千里姻縁一線牽

BY にゃんこビール様

 

 

悠理はひとり、香港行の飛行機に乗っていた。

今秋、剣菱グループが香港にオープンするテン・サウザン・ホテルの視察を

万作に任命されたのだ。

視察、と言ってもオープン前のホテルを見に行くだけ。

あとは自由に行動していいと言われている。

いつもだったら、仲間6人揃って楽しい旅行なのだが、今回は悠理ひとりである。

 

いつもの放課後。

悠理は部室に集まった仲間を誘った。

野梨子はお茶を配っていた。

「残念ですわ。週末のお茶会の準備を手伝わなきゃなりませんの」

魅録は腕で×印をして「俺もパス。千秋さんの先約がある。」

「テン・サウザン・ホテルかぁ…すごい行きたいけど…」

美童はスウェーデン大使館主催に出席しなくてはならなかった。

可憐は先週から店の用事でニューヨークに行っている。

最後の頼みの綱、清四郎を悠理は懇願の目で見た。

「すみません。僕も親父の学会に付き合うことになってまして…」

申し訳なさそうに眉を下げた。

みんな忙しいみたいだし、ひとりなんてつまらない。

行くのやめちゃえ!と言おうとした瞬間、

「ま、悠理も親孝行だ。頑張れよ」魅録に肩を叩かれた。

「えっ?」

「おじさまの代役、大変でしょうけど頑張って下さいな。」

野梨子もにっこりと微笑んだ。

「ねぇ、今度みんなで行こうよ!クリスマスシーズンなんてどう?」

「いいですわね。可憐が帰ってきたらそうしましょ。」

はしゃぐ美童に野梨子も賛同した。

悠理が呆然としている間にも話はどんどん盛り上がっていく。

清四郎はくしゃっと悠理の頭に手をなでて微笑んだ。

「みんなで行くときに案内ができるように、視察頼みましたよ。」

「お、おう!任せとけ!」悠理はドンと胸を叩いた。

不安と寂しさを表に出さないように、精一杯の笑顔を清四郎に見せた。

 

このとき、悠理は決意したのだ。

みんなの手を借りずに、ひとりでやってみせる。

そして、たったひとりに

「悠理もやればできるじゃないですか」って認めてもらうために…

「悠理、よく頑張りましたね」って褒めてもらうために…

絶対にひとりで香港に行くんだ、と。

 

程なく香港チェクラップコップ国際空港に到着した。

到着ホールに出るとホテルから従業員が出迎えてくれた。

日数が少ないため、分刻みのスケジュールである。即ホテルに直行した。

今回、剣菱グループが手がけたテン・サウザン・ホテル香港は、

空港からのエアポートエクスプレス香港駅に直結している香港一の

88階建てのビルの上層階にある。

ヴィクトリア・バーバーを望むロケーションも素晴らしく、

客室は5パターンのスイート50室を含む400室あまりにも及び、

ホテルの施設もスポーツジム、4つのプール、スパを完備している。

レストランは九江プロデュースのメインダイニングを含め、

3つのレストランやラウンジ、最上階にはバーがある。

香港・中環にありながら、こんなに設備の整った大型のホテルを

作るとは、さすが剣菱である。

ホテル到着早々、ホテル内の視察から始まり、夕食は九江の広東料理に舌鼓を

うち、あっという間に1日目が終わった。

2日目も朝からスケジュールがびっちり組まれていた。何とか昼にはフリーになった。

さすがの悠理も気疲れをしてしまった。

出掛ける気にもなれず、ホテルのプールで過ごすことにした。

悠理はぼんやりとプールに浮かび、秋晴れの空を見ていた。

ひとりになると仲間の顔が浮かんでくる。

 

 可憐がいたらいっしょに買い物に行って…

 

 野梨子がいたらアフタヌーンティして…

 

 美童がいたらSOHOとか蘭桂坊で飲んで…

 

 魅録がいたら北角や旺角の市場に行って…

 

 清四郎がいたら…

 清四郎がいたらうまいもの食って、買い物もして、色んなところに行って…それから

 

「清四郎…」

香港に着いてせわしなかった反面、突如ひとりになって寂しさが

こみ上げてきた。

 

「悠理」

 

誰かに呼ばれた気がした。

まさかホテルの従業員悠理と呼ぶはずもない。きっと空耳だ。

 

「悠理」

 

