「under the flower」

BY 千尋様




ヒラヒラと、ヒラヒラと、舞い踊る薄紅色の花。
蒼白の丸い月が、一本の桜の樹を照らし、浮かびあがらせていた。

白鹿邸の中庭に植えられたその桜の樹の下に、悠理は一人、立っていた。
空から降ってくる桜の雨を、悠理は両手で受け止めてみる。
溜まった桜で一杯になった両手を、ゆっくりと左右に広げる。
ハラハラと、ハラハラと、桜の花びらが舞い落ちていく。

こうして遊んでいれば、清四郎が構ってくれると、悠理は知っていた。
他の誰でもなく、清四郎に構って欲しいと、悠理は思っていた。
だから、つい、悠理は、子供じみた態度をとってしまうのだ。

清四郎に好かれていると、悠理は解っていたけれど。
それでも、自分の好意と、清四郎の好意が、同じ種類のものである自信が、悠理にはなかった。
そんな気持ちに悠理が気付いたのが、つい最近のことだということもあって。
清四郎が構ってくれるだけで、今はまだ嬉しいだけの悠理だった。

桜の花びらが、音もなく地面に落ちていく様を、悠理は見詰めた。
もう一度桜を集めようと、悠理が両手を重ねたその時、隣に人が立つ気配を感じた。

「知ってますか、悠理。桜の樹の下には、屍体が埋まってるんですよ? だから、桜は、怖いくらい綺麗に咲くんです」
清四郎が楽しそうに、悠理を見ていた。

目を一杯に見開き、声にならない悲鳴をあげて、悠理はしっかりと清四郎の腕にしがみ付く。
清四郎は微笑みながら、悠理の髪についた桜の花びらを丁寧に取り除いていった。
そして、しがみ付いたままでいる悠理を振りほどく事もなく、清四郎は、悠理を連れて縁側へと戻っていった。

縁側の雨戸に寄り掛かる様に座り、日本酒を傾けていた魅録の横に、清四郎は腰を下ろした。
清四郎に杯を渡しながら魅録が口を開いた。
「からかうのも、程々にしてやれよ? 清四郎。…悠理、いくら悠理でも、野梨子の家の庭に、屍体が埋まってる筈がない事くらいは、解るよな? 桜の樹の下には屍体が埋まっている、って文章を書いた小説家がいるんだよ。…いつもみたいに、悠理は清四郎に、おもちゃ扱い、されただけだから。怯えなくてもいい」

「おもちゃ扱いって、魅録。フォローになってるようで、なってないわよ? それじゃ」
すでに空になった酒瓶や、汚れた取り皿を一箇所に纏めながら、可憐は悠理に微笑みかけた。
「大丈夫よ。ホントに清四郎にからかわれただけよ。だって、体調がヘンとか、変なモン見えるとか、そーいうコト、ないんでしょ?」
「…うん。そーいうのは、ない…みたい…。ってことは、大丈夫なんだよね? そっかぁ…。でも、ホント、怖かったぁ…。…って、清四郎! お前なぁ! あたいが苦手なモン使ってまで、あたいで遊ぶなぁ!!」
それまで掴んでいた清四郎の腕を放し、悠理は赤面して、清四郎に殴りかかった。

軽々と、悠理の攻撃をかわして、清四郎が苦笑する。
「…からかわれてる事に気付かない悠理が鈍いんですよ。…ほら、これで機嫌直して下さい」
「…って、こんなモンで機嫌直るわけないだろっー! …清四郎、お前、まだからかうのかよ? ただのオレンジジュースの瓶一本だけって、ふざけんなっ。どーせなら、酒のほうを渡せよっ!!」

「桜で遊ぶようなお子様には、それがお似合いです。…さあ、これもあげますから」
「……。だーかーらぁー。子供扱いすんなってば! ジュースの次は、ビスケット一箱かよっ。……貰っとくけどさ…」

「ほら、やっぱり、子供じゃないか。ビスケットで気が紛れてきてるだろう?」
「っ……! お前って、ホントにむかつくっっ!!」

「…分が悪くて捨て台詞吐くのも子供ですよ? 悠理。…ああ、子供はもう寝る時間ですからね? 夜更かしはいけませんねぇ…」
「さっきから、子供子供って! あたいは、子供じゃないっっ〜!!」
反撃の余裕が有り余っている清四郎に対して、悠理の方は、すでに限界だった。

