気が付いたら朝を迎えていた。 あの後、様子を見に来た和子ねえちゃんが、清四郎を引きずって病室を出ていった。 きっと、おばちゃん看護婦さんが和子ねえちゃんにでも報告したのだろう。 眠れなかった。 眠ろうと目を閉じてみるんだけどさ。 真っ暗な中にも不意に浮かび上がってしまうんだ、咲子さんが。 いくら消そうと頑張ってみてもダメなんだ。 だから、あたいは眠るのを諦めた。 又、眠れない日々が始まるのを半ば覚悟していた。 コンコン。 ノックの後に続いて顔を見せたのは、野梨子と可憐だった。 「具合はどうですの?」 上半身を起こし、窓の外をぼうっと見ていたあたいは、野梨子へと視線を向けて笑顔で答えた。 「することが無くって、暇だったじょ」 だって、二人にはこれ以上心配をかけたくなかったからさ。 「着替えを持ってきたわよ。血の付いたTシャツのままじゃ、みんな悲鳴を上げちゃうもの」 あたいは自分の格好を見下ろしてみた。 言われてみれば、Tシャツの裾は乾いた血でゴワゴワしている。 けど、それ以上に考えることが多すぎて、全然気が付かなかった。 「サンキュ」 あたいは可憐から着替えを受け取って、手伝ってもらいながら新しいTシャツとショートパンツに着替えた。 「他の奴らは授業?」 あたいは再びベッドに上がりながら言った。 「廊下で魅録と美童が待ってますわ」 「着替えがあるから、あたし達が先に入ってきたの」 「入院ってわけでもないし、午後には家に帰ってもいいって言われているし。大げさだなぁ」 あたいは笑いながら答えたんだけど、可憐も野梨子も笑ってはおらず、二人の顔は真剣だった。 「みんな心配していますのよ」 「そうよ。授業なんかよりも、悠理の方が大事に決まってるじゃない。美童も魅録も同じ気持ちよ」 嬉しかった。 可憐も野梨子も魅録も美童も、みんなの気持ちが嬉しかった。 けど、一人が欠けていた。 あたいが大好きでたまらない人なのに、今一番会いたくない人。 会いたいけど、会いたくない。 そんな葛藤がずっと続いているのに、あたいの口は聞いていた。 「……清四郎は?」 「後で来るって言ってましたわ」 まだ嫌われたわけじゃない。 後で来るだけだ。 あたいはそう自分に言い聞かせて、業と明るく言った。 「そっか。魅録と美童にも入ってもらってよ」 「硝子で怪我したんだって?どうせ、その辺のチンピラ相手に暴れたんだろ?ったく、気をつけろよな」 「そうだよ、悠理だって一応は女の子なんだからさ」 魅録と美童が、心配げに包帯で巻かれた左手を見ながら言った。 あたいは、隣にいた可憐と野梨子へと首を動かした。 二人は黙ったまま、微笑んでいた。 サンキュ、二人にも黙っていてくれたんだ。 そんな可憐と野梨子の心遣いが嬉しくって、あたいは自然と笑顔になっていて、こいつらのセリフにのってやった。 「だって、向こうから先に手を出して来たんだもん、仕方ないじゃないか!美童!一応って何だよ、一応って。あたいはれっきとした女だ!」 「そうなんだよねぇ。それって、世界の七不思議のうちのひとつだよ、きっと」 「なにおう!」 一人きりで静かだった病室に、笑いが溢れ、俄然賑やかになった。 コンコン。 ノックの音が、あたい達の笑い声を止めさせた。 カチャリと音がして、ドアが開いた。 清四郎だった。 「悠理」 「あたしたち、外へ出てるから」 何故かみんなは、清四郎が部屋へ入ったのと入れ違いに、廊下へと出て行った。 「何かあったらすぐ呼んで下さいね」 野梨子が部屋を出る寸前、振り返ってそう言った。 何かって何だ? これから何かがあるってことか? コツコツと靴音を立てて、清四郎があたいに近づいた。 「座れば?」 「いいえ、結構です」 清四郎は立ったまま、しばらくあたいを見つめていた。 「悠理、お話があります」 いつにない重い口調の清四郎に、あたいは何時もと違う何かを感じた。 これから言おうとしている何かは、きっとあたいにとって良くない話だと。 