愛の証





〜3〜



重厚な中世風の扉を開けると、賑やかなジャズの音楽が聞こえた。
Barカウンターに目をやると、マスターが軽く手を上げる。
その横で若いボーイが「いらっしゃいませ」と頭を下げた。
入ったばかりなのか、ここでは初めて見る顔だ。
奥へと進むと、マスターがグラスを拭きながら顎でクイっとある方向を示して笑った。
その方向へ目を走らせると、悠理と魅録が数人の若者に囲まれ、なにやら楽しそうにしゃべっている。
清四郎は、小さく笑うと、カウンターに座り「バーボン」と注文した。
マスターは黙っていつもの銘柄を差し出してくれる。

こうした昔馴染みの店に来ると、いつもそうだった。
派手な魅録と悠理のツーショットは、若者の羨望の的となる。彼らが、かつてこの辺りを制していた悠理&魅録だと知ると、益々近づこうとする若者の数は多くなり、賑やかさを増していた。
清四郎の耳にも、
「あの二人ゲーノー人じゃねー?」「カッコイイ〜」と騒ぐ声が聞こえた。
この界隈で、二人は芸能人並に有名で人気があるらしい。今も、バイクやロック、喧嘩の話で盛り上がっているに違いない。
清四郎は、静かに酒を飲みながら待つことにした。いつものことだ。

マスターと世間話などしながら、のんびりグラスをあけていると、若いボーイがふと言った。
「あのお二人、お似合いですよね」
ボーイは憧れのスターでも見るように、悠理と魅録を眺めている。
清四郎は、肩眉を上げて、おやっと言う顔をした。
マスターは、またか、という風情で下を向いて声を殺して笑っている。


画:たむらん様


そんな時、魅録と悠理が清四郎に気がついた。
「清四郎!」
清四郎が席を立つのと同時に、悠理がこちらへ駆け寄ってくる。
彼女が笑顔で腕の中に飛び込んで来る瞬間が、清四郎は好きだった。
悠理を、受け止めると、後ろから悠々と歩いてくる魅録に礼を言う。
「魅録、いつもすみませんね」
魅録は、軽く手を上げ、
「よお!こんな時間まで仕事とはご苦労さんだね」
と答えた。

たばこを指に挟み、赤いサングラスをかけたライダースーツの魅録、仕立ての良い外国ブランドのスーツをピシっと着込み、いかにもエリートな清四郎。二人が悠理を間に挟んで会話している。
背の高い二人の男に挟まれ、交互に二人を見上げる悠理は、ボーイッシュな姿ながら、その美貌で暗い店内でも輝きを放っていた。
3人の周りからは、若者の溜息が聞こえる。そんな光景もいつものことで、この店のマスター、清四郎、魅録、悠理にとっては慣れっこだった。
だが、目の前の新人ボーイは、客の注文も忘れるほど3人に見惚れている。

魅録の“ご苦労さん”の言葉に応じて清四郎が、
「まったくですよ。好きでやってる訳じゃないんですけどね」
と、ほとほと疲れたような声で答えると、悠理がむっとした顔を清四郎に向けた。
「けっ!良く言うよ。あたしのことなんてど〜でもいいくらい仕事に夢中なくせにさ」
恨みがましく清四郎につっかかる悠理だが、清四郎は落ち着いた声でそれをかわした。
「何言ってんですか。いつもこうして迎えに来てるでしょ。今何時だと思ってるんです?さ、帰りますよ」
清四郎は、そういって悠理の肩を引き寄せ、左手を彼女の華奢な腰に回した。
悠理は、その腕に軽く自分の左手を添えると、自分の右手も清四郎の腰に回し、上目で清四郎を見上げる。
二人の間に流れる艶やかな雰囲気に、思わずボーイはグラスを落としそうになった。

「へいへい。わかりましたよ。魅録、あんがと♪またな」
悠理は、魅録に笑顔で礼を言う。
「魅録、本当にいつもありがとう」
清四郎も揃って礼を言った。
「こいつの面倒見れるのはお前か俺しかいないだろ、気にすんな。またな悠理」
「うん、バイバイ」

清四郎は、悠理の腰を抱いたまま、魅録とマスターに軽く手を振ると、背を向けて、ドアに向かった。
途中、清四郎が悠理の耳元に何か囁き、悠理から帽子を取り上げると、自分の頭に乗せた。
二人は、楽しそうに笑いながら、ドアをくぐって行く。