「そうだよね〜。悠理は子供じゃなくて、女の子だもんね? 清四郎」
今までひっそりと、清四郎の向かいの畳の上で、グラスを傾けていた美童が、破顔して言った。

三分の一ほど酒の残っているグラスを、畳の上に静かに置いて、美童が立ち上がる。
室内と縁側を隔てている障子の上の鴨居を、美童が右手で掴む。
少し身を屈めて、縁側へと出て行きながら、美童は話し始めた。

「いい加減、子供だ、子供だ、って言って、自分の気持ち誤魔化すの、止めたほうがいいよ、清四郎。…悠理、あのね、さっきから清四郎が、やたら悠理を子供扱いしてるのはね…」
「ちょっ、ちょっと待て、美童。何を言うつもりです? それに、僕が気持ち誤魔化してるって…?」
釈然としないといった顔で、清四郎が美童を止める。

予想もしていなかった清四郎の返事に、美童は驚き、マジマジと清四郎の顔を見詰めた。
「…あのさ…。…まさか、…まさかとは、思うんだけどさ…。清四郎、全く自覚…して…ないの…?」
清四郎を指差してしまいたい気持ちを、辛うじて抑えて、美童は、清四郎の正面にしゃがみ込んだ。
「自覚って、何の事を言ってるんですか? 美童? …きちんと説明して欲しいんですが」
清四郎の表情が、憮然としたモノに変わった。

美童は、一瞬、表情を引き締め、それを、ほぐしていこうとするように微笑する。
「…わかった…。ボクの憶測だけど、ちゃんと説明するから。あとで不機嫌になったりしないでよね? …清四郎にとって、悠理は子供じゃないんだよ。…子供じゃないから、自分の側に置いて構っていたいんだよ。清四郎にとって、悠理は、子供なんかじゃなくて、たった一人の、大切に慈しみたい女の子なんじゃないの? だから、つい、からかったりとかしちゃってたんだよね、清四郎? …清四郎は、ペットだとか、おもちゃだとか、子供だとか。そう言った類の言葉を、悠理を構う理由にして、清四郎自信の気持ちを、誤魔化そうとしてなかった? 悠理が大事な女の子だって認めたくなくてさ。認めちゃったら、以前のようにって訳にはいかないもんね? 自分の気持ちを認める事で、悠理を手放せなくなってしまうかもしれない…、それが怖かったんじゃないの? …少なくともボクは、そんな風に思って、清四郎の悠理への態度を見詰めてたよ? …無自覚だとは思わなかったけどさ」

美童の言葉に、可憐が頷いて言った。
「さっき、悠理を脅して、からかってたのもそうじゃない。オカルト関係の話すれば、悠理は絶対、清四郎にしがみ付くもの。…何が何でも、とにかく、悠理に触れていたかったんだなぁ、ってあたし思ったもの」
「ジュースやビスケットだって、そうじゃありませんの。悠理をからかってる時の清四郎は、本当に、嬉しそうですもの。清四郎に返す悠理の言動や反応が、可愛くて、可愛くて、仕方がないって顔をなさってましたわよ?」
美童と可憐、そして、可憐の隣に座っていた野梨子までが言い出した言葉に、清四郎は、呆然とする。

僕自身が、まだまだ子供じゃないかと、清四郎は思った。
第三者に指摘されて、清四郎は、初めて自分の気持ちを理解した。

ついつい、悠理だけをからかってしまうのは何故なのか。
からかった時の、悠理の反応が、嬉しくて仕方なかったのは何故なのか。
僕は、本当に、何かを誤魔化していたのかもしれない、と清四郎は呆然としながら考えた。

ヒラヒラと、ヒラヒラと。
目の前で、薄紅色の花びらが、風に舞っていた。

野梨子に続けて、魅録が口を開いた。
「…からかわれてる悠理の方は、自分の事で精一杯で、そこまで考える余裕なんてなかっただろうけどな。からかう事そのものが面白くて、清四郎は笑ってるんだ、と思ってただろうし? …ほら見ろ、怯える事なんかないって、俺が言った通りじゃん、悠理? 清四郎が悠理を構ってくれる理由が解って、よかったな。安心したな?」
魅録は右手を伸ばすと、悠理の頭を、ゆっくりと優しく、二度、叩くように撫でた。

