作 ことこ様
五
悠理中将が重い病だという噂は、都中を駆け巡った。あんなに華やかで、明るかった悠理中将が、最近とみに元気がなくなり、とうとう屋敷も出られなくなったというのだ。 宮中の女房達は、太陽が消えたようだと嘆き悲しみ、悠理を慕っていた多くの公達もまたその身を案じていた。中でも、帝の落ち込みようは、目に見えて明らかであり、やはりお気に入りの悠理中将がいなくなって、お淋しいのだと皆は言い合った。 悠理が走って去っていったあの日から、清四郎は虚ろな日々を過ごしていた。政務に支障がでないようにはしていたが、その他のことは全く手につかなかった。 そんな清四郎の気を晴らすためだと、ここぞとばかり左大臣は自分の娘の入内を促した。しかし、いつもの慇懃な仮面をはずした清四郎の恐ろしく冷たい一瞥に、左大臣はそれ以降自分から娘の話はしなくなった。 ・・・やはり自分の気持ちを明らかにすべきではなかった。 友人としての悠理までも失った清四郎は後悔していた。重い病だという悠理のそれは、恐らく自分と会いたくないための仮病であろう。 しかし、清四郎はそれを確かめることさえできなかった。 そんな清四郎は、野梨子のところを訪れることもすっかり忘れていたが、悠理が出仕しなくなってから数日たったある日、至急自分の御殿に来てほしいとの使いが野梨子から届いた。 全くもって行く気はしなかったが、他ならぬ女東宮からの使いである。断るわけにもいかず、清四郎は重い足取りで野梨子の元へ向かった。 久しぶりに会った野梨子は、今まで見たことがないぐらい怖い顔をしていた。 「どういうつもりですの、清四郎?」 のっけから野梨子は高圧的な態度で聞いてきた。 「どういうつもりとは?」 「悠理のことです。見舞いにもいかない、文も書かない。」 一息おいて、野梨子はずばり言い切った。 「好きなのでしょう、悠理のこと。悠理姫と言ったほうがよろしいかしら。」 「・・・知っていたんですか、野梨子。」 「ええ。美童が私の元に来たときに、この方が清四郎の初恋だという、池に突き落とされた大納言の姫君かと思って見ていましたの。でもどう考えても清四郎の話す姫君と美童の様子が一致しませんでした。そのうち、美童が実は殿方だということも分かって、彼に事情を話していただきましたわ。そして、あなたが悠理を初めて連れてらした時、これがあなたの思い続けた姫君だと分かりましたの。あなたが今も悠理に恋していることもね。」 「そこまで知っていたんですか。野梨子も人が悪い。」 清四郎は自嘲気味に笑った。 「笑い事じゃありませんわ!悠理に恋しているのなら、何故このままにしておくのです?何故きちんと思いを伝えませんの?」 「僕は悠理に嫌われているんですよ。彼女は魅録が好きらしい。」 「・・・あなたは頭がよい方だと思っていましたけれど、女心に関しては大馬鹿者ですわね。わたくし、可憐姫から文を頂きましたわ。彼女も悠理の事情は全てご存知だそうです。右大臣邸に魅録殿が通ってらしたのは、恋をした悠理が姫君に戻れるよう手を尽くされているのに、力を貸すためだったそうです。可憐姫と魅録殿は密かに惹かれあっているようですわ。」 「悠理が恋・・・魅録以外のいったい誰に?」 清四郎の問いに野梨子の怒りは頂点に達した。 「本当に救いようのない大馬鹿者ですわね!まだ分かりませんの?悠理はあ・な・た・に恋しているんですわ!」 野梨子の剣幕にあっけにとられていた清四郎は、すぐにはその言葉を理解できなかった。 「しかし、・・・僕は言いましたよ、初恋の人が忘れられない、初恋は大納言の姫君だと。」 野梨子は大きなため息をついて言った。 「わたくし、もう一度だけ言わせていただきますわ。この大馬鹿者!間抜け!意気地なし!」 普段の楚々とした野梨子からは想像できない言葉である。 「悠理はあなたが自分の正体を知っていることを知らないんですわよ!大納言の姫君が初恋だと言われて、美童のことだと思ったらしいですわ。だいたい、悠理を女と知っていながら、知らないふりをして楽しんでるからこんなことになるんです。それにあなた、悠理に面と向かって言った事がありますの?好きだと。」 清四郎はもはや何も言えなかった。自分がどうしようもない愚か者だということがよく分かった。 「悠理は・・・悠理は、今大納言邸にいるんですか?重い病というのは仮病なんでしょう?」 そう問いかける清四郎に、几帳の影から現れた背の高い公達が答えた。 「大納言邸にこもってますよ、悠理は。ただし、重い病というのは本当です。あれはかなり重い恋わずらいですから。早く見舞ってやってください。」 「・・・!美童ですか?」 清四郎が驚くのも無理はなかった。あんなに長く美しかったその髪は、短く切られてまとめられ、頭には烏帽子をかぶっていた。