First Love 7

  BY nero様



   
どれくらい泣いていたのだろう。
散々流した涙はシーツに大きな染みを作ったけど、時間と共に嗚咽も収まり、やがて涙も出なくなっていた。
けれど、身体の震えと喉の奥の痛み、そして心の痛みは治まってはくれなかった。
そんなあたいを、ベッドの両脇から可憐と野梨子が抱きしめてくれていた。

あたいはずっと俯いたまま、時折小刻みに身体を震わせた。
虚ろに宙を見つめ、考えることも出来ずに、ただ放心していた。
不意に名前を呼ばれた。
「悠理ちゃん」
伏せていた顔をゆっくりと持ち上げると、和子ねえちゃんが立っていた。
「昨日、清四郎から話を聞いたわ。咲子のことが原因ですって?まさか、悠理ちゃんが咲子のことを知っていると思わなかったから、 あたしの恋の話をしたんだけど……そのせいで苦しんでいたのなら、ごめんなさいね」
あたいは返事をする気力も残っていなくて、ただ和子ねえちゃんをじっと見つめていた。

「女の子の扱いが下手で、気の利いたセリフ一つ言えなくて、へんな所でバカ正直で、彼女を泣かせてばっかりの弟だけど、好きになってくれて有難う」
和子ねえちゃんは、そっとあたいの頭に優しく手を載せた。
ポンポンと優しく叩いてから、くしゃっとあたいの髪を優しく撫ぜる。
それは清四郎がいつもあたいにやってくれていたことだった。
その掌は清四郎より一回りほど小さいけど、まるで清四郎に撫でられているような気がした。
そう思ったら、和子ねえちゃんの話が、清四郎の心の内を代弁しているかのように感じられて、あたいはじっと耳を傾けた。

「悠理ちゃんの気持ちも解るの。昔のあたしがそうだったから。自分だけを見て欲しい、自分だけを愛して欲しいって。でもね、気付いたの。本当に相手の事を想っているのなら、恋するんじゃなくて、愛さなきゃダメってことに」
「……あたいは清四郎のこと、愛してる」

あたいはかすれた声を一生懸命振り絞った。
あたいは、いつだって清四郎を愛していた。
愛してくれなかったのは、あたいじゃなくて―――あいつ、清四郎だ。

けど、和子ねえちゃんは首を左右に振った。
「ううん、悠理ちゃんのは愛じゃなくて恋。愛は無償で与えるものよ。ああして欲しい、こうして欲しい、欲しい欲しいってねだってるだけ。違うかしら?」

否定したかった。
違う!、って大声で言いたかったけど、出来なかった。
だって、和子ねえちゃんに言われたことは本当だったから。
一番になりたかった。
咲子さんじゃなくって、あたいが。
清四郎の中であたいが一番になって欲しかったから。

「あたしにはどうして貴方がそう悲嘆にくれるのか解らないわ。確かに恋愛には不安はつきものよ?悠理ちゃんも咲子のことを知るまでは、 上手く行っていたじゃない。貴方には手を伸ばせば清四郎がいる。抱きしめる事だって出来るわ。キスすることだって出来るのに、何故迷ったりするの?」

あたいには答えることが出来なかった。
一人で勝手に不安になっていた。
真剣にあいつと向かい合って話したこともない。
清四郎が真面目に話しても、あたいはその答えが怖くて逃げていた。
なのに、勝手に思い込んで、あいつを責めたことも何度かあった。
逃げていたのは―――あたい。

「咲子は……私の親友は、貴史に愛を告げることもなく死んだわ。貴史は咲子が好きだったのに、それを告げる為に乗った飛行機が墜落して死んだわ。 咲子は戻ってこないし、目の前に現れることもない。ましてや清四郎に愛を告げるなんてこと、絶対にありえない。それでも……清四郎が咲子を好きだったことが許せない?」


解っている。
本当は解っているんだ、和子ねえちゃんの言っていること。
頭の中では解っていても、感情が付いていかなかった。
死んでいるからこそ、ずっと綺麗なままの咲子さんが清四郎の中にはいる。
死んじゃった人には、敵わない……よ。
「……でも、和子ねえちゃんだって言ったじゃないか。咲子さんには敵わないって。それって、死んでいる人には敵わないってことだろ?」

「それは違うわ」
あたいの言葉を、和子ねえちゃんは直ぐに否定した。
「あたしが咲子には敵わない、と言ったのは、別に彼女が死んだからじゃないわ。咲子は私と貴史が別れたって聞いても、 あたし達のことを心配してくれたの。その当時のあたしだったら、好きな男が別れたら、早速アタックしてたわよ。 けど、咲子は違った。あたしが咲子に行けって言うまで、彼女はあたしと貴史の仲を心配してた。だからあたしは咲子には敵わない、って思ったの」
和子ねえちゃんは、寂しそうに微笑みながら言った。
「死んだ人には敵わない、そう思う人だっているかも知れないけど、あたしは違うと思うな。そりゃ亡くなった人は永遠にそのままだわ。 けれど、触れることも、愛を告げることも、抱き合うことだって出来ない。人は思い出だけでは生きていけないわ。一人では生きていけないの。生きている誰かと一緒でないとね」

和子ねえちゃんの言葉が、あたいの頭の中のもやもやをスーっと消してくれた。
何で気が付かなかったんだろ?
清四郎に咲子さんとの忘れらない思い出があるんなら、それ以上に忘れられない思い出を作ればいい。
咲子さんには無い時間が、あたいにはまだまだたっぷり残っている。
これから先の、未来という時間が。

