甘い生活

第一話

 

そのとき、僕は、ソファに腰を下ろし、隣に座る悠理と舌を絡め合っていた。

正確には、キスだけではない。

僕の右手は悠理の太腿の間で忙しなく動き、左手は柔らかな乳房を弄っていた。

そして、悠理の手も、僕のズボンの中に忍び込み、すでに屹立したものと、その下にあるふたつの塊を一緒くたにしながら、揉み擦っていた。

 

互いのくちびるから漏れる吐息が、徐々に乱れていく。どちらも早くひとつになりたいと思っているはずなのに、まるでゲームのように、互いを焦らす。僕たちは、より深い快感を求めていた。

 

 

行為に夢中だったのは確かだ。

そのぶん、注意力が散漫だったのも認める。

 

だからといって―― ナニをしているのを知って、いきなりその現場に踏み込んでくるのは、いくらなんでも常識外れだし、人間として酷すぎる行為だろう。

 

 

悠理の足の間から発せられる淫靡な水音が、部屋の中、密やかに響く。その音を聞いて、僕はさらに興奮する。彼女もずいぶん興奮しているらしい。秘めた花は膨らみ、溢れ出た蜜はホットパンツまで滲みている。そういう僕の分身もすっかり怒張しており、既に準備は万端だった。

 

「せいしろ・・・せいしろ・・・」

熱に浮かされたように、悠理が僕の名を繰り返す。

ここ半年で分かった、僕を欲するときの、彼女の癖だ。睫毛の縁に浮いた涙が、堪らなく色っぽくて、僕は貪るように悠理のくちびるを吸った。

 

そして、いよいよ、さあ、いざ挑まん、と腰を浮かしかけた、まさにその瞬間。

 

 

ばん!と大きな音を立てて、観音開きの扉が開け放たれた。

 

 

僕と悠理は、互いの局部に手を差し入れたまま、振り返り、そのまま硬直した。

 

扉の向こうにいたのは、悠理の母親だった。

 

そう―― 鬼よりも怖い、剣菱百合子夫人が。

 

 

百合子夫人は、僕たちの姿をじっと見て、にやっと笑った。

 

その姿に、僕は戦慄した。

普通、嫁入り前、しかも未成年の娘が男と乳繰り合う現場を目撃して、にやっと笑う母親がいるだろうか?

絶対に、よからぬことを考えている。

咄嗟に言い訳を考えたが、残念なことに僕の右手は悠理のホットパンツの中にあり、悠理の右手は僕のズボンの中にある。いくら言い訳を考えようが、逃れられる状況ではない。

 

―― まさか、ペッティングだけして、本番はなしなどという、風俗店のような言い訳は通じぬだろう。

 

気まずい空気の中、僕は悠理のパンツの中から手を引き抜いた。どろどろに濡れた掌をさり気なく背中に隠す。乳房に貼りついていた左手も外し、ついでに胸の上まで捲り上げていた彼女の服を元通りに下げた。

しかし、悠理の手は、まだ僕のズボンの中にある。

「悠理・・・手。」

僕が促すと、悠理は慌ててズボンの中から手を抜いた。それまで分身を包んでいた温もりが消え、部分的に寒くなる。

 

「あなたたち、何をしているの?」

百合子夫人が、悪魔のごとき微笑を浮かべながら尋ねてきた。

尋ねなくても、見れば分かるだろう。

僕たちが沈黙していると、婦人は鬼の首でも取ったかのような表情で、腰に手を当てた。

「未婚の男女が、そんなことをしていいと思っているの?」

凄まじい迫力が、夫人の身体から噴出する。が、流石に悠理は娘であった。鬼よりも恐ろしい母親に怖気づくことなく、早々に腹を括って、ふてぶてしくもソファにどっかと凭れかかった。

「今どきの若者は、みんなヤッてるよ。なあ、清四郎?」

あっけらかんと答える悠理に、ふたたび戦慄する。

僕に振るな!僕に!相手は鬼より怖い百合子夫人だぞ!

と、叫びたいのをぐっと堪え、努めて冷静に、夫人の問いに答える。

「確かに学生らしからぬ行為だと承知しています。ですが、僕は、悠理さんと真剣にお付き合いをしています。」

はっきり言って、ズボンの前を開けたままで言う台詞ではない。

しかも、中身はすっかり逞しくなっている状態で。

 

「そう。真剣に、ねえ。」

中年女性の顔をした悪魔が、心から嬉しそうに笑った。

 

百合子夫人は、絶対に良からぬことを考えている。

どうにかしてこの場から逃れたいが、唯一の脱出口には夫人が立ちはだかっているし、第一、今、立ち上がれば、ズボンがずり落ちて、情けない恰好を晒すことになる。いくら自慢のマグナムでも、恋人の母親にまで見せたくはない。

 