「あ、あの・・・・」
ボーイが何かを言いたげだったが、マスターはそれには答えず、黙って魅録にドライマティーニを差し出した。
魅録は、カウンターに座りなおし、新しい煙草に火をつける。
しばらくすると、マスターが彼に声をかけた。
「清四郎さんはまだ?」
「ああ、忘れてないな」
「でも、お幸せそうですね」
「あいつらが結婚して、もう1年だからな。そのうち傷も癒えるさ」

「け、け、結婚って・・・・」
ボーイには、誰も答えなかった。

あいつの傷の上には、いつも清四郎の手が守るように添えられている。
それを知っているのは、魅録と他の有閑倶楽部の仲間、そして二人の家族とこのマスターだけだ。

魅録は、ドライマティーニを口につけながら、迎えの電話をする時、清四郎に告げた言葉を思い出していた。
「あいつ、少し前までは、この傷はあたいの勲章だ、なんて言ってたくせに、今日は夜景を見ながら、これも愛の証って言うのかな、なんて傷の上をさするんだよ。柄にもないこと言うんじゃねーよ。とは言ってはみたけどさ、あいつ本当に綺麗になって、それがなんつーか、その、すごく似合ってたんだ」
事実、今日の悠理はとても綺麗だと魅録は思った。



********




清四郎と悠理は、ドアを開けて外に出ると、剣菱の車が待っている大通りまで歩き始めた。

清四郎は歩きながら、悠理に聞く。
「で、今日はどこに行ったんです?」
悠理は、嬉しそうに語り始めた。
「今日は、湾岸線を走って横浜まで行ったんだ。羽田ではちょうど飛行機が横切ってて、これがすげーんだ。近くで見るからデカイんだよ。それでね、ベイブリッジから見る夕日もとっても綺麗だったんだ」
「ほぉ〜」
「向こうへ着いたら、中華街で飯食ってランドマークタワーで夜景を見たんだけど、これもすっごく綺麗だったんだぞ。お前も仕事なんかさぼって一緒に行けばよかったのに・・・」
嬉しそうに楽しそうにしゃべる悠理。
清四郎は、それを見ているだけで幸せな気持ちになれた。

歩きながら、悠理の傷の上をそっと撫でる。
「愛の証、ですか」
ふと魅録の電話を思い出し、そう呟くと悠理が吃驚して足を止めた。
「な、なんで知ってんだよ、お前が!」
「隠さなくてもいいでしょう。魅録が教えてくれましたよ」
ふ、ふんと、悠理は真っ赤な顔を背けている。
「は、恥ずかしいだろ」
必死で顔を背けているが、それでも、腕の中からは出ようとしない。
清四郎はそんな悠理が愛しく、ついからかいたくなる。
「悠理、愛の証は傷だけじゃありませんよ。今日あたりコウノトリがキャベツ畑に現れてくれるかも、です」
言っている意味を理解した悠理は、
「こんな道の真ん中でや〜らしい顔すんな」と怒鳴った。

スーツ姿の清四郎が悠理の帽子をかぶり、二人で抱き合うようにして街を歩いていた。
ただでさえ、容姿端麗な二人を見て後をつける輩がいたというのに、足を止めて騒ぐ二人の回りはいつの間にか人だかりとなっていた。

ふと我に返った二人は、回りを見てぎょっとする。
「悠理、走りますよ」
「お、おう!」

清四郎は、悠理に帽子をかぶせ、手を引きながら夜の街を駆け抜けた。
息を弾ませて後ろを走ってくる悠理が、街の明かりに照らされて宝石のように輝いていた。



********




剣菱邸の二人の部屋。
ここは高校時代二人が婚約した時(すぐに破談になったが)、作られた部屋を改装したものだ。
広いリビングルームに寝室とバスルーム、清四郎の書斎という間取り。
剣菱邸の他の部屋とは違い、白い壁にクリーム色の絨毯が敷かれ、座り心地の良いオフホワイトのソファが置かれている。
その他の家具はスウェーデンに住む友人が送ってくれたアンティークの落ち着いたもの。
所々に置かれた巨大なサボテンが、悠理の変わらぬ趣味を窺わせてはいるが。

いつものように二人でバスルームに入り、ひとしきりじゃれ合うようにして入浴を済ませた。
一足先に清四郎がバスローブ姿で、肩にかけたタオルで頭を拭きながら浴室から出てくる。
冷蔵庫からよく冷えたスパークリングワインの白を取り出すと二つのグラスに注ぎ、ベッドサイドのテーブルに運んだ。
「はぁ…」
これも北欧製の、重厚なキングサイズのベッドのベッドレストにもたれ、ワインを口に運ぶ。
穏やかな時間。
仕事に追われる清四郎にとっての大切なひと時。


