BLACK CAT
後編 BY フロ
『当軒は、注文の多い料理店ですから、どうかそこはご承知ください。』
悠理は人を喰った看板を睨みつけながら、魅録を伴って店内に入った。 「おい、悠理、これって・・・」 過日の悠理とは違いすぐに異常を察した魅録を制し、悠理は指示通り銃を置くよう促す。 「とにかく、あいつに会わなきゃ」 張り紙の指示通り、衣服の金具も外した。 ただ、清四郎に会いたい一心で。 会って、一発ぶん殴らなければ、気が済まない。
魅録も躊躇しつつも警邏の紋章以外のすべての武器金具を外して置いた。 次々と二人の前に開かれるドア。
悠理の記憶では、そろそろ 『中の媚薬を、@@に塗り込んでください。』 が現われるはずだったのだが。
ふざけた張り紙の代わりに。ドアを開くと、店の主が慇懃に二人に一礼し待ち構えていた。
逞しい裸体を覆う、黒い毛皮。意思を持つように揺れる長い尻尾。柔らかそうな産毛の生えた猫の耳。 「ようこそ・・・・・・・・・・ふたたびのお越しを。」 優雅な動作。強い力を持った黒い瞳も、あの日、そのままだった。
悠理の隣で、魅録が息を飲んだ。 しかし、悠理自身も、夢にまで見た彼の姿に、息さえ止まってしまった。
彼はあの日と同じように、青いグラスを差し出す。
まずは、魅録に。けれど、なんの注意も与えていなかったのに、彼はそれを手に取りはしなかった。
黒猫は肩をすくめ、悠理にグラスを差し出した。
当然。悠理もそれを手に取らなかった。 代わりに、拳を握り締める。渾身の力で、殴ってやるために。泣き出しそうな、思いのたけをぶつけて。
しかし。
悠理が一歩踏み出すよりも早く、黒猫の白く器用な手が閃いた。 マジックのように、手に現われたのは、黒光りする短銃。 「貴様っ!」 魅録が恫喝する。 「やはり、怪盗・ブラックキャットか!?」 悠理はわけがわからず、隣の友人と黒猫清四郎を交互に見る。 「おやおや。こちらのお客様は、不躾な方ですな」 清四郎は、銃を魅録に突きつけたまま、不敵な笑みを浮かべていた。
「そのグラスを飲み干していただけると、こんなものは必要なかったんですがね」
「誰が、薬入りのそんなもの口にするかよ!」
魅録は清四郎を睨みつける。 「さっき、理解不能な妙な男から、よくわからんなりにおまえの手口を聞いて、そうじゃないかとは思ってたんだ。おまえ、金持ちの紳士を狙い幻惑して、金品を奪う怪盗ブラックキャット・・・」 魅録が皆まで言わないうちに、清四郎の持つ銃が火を噴いた。
至近距離からの一発に、魅録は身を二つに折り、昏倒した。 「魅録っ?!」 悠理は悲鳴を上げて、魅録に取りすがる。
「心配はいりません。麻酔銃です」 清四郎は、悠理に冷たい笑みを向けた。 「察するに、その男は警邏官ですか?それとも・・・・・あなたの恋人かな?」 表情だけでなく、清四郎の声はひどく冷えていた。 「ちがわい!魅録は友達だい!」 悠理は半泣きで叫んだ。悪辣な素顔を見せた黒猫を睨みあげる。
怪盗・ブラックキャット。 凶悪な、窃盗犯。
黒猫の目が細められ、表情に温もりが戻った。いや、瞳に灯るのは、焼けるほどの熱。 「招かれざる客は、しばらく眠っていただきましょう。僕が招待したかったのは・・・・・あなただけだ」 薄い唇が、淫靡な笑みを浮かべる。 悠理の体に、ぞくりと震えが走った。 「もう一度、会いたかった。だから、この森を立ち去れなかった」 甘く囁くビロードの声。 気がつくと、悠理は彼の裸の胸に抱きしめられていた。 「会いたかった・・・・もう一度抱きたかった」 わずかに香る麝香。夢の中までも、悠理を攻め弄んだ男の腕の中で、悠理は眩んだ。 「や・・・・!」 理性を必死で繋ぎとめる。
この男は、ひどい男だ。
「おまえ、誰にでもそんなこと、言ってんだろ!」 信じては、いけない。相手は凶悪な泥棒だ。 「あなたにだけです」 悠理は抱き上げられ、あの大きな白いテーブルに横たえられる。 「これほど惹きつけられたのは、あなただけ。無理やり自分のものにしてしまったのも」 あの日、気絶するほどの快楽を与えられた同じテーブル。身を重ねてきた男は熱く囁く。 「嘘!嘘つけ!」 悠理は懸命に首を振った。 「あいつに聞いたぞ!あの大男!あいつもおまえに翻弄されて、夢中になっちゃったって・・・!」 清四郎は鼻白んだ顔をする。 「・・・ああ」 ふぅ、と小さなため息。困ったように形の良い眉が下がる。 「あの男には、僕も困っているんです。以前海辺の町で寿司屋を開いていたときの常連でね」 「す、寿司屋?!おまえって、西洋料理屋じゃねーの?!」 捻り鉢巻に白い晒し。いなせな寿司職人と、目の前の黒猫のイメージが一致しない。 ――――きっと、似合うだろうが。 「寿司も西洋料理も、金のありそうな獲物を呼び込むための手段ですからね」 男の猫科の瞳が妖しく光る。 「しかし、あの大男は、あなたの友人を眠らせた3倍の量の睡眠薬を仕込んだ寿司を食ってもピンピンしていましたよ。いやはや、化け物だ。最後には殴りつけて気絶させました。ところが、かえってそれが悪かったらしい。金品を奪って放り出したあとも、何度でも通ってくる。仕方ないので、毎度蹴り倒して身ぐるみは剥ぎましたがね。睡眠薬入り寿司も、嫌と言うほど握らされましたよ」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」 悠理はガクリと脱力した。
抵抗をやめた悠理に、男はふたたび愛撫を再開する。 ぞろりと舌で舐め上げられ、悠理は快感に身悶えた。 「こ・・・の、泥棒野郎・・・!」 しかし、罵倒は彼の唇に封じられる。
深いキス。 どんな媚薬よりも即効性の、甘い口付け。
銀色の糸を引きながら唇が離れたときには、もう悠理の意識は朦朧と眩んでいた。 獲物を虜にし幻惑する、怪盗ブラックキャットの手口なのだと、思いながらも。
「一目であなたに惹かれた。だから、あなたからは、何も盗めなかった」 彼の言葉に、悠理は何度も首を打ち振る。 ――――違う。違う。
「一度は、逃がしてやった。だけど、おまえはまた戻って来た」 男の声から慇懃さが消え、熱だけが残る。 「だから、もう二度と離さない」
激しい熱に焼かれながら、悠理は声も出せず、ただ首を振り続けた。
憎いはずの男に貫かれ、歓喜の嗚咽を漏らす。
熱は、悠理自身の内部からのものだったから。
怪盗は、まんまと盗んでのけた。そして言葉通り、二度と返してはくれなかった。
奪われた――――悠理の心を。
そうして、紳士・悠理の姿はその日より森から消えた。 翌朝、空の屋敷で目覚めた魅録は、しばらく友人の消息を追っていたが、怪盗ブラックキャットが二人組みになったと風の噂を聞き捜索を打ち切った。
そして――――ブラックキャットに魅せられた、あの大男はいまだ、町から町を捜し歩いているという。
「清四郎ハーンvv ワイはあきらめまへんでーーっ!」
ちゃんちゃん♪
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