ラビリンス

BY 琥珀様

3.解放

 

三時からの会議で、提携中止の議題がちょっともめた。清四郎の作った資料で財務内容に問題があるという点では重役連中を納得させられたが、その分野を剣菱が必要としていることは確かだったから、やはり提携したほうがいいという意見が出た。

「買収じゃどう?」

 面倒になってあたしは言ってみた。

「この企業のノウハウは欲しいんだよね。でも、粉飾決算の恐れがある、うかつに提携して、万が一倒産とかされたら困る。じゃあ、買収だったら、どう?」

「買収か・・・」

兄ちゃんが清四郎を見る。清四郎は冷静な顔で手元のノートパソコンを操作した。

「買収の場合のシミュレーションは出来ています。いくつかパターンは考えられますが、一番可能性が高いのはこれだと考えられます」

 既に用意していたらしい資料がスクリーンに映しだされる。その資料を見ながら、兄ちゃんがいくつか質問をし、清四郎が答える。重役連中からもいくつか質問が出た。

 これでいけそうな気配を感じる。

「納得してもらえた?じゃ買収の方向で検討。これで決定で文句ない?」

 皆うなずいている。

「じゃあ今日の会議は終了」

 あたしはそう言うと、一番に会議室を出た。

 

 ビルの最上階にある社長室へ向かうエレベーターの中で、清四郎と一緒になる。

「あたし、買収なんて言ってなかったよな。さっき思いついたんだもん」

「ええ。でも、悠理が考え付きそうな事は、豊作さんも僕も想像つきますから」

「ふーん」

 その落着きっぷりが面白くなくて、あたしはちょっと口を尖らせた。

 

 あたしが社長になるというアイディアを出したのは、野梨子だ。

 清四郎が離婚に応じなかった時の最後の切り札として。

 みんなは反対したけれど、あたしがやると決めた。

 あたしは強くなりたかったから。

 

 清四郎、お前は知らない。あたしが、そもそも大学で経営学を学んで剣菱に入社しようと思ったのは、ただ見合い結婚が嫌だったからじゃない。

清四郎以外の誰かと結婚したくなかったから。

清四郎は野梨子が好きだから、あたしとは結婚しない。でもあたしは、清四郎以外の誰とも結婚したくない。だから一生独身でもいられるように、仕事に生きる道を選ぶつもりだった。

結局、独身じゃなくても、仕事に生きることになっちゃったけど。

 

社長室に戻ると、三代目がコーヒーとケーキを用意してくれていた。退屈な会議の後のお楽しみってやつ。

「あ、清四郎にはコーヒーじゃなくて、ミネラルウォーター出してやって」

 清四郎にもコーヒーを出そうとした三代目にあわてて指示する。

「そうでした。申し訳ありません」

 清四郎は何か言いたげにこっちを見たけど、結局何も言わずにミネラルウォーターを受け取っていた。

 

 昨日の夜は本当に驚いた。

 パーティーの途中で三代目に呼ばれて電話に出ると、可憐があわてた声で清四郎が倒れたって言うのが聞こえて。

 あんまりびっくりしたから、ヘリを菊正宗病院の屋上、救急用のヘリポートに着けてしまったけど、和子姉ちゃんが許可してくれた。

 特別室で眠っている清四郎を見た時、あたしは、そのまま床に座り込むくらいほっとした。その時まで、自分がどれだけ清四郎のことを心配しているかわからないくらい必死だったって気がついた。

 清四郎があたしの目の前から消えてしまったら。

 本当に失ってしまったら。

 そんなこと、本気では一度も考えたことがなかったことに気がついた。

 

 まだ親友だと思っていた高校生の頃から、清四郎はいつもあたしの隣にいた。どんな時も助けてくれた。恋人にはなれないとあきらめていても、親友として傍にいることは疑ったこともなかった。

 清四郎は?

