ホームドクター
BY あき様
「うわ〜ん、お兄ちゃんのばかぁ〜」
清香の必要以上に大きな泣き声が響き渡った。悠希が何かしたようだ。
清香の声が大きすぎて、悠希の反論は聞こえてこない。
どうせ、構って欲しくて纏わりついて邪険にされたとか、悠希の大事な玩具を貸してもらえなかったとかそんなところだろう。
「ダメじゃないか、悠希!」
悠理の声が聞こえた。
清香は何故か、姉の和子に似て非常に要領がいい。
自分のせいで痛い目にあっても決して泣かないが、他人に何かされようものなら100倍は大袈裟に騒ぐ。単純な悠理は、いつだって清香の味方についてしまう。
(そんなに頭ごなしに怒らなくても・・・・・)
悠理の陰に隠れて被害者面で告発する清香の顔と、口をへの字にして不貞腐れた悠希の顔が目に見えるようだった。
暫くして、足音と清香のしゃくりあげる声が聞こえ、軽いノックとともに、まず悠理が顔を出した。
「菊正宗先生、急患です。」
悠理がかしこまって僕にこう告げるのは、二人が何かを壊し、それが修復可能な状態にあるときだ。
だから、僕もそれに合わせて医者になったつもりでこう答える。
「分かりました。急いで患者さんを通してください。」
「さぁ、先生の所へどうぞ。」
悠理は看護師なって、患者とその家族を、にわかに『診察室』となった書斎へと招きいれた。
前回は、魅録が悠希に作ってくれたバイクのプラモデルだったが、一体、今回は何を壊したのだろうか。
重い足取りで、2人が入ってきた。
悠希の手には、腕のちぎれた黒猫のヌイグルミ。泣き続けている清香は、そのちぎれた腕を手にしていた。
どうやら今回の患者は、片腕切断の清香のお気に入りの「黒猫のヌイグルミ」だった。
僕は机の引き出しから、子供たちが小さな頃に具合が悪くなると使っていた聴診器を取りだし、耳につけた。
悠希が僕の前にヌイグルミを差し出したので、その胸に聴診器を当て診断を下した。
「う〜ん、これは片腕切断の重症です。すぐに手術をしなくては!そこの君、至急オペの準備を!」
「はい、先生。」
僕の声に、悠理がバタバタと部屋を出て行った。
「患者さんを、こちらへ。」
そう言って僕は、子供たちからヌイグルミを受け取った。
「先生、オペの準備が出来ました。」
悠理が針箱を抱えて戻ってきた。
「これから、緊急オペを行う。」
僕は、わざと神妙な顔をして、重々しく言った。悠希と清香が、ごくりと唾を飲み込んだ。
僕はチラリと悠理を見た。
「なに?」
悠理が、不思議そうに訊ねた。
「たまには、悠理が直してみたらどうです?」
「なんであたしが!!」
悠理が露骨に嫌そうな顔をした。
「え〜、おかあさんできるの?」
「おれ、見たこと無い。」
「やって、やって〜」
悠希と清香の顔がたちまち好奇心で溢れていった。
「ほら、2人とも期待していますよ。『家庭科実技5』の腕前を見せてあげたらどうですか?」
勿論それは、本人が取ったものではなくて、我先にと悠理の課題を仕上げてくれた取り巻きの女の子たちの成績だったのだが。
それを承知で悠理に笑顔を向けると、キッと睨みつけられた。
「ふんっ、どうなっても知らないからな。」
鼻息も荒くそう言い捨てると、悠理が針と糸を手に取った。
「すげ〜。」
「じょうず〜。」
何とか一回で針穴に糸を通せた悠理に、子供たちが感嘆の声を上げた。
次の関門の「玉止め」は何故か、異様に大きくなった。
そしてそのまま、待ち針で固定もせずにブスリブスリとはぎ合わせ始めた。
「痛っ!」
一体何度目だろうか、左手の指に針を突き刺すたびに赤い小さな点が増えていく。
このヌイグルミが白猫でなくて本当によかったと、僕は心から思っていた。
子供たちは、既に心配顔だった。
「悠理、代わりますよ。」
「いい、ここまでやったんだから最後までやる。」
僕の申し出を断った悠理の顔は、いつになく真剣だった。
「出来た!」
悠理の満足気な声に、子供たちから拍手が贈られた。
縫い目は大きく疎らで、ところどころ綿がはみ出し、少し捩じれていたけれど黒猫の腕はちゃんと繋がっていた。
「おかあさん、ありがとう。」
悠理から、ヌイグルミを受け取った清香が、その仕上がりに文句も言わず、珍しく素直に礼を言った。
出来栄えはともかく、悠理の真剣さは伝わったのだろう。
「かあちゃん、指大丈夫か?」
「こんなの舐めときゃ治るから、心配すんな。」
不安げな顔で、悠理の左手をとった悠希も、悠理が笑顔を向けると安心したようだった。
「まぁ、でも一応、消毒くらいはしておきましょう。」
僕は机の引き出しから消毒液と絆創膏を出すと、悠希の手から悠理の手を攫った。
白くて細いその指に、いくつもの血の後があった。
「だから、舐めときゃ治るって!」
そう言って引っ込めようとしたその左手を、僕はしっかり掴むとそのまま口もとに持ってきた。
「な、なに?」
「だって、舐めとけば治るんでしょう?」
「だぁ〜!!絆創膏でいい!絆創膏で!」
ボッと音を立てるくらいの勢いで、真っ赤になった悠理が叫んだ。
僕はちょっと残念に思いながら、悠理の手に消毒をして絆創膏を貼った。
悠希と清香が、笑顔でそれを眺めていた。
おしまい
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