紅の表着ではなく、蘇芳色の直衣をまとった美童の姿は、どこからどう見ても立派な公達であり、悠理とはまた違った華やかさと美しさをかもし出していた。 「大納言家は僕が男に戻って後を継ぎます。そうしたら悠理も心置きなく姫にもどれるでしょう。僕も男に戻って手に入れたいものができたし。」 そう言って美童は傍らの野梨子に目配せした。野梨子は思わず赤くなる。 清四郎は、久しぶりに心から笑った。 「なるほど。野梨子から恋に関して説教を受けるとは思ってもみませんでしたが、それが理由でしたか。」 「そういうことです、帝。」 そしてにっこり笑って美童は続けた、 「先ほど悠理に文をだしておきました。今日の子の刻、庭の池にかかる橋で待っているようにと。そう、あの池です。」 「ったく、なんでこんなとこに呼び出すんだよ、美童は。あたいの部屋に来たら済む話じゃんか。」 夜の闇で足元の悪いところを悠理はぶつぶつ言いながら歩いていた。 「この庭歩いたのも久しぶりだなぁ。小っちゃいころはよく遊びまわってたけど。」 そうしているうちに、池にかかる橋にたどりついた。 池を見ながら、清四郎が幼い頃池に落ちたという話を思い出した。 あれってどこの池だったんだろうな・・・。そう考えながら橋を見ていると、悠理の頭の中に一つの記憶が蘇ってきた。 ・・・そういえば、黒い瞳の男の子とこの橋の上で会った気がする。 あれはまだ4歳ぐらいの頃、屋敷で宴があった夜だった。 悠理は、大人が宴でおおわらわになっているのを見計らって屋敷を抜け出した。そして、いつもなら夜は遊ばせてもらえない庭で遊ぼうと思って、この橋のところまでやってきたのだ。 月の光が水面に反射してキラキラしていた。嬉しくなった悠理が橋の上をピョンピョン飛び跳ねながらわたっていると、橋の隅にべそをかいて座り込んでいる男の子がいた。 「どうしたの?」 そう声をかけると、その子は真っ黒な瞳をおおきく見開いて悠理を見返した。 びっくりして、声もでないらしい。 「なんだよ、しゃべれないのか?お前ここで何してんの?」 「僕、迷子になって・・・。」 見ると、その子は上等な衣を着、前髪をきれいに切りそろえている。いいとこの子だということは悠理もわかった。 「あ〜今日の宴に来たお客さんとこの子か!」 「うん。君は・・・、庭師の子?」 悠理のぼさぼさの髪の毛と泥のついた衣をみて、そう考えたようである。 「違うわい!あたいはここの悠理姫だぞ!」 えっへんと胸をはって悠理は言った。 「姫!?野梨子とは随分ちがうな・・・」 男の子は大層驚いたようである。 しばらく、二人で水面に反射した光が橋に映るのをつかまえて、きゃっきゃと遊んでいた。 すると突然ガサッという音が茂みから聞こえた。男の子は、びっくりして悠理にしがみついた。悠理はしがみつかれたのにびっくりして、 「なんだよ弱虫!」 と言って、男の子を突き飛ばしてしまった。するとその子は、そのまま、どっぽんと池に落ちてしまった。 茂みから出てきたのは、男の子の守役らしい男であった。 「若君!」そう言って池から男の子を助け出すころには、他の人間も集まり、ちょっとした騒ぎになっていた。 当然悠理は大目玉をくらった。そして次の日は一日食事抜きだったのである。それは悠理にとって何よりもつらいお仕置きであった。 ・・・あ〜あ、やな事思い出しちゃったな。つらかったんだよな〜あのお仕置き。あんましつらかったから、すっかり忘れてたんだな。 ・・・ん?あれ?清四郎、弱虫って言われてあたいに池に落とされたって言ってたよな。 あの黒い目の子って・・・清四郎か? じゃあ・・・初恋の大納言の姫君って・・・! その時、季節はずれではあるが、いつかと同じ菊花の香が風に漂った。 「何一人で難しい顔したり赤くなったりしてるんですか?」 現れたのは、闇から染め出したような薄墨色の直衣を着た清四郎だった。 悠理は、うまく声がでなかった。 「・・・なんでいるんだよ、ここに。」 清四郎はそれには答えず、悠理に尋ねた、 「この池も懐かしいですね。・・・思い出したか、悠理?」 悠理は赤くなって答えた。 「今、・・・思い出した。」 清四郎は、軽くため息をついて言った 「昔から、僕のほうがお前のことを好きなんですね。今まで思い出されないとは・・・」 「す、好きって、・・・なんだよそれ。」 「そのままの意味です。僕はお前が初恋なんですよ。そして今も忘れられない。」 清四郎が一歩悠理に近づいてそう言った。 「やっぱり、お前最初っからあたいが女だって知ってたのかよ。性格悪いな。」 「まぁ、否定はしません。反省してます。」 もう一歩清四郎は前に進んだ。 「だいたい、分かりにくいんだよ。お前の感情表現!」 「お前が鈍いのも悪い。」 清四郎と悠理は、ほとんど鼻先が触れるほど近づいていた。 「鈍いだなんて、お前に言われたかないやい!この大バ・・・っ!!!」 