幸せをくれるもの

BY 千尋様




聖プレジデントの授業クラスの片隅の席。
そこに座って、僕は黙々と、先生に依頼された配布用のプリント整理をこなしていた。
放課後の教室の中には、僕以外、もう誰も、残ってはいない。

突然聞こえてきた、クラスのドアが引き開けられる音に、僕はふと、顔をあげる。
今まで座っていた自分の席から、反射的に立ち上がる。
黄昏時の逆光のせいで顔を見る事は出来なかったが、僕の方へと歩いてくる彼女が誰なのかは、考えるまでもなかった。

彼女が僕の名を呼ぶより先に、彼女の名を呼んでやる。
「悠理。鴉が鳴いてますよ。日が暮れたら、鴉と一緒に帰らないと駄目じゃないですか」
校庭側の窓を開けて、わざとらしく空を見上げてから、僕は、悠理に笑いかける。
窓辺に寄り掛かったまま、一瞬だけ、校門の方へ目を走らせる。
生徒が三人歩いているだけで、下校ラッシュは一段落したようだ。

「…清四郎。また何か、ふざけてるだろ? 夕焼け小焼け? だよな―…」 
そう言って、僕の台詞の意味を、悠理は考え込みはじめる。
僕は、腕を組んで、その様子を眺める。
童謡の、夕焼け小焼けのシーンの状況に、ようやく思い当たったのだろう。
悠理の表情が変わった。
「―…! あたいはガキ扱いかよっ!! 」
僕の席の、一つ前の机の上に勢い良く座り込んで、悠理が僕を軽く睨んでくる。
少し上目使いになった表情が、愛しくてたまらない。
知らず知らずのうちに、頬が緩んでしまいそうだ。

「少なくとも、大人は机には座りません」
未整理の用紙の束で、悠理の頭を軽く小突く。
これなら紙に隠れて、こいつからは、僕の表情は見えないはずだ。
軽く息を吐いて、僕は自分の席に再び座り直した。
引き続き、未整理の紙を選り分けながら、悠理に質す。
「…で、悠理はなんで下校してないんですか? 悠理達はもうとっくに帰ってると思ってましたよ。まさか、また何かやらかしたん、で…!」

僕の言葉を遮るかのように、悠理は勢いよく僕の手から紙を奪い取ってしまった。
用紙を奪い取られた時の体勢を崩す事を失念して、僕は、ただ悠理を黙視した。
机の上に未だ座ったまま、悠理が奪った用紙を僕に返してくる。
「そんなんじゃないわい! …そんなんじゃ、なくて、ただ…」
途切れ途切れの言葉になって、何かを言いよどむ姿に、僕はつい、口調が甘くなる。
「ただ? 何です?」
悠理の顔を下から覗き込むようにして、僕は悠理に笑いかけてみた。

少しの間をおいて、悠理がたどたどしく話し始める。
僕は必要以上に口を挟むことなく、ただ静かに、悠理の話を聞いた。
「今日…清四郎…。…ガッコに、来てるのに、放課後は、生徒会室に、こなかった…から。なんで、来ないのかな、って…、気に、なって…。…で、清四郎は?って、みんなに、あたい、聞いたんだ。そしたら、野梨子が…、ココにいるって、色々、教えて、くれて…。だから…だから…」
「…だから、悠理はココに来た?」
悠理が、僕の顔色を窺うように見て、無言で頷く。

悠理を、思わず抱きしめてしまいたい衝動にかられた。
あくまでもさりげなく、僕は、浮かしかけていた腰を落ち着け、椅子に座り直す。
悠理の方へと伸ばしかけていた手は、机の上において指を組んだ。

「…どうして、悠理は、ココに?」
ゆっくりと言葉を噛み締めるように、僕は、それだけを悠理に聞いてみる。
少しだけ、早口になった悠理が、それに答える。
「清四郎、プリント整理頼まれたんだろ? プリント整理だったら、あたいでも何か一つくらいは手伝えること、あるかもしれないし。だから来たんだよ。清四郎がジャマだって言うんなら、あたい帰るから」
悠理が、座っていた机から立ち上がって、僕の机に両手をついた。
ついた両手を残したまま、悠理は、その場にしゃがみ込んでいる。
しゃがみ込んで、僕を見て、僕の返事を待っている。
僕は思わず、小声をたてて笑ってしまう。