また呼ばれた。悠理はプールに浮かんだまま、声のする方に視線を動かした。

プール越しの視界には思いもよらない人物、清四郎が立っていた。

「うわっ!!!」

悠理は驚きのあまりバランスを崩して溺れそうになった。

「げぼげぼげぼっ…

 な、なんで清四郎がここにいるんだよっ」

「随分な言いぐさですね。」

ベージュのスーツを着ている清四郎はプールサイドに仁王立ちしていた。

「学会が台湾だったのでちょっと寄ってみたんですよ。」

清四郎はにこっと微笑んだ。

実は部室での悠理の態度が気になっていたのだ。

いつもなら、誰も悠理の誘いにのらないと駄々をこねるか、

行くことをキャンセルするはずである。

それが成り行きとはいえ、悠理はひとりで行くことを決めた。

人一倍楽しいことが大好きで人一倍寂しがり屋な悠理が、だ。

清四郎は父親に頼んで1日予定を切り上げさせてもらい、台湾から

香港行のチケットを手配していたのだ。

「ふんっ、失礼な。ちゃんとやったもんね。」

悠理は真っ赤になった顔を隠すように目の下まで潜り、不機嫌そうに睨んだ。

「それじゃおじさんの代役は終わったんですね?」

清四郎の問いかけに悠理は潜ったまま頷いた。

「じゃランチに行きましょう。悠理はお昼食べました?」

ランチという言葉に悠理は勢いよく飛び跳ね叫んだ。

「食べてない!すごくお腹空いてきたぞ!」

バシャバシャと猛スピードで泳いできた。

清四郎は悠理に手を差し出して

「それじゃ急いで着替えてきて下さい。車はお願いしてあまりすから。」

にっこりと微笑んだ。

悠理は黙って清四郎の手を取った。

いつもと変わらない、大きくて温かくて安心できる手に。

 

 

**********

 

 

車が向かったところはレパルスベイという香港島の南側である。

映画『慕情』の舞台としても有名であり、香港の高級リゾート地でもある。

2人は香港ではめずらしい本格イタリアンを堪能した。

食後、海岸を散策することにした。

満腹になり、悠理はご機嫌である。

「うわ〜!すごいきれい!きもちーーーっ」

きれいな砂浜を見て走り出した。

「まるで犬ですねぇ」

清四郎は悠理が戻ってくるまで待っていた。

「なんか香港じゃないみたいだね、清四郎!」

「イギリス領の時に開発したリゾート地ですからね。

 街の喧騒から離れてたまにはいいでしょ?」

悠理は素直に「うん!」と頷いた。

ふたりはしばらく海を見ながらたわいない話をしていた。

「そうだ、この先に天后廟というところがありますが行ってみますか?」

「なに?そこ」

清四郎は悠理がわかりやすいように少し考えた。

「縁起のいい神様が大集合しているところ、ですかね」

「行こ、行こ!縁起がいいんだったらなおさらだ!」

悠理はすくっと立ち上がった。

レパルスベイの天后廟は海の女神を祀ったところである。

しかし今ではいろいろな神様が集まっている。

亀にまたがった仙人、金色に輝く鯉、色とりどりな龍などなど。

一体、なんの御利益があるのかわからない像がいくつもある。

極彩色な像を悠理は見上げてつぶやいた

「すごいな… 父ちゃん好きそう」

万作の趣味に慣れているとはいえ、やはり本場はひと味違う。

清四郎はあっけに取られてたたずんでいる悠理を呼んだ。

「悠理、ちょっとこっちに来て下さい。」

清四郎の前には派手な像ではなく、普通の石があった。

「なーに?これ」

「これは縁結びの石ですよ。ほら、ここに『千里姻縁一線牽』って

 書いてあるでしょ?」

「ふーん… どういう意味?」

「たとえ千里離れていても縁さえあれば必ず会える、って意味ですよ。」

何万人もの人が願いをこめて石をなでたのだろう。

石の表面はツルツルしていた。

「可憐がいたらすごいなで回すだろうな。」

そうですね、と清四郎は笑った。

「でも…」

清四郎はまじめな声になった。

「運命なんて生まれる前から決まっているのかもしれません。」

悠理は清四郎の横顔を見た。

まっすぐと石を見つめている瞳は宇宙のように黒く、どこまでも澄んでいる。

「僕とお前の場合は『くされ縁』って感じですかね。」

悠理に向き直って清四郎は微笑んだ。

「たとえ千里離れても悠理とは必ず会える気がしますよ。」

そういいながら清四郎は優しく石をなでた。

悠理はなぜか顔が赤くなるのが自分でもわかった。

「ふんっ!冗談じゃないやい。」

ぷいっと横を向いた。清四郎に顔を見られないよう。

そんな悠理を清四郎は愛おしいように微笑んで見ていた。

清四郎が先に歩いていった後、悠理は清四郎が石をさわった同じところをそっとなでた。

 

