First Love 2

  BY nero様



   
しばらく、ぼーっとしたままその写真を眺めていた。
涙はまだコロコロと写真の上に乗っかっていたので、あたいは拭くものを探した。
だってさ、せっかく花の水には助かったのに、あたいの涙で濡らしちまったら悪いだろ?
「……ティッシュ、全部使っちゃったんだっけ……」
あたいは涙を水を吸ったテッシュの上に落とし、写真をTシャツでゴシゴシと擦った。
そして、写真を元どおり聖書に挟んで、そっと引き出しに戻した。

空になったグラスとチューリップを持ってキッチンへ降りると、和子ねえちゃんがいた。
医者になる手前って、研修医って言うんだっけ?
和子ねえちゃんはご飯を食べる暇もないって零していたけど、今は休憩中のようで、白衣のままでご飯を食べている。
「あら、悠理ちゃん、いらっしゃい。ちゃんと清四郎と青春している?」
悪戯っぽく笑う和子ねえちゃんに、あたいはさっきの女の人の事を聞く為に、口を開きかけた。

けど、あたいの口からは声が出なかった。
だって、勝手に見ちゃったのがバレちゃうだろ?
そんな卑怯な真似をする奴だと思われるのが嫌だった。
「……まあね」

「あら、元気ないじゃない。どうしたの?」
眉根を寄せ、箸を置いた和子ねえちゃんは、あたいの持っていた黄色いチューリップに目を留めたようだ。
「悠理ちゃんに、その花は似合わないわよ?」
「どうして?さっき、野梨子にも言われた」
「だって、黄色いチューリップの花言葉って、『実らぬ恋』っていうんだもの。ラブラブな貴方達には似合わないわ」

『実らぬ恋』か。
不意に可憐の言葉が思い出された。
―――初恋は実らないものよ。
ううん、そんなの迷信だ。
だって、あたいの初恋はちゃんと実ったじゃないか……

「どうしたの?気にしちゃった?」
怪訝そうな顔をする和子ねえちゃんに、あたいは顔を上げて精一杯笑った。
だって、今は意識しないと笑えないんだ。
「和子ねえちゃんはどうだったんだ?初恋」
すると、和子ねえちゃんは寂しそうに笑った。
「……そうね、花言葉のとおりかな?」

「やっぱ、だめだったの?」
今まで明るく喋っていた和子ねえちゃんだったのに、急に寂しそうな目をして、遠くを見つめながら言った。
「色んな男に言い寄ったりされて付き合ったことあったけど、あたしが初めて本気で好きになった人は……あたしの親友が好きだったの」

あたいはびっくりして目をまん丸に見開いた。
和子ねえちゃんほど美人で頭が良くても、男に振られるんだ。
そいつ、よっぽど女を見る目がないよな。
あたいは、そう言葉にしようとしたのだが、和子ねえちゃんに先を越されてしまった。
「ほら、あたしって押せ押せタイプでしょ?好きだって思ったら、もう後先考えず彼に向かって一直線だった。私から告白して、彼からOKもらって、そして付き合うようになったの」

まるであたいみたいだ。
あたいもそうだったもんな。
清四郎が好きで好きでたまらなくって。
我慢できなくってコクったんだよな。
そしてOKをもらって付き合っているわけだけどさ。

「あたしと彼はデートするようになって、幸せだったわ。もうこれ以上にない幸せで、毎日が楽しくっ仕方なかった。そして、あたしは彼を親友に紹介したの。彼女も彼と馬が合って、今度は三人で遊ぶようになった。彼とあたしとあたしの親友。そして、よくある話よ。彼の気持ちがあたしから彼女に移っていったの」
和子さんはクスリと笑って肩を竦めた。

あたいは不思議だった。
どうして和子ねえちゃんは笑っていられるのだろう?
あたいなら二人とも許せないし、許そうとも思わない。
だって、二人して和子ねえちゃんを裏切っていたんだろ?
なのに、何で笑っていられる?
どうして?

「彼の気持ちが徐々に離れて行くことに、あたしも気が付いたわ。そして、彼の目が咲子へと向いていることにも。あたしは、彼の気持ちを取り戻すのに必死だった。咲子とは表面上仲良くしながらも、彼女の目の前で業と当て擦ったりして、今思うと相当嫌な女よね?」
「ううん、仕方ないよ。あたいだって同じ事するかもしれないもん。想う気持ちって、そう簡単に諦めきれないもんな。好きだって思えば思うほどさ」

そうね、と和子ねえちゃんはあたいに向かって微笑んだ。
「あたしの親友は……咲子っていうんだけどね、頑張ったの。彼を寄せ付けない為に、必死で頑張ってくれたわ。自分だって彼の事が好きだったのに」