魅録の右手を、悠理は両手で掴んでゆっくりと下ろした。
「魅録。お前まで、あたいをからかってんの?」
魅録が苦笑しながら、悠理の背中を軽く押す。
「…んな訳ねーだろ。…そんなに不安なら、直接、清四郎に確かめてみろ? 大丈夫だから」

不安と期待が入り混じったような目をしたまま、悠理は居住まいを正すと、清四郎をじっと見詰めた。
悠理と向き合って話をしようと、清四郎は縁側に座り直した…。

…座り直そうとしたと言ったほうが適切なのかもしれない。
清四郎が気付いた時にはすでに、清四郎の体は、庭にずり落ちていたのだから。

「清四郎っ!?」
皆が唖然として驚いているなか、悠理が慌てた様子で、清四郎に声をかける。

「…清四郎。お前、実はかなり動揺してたんだな? なんか呆然としてたのは、気付いてたけど」
清四郎の顔を覗き込んで魅録が言った。
可憐は未だに、唖然として清四郎を見詰め、美童は小声をたてて、笑い始めている。
そして、野梨子は、何事かを思い出そうとしている様子だった。

突然、納得したような表情になった野梨子が、微笑して言った。
「清四郎の今の表情、以前どこかで見たような気がしてなりませんでしたの。やっと、思い出しましたわ。…15年前の、入舎式の日。あの日と、まったく同じ顔で呆けてますわよ? 清四郎ちゃん」

瞬く間に、清四郎が、耳の辺りまで顔を赤らめていく。
その顔はまるで、目の前の風景を染め出したかのような薄紅色だった。

ヒラヒラと、ヒラヒラと。
薄紅色の桜が風に揺れている。

ハラハラと、ハラハラと。
周りを埋め尽くすかのかのように、桜の花びらが降り注ぐ。

庭にずり落ちたままの姿勢でいる、清四郎の肩や膝の上にも、桜は優しく舞い落ちていた。

いっそのこと、このまま桜に埋もれてしまいたい。
あまりの恥ずかしさに、清四郎はそう思った。

空には、丸い蒼白の月が浮かんでいる。

月が綺麗な春の夜、出来る事なら、桜に抱かれて、儚くなりたい。

そんな和歌を詠んだ人がいたな、と清四郎は、桜と月を見上げてふと思った。
この期に及んで、そんな事を思い出している自分自身が可笑しくて、清四郎は自嘲する。

「よりによって、西行ですか…、こんな時に」
そう清四郎が、小声で呟いた時。
「せーしろー?」
いつの間にか、清四郎の正面に、悠理がやって来ていた。

ずっと同じ姿勢のまま、立ち上がろうとしない清四郎が、悠理は気がかりで仕方がなかった。
「清四郎? 大丈夫?」
悠理は膝まづいて、不安そうに右手を伸ばしかける。
清四郎が悠理を引き寄せる。
悠理の視界を遮るように力強く、清四郎は悠理を腕の中に収めた。

「せいしろう? ……??」
悠理の戸惑いが清四郎に伝わってくる。
悠理を胸に抱きしめたまま、清四郎は、風に揺れる桜を見詰めた。

「…悠理。僕はお前が、悠理が、可愛くて仕方がないんです。お前が可愛くて、ホントに可愛くてたまらないんです。だから、悠理は、僕だけが独り占めして構っていたいんです。誰にも、悠理を獲られたくはないんです」
ゆっくりと、清四郎は悠理を抱きしめた腕を緩めた。

桜色に染まった顔で、清四郎を見上げる悠理に、清四郎が自嘲気味に笑う。
「…それじゃ、ちゃんとした答えにはなってな…」
左頬に触れた、暖かい感触のために、清四郎は、すべて言い切ることが出来なかった。

清四郎は、悠理にキスをされた左頬を、そっと右手で触った。
「…悠理?」
照れ隠しなのか、悠理は、清四郎の左腕にしがみ付く。
悠理自身の顔を、清四郎の腕で覆い隠すようにして。
腕の隙間から顔を少しだけ覗かせた悠理が、そっぽを向いたまま、口を開いた。