 あたしが誘拐されたり、ギロチンにかけられて死にそうになっている時、清四郎はどんな気持ちだったんだろう。

 

「では、札幌支社の視察について、聞かせていただきましょうか」

 清四郎の冷静な声に、はっとした。

「あ、ああ。清四郎が確認して来いって言ってた営業部門の数字は、これで、」

 資料を出しながら報告する。これじゃあ、どっちが偉いんだか。あたしはお前の上司だろう?って思うけど、正直、清四郎のサポートなしじゃあ、あたしに社長職は務まらないかも。

 今のところ、あたしたちは仕事上はとてもいいコンビとしてやっている。マスコミの取材なんかには、2人ともでっかい猫かぶって応じてるから、「憧れのセレブ夫婦」って世間じゃあ思われてるらしい。

 

今日は特に接待もパーティーの予定もない。

 仕事を早めに切り上げて家に帰ることにする。昨夜はほとんど寝ていないから眠い。

「あたし、もう帰る。三代目も帰っていいよ。清四郎は?」

「今日中に片付けたい仕事があるので、もう少し残ります」

「ふーん。あんまり、無理すんなよ」

「お気遣いありがとうございます。・・・悠理も昨夜は寝てないんでしょう?今夜は早く寝て下さい」

「あ、ああ」

 顔は赤くなってないだろうか。あたしは慌てて社長室を出た。

 

 あたしがずっとベッドの横に座ってたって、清四郎は知ってるんだ。そりゃ、和子姉ちゃんに聞けばわかるか。口止めしとけばよかった。

 

 命に別状はないどころかただの寝不足と言われても、あたしは清四郎の傍を離れることができなかった。穏やかに眠る清四郎をただ見ていたかった。ずっと別々の部屋で寝ていたから、清四郎の寝顔を見るのは久しぶりだと思うと、胸が痛くて。

 あたしがもっと強かったら、こんなことにはならなかったかもしれない。

 最近あたしはそんなことを考えてる。

 清四郎が誰のことを好きでも、あたしは清四郎が好きって言えるくらい強ければ。

 赤ちゃんのことを清四郎が喜んでくれなくても、あたしはこの子を愛してるって言えるくらい強ければ。

 清四郎があたしのことを騙してたと思うと辛くて、憎んでるふりをして、離婚して清四郎から逃げ出そうとして。

 でもたとえ清四郎から逃げ出せても、自分の気持ちから逃げることは出来ないのだとわかってなかった。どんなに逃げようとしても、気持ちを閉じ込めようとしても、あたしは清四郎が好きだって気付かされる。ほんのささいなことで。

 あたしを見る優しい瞳の色に。かすかな微笑みに。少し笑いを含んだ声に。

 もしかしたら、清四郎もあたしを好きかもしれないと期待してしまう。

 

 まだ、駄目。こんな弱いあたしじゃ駄目。

 もっと強くならなきゃ。

 もっと強くなれれば。

 清四郎があたしに言う「愛してる」が嘘でも。

「あたしも愛してる」って言えるのに。

 

 今はまだ。

 眠っている清四郎にしか、言えない。

「愛してる」って。

 

 家に帰ると兄ちゃんがダイニングにいた。

「珍しいね。兄ちゃんが家にいるなんて」

「今日の接待が先方の都合で中止になってね」

 海外の仕事が多くなった兄ちゃんはめったにこの家で食事をしない。久しぶりにあたしは兄ちゃんと夕食を食べた。父ちゃんと母ちゃんは、あたしの社長就任を機に海外に生活拠点を移して、兄ちゃんのサポートをしている。この家で、誰かと食事をするのは本当に久しぶりだ。

「立ち入ったことを聞くようだけど、清四郎君とはどうなんだい」

まだ食べているあたしの向かいで、食後のコーヒーを飲みながら兄ちゃんが不意に言った。今まで仕事の話で盛り上がっていたので、あたしはびっくりしてフォークを皿の上に落としそうになった。

「どうって、あれから何も変わらないよ」

「そうか」

 兄ちゃんは言葉を探すように視線を泳がせる。

「今日の会議の時、悠理が買収って思いつきで言っただろう。清四郎君はちゃんとわかってた。会議の前に確認されてたんだよ。悠理が忙しくて確認してないけど、買収って言い出すかもしれない、その時はこの方針でどうだろうかって。実際に悠理が買収って言った時、やっぱりって思ったよ。清四郎君は悠理のことを本当にわかってるって」

