魅録の苦難

BY ルーン様

 

 ある、日曜日。

 

バオォォ…

 

魅録はオートバイで走っていた。

エンジン音が耳に快い。

 

少し遠出をして、夕方帰ると、家の前に人影があった。

 

ただ、夕日でよく見えない。

誰だろう、と思いながら走っていると、突然、その人影がこちらへ向かってくる。

魅録の方はバイクに乗っているため、非常に危ない。

 

「ティコ!?」

気付いた時には、はねていた。

 

バーン、という衝撃。

魅録はバイクから転がり落ちた。

 

「大丈夫だか?魅録!」

ティコが走り寄ってくる。

幸い、魅録の方もかすり傷だ。

 

「あ、ああ…ティコは大丈夫なのか?」

起き上がりながら、魅録が言う。

 

「ピキシー族の女戦士はこんな鉄ごときにはじき飛ばされたりはしないだよ。走ってくるトラの進路だって妨げられるような訓練してるだ」

ふん、と腰に手を当て、胸を張ってティコが言う。

 

――――あ、ああ、そうですか。鉄にはじき飛ばされないどころか、鉄をはじき返しちゃうくらいだもんな。世界にはいろんな人がいるよな。ごめんな、鉄に乗ってる俺が転がっちゃって。でもさ、鉄って、結構強いよな?どうでもいいけどよ。

 

「申し訳なかっただ。運命の夫を転ばせてしまっただよ」

うなだれる、ピキシー族の女戦士。

 

――――はぁ!?

 

驚きのあまり、魅録は声もなかった。

自分を指差したポーズのまま、固まってしまう。

 

「う、運命の夫って…美童だろ?」

そう言いながら、冷や汗が顔を伝う。

 

――――俺、俺ティコとキスなんかしたっけ!?俺バイクに乗ってて、ティコを轢きそうになって…いや、その、まさかその前!?でも、初めて会った時から今まで、こいつに会ってないような気が…

 

魅録は、そろそろとティコの顔を窺う。

 

――――目、目ぇすわってるよ…どうしよう、どうすんのっ!?どうすんのよ、俺!…続くぅっ、なーんてね。…あなたもわたしもポ○キー♪て、現実逃避してる場合じゃねぇぞ、俺!

 

「美童?違うだ。美童とはキスなんてしたことねえだよ」

ふるふる、とティコは首を振った。

 

  

 

  と、その時。

 

「ティーコー!」

悠理と清四郎の声がした。

声のした方を見ると、二人が走ってくる。

少し後ろからは、かくかくとぎこちなく走ってくる美童。遥か後方からは、可憐と野梨子も。

 

「きゅ、急にいなくなるんだもん。心配したじょ」

息を切らせて、悠理が言う。

「催眠術は、失敗ですね」

と、清四郎。

魅録は、なんだか嫌な予感がした。

 

「だいたい、悠理が悪いんですよ。懐中時計を持ってきて下さい、と頼んだのに腕時計を持ってくるし、テーブルの上のペンライト取って下さいって言ってるのにボールペン手渡すし」

と、清四郎。

「なんだとぉ、あたいが悪いってのかよ。大体、専門家じゃあるまいし、回虫時計なんて知るわけないだろ!」

逆ギレ気味の、悠理。

 

――――悠理、時計の専門家って何?懐中時計の意味、分かってるか?なんか懐中の字がチガウ気ぃするけど、俺の気のせい?回虫って何よ、サナダ虫とかと似たようなアレ?しかもその時計ってどうやって使うわけ?もしかしてお前と清四郎のミスで、ティコが俺とキスしたとか、俺のこと夫とか言い出してる訳?

 

ティコは頬を染め、魅録の方に擦り寄ってくる。

魅録はこれから襲い掛かってくるかも知れない事を予想し、気が遠くなった。

 

話しているところに、美童が走ってきた。

「ヤァ、ミロリン。ボクビドウダヨ」

片手を挙げ、魅録にあいさつをする美童。瑠璃子の一件があってから、ずっとロボット化しているのだ。

動きも、なんだかかくかくとしていて、ぎこちない。

周囲は、特にそのことに突っ込まない。優しく見守ることにしているのだ。

 

可憐、野梨子も到着した。

「魅録・・・」

可憐と野梨子が、恐る恐る魅録の顔を見る。

 

「せ、清四郎は清四郎なりにがんばったんですのよ。悠理が、ティコがモンゴルから日本に来てるって。今度こそ美童を夫にすると言ってるって、私たちに電話をしてきて…。美童は、この通り、瑠璃子さんのことがあってから廃人同然でしょう?そこにティコさんまで現れたらどうなるかと思って。想像するだけで恐ろしいですわ。だから、私たち再チャレンジしたんですの」

と、野梨子が説明をする。

「で、清四郎がティコに暗示をかけたの。あなたがキスしたのは美童じゃなーい、美童じゃなーい、誰か別の人、って」

可憐も言う。

「たださ…」

遠慮がちに、悠理が口を挟む。

「清四郎が、誰とキスしたことにしようか考えてる最中にさ、うちの父ちゃんが入って来ちゃったんだ。部屋に鍵かけんの、忘れてて」

「そう」

清四郎が隣で頷く。

「悠理ー、父ちゃんの弥勒菩薩知らねえだかー、って」

 

――――まさか…。

魅録は、顔色を失う。

――――弥勒菩薩と、魅録?ミロク繋がりってか?