「さっき、清四郎が言ったコト、嘘じゃないんだろ? それなら別に、それでいいんだ、あたいは。…お前、イジワルだけどさ、あたい、清四郎に構われるコト自体は、…嬉しいって思うし。清四郎だから、イジワルされても、嫌いになれないんだと思う。…あたい、清四郎が大好きだから…」
清四郎が再び、悠理を力強く抱きしめる。

ヒラヒラと、ヒラヒラと。
舞い散る桜に、二人は抱かれていた。

「…ねぇ、絶対あたし達のコト忘れちゃってるわよね? あの二人」
「悠理はともかく、清四郎は悠理しか見てないね。どうする? 夜桜どころじゃなくなっちゃったけど。あの二人の邪魔をする勇気なんてないよ、ボク」
「…てか、お前の一言が結局、引き鉄になったんじゃねーかよ。それに、俺も邪魔するつもりはないぜ?」
「でしたら、桜の見える別のお部屋で、仕切り直しをしませんせんこと? あの二人は放って置いて」
それもそうだと、取り残されてしまった四人は酒を抱えて、奥の座敷へと消えていった。

ヒラヒラと、ヒラヒラと、舞い踊る薄紅色の花。
蒼白の丸い月が、一本の桜の樹の下で、何時までも抱き合う二人を照らし、浮かびあがらせていた。









―END―


「under the flower」について
      
この作品をご存知の方もおられると思いますが、初めて読む方のために、この場をお借りしまして、少し説明させていただきます。

2005年9月現在、淋しくも休止中になっております金魚さまのサイト、「kingyo ga sukinamono」。
そのサイトさまに、カウンターヒット記念のお祝いとして差し上げました拙作が、この「under the flower」です。
そしてこの作品は、「自分の恋心に無自覚のまま、悠理をからかって色々と構いまくる清四郎が、恋心を自覚して、動揺・狼狽しまくる様子が見たい」というリクエストを金魚さまに戴きまして、それを踏まえて書き上げたリク作品でもあります。
なので、本来ならば金魚さまがサイトを再開された時に、再UPされるのが一番好ましいお話なんです。

ですが、今回フロさまのありがたいご厚意がありまして、「under the flower」は、フロさまのサイトの一隅に場所を与えて戴く事となりました。
金魚さまのサイトが休止を余儀なくされた時、私は金魚さまから休止のお詫びメールを戴きました。そのメールのお返事で私は、「もしも、拙作の『under the flower』を引き取りたいという、奇特な申し出をされた方がいた時は、その方に作品を回して構いませんよ〜」と伝えました。
そういった経緯が、この度のUPに繋がっております。

色々と特殊な事情を抱えた作品にも拘らず、UPの場所を拵えて下さいましたフロさま。
本当にありがとうございます。

前置きが長くなりましたが、ここから先は「under the flower」の中身についてのあとがきです。
このSSを書いたのは、2005年、今年の春先でした。
春なので、メンバー達に夜桜を愛でさせようと、桜から色々と連想して考えたものの中に、それはありました。

「願はくは花の下にて春死なむ その如月の望月の頃」

平安時代後期(院政時代)の歌人、西行の和歌です。
そして、西行のことを思い出した瞬間、私は、清四郎と西行をリンクさせて書きたくて仕方がなくなりました。
西行は元々武家の生まれで、出家前は佐藤義清(のりきよ)と名乗ってました。役職は、鳥羽上皇の北面の武士でした。23という若さで、武士をやめて出家しました。
以上のような西行の人となりが、恐れ多くも、もっぷさまの「有閑御伽草紙」の清四郎と重なって離れなくなり、清四郎に西行を語らせなければ気がすまなくなったために、ストーリーにいれました。

なお、文中で清四郎が思い出した和歌の元の歌も上記のものです。
そして文中の訳は、私が主観交じりで意訳したものなので、信じないで下さい(笑)。
タイトルも「花の下にて」の英訳をつけてます。

それともう一つ、「桜の樹の下に埋まる屍体」のエピソード。
これは、梶井基次郎の「桜の樹の下には」、もしくは坂口安吾の「桜の森の満開の下」という二つの作品を意識して書いております。

長い説明になってしまいましたが、このあとがきを含めて拙作をお読みくださった皆様。
本当にありがとうございました。  

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