「そりゃ、アイツは昔から頭良くて、あたしのことなんて何でもお見通しだから」

「本当にそれだけかなあ」

「それだけだよ」

「清四郎君は本当に悠理のことを、剣菱のおまけと思って結婚したのかな。結婚していない僕が言うのもなんだけど、悠理は剣菱のおまけで結婚できるほど、楽な相手じゃないよ。悠理のことを何も知らない男なら、そう考えるかもしれないけれどね。清四郎君は悠理のことを本当に良く知ってる。しかも、一度高校生のときにこっぴどく振られている相手だ。

もう一度、プロポーズするには、相当勇気がいったんじゃないか、あの清四郎君でも」

「リベンジかもしんないじゃん。あいつ、プライド高いから」

「僕もそう思って、それで、悠理の復讐には付き合ったんだけど、その後の清四郎君の行動を見てると、それは間違った見方だったかなと」

「どういうことだよ」

「彼、医者にならずに、経営学を学んだんだよね。清四郎君だったら、悠理と結婚しなくても、父さんも僕も喜んで剣菱に迎えただろう。彼なら、悠理の夫という肩書きがなくても、出世はできたはずだ。・・・もし、悠理が清四郎君のプロポーズを断っても、彼が剣菱に入れば、繋がりは切れない。そこまで考えて経営学を学んだのかもしれないよ。夫にはなれなくても、仕事上のパートナーにはなれるように。だから、今も悠理をサポートしてくれているのかも」

「何のために・・・?」

「悠理のそばにいたいから、じゃないかな」

「だって、アイツ・・・」

「そこまで思っているのに、悠理が清四郎君のことを信じきれなくて、野梨子ちゃんとのことを疑ったりしたから、怒っていたんじゃないか。悠理が魅録君とのことを疑われて怒っていたように。そう考えると、いろいろ辻褄があうなって思えてきてね。悠理をちよっと好きなくらいで背負えるほど剣菱は軽くない。清四郎君は相当な覚悟で悠理と結婚して、剣菱に入社したはずだ。その覚悟を悠理が甘く見てることに腹を立てたんじゃないかってね」

 兄ちゃんは、あたしを優しく見た。

「まあ、夫婦の問題だから、僕が口出しすることじゃないけどね」

 

 ずっと、あたしのそばにいたい?

 確かに清四郎はプロポーズした時、そう言った。

 あたしは、親友としての清四郎がそばにいなくなるなんて、考えたこともなかった。この前、清四郎が倒れて病院に運ばれるまで。清四郎はどうだろうって、あの時も思った。あたしが誘拐されたり、人質になったりした時、清四郎はいつも助けてくれた。

どんな気持ちで?

 あたしを失いたくないって思ってくれていた?

 あたしのそばにいたいって思ってくれていた・・・?

 

 その夜。

 あたしは夢を見た。

 どこまでも広がる青い空。白い雲の上にあたしは寝そべっている。

「雲の上に人が乗れるわけがないでしょう」

 清四郎にあきれたように言われた気がして

「これは夢だよ。夢だから、何でもありなんだ」

 あたしはそう言ってくすくす笑った。

 誰かが、あたしの隣で同じようにくすくす笑っている。

 姿は見えない。でも怖くない。とても楽しそう。

「強くならなくてもいいんだ」

 やさしい声がする。男の子か女の子かわからない。でも子供の声。天使のような声。あの子だ。天国にいってしまったあたしの赤ちゃんだと感じた。

「弱いところも認めてあげて。受け入れてあげて。弱い自分もありのままに受け止めて、認めてあげて。無理に強くならなくてもいいから。そのままでいいから」

 歌うように声はささやく。

「無理に強くなろうとしなくていい」

「そのままでいい」

「受け入れて、信じてあげればいいから」

「大丈夫だよ」

 