「悠理が、手伝ってくれるんですか? 悠理の気持ちは嬉しいんですけど、ありがたくお断りします」
「そっか…。そうだよね。…ゴメン、清四郎。ジャマしちゃって」
そう言って立ち上がりかけた悠理の左手を、僕は右手で押さえ込む。
少し眼を見開いて固まってしまった悠理に、僕は、悪戯っぽい笑顔を向けてやった。
「事務的な手助けはいらないんですが、話相手は欲しいんですよ。正直、興味のない中身のプリントなんで、整理してても面白くなくてね。僕が整理し終わるまでいいですから、話し相手になってくれませんか?」
「…何、話せばいい?」
「何でも、いいですよ。悠理が、話したいと思うことを話せばいい」
僕は、再度、プリント整理の作業を片付け始める。
「こうやって手を動かしながらにはなりますけど、ちゃんと悠理の話は聞いてますし、返事もします。ホントに、何でもいいんです」
動かし始めた手を一旦止めて、僕は、目線だけで悠理を見た。
「何か、ありますか? 話したいこと」

悠理は大きな音をたてて、僕の斜め前の席の椅子を引っ張り出すと、僕の席の傍においた。
それから、その椅子に逆向きに座って、悠理は色々と話し始めた。
話のほとんどが食べ物がらみだったが、僕が作業を終えるまで、悠理の話は途切れる事がなかった。

「…ってことで、あいつ手作りクッキーをもらったんだけど、あいつ、それが単なるお礼だと思ってるんだぜ? ただのお礼なんかじゃないことは、このあたいだって気付いたのにさ。にっぶいよなあ〜。クッキーに込めた気持ちに気付かないなんて、絶対もったいないことしてるよな」
最期の一枚を選り分けて、僕はそれぞれの紙の山を、一つ一つ閉じていった。
「大丈夫ですよ。彼は、ちゃんと気付いてますから。あいつが単なるお礼だって言ったのは、ただの照れ隠しですよ」
「なんで、そんなことわかるんだよ?」
「だって、悠理は、そのクッキー食べてないんですよね? ホントにお礼だと思ってたら、悠理にクッキーをおすそ分けしますよ。彼だったら、きっとね。貰ってすぐ、カバンに丁寧に入れてたんでしょう? …だったら、ただのお礼じゃないって気付いてますよ」
「そっかぁ…。よかったぁ…」
悠理が、晴れやかに笑った。
僕は、静かに微笑する。

閉じた紙の束を一つに重ねながら、僕は時計に視線を走らせた。
「ありがとう、悠理。もう終わりましたよ。家まで送りますから、何か食べて帰りましょう。付き合ってくれたお礼に、僕がおごります。…六時を回ってますしね。おなか、すいたんじゃないですか?」
満面の笑顔で、悠理は大きく頷かなかった。
少しはにかんだように、悠理が、笑った。
「おなか、すいてないからさ。別に、おごってくれなくていいよ。清四郎」
少しがっかりしたが、僕はそれを表に出すことなく、悠理を見詰めた。
「…ホントに、すいてないんですか? おなか…」
「うん。それに、お礼くれるんだったらさ、あたい別のがいいし」
「別のって、何が、いいんですか?」
僕は、悠理にやわらかく訊いた。
少し小声になって、悠理が言いよどむ。
「…きっと、清四郎、あきれる…」
「あきれるかどうかは、聞いてみないとわかりませんよ。お礼は、何が、いいんですか、悠理?」