やめろ、とあたいが口を開く前に、清四郎が告げていた。 「しばらく距離を置きましょう」 シバラクキョリヲオキマショウ。 まるで魔法の呪文のように聞こえたその言葉は、その意味さえ考えることも出来ずに、ただあたいの頭の中をぐるぐると駆け巡った。 聞きたくない。 解りたくない。 全身がその言葉を拒否していた。 けど、清四郎の話は止まらずに、続けられていた。 「僕達はもっと大人になる必要があります。悠理がこんな風に考えたりするのだって、本を糾せば僕が原因、悠理は……泣いてばかりいる」 沈黙が続いた。 清四郎の告白も、まるでお経を唱えているように呑み込めなかった。 数分が経過し、ようやく清四郎の言葉を理解したあたいは、全身でそれを拒んだ。 「やだ……」 あたいはひたすら首を左右に降り続けた。 「やだやだやだっ!!」 あたいは清四郎が着ていた白いシャツを掴み、泣きながらあいつに縋っていた。 「やだよ、清四郎!あたいが悪かったからさ。二度とこんなことしないって誓うから!」 しばらくあたいを見下ろしていたけど、清四郎はあたいの手を外し、自分の両手で優しく包みながら言った。 「僕の中で、悠理は勿論大切な人です。けれど、咲子さんも僕にとって大切な人でした。咲子さんのことは、自分では片を付けるつもりでしたが、 彼女を忘れることは出来ません。けど、それが悠理を傷つけてしまうのなら、僕達は距離を置いた方がいい。 幸いなことに、知人から合同研究の話がきていました。彼はいつでも来いと言ってくれています。僕は……アメリカへ行きます」 清四郎はあたいの頬を両手で包むと、親指で涙を両の目から流れる涙を拭った。 「待っていてくれませんか?寂しくはありますが、三年という期間は、必ず僕達を成長させてくれる年月であると信じています。僕は必ず迎えに来ることを約束します」 あたいは何も言わず、清四郎の腕を振りほどき、頭をブルブルと振った。 こんな状況で離れてしまったら、あたいなんかのことなんて、絶対忘れるに決まっている。 やっぱり別れたいんだ。 咲子さんが一番なんだ。 そんなあたいの心の内が解ってしまったのだろうか? 清四郎は寂しく笑って、ただこう言った。 「悠理、僕達は進まなくてはいけない。僕達二人の将来の為に」 あたい達の為だなんて、何でそんな嘘つくんだよ! あたい達の為なんかじゃないんだろ? 全て咲子さんの為なんだろ? 「嘘だ!あたいなんかの為じゃない!咲子さんが好きなんだろ?咲子さんが忘れられないから、あたいと別れたいんだろ?」 あたいは枕を抱きしめたまま、清四郎に背を向けたまま叫んでいた。 「嫌いだ!おまえなんか大嫌いだ!!さっさと何処へでも行けばいいだろ!あたいのことなんか好きでもなんでもないくせに! 咲子さんが一番のくせに!あたいなんか気にすることないじゃないか!!」 ふうっと清四郎が大きく息を吐くのが聞こえた。 「悠理……今は何を言っても信じてもらえないかもしれませんけど、僕はいいかげんな気持ちで交際を受けたわけではありません。 それに、告白されて以来、ずっと悠理…君が好きでした」 「さようなら」 清四郎が部屋を出ていく気配がしたけど、あたいはあいつの方を見もしなかった。 パタン。 コツコツと靴音が響いた。 段々と足音が遠ざかって行く。 「……しろう?」 もう清四郎に会えないかも知れない。 もう二度とあたいのところへは帰ってこないかも知れない。 そう思った瞬間、あたいは叫んでいた。 「清四郎、行っちゃやだよ……清四郎―――っ!!」 けれど、清四郎が戻ってくることはなかった。 「わあ―――っ!!」 あたいの絶叫と共に、可憐と野梨子が部屋に飛び込んできた。 「悠理!!」 「しっかりなさいませ!!」 可憐が震える身体を抱きしめてくれた。 野梨子が震える両手を握ってくれた。 けど、あたいの心も身体も凍ったままで、二人の温もりすら感じられなかった。 「可憐、野梨子、あたい……あたい、もうどうしていいか解んないよぉ!!」 作品一覧 |