ホテルに戻ると清四郎が来ていることを聞いた九江が大宴会の用意をしていた。

明日日本に帰る悠理はスタッフ全員を招待した。

「自分で食べておいしいって思わなきゃ人には勧められないから。」

という悠理の提案であった。

その晩は悠理と清四郎を囲み、大宴会となった。

清四郎が気が付くと悠理の周りに入れ代わりスタッフが話しかけていた。

「お嬢様、ペディキュア・ルームにDVDを導入しました。」

「ありがとう」

「アメニティのバスソルトですが、ラベンダーの他にカモミール、ローズ、

 それとゆずを用意致しました。」

「うん、やっぱゆずっていいでしょ?」

たった2日間で悠理はスタッフと信頼関係まで築いたようだ。

どんな人とでもすぐにうち解ける魅力が悠理にはある。

「悠理はコンサルタントをしたのですか?」

「コンサルタント?」

清四郎に話しかけられた悠理は振り返った。

「よく可憐がネイルの時にDVDが見れたらって言ってたし、

 野梨子がゆずのバスソルトが落ち着くって言ってたからさ。」

悠理はそう言うとマンゴープリンを取りに行った。

ホテルの支配人が清四郎のとなりに来た。

「お嬢様のご意見は私たちも大変勉強になりました。」

清四郎はにっこりと微笑んだ。

「本人はそんなつもりで言ったようではないようですよ。」

悠理は女性スタッフたちとデザートを食べながら談笑している。

くるっと悠理は清四郎と支配人の方に振り向いた。

「おっちゃん!」

「こら!悠理!」

清四郎は注意したが支配人はニコニコと笑っている。

「はい、何でしょう。お嬢様」

「今度さ、清四郎と他の仲間もいっしょに連れてくるからよろしくね!」

「もちろんでございます」

「楽しみだね、清四郎!」

楽しそうに笑う悠理に清四郎もつられて微笑んだ。

 

次の日、清四郎と悠理はスタッフ全員に見送られて空港に向かった。

行きはひとりだったが帰りは清四郎とふたり。

それだけでも悠理は嬉しかった。

ドリンクサービスでシャンパンをもらい、清四郎は悠理のグラスに合わせた。

「悠理、任務ご苦労様でした。」

「え?」

悠理は一瞬、なんのことなのかピンとこなかった。

「よくひとりで頑張りましたね。見直しましたよ。」

そういうといつものように悠理の頭をくしゃとなでた。

まるであの姻縁石をなでていたように。

清四郎に認めてほしくて、褒めてほしくてひとりで香港に行ったのだ。

それが今、優しい顔をして乾杯してくれた清四郎。

悠理は胸がいっぱいになった。

「あたいだってやるときはやるんだい!」

照れ隠しにニカッと笑って見せた。

「ほう。それじゃ今度の試験は大丈夫でしょうね。」

清四郎はニヤリと口の端を上げた。

「げっ。お前はなんて楽しい旅行中にそういうこと言うわけ?

 やだな。こんなやつと『くされ縁』だなんて!」

悠理は残っていたシャンパンをくいっと空けた。

「そうですよ。どんなに離れたって悠理のことはちゃんと見てますからね。」

そういうと清四郎もシャンパンを空けた。

空いたグラスに気が付いたキャビンアテンダントが「おかわりはいかがですか?」と

伺いに来て「いただきます」と清四郎がグラスを2人分出した。

悠理は窓の外を見た。

窓の外にはレパルスベイに続く海が見えた。

悠理は天后廟の姻縁石を思い出して目をつぶった。

 

 …どんなに離れても清四郎と巡り会えますように…

 

「悠理、シャンパン飲まないのですか?」

悠理は清四郎の方に振り向きにっこりとグラスを受け取った。

またいつか清四郎とふたりで姻縁石をなでに行くことを願って、悠理は

清四郎のグラスを合わせた。

 

 

 

 

 

 


あとがき

やっと香港のストーリーです。

このタイトル「千里姻縁一線牽」の意味を知ったとき、

清四郎と悠理にぴったりだな〜と思いまして。

私って清四郎に頭なでなで願望があるのかな?

 

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