そろそろとズボンの前を閉じようとしたとき、夫人が後ろ手に隠していた薄い紙を、僕たちの眼前に突き出した。

 

「真剣に付き合っているのなら、二人とも、これに署名捺印しなさい。」

 

夫人が持っているのは、どう見ても婚姻届だった。

 

 

悠理と付き合いはじめて、半年になる。

はじめて悠理を抱いたとき、永遠に離れられないな、と感じた。身体の相性だけでなく、ふとしたタイミングとか、彼女が醸し出す雰囲気など、諸々のことが、僕とぴったり合ったのだ。

だから、結婚を考えたことも、ないわけではない。

が、如何せん僕たちは未成年だし、高校卒業後は大学に進学する予定であるから、結婚するにしても、ずっと先―― そう考えていた。

 

 

なのに。

 

 

「まさか、うちの大事な一人娘を疵物にしておいて、責任を取らないつもりなの?」

時代がかった台詞に、眩暈を覚える。

まあ、「疵物」にしたつもりはないが、処女膜に傷をつけたのは事実であるから、反論はできない。

僕はこめかみのあたりに鈍痛を感じながら、夫人の理解を得るべく、正直に今の心情を話そうとした。

 

が。

 

夫人が持つ薄い紙切れに、菊正宗修平の署名を見つけ、言葉を失った。

 

―― 嵌められた。

 

百合子夫人は、僕たちが肉体関係にあるのを知っていて、ちゃんと根回しした上で、僕たちの情交現場に踏み込んだのだ。

 

そう。僕の脱路を完璧に絶つために。

 

 

『お宅の息子がうちの娘を疵物にした。責任を取ってくれ。』

泣く子も黙る剣菱財閥会長夫人にそう言われたら、どんな親だって、息子を人身御供に差し出すだろう。

否、剣菱家と縁戚関係が結べるならば、進んで息子を捧げるはずだ。

剣菱家とは比べ物にならないとはいえ、僕の家も、それなりに裕福だ。つましく勤勉に暮らしていけば、衣食住に困る心配はない。しかし、剣菱家の協力が得られれば、病院に最新式の医療機材も揃えられようし、終生の安泰も約束されたようなものである。

僕が親だったとしても、同じことをするだろう。息子を抱きしめて、よくやった、と誉めてやるかもしれない。

それほどに、剣菱の財力は魅力的なのだ。

 

しかし、僕が惚れたのは、剣菱ではなく、悠理個人だ。

だからこそ、「こういう」関係になってからも、波風を立てぬよう、交際を秘密にしていた。二人の交際を公表するのは、僕が一人前になってからだと、そう心に決めていたのだ。なのに、まさかよりにもよって「こんな」かたちで露呈するとは―― 

 

 

「これ、何なんだ?」

悠理には紙切れの正体が分からないらしく、きょとんとしたまま、母親から婚姻届を受け取っている。僕は頬が痙攣するのを感じながら、「婚姻届ですよ。」と、ストレートに答えた。そのほうが、悠理が仰天すると思ったのだ。

 

―― ええ?清四郎と結婚!?そんなこと、できないよ!!

 

悠理は顔を真っ赤にして、結婚なんてできないと、必死に抵抗するはず―― だった。

 

しかし、僕の予想を、彼女は見事に裏切ってくれた。

 

「コンイントドケって、結婚するときに書く紙だよな?これに名前を書いたら、あたいと清四郎は夫婦になるの?」

百合子夫人がにっこり微笑みながら頷く。

それを見た悠理は、嬉しげに顔を輝かせた。

「夫婦になったら、ずっと清四郎と一緒にいられるんだよね!」

「ええ、そうよ。」

「こそこそ隠れてエッチしなくても済むんだよね!?」

「ええ!」

隠れてやるからエッチなんだろう、と突っ込みたかったが、笑い合う母子の姿を前に、僕は無力だった。

 

悠理が嬉々としながら、下手糞な字で署名する。

はい、と輝く笑顔で婚姻届を差し出され、思わず受け取ってしまった。よく考えたら、受け取った手は悠理の蜜で濡れているし、ズボンのファスナーは全開で、その隙間から、息子が、やあ!と元気よく挨拶をしている。

 

こんな情けない恰好で婚姻届を受け取るだなんて、まだハゲヅラを被っていたほうがマシじゃないだろうか?

 

そこで、ふと気づいた。

僕は―― 乳繰り合っていた最中に、相手の母親が乱入してきて、婚姻届に署名捺印させられるのだ。

しかも、ズボンの前を開けたままで。

 

悠理は無邪気な笑顔で、僕が署名するのを待っている。

そして、その後ろには、悪魔の微笑を浮かべた百合子夫人が立ちはだかっていた。

 

 

僕の頭の中で、完璧に組み立てていた生涯設計が、音を立てて崩れ去った。

 

 

 

 

 

第二話

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背景:壁紙工房ジグラット様