一呼吸の沈黙のあと、悠理はたった一言を発した。
「清四郎のストラップ…」
「ストラップ…って、…これ、ですか?」
僕は自分の携帯を取り出すと、一本だけつけているストラップを悠理に見せた。
携帯ストラップぐらい付けなさいよ、と、姉貴が勝手につけたのを、面倒くさくてそのままにしていたものだ。
チャイニーズっぽい飾り結びと、陶製の丸い珠を交互に組み合わせた、どちらかといえばシンプルな作りのストラップ。
ささやかなものをねだるこいつが可愛くて、自然に笑みがこぼれる。
僕は、携帯からストラップを丁寧に取り外すと、悠理の手の上にのせてやった。
「こんなものでよければ、悠理にあげますよ」

悠理は、ストラップを一瞬見詰めてから、それを両手で包み込むようにして握った。
両手を握り締めたまま僕を見上げて、本当に嬉しそうな笑顔になる。
「ありがと! 清四郎。ぜったい、大切にする!!」
僕があげたストラップを、悠理は大事そうに扱っていた。
そんな彼女を、僕は見詰める。
「そんなに欲しかったんですか? そのストラップ。ありふれたものですよ? それ」

「ありふれたものでも、これが、いいんだ」
何かに祈りを捧げるかのように、悠理は、その両手に頭をつけて、目を閉じた。
瞬きにしか見えないほど、それは一瞬の出来事だった。
だが、それは確かに、祈りの仕草だった。
そんな悠理の姿に、僕は、見惚れていた。
「…悠理? 今…」
言葉がみつからないまま口にした僕の台詞を、悠理が、彼女自身の言葉でかき消していく。
「何? 今、何か言いかけたよな、清四郎?」
ほんの少し首を傾けて、不思議そうな瞳をした悠理に見詰められる。
その瞳に、心が吸い込まれてしまいそうになる。
僕は、あえて柔らかい表情を作り上げて微笑んだ。
「…たいしたことじゃないですから、気にしなくてもいいんですよ。…悠理、一緒に帰りましょうか」
微笑みながら、なんとなくそうしたくなって、僕は、悠理へと右腕を伸ばす。

悠理が、破顔した。
「うん! 帰る!!」
躊躇うことなく、悠理が、僕の右腕に彼女の両手を絡めるようにして、しがみついてくる。
右腕が下に引っ張られる感覚に、僕は、少しだけ前のめりになる。
くすぐったいような気持ちを隠して、僕は平静を装った。
「悠理。そんなに引っ張らないで下さいよ。歩きにくいじゃないですか」
「引っ張ってないだろ〜? 清四郎の歩くスピードが遅いんじゃないのか?」
「ほぉ〜。そこまで言いますか。今、歩くスピードが遅いって言いましたよね? だったら、スピードアップといきましょう」
「……! ちょっ、ちょっと待て、清四郎! 早いっ! 早すぎるってば!!」

僕の歩調に合わせようと小走りになりながらも、悠理は、僕の腕を放そうとはしなかった。
徐々に、ゆっくりと、僕は、その歩調を緩めていった。

ゆっくりと歩きながら、悠理の座っていた椅子をそのままにしてきたことを、僕は、ふと思い出す。


―― 整然と並んでいる机の中で、一つだけはみ出ている椅子の風景 ――


その印象的な椅子を思い浮かべて、僕は、ひとりでに微笑する。








― END ―



「清四郎に私物(ストラップ)もらえて嬉し い悠理」が書きたかっただけの話です。 ヤマバもなければオチもない(いつもの事 ですが/汗)、ただ、両思いだと自覚してる ふたりのワンシーンです。
手作りクッキーのエピソードも、「食べ物 がらみ」の話を挿入しなければまとまらな かったために、急遽でっち上げたもので す。
なので、「…ってことで」の前の話も、そ の後の話も考えてません(笑)。ちなみに、 クッキーをもらったあいつは魅録です。 クッキーをあげた彼女が誰で、魅録とどう なったのかは、みなさまのお好きな組み合 わせのカプで脳内補足を…(←殴!)
最後に、拙作にお付き合いくださいまし て、ありがとうございました。

フロです。千尋様、カワユイ清×悠を、ありがとうございますvv 両思いでも一歩踏み出さない辺りがなんとも、ジレジレ。友達以上恋人未満♪この微妙な関係が一番いい頃かもしれん・・・幸せだよね。(ババアな感想?)


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