愛の証





〜2〜



記事が世に出て数日後、悠理が誘拐された。
脅迫状は万作宛にではなく、清四郎に届いた。
“清四郎の一番大切なものを奪ってやる”そう書かれていた。
犯人の目的は営利誘拐などではない。悠理そのものだった。

幸か不幸か、誘拐慣れしている悠理本人とその家族や清四郎を始めとする仲間。
「清四郎の一番大切なもの」って、大切には違いないけど、何かニュアンス違うよな、と仲間で笑い合う余裕もあった。
そして、いつもながらの見事な連携プレーで、大きな怪我もないうちに悠理を発見することができた。
誘拐犯は、魅録より一足早く助けにきた清四郎によって倒され、床に転がっている。
いつものように「遅い!」「お待たせ」とやり取りをし、悠理を立ち上がらせた時だった。

清四郎は、ドンっと横に突き飛ばされた。


その時の光景が、今でもスローモーションを見るように思い出される。


突き飛ばされるのと同時に、パンパンと乾いた音が数発続いた。
すぐに体勢を立て直し振り向くと、魅録が拳銃を構えた姿勢で固まっている。
視線をその反対側に向けると、立っていた悠理が風にあおられたようにふわりと浮び、その後、前にくたりと折れた。


「悠理!」
叫んだのは、魅録の声だったのか、自分の声だったのか。
清四郎は、今となってはそれを思い出すことができない。


悠理を撃った男はすぐに取り押さえられた。
―――男は、魅録のすぐ後ろに立つ警察官だった。

魅録と共に現場に駆けつけた警察官は、誘拐犯の息子だったのだ。
悠理を誘拐した犯人の会社が倒産をした時、両親が離婚し、母親の姓となっていたので気がつかなかった。いや、姓が同じだったからと言って、恐らく気づかなかっただろう。
悠理を狙ったのは、社長であった父親。必ず助けに来るであろう清四郎をその息子は狙っていた。


力では清四郎にかなわない、と言っていた悠理のどこにあんな力があったのだろうと思う。
魅録の後ろで、清四郎に銃を向けた男の姿を見た悠理は、瞬時に清四郎を突き飛ばし、自らその銃弾に倒れたのだ。

青冷めた顔で、少しづつ息が乏しくなっていく悠理に、清四郎は真っ白になった。
その真っ白な頭の中で、二つのことだけが、じわじわと広がってくる。
犯人を殺してやる、と思う怒りと、悠理を失うと思う恐怖。
それは、撃たれた悠理の腹部を押さえている上着に、血が染みわたって行くのと同時だった。

あの瞬間を、清四郎は決して忘れることはない。

皮肉にも、その時気づかされた。
悠理を―――愛していると。そして、愛していたのだと。




画:たむらん様




ピ、ピ、ピ、ピというモニター音とコポコポと酸素を送る音がする。

清四郎は、菊正宗病院にいた。
銃弾に倒れた悠理は、ここに運ばれてから3日間、出血多量で生死の境をさまよい続けている。
その間、清四郎は、自分が何をしているのかまるでわからなくなっていた。
いつ寝て、何を話し、何を食べているのか。今日が何日かさえもわからない。
子供の頃の悠理の姿を思い出したり、最近の悠理の姿を思い出したり。
何も語らない彼女の横で、じっとその顔を見つめて座っていた。

家族も仲間も「清四郎が悪いわけじゃない」と慰めてくれたが、ここを離れられない理由は、罪悪感からではなかった。
ただ、ついていてやりたいと思う。それだけだった。


いつものようにベッドサイドの椅子に座り、組んだ手に額を乗せて眠っていると、微かに前髪の揺れを感じ、目を覚ました。
悠理が、虚ろな目で清四郎を見ている。
「せ、しろ・・・なんか、いつもとちが、う」
そう言って、洗いざらしのままになっている前髪に指をからませて微笑んでいた。
「悠理!気がついたのか?僕がわかるか?」
悠理は、「うん」と頷いた。
清四郎は、自らに伸ばされたその腕を掴むと、思いっきり腕の中へ抱き寄せた。
「痛いよ、清四郎」
意識がしっかりしてきたのか、今度は、はっきりと声が聞こえた。
清四郎は、痛いと言われても、その腕を緩めることはできなかった。
安堵で、心が、体が震える。
悠理が清四郎の背中のシャツを掴みながら、
「泣くなよ、情けないな」
と笑った。
それで、自分が泣いているのだと気づかされる。
悠理が、背中をさすりながら「良かった、お前が無事で」と囁いた。
耳元で聞こえたその声は、柔らかく、慈愛に満ちていた。


病状も安定してきた頃、清四郎は悠理の両親と共に、カンファレンスルームへと呼び出された。
そこには、修平と和子が沈痛な面持ちで待っていた。
明るくはない表情に、何か良くないことが知らされるであろうことは、容易に予測できた。
全員が着席すると、修平に促されて、和子が説明を始める。
「悠理ちゃんの症状は、今の所大きな合併症もありませんし、生命の危機は脱したと考えていいでしょう。今後も運動機能に障害を残すようなことはないと思われます」
それを聞いて、悠理の両親は抱き合って涙を流した。
だが、清四郎は安心できなかった。ここまでの話は、すでにわかっていることだ。

「ただ、結婚前の悠理ちゃんには、非常に言いづらいことなんですが・・・・・」
そこで和子が言いよどんだことで、清四郎は、俯いていた顔をはっと上げた。
和子が言いたいことは、すぐに理解できた。