「まあ、あのバカも、言葉が少なすぎるのも問題だけどね」
和子ねえちゃんが、ことさらバカを強調して笑った。
そして、一呼吸置いてから優しく笑うと、あたいの髪にそっと手を置いた。
「悠理ちゃん、あなたに必要なのは睡眠と時間だわ。睡眠は今すぐ、時間は……そうね、あなたが清四郎の全てを 受け入れることが出来るようになるまで。どれくらいの時間がかかるか解らないし、辛いかもしれないけど、清四郎と離れるのはいい機会かもね」

「清四郎も外国で一人暮らしを経験すれば、いい男になって帰ってくるわよ。それに、必ず悠理ちゃんのところへ帰ってくるって言ったんでしょ?」
「……うん」
あたいは躊躇いがちに答えた。
帰ってくるとは言ったけど、そんな保障は何処にもない。

そんな不安な気持ちが顔に出ていたのか、和子ねえちゃんが頭に置いた手で背中をパンと叩いた。
まるで、心配するな!とでも言うように。
「なら、必ず帰ってくるわよ。バカ正直なあいつのことだもの、約束を違えることは僕の精神に反します!とかって言ってね」
清四郎の声色を真似て話す和子ねえちゃんに、ずっと隣にいてくれた野梨子も可憐もぷっと噴出した。

「私もそう思いますわ、悠理」
「そうね、あたしだって思うもの」
野梨子も可憐も涙を流しながら笑っている。
あたいも釣られて笑った。
久しぶりに、げらげらと声を上げて笑った。
「……そうだな」
あたいはそう呟いて、又声を上げて笑った。
「和子ねえちゃん、そっくし!」

ひとしきり笑いが収まると、和子ねえちゃんはあたいに向かって微笑んだ。
「ゆっくり休みなさい。そして、目覚めた時には、貴方はいい女になっているわ。私が言うんだから間違いなし。解った?」
「うん」
安心したせいか、急に睡魔が襲ってきた。
怒ったり泣いたり笑ったりしたせいで、とっても疲れていたから。
あたいはそっと瞼を閉じて、眠りへとついた。




目を覚ますと、ベッドの脇の椅子には可憐と野梨子が座って眠っていた。
二人にも心配かけたんだな、あたい。
部屋の外からは美童と魅録の話声が聞こえる。
ああ、あいつらもずっと待っててくれたんだ。

こいつらに守られてる、そう思った時、自然と笑みが浮かんだ。
まるで憑き物が落ちたように、あたいの心はすっきりとしていた。
清四郎の姿はなかったけど、呆れられたって仕方ないもんな。
自業自得ってやつ?
あたいが勝手に悪く思い詰めて、清四郎が差し出した手を放してしまったんだ。

これであたいもいい女になれるかな。
清四郎は距離を置くだけだ、って言ったけど、別れ際にあんなこと言っちゃったし。
多分、あたいのことが嫌いになっちゃったと思う。
そう思うのは悲しいけど、仕方ないよな、あたいが悪かったんだもん。
悲しいけど、とても悲しいけど、ほら、ふられた女の方がいい女になるって言うし。
うん、間違いないな。
あたい、今、とびっきりいい女だ。

だけど、今だけは泣いていいかな?
今だけ。
ほんの今だけ、いいよな?

「悠理?」
あたいが顔を上げると、可憐が心配そうに見ていた。
その声で、野梨子も目を覚ました。
「悠理、大丈夫ですの?」

あたいはぐぃっと右手で涙を拭ってから、にぱっと笑った。
「うん、あたい、もう大丈夫。心配かけて悪かったな、可憐、野梨子」
「何言ってんの!親友じゃない、あたし達」
「そうですわ!魅録も美童も外で心配していますわ。呼んで来てもよろしくて?」
「うん」


「悠理、落ち着いた?」
美童が心配そうに、あたいの顔を覗き込む。
うん、大丈夫。
有難うな、心配してくれて。

「悠理、清四郎は……」
魅録がそう口にしようとしたのを、あたいは首を振った。
「うん、解ってる」

解っているからさ。
清四郎はでっかくなって帰ってくるんだろ?
だから、あたいも大人にならなくちゃな。

清四郎が出て行った時、みんなはただ黙って見送っていた。
あの時は気が付かなかったけどさ、みんなも思ったんだろ?
あたい達はしばらく離れた方がいい、って。
距離を置かないと、壊れてしまうって。
だから……もういいんだ。

「あたい、もう大丈夫だからさ」
あたいはそう言って、ベッドから降りると、大きく伸びをした。
ほんの少しだけ左手首の傷が痛かったけど、今まで抱えていたジリジリと焼けるような痛みは不思議と消えていた。
和子ねえちゃんの呪文が効いたのか、まるで新しい自分に生まれ変わったようなスッキリとした気分に、あたいは笑顔で言った。
「よく寝たし、気分もいいし、みんな、メシ食いに行こうぜ!」

「はいはい」
野梨子が笑顔で答え、魅録も腕時計を見ながら言った。
「おっ、もう11時半か。昼メシ時だな」
「そういえば最近、近くにフレンチのお店が出来たわよね?そこは?」
可憐の提案にも、美童が待ったをかける。
「それ、『Le Rubis』だろ?んー、ランチは女性客ですごいよ?夜の方がムードがあって、僕は好きだけど」

二人はまだ考えているようだけどさ、あたいはレストランって気分じゃなかったんだよな。
がっつり食べたいから……
「あたい、『ハナミズキ』のオムライスが食べたいじょ!」

「そうね、たまに顔を見せないとマスターに叱られるもの」
「あそこのブルマンは絶品だね」
「俺はカレーだな」
「私はカルボナーラを頂きますわ」

あたいはみんなの声を聞きながら、久しぶりに感じた空腹に、他に何を食べようか真剣に考えていた。
頭の中はお店のメニューでいっぱい。
いつの間にか、咲子さんの顔は消えていた。



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