 目が覚めたとき、あたしは泣いていたけれど、それは悲しいからじゃなかった。

 カーテンを開けると、夢で見たような青い空に、白い雲がひとつ浮かんでた。

 久しぶりに黒じゃない服を着ようと思った。

ずっと、喪服のつもりで黒い服やモノトーンの服ばかり選んできたけど。明るい色の服を着ようと思った。

 

シルクベージュのパンツスーツを着て、ダイニングルームに下りていくと、清四郎がもう、テーブルに座っていた。清四郎はめったにここで朝食をとらないから、ダイニングテーブルに向かい合って座るのも久しぶりだ。

「おはよう」

「おはようございます。・・・黒じゃないんですね」

「うん」

清四郎は嬉しいのか悲しいのかわかんないような、あいまいな笑顔であたしを見た。

「喪があけたってことですね」

「・・・気づいてた?」

「ええ、まあ」

 伏目がちな清四郎を見て、あたしは、流産のことで清四郎も苦しんでいたのだと思った。

「もう僕が何を言っても信じてもらえないかもしれませんが、流産のことで悠理が辛い想いをしていることが、僕も苦しいんです。生まれてくるはずだった命に対して、僕にも責任がある。生まれてくることができなかったことについてもです」

 清四郎は静かにそう言った。

 何も言い返せなかった。その言葉が本心からのものだと思えたから。

 

『野梨子が帰ってきたのよ。それで、美童も日本にくるって言うから、みんなで会わない?』

可憐から電話がかかってきたのは二週間ほどたってからだった。

「美童も?何で?」

『さあ。野梨子に会いたいんじゃない。で、剣菱邸を会場にしてもいいでしょ』

「いいけど」

『それと、野梨子がどうしても清四郎に話があるっていうから、悠理は嫌かも知れないけど、清四郎にも声をかけてくれない?あさっての土曜日、二人は何か予定ある?』

「ないよ。清四郎はわかんないけど、多分大丈夫じゃないかな。とりあえず仕事の予定はないから」

『じゃあ、土曜日ね。お酒の用意よろしく。あ、私は準備があるから早めに行っていい?みんなは夕方に集まると思うけど』

「いいよ。わかった」

 何だか可憐に強引に押し切られた気がする。準備って何だろう。うちでやるなら、料理だってコックに用意させるのに。

 野梨子が清四郎に話って何だろう。

 この話を清四郎に伝えると、清四郎もびっくりした顔をしていた。

 でも、魅録と可憐は家に清四郎を呼んだんだから、許してるってことなんだよな。

 

土曜日。準備万端整えてあたしはみんなを待っていた。可憐は何時ごろ来るんだろう。そんなことを考えながらダイニングでおやつを食べていると、清四郎も降りてきた。

「久しぶりにみんな揃うと思うと、少し緊張しますね」

 そういいながら、あたしの向かいに座って、メイドにコーヒーを頼む。

「コーヒー控えたほうがいいんじゃないのか」

「以前よりは控えてますよ」

 小さく笑ってあたしを見る。その瞳の奥にあたしが映っていても、いなくても。

 大丈夫な気がした。

 あの夢のように。

「清四郎」

「何ですか」

「もう、いいんだ」

「はあ?」

「ショクザイって、前に言ってたろ。あれ、罪をつぐなうって意味でいいんだよな」

「ええ。・・・で?」

「だから、もう償わなくていい。もう十分、清四郎もつらい思いをしてたってわかったから。・・・赤ちゃんのこと。あたしのことも。それで、あたしに負い目を感じることは、もうしなくていい。野梨子の言いたいことって、何かわからないけど、もし、野梨子がまだ清四郎が好きって言うなら、それで、清四郎がどうするか考えるとき、あたしのことを負い目に感じたり、悪いことしたから償わないととか、そんなことは考えなくていい。ちゃんと、清四郎の気持ちを考えて欲しいんだ。清四郎がどうしたいか、それだけ考えて欲しい。この前も言ったろ、清四郎にも幸せになってほしいって。あたしは、分かったから。自分の幸せがどこにあるか」

「悠理?」

 あたしは息を深く吸い込んで、一気に言った。

「清四郎が誰を好きでも、あたしは清四郎が好き」

 ちゃんと言えた。

「悠理」

 清四郎が立ち上がる。何だか怖い顔して。

 ええと。何だろう。今の言葉のどこに、清四郎が怒るようなことがあったのかわからないぞ。どうしよう。

「悠理」

 強い力で肩をつかまれて。

「僕が、どんな想いで、悠理のそばにいると思ってるんだ・・・!」

 こういうの、なんていうんだっけ。デ・ジャ・ヴ?