かちゃ…微かな音がしてバスルームの扉が開き、悠理が現れた。
「ほぉ…」
そちらに目をやった清四郎が感嘆の声を漏らす。
悠理は先週清四郎がニューヨーク出張の土産として買ってきた、ナイトドレスを身に着けていた。
薄紫の柔らかな生地で出来たそれは、胸元とウェストが凝ったドレープを描き出すデザインで、悠理の白い肌にとてもよく映えている。
スパークリングワインのグラス越しに見る悠理の姿は、まるで金色の海の中を漂うマーメイドのようで、清四郎は眼を細めた。

「先程の服もよく似合ってましたけど、これはまた…素敵ですよ、悠理」
率直に愛する妻へ賛辞を呈する。
「ありがと…」
照れくさいのか、頬を赤らめながらベッドの脇に立った悠理の細い腰を掴んで引き寄せた。
悠理の白い喉元に人差し指を置き、ゆっくりとウエストまで滑らせながら、耳元に囁きかける。
「でも、こんな格好は他の人には見せないでくださいね。たとえ魅録にも、です」
「…あたりまえだろ」
小さな声でそう答えた悠理に、清四郎はそっと口づけた。

華奢な腰を抱いたまま、片手を悠理の髪に梳き入れ、口づけを深めていく。
舌を絡め合い、吐息を奪い合う。 
ゆっくりとベッドに悠理を押し倒していき、お互いの両手の指を組み合わせ、左右に押し広げていく。
唇を悠理の首筋に這わせ、滑らかな胸元に赤い花びらを散らした。

「やん、せっかく着たのに、もう脱ぐのかよ」
ナイトドレスの肩紐を口に咥えてずらした時、悠理が切なげに抗議した。
清四郎は顔を上げ、悠理の瞳を見つめる。
これから始まることへの期待に、潤んだ瞳。悠理は本当に綺麗になった。
「男が女性に服を贈るのはね、それを脱がす為ですよ…」
微笑し、悠理の頬を撫でながら答えた。
「でも…やっぱりもったいないですね。こんなに素敵なのに。……着たままでしましょうか?」
悠理の腕にずり落ちた肩紐を長い指ですくい、肩に戻しながら聞いた。

「着たままって…どうやって?」
「そりゃ、ずらして、捲って」
真っ赤な顔で聞き返す悠理に、悪戯っぽくウィンクしながら答えてやる。
「スケベ…」
「嫌なら、やめますよ」
「……ヤだ」
恥ずかしそうに目を伏せて呟く悠理。
やめろと言われても、もう止められない。
悠理を求めるこの身体の疼きを。

ドレスの胸元のドレープに手を差し入れてずらし、露わになった小ぶりな膨らみに舌を這わせた。
桜色の突端を甘く噛みながら、片手をドレスの裾に滑らせ、ゆっくりと捲り上げていく。
「ああん…うん……」
悠理は清四郎の頭を両腕に抱きしめ、気持ちよさそうな声を上げる。
清四郎の頭が下へとずれていく。悠理の腕に力が籠もる。

悠理の、贅肉などかけらもない平らな腹部。
形よく窪んだ臍の左側に、消えない傷跡がある。
自分の中の清四郎への想いにすら気付いていなかったのに、とっさに身体が動いた。
清四郎を庇って受けた、銃弾の痕。
清四郎への、決して変わらぬ愛の証。

この傷を見るたびに激しく疼く傷跡が、清四郎の胸の中にある。
けれど今宵は、その傷の疼きさえ甘いものに感じられた。
湧き上がる思いを堪え、清四郎は悠理の傷跡に唇で触れる。愛しげに、舌を這わせる。
「…清四郎」
喘ぐように呼ばれる自分の名に、清四郎は悠理の身体を強く抱くことで答える。
「悠理…愛しています……悠理…」


腕の中で眠る悠理を、清四郎は飽くことなく見つめていた。
静かな寝息、穏やかな表情。
少女の頃のようなあどけなさを残しつつも、幸せな女の顔をしていた。
「愛の証」と言った言葉も、彼女の口から自然と流れ出たに違いない。

「悠理」
静かにそう呼びかけると、清四郎も目を閉じた。

二人にとっての子供。
それはコウノトリに期待するしかないほどの確率でしか出来ない。
それでも、そんな夢物語が現実になるかもしれない・・・・・
聖母のような穏やかな顔で眠る悠理を胸に抱き、清四郎はそんな気がしていた。









END





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