 

「でぇぇぇい!」

どこから取り出したのか、魅録はハリセンで悠理の頭をすぱーん、と叩いた。

 

「何すんだよ!」

悠理は、自分の頭を抑えて叫んだ。涙目だ。

 

「それはこっちの台詞だ!なんでそんなタイミングよく、お前の親父が弥勒菩薩なんか探してんだよ!テレビのリモコン探すみたいに探してんじゃねぇよ!そんな非日常的なもん!!」

 

剣菱万作。

世界の剣菱財閥の会長。

日曜日に、弥勒菩薩を探す男。

 

「しょうがないじゃないかぁ。ホントに父ちゃん失くしちゃったんだもん。弥勒菩薩」

 

清四郎の目に、きらりと涙が光る。

「魅録、殴るなら僕を殴って下さい。僕が悪いんです」

しかし、おーしそれじゃあ、と魅録がハリセンを握り直すと、清四郎は素早く悠理の後ろに隠れてしまった。

 

「矛先が美童から外れただけで、僕としては褒めて欲しいくらいです。魅録、ここからはあなたの腕の見せ所です。後は任せましたよ。あなたなら出来る!じゃ、僕らはこれで」

清四郎は、魅録に向かってウィンクをした。悠理を小脇に抱え、可憐と野梨子と美童の手を引き、その場から去ろうとする。

 

「その手に乗るかぁ!」

魅録は、清四郎のコートをがっしりと掴んだ。

「何、初めて留守番する幼いわが子を励ます親(長い…)、みたいな口調になってんだよ!確かに美童から矛先が逸れたのはすごいが、この後一体俺にどうしろって言うんだよぉ!」

わぁん、と魅録は泣いた。

よしよし、と悠理が魅録の頭を撫でる。

 

松竹梅魅録、19歳。

高校生にして裏社会に通じ。

ヤクザも、その鋭い眼光で睨まれれば、足が竦む。

 

しかし今は、目立つピンク頭を振り、両足を投げ出し、目の辺りに手を当てて泣いている。

 

「やれやれ、まるで駄々っ子ですな」

「魅録って、案外逆境に弱いタイプなんだじょ」

「仕方がありませんわね」

「泣く男って、面倒ねぇ」

自分の失敗は棚に上げ、魅録を酷評する親友たち。

 

  

 

  はっ、とティコが顔を上げた。

「もしかして魅録、ティコのこと嫌いか?」

 

――――!!!

その場にいた5人(美童はロボ化しているため、数に含まない)は驚いた。

――――新しいタイプだ…。

 

とりもちのようにしつこいホモと、恋する大暴走乙女(しかも超人間的)なストーカーを相手にしていたので、自分を嫌いか、と聞くティコは新鮮だった。

4人は、ごくり、と生唾を飲んで魅録の方を伺う。

 

――――どうする?相手は傷つけたら後味悪そうなタイプだぞ。もしかしたらそう思わせることが相手のテか?いやいや、ティコはそんな計算高そうな女ではない。いや、でもしかし。

 

たらーり、たらーり、と魅録は脂汗を垂らした。

悠理がどこからか壷を持ってきて、その脂汗を壷に受けている。

 

「悠理、何してるんです?」

清四郎が聞いた。

「この油って、煮詰めたのを塗ると、ひび、あかぎれ、しもやけ、歯の痛みもぴたりと止まるんだろ?」

違うのか?という顔の悠理。

「俺は蛙か!!」

と、魅録。

「ああ、駄目ですよ。魅録はただでさえ難しい選択を迫られていらいらしているんですから。もし仮に魅録が蛙だったとしても、ですよ?蛙を四面鏡の箱に入れて、自分の姿を見た蛙が脂汗を流す。それを煮詰めたものが、がまの油です。今の魅録が流している脂汗とは、若干種類が異なります。だから魅録を四面鏡に入れないと…」

真面目な顔で、清四郎が言う。

「なあんだ、そうかぁ…今度父ちゃんに頼んで、魅録が入れる位の四面鏡の箱、作ってもらうよ」

あはははは、と笑う悠理。

「ああもう、違うわよ。四面鏡に入れれば良いってものじゃなくて…そもそも魅録は蛙じゃないでしょう?」

可憐は悠理の頭を軽く小突いた。

「そうですわ。それに、がまの油は作り話ですのよ、悠理」

と、野梨子。

「ああそうか。あたいバカだから分からなかったじょ」

てへ、と悠理が肩をすくめた。その隣で、美童もへらへらと笑った。

 

「だーっ!うるせぇよ、お前ら!誰が蛙だ。ちょっとは真剣になれよぉ…」

だんだん自分が可哀想になってきた、魅録。最後の方は涙声である。

 