 前にもあった気がするけど。

 思い出した。清四郎に、野梨子のことが好きなんだろうといった時だ。

「僕が好きなのは、悠理だけだって、何度言ったらわかってくれるんだ・・・」

 辛いのは、想いが伝わらないもどかしさから?

 本当に好きな人に、それをわかってもらえない苦しさから?

 あたしたちは、同じ痛みを、ただ相手にぶつけていただけ?

 相手も、同じように痛いって気付かないまま?

 

「若奥様、お客様がお見えです」

 メイドがばつが悪そうに声をかけてきた。

その後ろから、なぜか大荷物の可憐が入ってくる。

「お邪魔だったかしら」

 可憐はにやにや笑っていた。

「え、いや、あの」

 あたしがあわてて清四郎から離れると、今度は可憐があたしの腕をつかんだ。

「清四郎、悪いけど、悠理を少し借りてくわ。あ、そうそう。今日のあんたのドレスコードはフォーマルスーツよ」

「フォーマルですか?僕だけ?」

「そうよ!」

 ぽかんとしている清四郎に、力強く可憐は言い切ると、あたしの腕をつかんで、ずるずるとあたしの部屋へ連れて行った。

 

「何だよ可憐。みんなが来るのは夕方だっていってたじゃん」

「そうなんだけど、とりあえず、悠理の支度を済ませないとね。どれくらい時間かかるかわかんないから、早目にきたのよ」

「あたしの支度って何だよ」

「これよ」

 可憐は大荷物のひとつから、ドレスを何枚か引っ張り出した。どういうわけか、どれもこれも真っ白だ。これじゃまるで・・・。

「どれでも悠理には似合うと思うんだけど。あんたスタイルいいもんね」

 うーん、これかな。こっち?なんて、言いながら可憐はドレスをあたしに当ててみている。

「どうでもいいけど、このドレス、どうしたの?」

 全部買ったのかと思うと、値段ではなくその魂胆が怖くて、おそるおそる聞いてみる。

「買ったんじゃないわよ。うちのアクセサリーを使ってくれてるデザイナーに借りてきたの。汚したら買い取りだから」

「ええ!?

「ええって・・・天下の剣菱グループ社長でしょ!」

 今日の可憐ちょっと怖い。

あたしは着せ替え人形よろしくドレスをとっかえひっかえさせられ、ようやく可憐の気に入った一枚に決定した。きらきら光る生地に、ボディラインを強調する細身でシンプルなデザイン。

「次はメイクね。いつもナチュラルメイクだから、フルメイクすると映えるわよねえ」

 次の大荷物はメイクボックスだった。雑誌の取材なんかのときに来るメイクさんかと思うほど大きなメイクボックスから次々とメイク道具を出して来て、嬉々としてあたしの顔に塗っていく。

「髪は・・・やっぱり、アップね」

 可憐、お前、ジュエリーショップの店長で終わるのはもったいないよ・・・。

メイクボックスの鏡の中のあたしは久々のフルメイクに別人のようになっていた。

最後の仕上げにと可憐はアクセサリーボックスを取り出し、シンプルな真珠のネックレスを首にかけた。

やっぱり、これって・・・ウェディングドレスみたいなんですけど、可憐?