悠理が皆まで言う前に、清四郎は唇を封じていた。 抱きすくめられて、悠理は逃げられなかった。逃げようともしなかった。 やがて、ゆっくり唇が離れると、清四郎は悠理の耳元でささやいた、 「その言葉は、今日野梨子に一生分言われました。もう勘弁してください。」 「ふん、・・・分かったよ。」 悠理は清四郎の胸に顔をうずめて答えた。 どのくらい長い間そうしていたのだろう。 悠理は清四郎の香りにつつまれて、泣きたくなるほど幸せだった。 清四郎はそんな悠理の髪をずっと撫でつづけ、そして意を決したように言った。 「姫に戻れ、悠理。美童も男に戻るんだから。」 そして、清四郎は熱のこもった目をして、覗き込むように悠理に聞いた。 「僕の妻になってくれるか、悠理?お前以外の妃はいらないから。」 しかし、悠理はその前の清四郎の言葉に驚いていた。 「美童、あいつが!?男に戻るって!?」 「そっちの話か・・・。」 清四郎は、がっくりと脱力しそうになったが、もう一度悠理の目を見て言った。 「答えろ、悠理。妻になってくれるか?」 頬を赤く染めながらも、真っ直ぐ清四郎の瞳をみて悠理は言った、 「・・・うん・・・。大好き、清四郎。」 すると、清四郎はそのまま腕の中の悠理を抱え上げた。 「うわっ!何すんだよ急に!」 「何って、お前は僕の妻なんでしょう?今日からね。」 そう言って、御殿のほうへすたすたと歩き始めた。 「お〜ろ〜せ〜!」 悠理はわめくが、清四郎は放そうとはしない。 「弓の勝負の褒美、勝ったほうが決められるんだったな。」 清四郎が悠理の耳元でそう言うと、悠理は観念したように大人しくなった。 初めて悠理を見たとき、ほんとうは月の子かと清四郎は思った。 光を浴びてきらきら輝く髪、大きな金茶色の瞳、すけるような白い肌。 触れてみたくてたまらなかった。 やっと、手に入れることができたのだ。 次の日、宮中は悲しみに包まれた。 悠理中将が亡くなったというのである。病をえて、屋敷にこもっていた中将は、ついに内裏に戻ることは無かった。 帝は悲しみのためであろう、その日は薄墨色の衣をまとっていらっしゃた。 女房達も大いに嘆き悲しんだ。やはり、あのように麗しく稀有な才能を持った若者は長生きができなかったのであろうと皆は噂しあった。 そして、中将の四十九日の喪が明けるやいなや、美童内侍が中宮として入内することとなった。これはめでたい事であるよと、大納言家に起こった不幸に同情していた者達は喜んだ。中宮の美貌は、内侍の頃から有名であったが、その素顔を知るものは少なく、また途中、なぜか背が縮んだことを知るものも少ない。彼女は、帝の寵愛を一身に受け、帝は彼女以外の妃を生涯娶らなかった。 美童内侍が入内する頃、跡継ぎがいなくなったといわれていた大納言家に、地方の荘園育ちの若君が帰ってきた。杏樹の君といわれる彼は、背が高く悠理中将に負けず劣らず眉目秀麗な公達であった。宮中に出仕した彼もまた光源氏の再来だと多くの女房達や姫達に騒がれていたが、中宮が皇子を産むまで女東宮に立っていた野梨子姫を妻として迎え、生涯彼女を大切にした。 また、若くして夫に先立たれた可憐姫のもとを、悠理中将の親友であった魅録の君が訪れ、その悲しみをなぐさめる様子がよく見られた。やがて二人は恋仲となり、末永く仲睦まじい夫婦として暮らしたという。 さて、賢帝との誉れが高い清四郎の君には、一つ不思議な噂があった。 不幸にして早世した悠理中将の霊と帝が、時たま夜中に語らっているというのである。 二人は楽しそうに酒を飲み交わし、いつの間にか二人して消えている。 さすが博識聡明なこの帝は、陰陽道も操るのだと後世まで伝えられた。 「たまにはこの格好もいいだろ?」 「ふむ、そうですね。」
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有閑とりかえばや物語 あとがき 時代背景や細かい部分、かなり適当な拙作を、快くUPしてくださったフロ様をはじめ、読んでくださった皆様、本当にありがとうございました! 昔読んだ氷室冴子さん原作「ざちぇんじ」をある日ふと思い出して、主役の綺羅と悠理を結びつけてしまってから数日、妄想に追われるまま書き、フロ様に連日を送りつけてしまいました…。 しっとりはんなり平安時代を描きたかったのに、気づけばほとんどコメディ。せめて、清悠の場面はロマンチックにしたかったのですが、この二人、書き手の酒好きが影響してか、一緒にいる時はほとんど常に酒を飲んでおります(…冷汗)。清四郎のゲイ疑惑騒動、美野のロマンス、魅可のすったもんだ、果ては陰陽師ばりの清悠妖怪退治譚、(あともちろん、清悠の初夜☆)等々妄想は尽きませんが、私ではとても書けそうにありません。とりあえずメデダシメデタシということで! 今は昔の有閑倶楽部でした。 |