あたいがそこに居会わせたのは、ホントに偶然だった。
黄昏どきの校舎裏。オレンジ色に染まった景色の中で、清四郎は、女の子と向き合っていた。
「わたし、菊正宗君が好きです。もし良かったら、私と付き合ってください。」 あたいは思わずその場に屈んで、植え込みの陰に隠れていた。
オレンジ色の景色。少しの、沈黙。
「気持ちは嬉しいのですが、お付き合いはできません。僕は、軽い気持ちで女性と交際したくはないんです。貴女を傷つけないためにも、友人のままでいましょう。」
口調は優しいけれど、それは、確かな拒絶だった。 しばらくの間、女の子は頑張って食い下がっていたけれど、清四郎の答えが変わることはなかった。 植え込みの陰で、あたいは動揺していた。抱えた膝に、心臓のどきどきが伝わってくる。
何でだろ?どうしてこんなに息苦しいんだろ?ヘンな現場に居会わせちゃったから?
女の子が、ごめんなさい、って謝る。清四郎が、有難う、って礼を言う。あたいは、植え込みの陰に隠れながら、黙って膝を抱えてる。
居心地が悪くて、眩暈がした。 女の子が去ったあと、清四郎は、その場に立ったまま、深々と溜息を吐いた。 そして、こっちに振り返る。
「悠理。立ち聞きなんて、失礼でしょう?」 ヤバい。バレてる。 恐る恐る首を捻って見上げると、真上にヤツの不機嫌顔があった。
「…立ち聞きじゃないもん。座り聞きだもん。」 不機嫌顔が、片眉をひょいと上げた。明らかにあたいを馬鹿にしてる顔だ。
「立とうが座ろうが、盗み聞きには変わりないでしょう?」 ぺち、と大きな手でおでこを叩かれた。痛くはないけど、何だか気に食わない。
「コーキョーの場で聞かれたくない話をするお前も悪い。」 口ごたえしたら、細い眉がいっそう上がった。
「まったく、屁理屈だけは一人前ですね。」 怒っているはずの口調は、何故か、優しく聞こえた。
オレンジ色の景色が、夕風に揺れる。
清四郎の顔も、夕暮れの優しい景色に染まって、優しく見えた。 胸のどきどきがぶり返してきて、抱えた膝に顔を埋める。
戸惑いを、清四郎に知られたくなかった。
沈黙が息苦し過ぎたから、あたいはそれから逃れたい一心で、思わず聞いてしまった。
「…どうしてフッたんたよ?」 「聞いていたでしょう?僕は、いい加減な気持ちで女性と付き合いたくはないんですよ。」
「可愛いコだったのに。」 「可愛けりゃいいってものでもないでしょう?」 そこで、また、沈黙。
オレンジ色の世界に、黙りこんだあたいと、清四郎。 まるで、他のみんなが消えたみたいに静かだ。
「…付き合っていたほうが、良かったですか?」 「へっ?」
意外な台詞に顔を上げると、清四郎が、迷子みたいな顔をして、あたいを見ていた。 あたいは焦った。何だか、清四郎にとても悪いことをした気がして。 「な、なんであたいにそんなこと聞くんだよ?」
声が上擦ってる。どもってる。嫌だ嫌だ。動揺してるのが、ばれてしまうじゃないか。
オレンジ色の夕日が、火照る頬を隠してくれていることを願いながら、あたいは大袈裟に顔をしかめてみた。
「もしかして、自分が恋愛感情欠落男って分かったから、他人の意見を聞いてみたいのか?」
あたいがそう言うと、清四郎は、片方の口の端を上げて、ふんと笑った。 「色気より食い気のお前に言われたくはありません。」
そして、ふう、と溜息。 「僕より恋愛指数の低い悠理に聞くだけ無駄でしたね。」
失礼な奴だ。 一番言われたくない奴に言われて、カチンときた。 あたいは、口唇を尖らせながら、清四郎をじっと睨んだ。
「あたい、お前より絶対マシだぞ。」 「いいえ。僕のほうがマシです。」 「あたいだって!」
思わずムキになって叫ぶ。すると、清四郎はふんと鼻を鳴らして、こう言った。 「自覚しているだけ、僕のほうが悠理よりマシです。」
……自覚?