「出来たわ」

 可憐はあたしを見て満足そうにうなづいた。

「これで惚れ直さなかったら、清四郎は男じゃないわね」

 うんうんとひとりうなづく可憐にあたしは恐怖さえ感じていた。今日の可憐、どうしちゃったんだよー。

 そんなあたしを置き去りに、可憐は携帯をかけ始めた。

「魅録?私。悠理の準備できたわ。・・・うん。じゃあなるべく早く来てね」

 

 コンコンとドアがノックされる。

「美童が着きましたよ」

 清四郎の声だった。可憐がドアをあけると、指示通り黒のフォーマルスーツを着た清四郎が立っていた。

「悠理?」

 あたしを見てびっくりして声もでない様子の清四郎を見て、また可憐はにやにや笑った。

「さ、行きましょ。魅録もすぐ来るわ」

 

あたしと清四郎にはとんでもなくフォーマルな格好させといて、可憐はカジュアルな感じのワンピース。美童は王子様のようなひらひらフリルのシャツで現れた。なぜか白い薔薇ばかりの大きな花束を抱えて。

「きれいだよ、悠理」

 美童は花束をあたしに持たせた。ますますウェディングドレスになっていくのは何で?

 やや遅れてやってきた魅録は皮のライダースーツでびしっと決めている。

 最後に、女らしい着物姿で野梨子が到着した。

「お久しぶりですわね、悠理。とても美しいですわ」

そういってにっこり笑う野梨子も、更にきれいになっている気がする。

 

いつものメンバーだから、パーティールームではなく、ソファのある小さめの応接間にお酒や料理を用意させていたのに、可憐はみんなにお酒にも料理にも手を出させない。

「まず、野梨子が清四郎に言いたいことってのを聞こうか」

 魅録がそういって、野梨子を見た。みんな思い思いにソファに座っている。あたしは可憐に一人がけのソファに座らされた。可憐と野梨子は一緒に座っている。魅録と美童もひとりづつ長椅子を占領していて、清四郎は一人美童の後ろに途方にくれたように立っていた。

 野梨子は、まずあたしの方を見ていった。

「私が美童のプロポーズを受けないのは、私が清四郎を好きだからだと、思ってます?」

「う、うん」

「それは違いますわ。まあ、清四郎のせいと言えば清四郎のせいなのですけれど。私、清四郎がずっと悠理のことを好きだったことを知ってましたわ。あんなに悠理のことを愛していたのに、結婚したら、悠理を幸せにするどころか、あんなに傷つけて、私心の底から清四郎に腹を立てていましたの」

 うん。それはよくわかってるよ。あん時の野梨子、すげー怖かったもん。

「でも、あの時、あんな風にふたりの仲を引き裂くようなことをしてしまってよかったのかとあれからずっと後悔していましたの」

 野梨子はそう言って、清四郎を見た。

「悠理が清四郎に怒るのは当然ですし、可憐にも怒る理由はありましたわ。でも私は、本当は清四郎と悠理が幸せになるのが怖くて、二人が仲直りする機会をわざとつぶしてしまったのではないかと思って。あの時、あんな風に清四郎を断罪するのではなく、二人で冷静に話し合う場を作るべきだったと、後から思い至ったのですわ。そうすればもっと早く二人は許しあえるはずだったのに。私のつまらない嫉妬心から、二人をこんなに苦しませていると思うと、私だけ幸せにはなれなかった。二人とも私の大切な友人だというのに。だからどうしても美童のプロポーズを受ける事ができなかった。それなのに、苦しんでいる二人を見るのが怖くて、日本に帰ることもできなかった。そんな卑怯な自分が許せなかったのですわ。でも今日、もう一度清四郎と悠理の幸せな姿が見られたら、私も幸せになっていい気がして。それで、二人に許して欲しくてここに来たのですわ。清四郎、悠理、本当にごめんなさい」

 清四郎は目を見開いたまま、野梨子を見てるだけだ。

「野梨子、いいんだ」

何も言わない清四郎の代わりにあたしが叫んだ。

「あたしのことには関係なく、野梨子は幸せになっていいんだ。あたしにとっても野梨子はたいせつなダチなんだから」

「ありがとう、悠理」

 涙ぐみながら微笑む野梨子は、やっぱりきれいだった。美童の視線は野梨子にくぎづけだ。・・・美童、野梨子を幸せにしてやれよ。違うな。美童が幸せにしてもらうんだな。

 

可憐が清四郎のほうを見た

「野梨子の言ったこと、わかった?」

「ええ、多分」

清四郎はつぶやく。

「じゃあ、約束通り私たち全員の前で、悠理にもう一度愛を誓ってもらうわよ」

ええっ!?

