おまじない

BY にゃんこビール様

校舎に夕陽が差し込んできた。

生徒たちはもう下校した時間なのに、教室に女の子がひとり。

机の上には生徒会の提出資料。

えんぴつで書いては消しゴムで消す。

えんぴつで書いては消しゴムで消す。

だから資料はちっとも進まない。

それなのに女の子はとても楽しそう。

机の上には消しゴムのカスが増えていく。

反対に消しゴムがどんどん小さくなっていく。

小さくなった消しゴムを夕陽にかざして、女の子は微笑んだ。

 

オレンジ色に染まった教室の入り口に男の子がひとり。

机に向かってる女の子をじっと見つめた。

声を掛けたくても掛けられない。

いっしょに資料を作ろう、と言ったのに断られてしまったから。

ふたりでやった方が早く終わるのに。

ふたりでやった方がいっしょに帰れるのに。

思った通り、ぜんぜん資料はできてない。

さっきから消しゴムで消してばっかり。

そんな消しゴムをとても大切に使ってるみたい。

男の子は大事にされている消しゴムがちょっとうらやましくなった。

 

「剣菱さん、資料できたの?」

突然、後ろから声をかけられて女の子は驚いた。

教室の入り口に腕組みをした生徒会長が立っている。

「驚かすなよ!菊正宗、まだ帰ってなかったのか?」

いきなり声を掛けられて心臓がドキドキする。

心臓の音が男の子に聞こえないように、

真っ赤な顔を見られないように、

女の子はぷいっと男の子に背中を向けた。

 

女の子に背を向けられた。

それは男の子を拒んでいるように見える。

いっしょのクラス委員をやってるのは、男の子の幼なじみに嫌みを言われて

女の子が引っ込みがつかなくなった結果。

そう、いっしょにクラス委員をやっているのは、神様のいたずら。

女の子に好かれてないことはわかってる。

女の子に煙たがれてるのもわかっている。

「うちのクラスだけなんですよ、まだなの。」

言いたくもない嫌みが口から出る。

あの背中をこっちに向けるにはどうしたらいいかわからないから。

どんな言葉をかけたらいいのかわからないから。

 

「わーってるよ!だから今やってるんだろ!」

男の子の幼なじみに嫌みを言われて啖呵を切ってなったクラス委員。

男の子前で恥をかかされて悔しかったから。

本当は男の子はその幼なじみといっしょにクラス委員をやりたかったはず。

そう、いっしょにクラス委員をやっているのは、神様のいじわる。

男の子に嫌われてるのはわかってる。

男の子にバカにされてるのもわかってる。

だからちっともはかどってない資料を見られたくない。

本当はいっしょにやってほしい。

だけど何て言えばいいかわからないから。

どんな言葉を言ったらいいのかわからないから。

 

女の子の背中が一段と丸く小さくなった。

「生徒会長のクラスが期限を守らないなんて示しがつきません。」

違う、違う。こんなこと、言いたくない。

本当はいっしょに手伝いますと言いたいのに。

本当はひとりでやらせてごめんって言いたいのに。

女の子が振り向いてくれないから。

女の子が男の子のこと見ようとしないから。

 

男の子が怒っているのが伝わってくる。

「おまえがいるとはかどらない!もう帰れよ!」

違う、違う。こんなこと、言いたくない。

本当はいっしょに手伝ってと言いたいのに。

本当はできなくってごめんって言いたいのに。

男の子が嫌みばっかり言うから。

男の子が女の子の前に突然現れるから。

 

男の子の返事がない。

女の子は不安になって後ろをちらりと振り返った。

「あれ?…菊正宗?」

男の子の姿はなかった。

本当に帰っちゃったんだ。

自分が帰れって言ったのだから本当に帰っても仕方がない。

 

「まだ半分もできてないじゃないですか。」

突然、前から男の子の声が聞こえた。

「わっっっ!」

女の子はびっくりして椅子から飛び上がった。

「そんなに驚かなくてもいいじゃないですか。」

少しむっとした男の子の手には資料。

何度も、何度も、消しゴムで消した資料。

「おまえ、黙ってそばにくるなよ!」

女の子はドキドキして顔が熱くなった。

 

目の前にいる女の子は髪の毛も、瞳も、夕陽に染まってオレンジ色。

大きな瞳、長い睫毛、艶やかな唇。

「やっぱり剣菱さんひとりに任せた僕にも責任があります。」

男の子は慌てて視線を資料に戻した。

驚くほど綺麗な女の子の顔を見つめていたら、恥ずかしくなってきた。

 

上目遣いで見た男の子の黒い瞳にはオレンジ色の夕陽が映っている。

いつのまに伸びた身長、真っ直ぐな黒い瞳、引き締まってる唇。

「…いいよ、あたいがやるって言ったんだから。」

女の子は慌てて視線を机に落とした。

あまりにも整った男の子の顔を見つめていたら、恥ずかしくなってきた。

 

「ここ、字が間違ってます。」

男の子がそう言うと、とっさに消しゴムをつかんだ。

あの何度も消していた消しゴムを。

あの大切そうにしていた消しゴムを。

「*○%△×?@!#$+◎っ〜〜〜!!!」

女の子は言葉にならない声を叫んで立ち上がった。

「どっ、どうしたの?剣菱さん。」

男の子は女の子を見た。

女の子の握った手は少し震えていた。

女の子の瞳には涙がたまっていた。

「け、…剣菱さん?」

いつもと様子が違う女の子に男の子は少し戸惑った。

 