「腹部に受けた弾丸は、左の卵巣卵管を傷つけていて、こちらの機能回復はあきらめるしかなさそうです。右側はかろうじて損傷は免れましたが、術後の癒着で、卵巣は無事でも卵管閉塞を起こす可能性が高く、自然な妊娠は非常に困難と思われます」
「それは、どう言う意味なの?」
震える声で、百合子が言った。
説明を判りかねている悠理の両親に、和子は分かりやすい言葉と絵で説明する。

つまり、悠理に子供ができる可能性は極めて低いと。

黙ってそばに座っていた修平が言う。
「悠理君は、すぐに結婚を控えているわけではないし、今、このことを伝える必要はないとも思いましたが、年頃のお嬢さんですしね。やはり退院前にきちんと話しておいた方がいいんじゃないかと思ったのです」
その言葉を聞いて、悠理の両親は号泣した。

しばらくして、修平は、清四郎に声をかけた。

「清四郎、お前、悠理君のことをどう思っておる?」
両手をきつく合わせ、青ざめた顔で聞いていた清四郎は、固い決意を持って修平の目を見据えた。
「僕は、悠理を愛しています。たとえ彼女に子供ができなくても、一生共に生きていきたいと思っています」
万作と百合子が驚いて、清四郎を見た。
清四郎は、改めて悠理の両親に向かい合い「おじさん、おばさん、悠理を僕に下さい」と言った。
修平は目を閉じて頷き、和子は目尻に浮かぶ涙を拭っていた。
悠理の両親は、「少し考える時間が欲しい」と言って部屋を出て行った。


退院前日、悠理は清四郎と共に、和子の説明を聞いた。
「和子さんも清四郎もそんな怖い顔すんなよ。あたいが子供を産むなんてこと、たぶんないよ。結婚もしないかもだし。だから気にすんなって」
悠理は、心配をかけまいとするように元気に振る舞い、明るく言った。

お腹の傷を見せ、
「お前みたいな強いヤツを助けたんだぞ。これはあたいの勲章だ」と笑う。



********




事件が無事解決し、悠理の傷が完治した頃、清四郎は正式にプロポーズした。

「怪我のことに責任なんか感じるなよ?それにな、結婚なんかしなくたって、お前は剣菱のトップになれるよ」と悠理は拒否した。
「剣菱が目的じゃない」
そう言っても、悠理は信じようとしないし、受け入れようとしてくれない。
何度もプロポーズしたが、その度に断られ、いつからか清四郎を避けるようにさえなっていた。
ある日、可憐や野梨子に頼んで、頑なな悠理を捕まえ、
「僕がきらいですか?」
と問い詰めた。
「嫌い、大嫌い」
そういいながら、逃げようとする。
逃げようとする腕を掴んで引き寄せると、涙を流していた。
本心は別の所にあるような気がした。
「悠理、もう一度聞く。僕が嫌いか?」
悠理は、小さく首を振った。
そして、清四郎の目を見ないようにして、呟いた。
「お前は、ちゃんと子供の産める人と結婚した方がいいよ」

清四郎は、悠理を抱きしめた。
「離せ、離せったら!」
悠理は、泣きながら腕の中でもがいている。

「僕は剣菱が欲しいわけでも、子供が欲しいわけでもない。僕が欲しいのは悠理だけだ。だから、結婚しよう」

どれくらい、待っただろう。
真剣な気持ちは伝わった。
数ヶ月を要したが、オーケーの返事をもらい、ようやく1年前に結婚できたのだ。


あの事件以来、二度と悠理を危険な目にあわせないと誓った。
仕事の関係者に十分な気を配る。悠理の周囲に危険人物がいないか、絶えずチェックもしていた。それによって、多くのしがらみができ、たとえ悠理と共にいる時間が少なくなろうと、影から悠理を守るのだと、決意していた。
だが、いくら注意を払っても、ただでさえ何度も誘拐されている悠理のことだ。自ら危険に飛び込んでしまうこともあるわけで、気が気ではなかった。
おまけに、金持ちの娘(いや、今は妻だが)である自覚に乏しく、結婚してからも平気でバイクに乗って一人で遊びに出てしまう。出張だ、残業だとなかなか家に戻れない清四郎は、悠理を閉じ込めておくわけにも行かず、気持ちばかり焦っていた。

そんなところへ、数ヶ月前、魅録が警察を辞めて探偵事務所を開くと言い出した。
魅録もあの事件のことは、相当堪えていた。
警察の中にいても、規則で雁字搦めで、思うように捜査などできない。
挙句の果てに、身内に犯人の関係者がいるのを見落としていたのだ。生死をさまよう悠理の怪我と共に、そのことは魅録に大きなショックを与えた。
「親父、俺は警察を辞める。どんな手段をとっても悪(ワル)を突き出すから、その先のことは親父がやれ」
そう言って、去ったらしい。
時宗のおじさんは面くらっていたが、清四郎は魅録の気持ちが良くわかった。
警察にまかせていては、悠理を救うことなど到底無理だったし、これからも当てにはしたくなかった。


大きな組織の中で働くのとは違い、時間に自由がきくようになった魅録に、清四郎は悠理の遊び相手を頼んだ。魅録と一緒にいるとわかれば、安心して仕事に集中することができる。
魅録は、清四郎の気持ちを汲んで、いつでも快く相手をしてくれた。
行き場所から、悠理の様子まで細かく気を配ってくれる。

それでも清四郎は、悠理が出かける前に、毎回確認をしないではいられない。
「くれぐれも危険なことに巻き込まれないように。銃創に負担がかかるようなことはしないように・・・・・」
時に魅録に、「心配し過ぎだ、ひょっとして惚気か」とからかわれたが、惚れた弱みと言われようが、思いつめ過ぎると言われようが、これだけは止められなかった。








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