すごく・・・」 言葉の最後は、寝息に変わった。 疲れ切って、背中を合わせて眠る二人は、まるで幼い子供のよう。 そんな二人を、低いエンジン音と、微かな波音が、優しく、優しく包んでいた。 大きな海のゆりかごに揺られながら、二人は眠る。 二人の中に生まれたばかりの小さな感情も、ゆりかごに揺られて、今は眠る。 二人が一緒にその感情を育んでいくまで、ゆりかごは、密やかに揺れつづける。 − END −
世間では、すっかりお下劣&お馬鹿書きと誤解されている昨今。このまま誤解されっぱなしもイカンと一念発起し、低糖・妄想カロリーオフの文章を描いてみました。爛れていなくて拍子抜けされた方も多いでしょうが、たまのことですので、お許しくださいませ。って、こんなことを言うから誤解されるんですよね(笑)あら?どこからか、誤解じゃないとの声が・・・きっと空耳vv 「誤解」じゃなくて「理解」・・・(フロ)
|
背景:素材通り様