(…このまま…)
目が醒めたときから、わたしはずっとこの屋敷にいた。
空はどこまでも続いているのに、わたしはこの狭い世界から出られない。
清四郎を探しに行きたいだけなのに、その細やかな願いすら叶わない。
何もいらない。ただ清四郎が欲しい。清四郎の傍に居たい。
ここから離れられない己の身に気付いたとき、最初は嘆き悲しんだ。
愛する人の傍に居たいだけの願いが何故叶わぬのかと。
悲しみが薄れたあとは、己の身を恨み呪った。
自由にならぬこの身は現のこの世において在る価値が無いと。
十年経たぬ内に気付いた。
この孤独は神を欺いた罰なのだと。
(…このままゆるゆると…)
わたしのまわりに人がいなかったわけではない。
わたしはこの屋敷の人たちから愛でられてきた。
なれど彼らと言葉を交わすこともままならず、わたしはいつも立ち尽くしたままだった。
はらはらと零れゆく花びらに、わたしの言葉はのせられない。
この家から“清四郎”という名は出てこない。
わたしの香りに誘われてくる客人とてそれは同じこと。
彼らによってわたしは屋敷の外を知り得たが、わたしが望む言葉は遂に聞けなかった。
どこか遠いところに居るのか。それともまだ居ないのか。
存在の欠片でも掴めれば、わたしは強く在れるのに。
たおやかに漂う芳香だけでは、清四郎は探せない。
(…このままゆるゆると朽ちて…)
「おばあさま、この藤の木は枯れてしまうの?」
わたしを見上げるこの家の孫娘は、どこか愛するあの人に雰囲気が似ている。
いっそお前が清四郎ならば良いのに。
結ばれなくとも、傍に居られればそれで良いのに。
可愛い幼子よ、お願い。
わたしの代わりに外を見てきて欲しい。清四郎を探してきて欲しい。
そしてあの人に伝えて。
探しにいけなかったその訳を。
神を欺いた罰を受けていたのだと。
それでも清四郎を愛したことを後悔などしてないと。
(…このままゆるゆると朽ちていく…)
「おばあさま、何だか藤の木が泣いているみたい…」
人として生まれ変われぬとは思いも寄らなかった。
わたしがあの人を愛したことはそれほどまでに禁忌なのか。
ああ、百年は長すぎた。
…屋敷の奥から赤子の泣く声が聞こえる。
わたしが消えつつあるこのときに、この世に生まれ出ずる生があるのだ。
輪廻転生が理の世の中。回らぬものは何もない。
薄れゆくわたしに、なおも赤子の泣き声が届く。
この声は…たとえ赤子でも間違わない!
けれど遅すぎた。ああ、やはり百年は長すぎた。
わたしの哀しみは、この身を削る。
この百年が短く思える来世を信じ、わたしは朽ちて逝きましょう。
「悠理!悠理!!」
清四郎が少々乱暴な手つきで悠理の肩を揺さぶった。
「…えっ…、な、何?」
急に起こされた悠理は訳がわからずに清四郎の顔を見つめる。
「何って…。どうしたんです、そんなに泣いて」
「…泣いて?」
その言葉にびっくりして頬に手をやる。
指先に触れる、濡れた余韻。
涙が、記憶を呼び起こす。
「……夢を、見てたんだ……」
清四郎へと腕を伸ばすと、その身体に強く抱きつく。
「ううん。昔を見てた」
それだけで伝わる。
安心できる広い胸も、包んでくれる温かな腕も、今は悠理のものだ。
ようやく許された。
「…悠理が、藤の精だったときですね」
「お前、知って…!」
悠理が驚いたように顔を上げた。
「知っていましたよ。あと一年早く生まれていればと、朽ちた藤の木の前で泣いたこともあります」
清四郎の手が柔かい悠理の髪を梳きはじめた。
悠理は目を閉じて、清四郎の手を感じとる。
泣いたのはあの時だけではない。
泣いたのは自分だけではない。
それでも、出会ったことを後悔したことはない。
百年が短く思える未来は、今。
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