「きっ、きっ、菊正宗のバカヤロー!!!」

女の子は大声で叫ぶと鞄をひっつかみ、教室から出て行ってしまった。

男の子はひとり教室で呆然と立ちすくんでいた。

女の子がどうしてあんなに動揺したのか。

女の子がどうして瞳に涙を貯めていたのか。

なにがなんだかわからなかった。

ただすごく女の子を傷つけてしまったことだけはわかった。

男の子は消しゴムを握ったまま。

小さくなった消しゴムをぎゅっと握ったまま。

ひとりオレンジ色の教室に佇んでいた。

 

 

次の日の朝、男の子は気分がすぐれなかった。

昨日の放課後のことが忘れなれなくって。

昨日の放課後の女の子のことが気になって。

そんなとき、前を歩く下級生の女の子たちのおしゃべりが耳に入ってきた。

 

「あなたも消しゴムのおまじない、おやりになって?」

「ええ。ミドリのペンで好きな方のお名前を書くおまじないでしょう?」

「そう。最後まで誰にも触られてはいけませんのよ。」

「誰かに使われそうでいつも冷や冷やしますわ。」

「ほんとうに。」

「あなたはどなたのお名前をお書きになったの?」

「うふふ… ないしょですわ。そういうあなたはどなたですの?」

「ふふふ… わたくしもないしょですわ。」

 

男の子は立ち止まった。

昨日、握ったままの女の子の消しゴムを何となくカバーを外して見た。

そこにはミドリのペンで字が書いてあった。

“四郎“と。

あの字は間違いなく女の子の字。

どうして“四郎”って書いてあるのか不思議だった。

どうして自分の名前を書いてなかったのか不思議だった。

やっとわかった。

あれは消しゴムのおまじないだったのだ。

ずいぶん小さくなっていた消しゴム。

もう少しでおまじないが効くはずだったのに、

昨日、男の子が思いっきり触ってしまった消しゴム。

書いてあった“四郎”というのは女の子の好きな人の名前。

元気いっぱいで、女子生徒から人気があって、先生に怒られてばっかりで

小さいときからずっと気になっている女の子の好きな人の名前。

同じ学年に“四郎”なんていない。

中等部に“四郎”なんていただろうか。

高等部に“四郎”なんていただろうか。

“四郎”って誰だろう。

“四郎”って誰だろう。

“四郎”って誰だろう。

男の子はなぜかわからないけど胸がきゅと締め付けられた。

そのとき、教室から女の子が飛び出してきた。

 

勢いよく廊下に飛び出ると男の子と目があった。

いつにもまして難しそうな顔をしている男の子と目があった。

昨日、あんな風に飛び出してばつが悪いけど、笑ってみた。

ちょっと緊張して引きつったけど。

ちょっと照れくさくって引きつったけど。

「き、昨日は悪かったな。机の上に資料置いておいたから。」

そういうと男の子は驚いた顔をした。

男の子の視線から逃げたくてくるっと背を向けた。

男の子を見ていたらまだ心臓がドキドキしてきた。

 

男の子は驚いた。

女の子が資料をひとりで作ったことがではない。

女の子が謝ってきたことではない。

男の子の名前は“清四郎”。

小さくなった消しゴムに残った“四郎”は“清四郎”の最後の二文字。

胸につかえていたいたものがすーっとなくなった。

なんだかわからないけど嬉しくなった。

なんだかわからないけど体が温かくなった。

「剣菱さん!」

背を向けて走り去ろうとする女の子に声を掛けた。

そして振り返った女の子にポケットから出したあるものを投げた。

 

女の子は驚いた。

男の子に呼ばれて振り返るとなにかが飛んできた。

慌てて両手でキャッチした。

そっと手を開いて男の子が投げてきたものを見た。

まだ使ってない新品の消しゴム。

真っ白な消しゴム。

「剣菱さんに、それあげます。」

さっきまで男の子は難しい顔していたのに今は嬉しそうに笑っている。

そういうと男の子は教室の中に入っていった。

「え?あ、さんきゅ…」

男の子のあんなに嬉しそうな笑顔を初めて見た。

男の子の不思議そうに見送った。

女の子は消しゴムをぎゅっと握ったまま。

 

その日、男の子は“四郎”しか残ってない小さい消しゴムに字を書いた。

ミドリのペンで。

少なくなった余白に小さい字で。

“剣菱悠理”と。

この消しゴムは他の誰にも触らせなかった。

消しゴムがすべてカスになる最後まで。

男の子が大事に使った。

 

消しゴムのおまじない。

白い消しゴムにミドリのペンで好きな人の名前を書く。

誰にも使わせてはいけない。

誰にも触らせてはいけない。

最後まで使い切ると想いが通じる。

だけど好きな人とふたりで使えば強い絆で、ずっといっしょにいられる。

それが消しゴムのおまじない。

 

 

 

 


あとがき

バレンタインもホワイトデーもまったくネタが浮かばず、ふと思い付いたのは「あー、中学のときこんなことやった、やった」と別な路線へ…てへへ

おまじないなんてしなくってもうまくいくんですけどね、この2人の場合。

 

 

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