オレンジ色の世界。胸が、どきどきしすぎて、痛い。
夕暮れ色に染まったヤツの顔が、何だか、赤くなってるみたいで、どう答えていいのか分からない。
何で?何で、あたいは途方に暮れているんだろう? いつもみたいに、馬鹿をやって逃げれば済む話なのに、それができない。
清四郎から、逃げられない。ううん。逃げたくない。 理由なんか分からないけど、傍にいたい。 胸がどきどきして苦しいのに、清四郎の、傍にいたい。
ふう。 溜息みたいな風が、二人の間を通り過ぎた。
きゅるるる。
いきなり、お腹が鳴った。 清四郎はぷっと吹き出し、あたいは真っ赤になった。
「し、仕方ないだろ!今日は三時のおやつ食べたっきりなんだから!」 「それでも充分だと思いますがねえ。」
焦って言い訳したけれど、もう遅い。いつもと同じ、皮肉な視線が、頭上から降ってくる。 そんな清四郎にほっとしながら、ちょっとだけ寂しさを感じてしまうのは、どうしてだろう? 清四郎は、一度だけ、視線を地面に落としてから、くい、と顔を上げた。今度は、保護者の顔をしている。
「仕方ありませんね。駅前に美味いラーメン屋がオープンしたそうですが、今から一緒に行きますか?」
素敵な申し出に、あたいは勢いよく、ぴょんと立ち上がった。 「うんっ!」
あたいが大きく頷いたら、また、ヤツは呆れ顔。 「やはり、自覚しているぶん、僕のほうがマシですね。」 「??何の話だよ?」
首を傾げるあたいを見て、清四郎は呆れたように微笑んだ。 「まあいい。行きましょうか。」 「おう!」
あたいは一回転して、校門目指して走り出した。 駆け出した瞬間、視界の端に、こちらに手を伸ばす清四郎の姿が入ったけど、あたいは構わず、走り続けた。
ラーメンが嬉しいのか、清四郎と一緒なのが嬉しいのか、よく分からなかったけれど、とにかく胸が弾んだから、立ち止まりたくなくて、オレンジ色の景色の中を、跳ねるように走った。
「…まったく、ガキですね。」
清四郎は、跳ねる後姿を眺め、苦笑した。
繋ごうと伸ばした手は、宙ぶらりん。色気より食い気の野生児に、恋の自覚などあろうはずもない。
でも、いつか。 いつか、手を繋いで、ふたりで歩く日がくる。
オレンジ色の夕暮れ、シルエットになりつつある、悠理の後姿。 「せいしろー!早く!!」 シルエットが振り返り、こちらに向かって大きく手を振った。
悠理はまだまだ子供で、自分が誰を好きかなんて、考えたこともないはずだ。 今は、彼女が大人になり、恋を自覚する日がくるのを、待つしかない。
清四郎は、その日を心待ちにしながら、彼女の後を追って、ゆっくりと歩き出した。
おわり。
今回は悠理目線のふんわかラブということで、ちょっぴり拙い感じで描いてみましたが、如何でしたでしょうか?
皆さまもご存知でしょうが、このお話は、管理人さまであられるフロ氏の旅行中、BBSにてプチ連載をさせていただいていたものです。
「殿が留守の間、城を守るのは妻の務めですわっ!」と意気込んで描きはじめたまでは良かったのですが、先はまったく決まっておらず、しかも、愛用の第二世代携帯は250字までしか打ち込めない。おまけに自身も出張で仕事漬け。結果、某地方都市で、右手に箸、左手に携帯電話を持って、きりたんぽ鍋を食べるという、アクロバットに挑戦する羽目に。あれほど味のしない鍋を食べたのは初めてでした(爆)
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