「魅録、結局人はみな一人なんです」

もっともらしいことを言っている清四郎だが、自分の手に負えなくなっただけである。

 

  

 

  「よし、分かった」

泣いていた表情から一変し、きり、と顔を上げる魅録。

「ティコ、聞いてくれ」

「どうしただ?」

「俺は、お前と結婚できない」

ふ、と俯くティコ。

「オラのこと、嫌いなんだな?迷惑なんだな?」

「いや、そんなことはない」

4人は、息を殺して状況を見守る。

「お前の国は、モンゴルだよな?」

「んだ」

「モンゴルっていえば、‘スーホーの白い馬’の国だよな」

ティコは、戸惑いの表情を浮かべる。

「ん、んだ」

魅録は、目を伏せた。

「俺は、駄目なんだ…馬頭琴というモンゴル独特の楽器を見るたびに、あの物語を思い出してしまって…だから、モンゴルには行けないっ!」

 

――――魅録、強引ですよ。

――――無理があるじょ。

――――他に言いようないの?

――――いっそ嫌いだと言ってしまった方がまだいいですわ。

 

4人はそれぞれそう思ったが、口には出さないでおいた。

しかし、ティコの顔を見ると、泣いている。

 

「魅録…優しい人なんだな。分かるだよ」

 

――――ええええっ!分かるんだ!?

心のなかでほぼ同時に、4人は突っ込みを入れた。

 

「…あれは悲しい話だ。あの民話は、涙無くしては読めないだよ。仕方ないだ」

 

――――嘘、やった!!

6人の表情が(美童はもともと、微笑んだままロボ化している)、ぱああ、と輝いた。

 

しかし、顔を上げたティコの目は、すわっていた。

腰に差していた短剣を、握り締めている。

「魅録を殺すしかないだよ」

 

  

 

  ――――のぉぉぉぉ!!!

その言葉を聞いた瞬間、有閑倶楽部の6人は、走り出していた。

 

「おいっ!ティコが一番タチ悪いじゃねぇか!」

と、走りながら魅録。

「本当ですね。一見良い人そうなのに、思いつめると狂気入ってますね」

清四郎は野梨子を背負っている。

「ああいうタイプが、恋愛沙汰になると急に豹変したりするんだよね」

と、いつのまにかアッチの世界から戻ってきた美童。

「どうしようも無くなったらあの吹き矢を使うじょ!!」

と、悠理。

「きゃあ!ティ、ティコさんが、もうそこまで来てますわよ!」

清四郎の背中で野梨子が叫んだ。

「トラとか熊相手にしてるんだもの、そりゃあたしたち敵わないわよ!」

 

手刀を物凄いスピードで振りながら、ティコが迫ってくる。

 

ばっ!と、魅録が振り返って、両手を広げた。

「わ、わわわ、分かった!ティコ!話し合おう」

 

が。

獣並みのスピードで走っていたティコが、急に止まれるはずもなく。

ずべしゃー、と音を立て、魅録とティコは倒れた。

 

そして。

 

ぶっちゅぅぅぅ。

 

またも、お約束。

魅録の唇は、ティコに奪われてしまった。

 

ティコが魅録の唇を堪能している間に、清四郎が吹き矢を吹いた。

命中。

 

「うわぁ、可哀想…」

美童は4本の指を口にくわえ、呟いた。

魅録の今の姿は、もしかしたら自分だったかも知れないのだ。

 

気をつけよう。ケモノ(クルマ)は急に止まれない。

可憐はふと、そんな標語を思い出した。

 

「よいしょ」

慣れた足つき(?)で、野梨子はティコをひっくり返した。

 

ティコは、幸せそうな顔をしていた。

 

「ひ、ひぇぇぇぇ」

魅録が、気絶しているティコから抜け出した。

腰が抜ける一歩手前のような歩き方で。

 

 

「やれやれ、一件落着ですな」

清四郎が言う。

「メシ食いに行こうぜ!」

と、悠理。

「僕、美味しいフレンチの店見つけたんだ」

美童も、ティコの脅威が去り、すっかり気分が良いようだ。

「あら、いいですわね」

野梨子も微笑む。

はぁ、とため息を吐きながらも、魅録はその後に付いていく。

何も言う気力が起きないのだ。

 

――――皆、忘れているみたいなんだけど…。ティコさん、このままにしてていいの?目が覚めたら、またまずいことになるんじゃ…。

と、可憐は思ったが。

それを言い出すと、面倒なことになりそうなので止めた。

お腹が空いているのだ。

それに、いよいよ絶体絶命となったら、清四郎が闇に葬ってくれるだろう。

そういうことにかけては、手際の良い男。悪魔である。

その後、ティコを見た人は、いるとかいないとか。

 

 

 

終わり?

 


 第三弾、やってしまいました。地獄の汁がお好みの方には、少し物足りぬと言われそうな品ですが…。豚の背油たっぷりギトギトらーめんの後の、ゆずシャーベットのような感覚で(←意味不明)お楽しみ頂ければ嬉しいです。第四弾…あるんでしょうか?

フロさま、読んでくださる方々、いつもありがとうございます!!

 

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