見ると、清四郎は真っ赤になっている。

「可憐、もしかして面白がってます?」

「あら清四郎、もしかしなくても面白がってるわよ。こんな清四郎、二度と見られないでしょ」

 清四郎がゆっくりあたしの前にやってくる。ふうと大きく息を吐いて、あたしの前に跪いた。

「悠理、僕にもう一度だけチャンスを下さい。今度こそ悠理を幸せにする。僕は悠理だけを愛してるんだ」

「清四郎・・・」

「さっき、僕に言ってくれましたよね。僕が誰を好きでも、悠理は僕のことを好きだって。・・・僕が悠理を好きでも、悠理は僕のことを好きでいてくれるんですよね?」

 清四郎の黒い瞳があたしを映している。真っ直ぐ、あたしだけを見てる。もう一度信じていいのだろうか。

「・・・うん。清四郎が誰を好きでも、あたしは清四郎が好きだ」

「シャモニーで、悠理は僕に、そんなにしてまで剣菱がほしいかって聞きましたよね」

「うん」

「あの時、僕は言えなかった。僕が欲しいのは剣菱は剣菱でも、剣菱悠理ただ一人だと」

清四郎の瞳に映るあたしの目から、涙が零れ落ちてる。

「清四郎、お前、そんなに頭いいのに、わかってなかったんだ・・・剣菱悠理は、とっくにお前のものじゃん。・・・だから、菊正宗悠理になったんだろ・・・」

「そうですね・・・・わかってなかった。だから、悠理も、みんなも傷つけてしまった。でも、もう二度と同じ間違いはしない。僕には悠理が必要なんだ。悠理が僕を信じられないなら、信じてもらえるまで何度でも言う。僕は悠理のそばにいたい。悠理にも僕のそばにいたいと思ってほしい。悠理と一緒に人生を歩きたいんだ。楽しい時だけじゃなく、苦しい時も」

「・・・あたしも、清四郎が倒れた時思った、清四郎を失いたくないって・・・。ずっとそばにいてほしいって。あたしの幸せは、清四郎がそばにいてくれることだってわかったんだ・・・」

あたしは清四郎の方へ腕を伸ばした。清四郎の腕があたしを抱きしめる。大きな胸に顔をうずめて、あたしは大泣きした。

 

無理に強くならなくていい。夢の中の声が聞こえる。

泣き虫で弱いあたしのままでも大丈夫。

あたしには清四郎がいるから。

どんな時も、必ずあたしを助けてくれる清四郎がいるから。

そして。

あたしのために、泣いたり笑ったり怒ったりしてくれる、最高の友人たちがいるから。

 

「今度、悠理に辛い思いをさせたら、百合子おばさまじゃなくて、私と野梨子が、あんたを東京湾に沈めるわよ」

「その前に、俺と美童でボコボコにしてな」

「覚悟しておくんだね」

「今度こそ、幸せにならないと許しませんわ」

 

可憐がいつの間に持ってきたのか、真っ白いレースのショールをあたしの頭にふんわりとかけた。

「さ、誓いのキスよ」

 

 清四郎があたしの頬を両手ではさんだ。黒い瞳があたしを見つめている。

「悠理」

 震える声であたしを呼ぶ。それが合図のようにあたしは目を閉じて、清四郎の唇を自分の唇で受けとめた。

 久しぶりのキスは、甘い涙の味がした。

 

 

 

 


 おわり

 


 

フロ様や皆様の作品を読ませていただいているうちに自分でも書きたくなって、書いてしまいました。

皆様からの暖かいコメントを読ませていただき、とても嬉しかったです。

突然送りつけた駄作をアップしてくださったフロ様、読んでくださった皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございました。

作品一覧

 

背景:Baby Angel様