BY 水城葉明様
清四郎が一人暮らしを始めたマンションに着いて、車を帰した。 急いで階段を駆け上がる。 そして、彼のちょっと疲れたような姿を見て、悠理は彼の名を大声で呼んだ。 「清四郎!!」 「早かったですね」 到着した悠理を、清四郎は落ち着いた声で迎えた。 手にはシャンパンとグラスが二つ。 「……何、それ?」 「いや、悠理が来るというから、――あいつらの祝杯でもあげるのかと」 「馬鹿かお前は!!」 悠理の剣幕に半ば押されながらも、清四郎は眉を顰めてみせる。 「なんなんです?馬鹿とは心外な」 「だから!」 「まぁいいから入ってください、こんな玄関口で立ち話もなんですからね」 あっさりと悠理の勢いを受け流して、清四郎は中へと促してきた。 受け流された悠理は二の句が継げない。 黙ってしまった悠理をそのままに、清四郎は奥へと足を向けた。 その背中を見て、清四郎は泣けないのだと悠理は思った。 ――――こいつの高いプライドが邪魔して。 だからそのままついていった。 奥のベッド脇のミニテーブルにつまみがずらりと並んでいて、本気で祝うつもりなのだと識る。 促されるまま腰を下ろすと、清四郎はシャンパンのボトルの口に布を被せていた。 ゆっくりと捻ると、シュッ・ンと小さな音を立てて栓が抜かれた。 清四郎は妙にご満悦な表情だ。 「パーティーとか大人数なら勢いよく飛ばしてもいいんですがね」 「……お祝いなのに、飛ばさないんだ」 悠理の呟きに清四郎は肩をすくめて見せる。 「二人だけですし、何より後片付けが大変でしょう?」 どうせ自分がやるんだからしたくないと笑った。 「マナー的にはこういう「飛ばさず」・「吹きこぼさず」が良いとされるんですよ。『貴婦人の溜息』、でしたかね?」 いつものようにちょっとした薀蓄を披露しながら、グラスに注いで手渡してきた。 「乾杯、しましょうか」 自分の分に注ぎながら清四郎が笑っているのを隣でぼんやりと見つめた。 「――何に?」 「もちろん、魅録と野梨子の婚約を祝ってに決まっているでしょう?」 彼の声にも表情にも、何の動揺もまだ浮かんではこない。 小さくグラスをかかげる清四郎を悠理は、もう直接見ることが出来なかった。 『本当にそれでいいのか?』 どうしても聞きたかった言葉が喉の奥でつっかえて、音になってくれない。 何か言わないとと思うのに、見つからない。 適切な言葉って奴は少しも。 悠理は自分の頭の悪さと気の利かなさ、経験値の少なさを悔やんだ。 美童や可憐なら、きっとこんな時にかける言葉も浮かぶに違いないのに。 自分には何も出来ない。 ゆるゆると彼の顔を見上げた。 ―――彼は静かに、穏やかに微笑んでいる。 「「………乾杯」」 彼の手と言葉に知らず悠理は合わせていた。 静かにグラスが音をたてる。 二人だけの部屋に、それは思いのほか響いた。 「清四郎、美童達には声かけなかったんだ?」 少しだけ口をつけたグラスを置きながら、訊いてみた。 「ああ、夜も遅かったですし。でも、美童も可憐も婚約の事は知ってますよ」 「そうなの?」 「ええ、直接それぞれ報告があったみたいです。僕には二人からかかってきましたよ。お前にもかけたかったみたいですが、海外に行ってるのはみんなが知っていましたからね。遠慮したみたいですよ」 まだ、彼は笑っている。 きっと、これから先も少なくとも、彼の中で恋が終わりを告げるまで、清四郎は微笑み続けるに違いない。 せめて、今夜はそんな無理はいらないのに。 そんな優しさは自分にはいらないのに。 彼の笑顔をそれ以上見ていたくなくて、悠理は彼に手を伸ばした。 膝立ちになって、胡坐をかく清四郎の頭を胸に抱き寄せた。 「ゆ、ゆうりっ?」 清四郎の驚きにか半ば裏返った声がしたが、かまわなかった。 彼の頭に顎をそっとのせて、いつも自分の不安を取り除くときに彼がしたように、ポンポンと頭を弾むように撫でてやった。 だって、悠理には他にどうしていいか、分からなかったから。 『自分が』安心できる状況を作ってみることしか出来なかった。 こんなことで、清四郎が悠理に全部曝け出すなんてありえないけど。 そう思っているのに。 まるで石になったみたいに動けなかった。 それは清四郎も同じみたいで、きっと戸惑っている。 膝の上で握られた拳が見えた。 それでも悠理の腕は振り払われなかった。 ************** どれくらいそうしていただろう。 ポツリとうつむいたままの清四郎が、言った。 「……悠理、ありがとう」 腕を解き、清四郎と正面から目を合わせる。 眉を下げて、困ったように笑っていた。 でもその表情が子供のようなそれだったから、悠理もニコッと笑った。 自己満足かもしれなかった。 それでも『これで良かった』と思えたから。 それから二人で他愛も無い話をしながら飲み続けた。 そうして何本空けただろう。 それでも通常の二人にはたいした量ではなかったけれど。 ふと静かになった隣を見ると、清四郎がちょうど悠理の方にもたれかかってきた。 慌てて身体を捻ると、ポフッと見事に悠理の膝の上に納まった。 「清四郎……?なんだぁ?寝ちゃったのか?」 返事は当然返らず、寝息が彼が熟睡してしまったことを教える。 しょうがないなと背後のベッドから毛布を引きずりだしてかけてやる。 無防備な姿が悠理を切なくさせた。 呟くように、囁くように、悠理は心の中だけで想いを告げる。 言えなかった想い。 伝わるはずの無い声。 『大好きだよ、清四郎』 『でもあたいには、言えなかったよ』 『だって、お前を愛してるから』 『言えない。でも――、あたいの心も身体も、総てがお前のものだから』 「――いいよ、夜明けまで側にいるよ。……親友、だもんな。あたいたち」 でも、これが最後。 明日からは、呼べない。 ―――親友とは。 ―――親友としてなんて、……見ないで。 胸の痛みをそっと隠して、ただ彼を想った。 いつも、苦しかった。 ―――それでも、嬉しさを伴っていた。 だから言えなかった。 今日までは―――。 怪しかった天気は、今はしとしとと涙雨。 それは一体誰の涙か―――? そのまま――雨垂れを子守歌に悠理も睡魔に身を委ねた。 窓から見える外の景色はまだ闇に包まれている。 夜明けは遠く、想いも遠い。 けれど止まない雨は無く。 明けない夜もない。 きっと―――陽は昇る。
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あとがき 初めまして、携帯しかネット環境が無いというのに、お邪魔し続ける不届き者、名を水城葉明(みずき
はざや)と申します。 |