和子ねえちゃんの声がほんの少し震えた。
まだまだ、その人の事が好きなのかな?
だから辛いのかな?
聞かないほうが良かったのかもしれないけど、ここまで聞いたら最後まで話した方がすっきりするに決まってる。
そうだよな、和子ねえちゃん?
「それで、どうなったの?」

「ある日、あたしはお互いが想い合っていることを知ったわ。邪魔だったのはあたしだったってわけ。その時はショックで自分でも信じられないことをしたけど……でもね、彼は大好きだったけど、同じ位咲子も好きだったの。だから……あたしは彼と別れたわ。だって、二人には幸せになってもらいたかったから」

頬杖を付きながら、和子ねえちゃんは自分の恋を話してくれた。
こんな風に話せるまで、いっぱい時間がかかったんだろうな。
事も無げに話してくれたけどさ、いっぱい泣いたし、いっぱい傷ついたんだと思う。
ましてや、相手は親友だったんだ。

「じゃ、その咲子さんて人も今は幸せなんだ。っていうか、和子ねえちゃんを泣かせたんだから、幸せになってないと許さないぞ!」
あたいは、写真のことも忘れ、右の拳を突き出してパンチをする真似をした。
ビシビシと拳を繰り出すあたいを見ながら、和子ねえちゃんはクスクス笑っている。
「有難う。悠理ちゃんは本当に可愛いわね。やっぱり似てるわ、咲子に」
「えっ?」

和子ねえちゃんは目に浮かんだ涙をふき取りながら、こう言った。
「咲子も悠理ちゃんみたいに真っ直ぐだったの。いつも笑ってふざけてばかりいて。清四郎なんかいつもオモチャにされていたもの」
「えっ、清四郎が?」
あたいは腕を突き出したまま、まるで金縛りに遭ったように動けなくなった。

不意に思い出された、引き出しの中の写真。
知らない男の人と寄り添う和子ねえちゃん。
そして、今より幼い清四郎が背中まで髪を伸ばした綺麗な女の人に、頭をぐしゃぐしゃにされていたっけ。
あの綺麗な人が、和子ねえちゃんの親友で咲子さん?
清四郎が写真を持っていた……人?
あたいの頭の中で、二つの疑問がぐるぐると渦巻いた。
「和子ねえちゃん、それって何時の話?」

「あたしが大学一年生の頃よ」
ということは、清四郎は中学三年、あの写真の頃だと思う。
あたいは写真の人が咲子さんだと確信した。
みんなは清四郎のこと情緒障害者だの、本気で女とは付き合えない、なんて言ってたけど。
恋……してたんだ、あいつ。

今、咲子さんはどうしてるんだろう?
まだ独身で、この家にも時々遊びに来ている、なんてことになっているなんて言わないで欲しい。
あたいは、ドキドキする心臓を無理矢理押さえつけ、思い切って口を開いた。
「咲子さんは、今何しているの?その彼と幸せにしている?」
そして、和子ねえちゃんの口から出た答えは、思いもしないものだった。
「咲子は……死んだわ」

「えっ?」
呆然とするあたいの耳に、和子ねえちゃんの言葉が入ってきた。
「五年前、彼は大学を辞めて北海道の実家の牧場を継ぐ事にしたの。彼のお父さんが倒れちゃって。それを咲子が追いかけていったんだけど、その飛行機が……事故に遭ったの」

咲子さんが死んでいた?
清四郎が写真を取っておくほど好きだった人が?
それって……酷すぎるよな。
一番輝いている時のまんま、ずっといるなんてさ。
清四郎の中では、あの写真のとおり、輝いて、笑って、綺麗なまんまの咲子さんなんだ。
そんなのって、あんまりだ……

そして、何かがあたいの中で引っ掛かった。
ちょっと待って。
五年前に死んでいて、あの写真の女の人、キュードーのカッコしてた……
もしかして、五年前に亡くなったじっちゃんの孫って、咲子さん?
清四郎は月命日の日に必ず弓を引いていたって言ってた。
それも、ついこの間まで。
それって、咲子さんを、ずっと忘れられなかったってこと?
それほど好きっだったってこと?

「ごめんなさい、なんだか辛気臭くなっちゃったわね」
和子ねえちゃんが業とおどけた様に声を上げた。
ただ突っ立って固まっていたあたいに、和子ねえちゃんが手元を指差した。
はっと、自分の手元を見ると、あたいはチューリップと空のグラスを握り締めていた。


「聞いてもいい?」
「なあに?」
水道の蛇口を押し上げ、あたいは水を注ぎながら胸に渦巻いている疑問の中の一つを、口にしてみた。
「その彼と、また付き合うって思わなかった?」

「無理よ。あたしより咲子を選んだ人よ?それに……」
和子ねえちゃんは声を詰まらせながらも、こう言った。
「咲子には……勝てないもの」
和子ねえちゃんが、まるであたいの気持ちを言葉にしたような気がした。
そうだよな。
死んだ人には勝てないよ。










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