第二話
僕と悠理の電撃結婚の知らせは、翌日には全世界に駆け巡っていた。 そして、その衝撃的な知らせは、学園じゅうを震撼させた。 「ちょっとあんたたちっ!結婚ってどういうことよ!?」 食堂に、可憐の声が響き渡り、僕は危うく手にしていたカレーを落としそうになった。 既に着席していた悠理のほうが驚いたらしく、口にしていたポークソテーを景気よく吹き出した。 「ああもう、汚いですねえ。」 そう言いながらも面倒見よく紙ナプキンでテーブルを拭く。ついでに悠理の口の周りも拭いてやる。 ちなみに、悠理は金持ちのくせ、庶民の味方・ポークソテーが大好物だったりする。もしかしたら、僕よりもポークソテーのほうが好きかもしれない。口惜しいことに。 甲斐甲斐しく世話をする僕と、それが当然とばかりに顔を上げる悠理の姿に、食堂にいる全員の眼が集中しているのが分かったが、今日一日で、視線の集中砲火にもすっかり慣れた。悠理にいたっては、見られていることにすら気づいていないようだが。 そんな僕たちの様子を見ていた可憐が、ぷるぷると震えながら、ふたたび怒鳴り声を上げた。 「私たちをコケにするのもいい加減にしなさいよ!ちゃんと、今すぐ、詳しく、分かるように訳を説明して!!」 「説明も何も、百合子さんに僕たちが交際しているのがバレただけですよ。」 流石に昨日の今日で、百合子夫人を「お義母さん」とは呼べない。 昨日―― その言葉に、阿鼻叫喚モノの記憶が甦った。 僕が茫然自失のまま署名した婚姻届は、ふたたび悪魔―― 否、百合子夫人、もっと生々しく表現するならば、僕の義母となる女性の手に戻った。 夫人は不気味な笑みとともに、ごゆっくり、と母親とは思えぬ言葉を残して、部屋から去っていった。 悠理以上に猪突猛進な夫人のことだ。きっと、書類の不備を訂正したら、すぐに役所へ提出する気だろう。 僕は、齢十九にして、所帯持ちになる。しかも、恐らくは、婿養子に。 いきなり降りかかった過酷な運命を忘れるためには、悠理の肌が必要だった。 そのあと、開き直った僕は、結婚結婚とはしゃぐ悠理を改めて押し倒し、彼女が失神するまで、酷く攻め立てた。 非道な行為とは思ったが、悠理のほうは、新たに開けた愛の世界に、大して戸惑いもせず、存分に楽しんでいたふうだった。 まさか悠理があんなことやこんなことも受け入れてくれるとは思いもしなかった僕は、逆に精気を吸い取られたような気分に陥っている。 お陰で、今日は腰が痛いだけでなく、変な部分の関節までおかしかった。 淫靡な記憶に反応して、昼日中の食堂にいるのにも関わらず、僕の息子が鎌首を擡げようとする。 色即是空、空即是色。お経を唱えて煩悩を払い、現実に戻る。 が、その現実世界に、口元を豚の脂で妖しく濡らした悠理がいるのだから、お経を唱えた意味はあまりない。しかも、厄介なことに、悠理には、今、「新妻」という、およそ本人には似つかわしくないセクシーな枕詞がついている。「新妻」というだけで、野生の王国を地で行く悠理も、一気に色っぽく感じるのだから不思議だ。 「だから、別に騙そうとか思っていたわけではないんです。今日の放課後にも事情を話そうと思っていましたし。」 煩悩を押さえ込み、平静を装って、可憐の脇を通り抜ける。 悠理の隣に座ろうとした途端、可憐から制服の襟を摑まれ、強引に引き上げられた。 「交際がバレたですってえ?その交際すら、私たちは聞いてなかったわよ!」 可憐の眼が、きりりと吊りあがっている。彼女と結婚する男は、十中八九、尻に敷かれるに違いない。 「どうして私たちにまで黙っていたのか、ちゃんと理由を聞かせてくれなきゃ、納得しないから!」 いつもなら難なく振り払える手でも、やはり可憐相手に手荒な真似はしたくない。それに、昨夜ベッドの中で変な筋肉まで使ったせいで、身体を動かすのも億劫だ。 そんな僕と可憐の間に、悠理が割って入った。 「あたいの『ご主人さま』に何をするんだよ!」 悠理は僕を守ろうとしたつもりだろうが、その言葉に、可憐だけではなく、食堂にいた全員が引っ繰り返りそうになったのは言うまでもない。 きっと、誰もが、メイド服を着た悠理と、そんな彼女を傅かせる僕を想像しただろう。 僕たちは、一瞬にして騒乱状態に陥った食堂から一目散に逃げ出して、生徒会室に向かった。廊下を駆け抜ける間でさえも、悠理はポークソテーの皿だけは放さなかったのだから、ある意味、凄い。 しかし、当然の如く、生徒会室にも平穏はなく、悠理はせっかく持ち出したポークソテーを食べることはできなかった。 待ち構えていた仲間たちによって、僕と悠理は、二個だけ離れた位置に設えられた椅子に座らされ、その正面に、四人が立ちはだかったのだ。 「さあて、どういうことだか、一から話してもらおうか?」 魅録のこめかみに、血管が浮かんでいる。恐ろしく不機嫌な証拠だ。 「私たちを欺くような真似をして、許されると思ってるの?」 可憐は美形のぶんだけ、怒ると異様に怖い顔になる。 「きっと、止むに止まれぬ事情がおありになったのでしょう?」 野梨子にいたっては、微笑を浮かべているぶんだけ、余計に恐ろしい。 「それで、昨日は初夜だったんだよね?どうだったの?」 美童の白皙の頬に、左右それぞれ、可憐と野梨子のパンチが炸裂した。 悠理はそれをきょとんとした表情で見ていたが、いきなり、ぽんと手を叩いた。 それから僕のほうを見て、何度も大きく頷く。 「そっか!昨日は初夜だったから、清四郎、あんなに激しかったんだあ!」 悠理の爆弾発言に、僕は椅子から転げ落ち、女性たちは赤面を通り越して青褪めた。 しかし、悠理の爆弾発言は止まらない。 「ブリッジとか、変なポーズでヤッたりするからさ、マジでアクロバットか中国雑技団の練習かと思ったよ!そっかあ、初夜って大変なんだな~ 」 「な、な、な、なにを言い出すんですのっ!?公衆の面前で、はしたないですわっ!」 野梨子が金切り声を上げて、悠理と、そして何故か僕まで睨みつける。 「野梨子!僕は何も言ってませんよ!」 「清四郎とは口をききたくもありませんわっ!ええ、金輪際!永久に!」 野梨子はおかっぱ頭を盛大に振って、不潔、不潔ですわ、と何度も繰り返した。 潔癖症の彼女に、どんなに上手く言い訳しようとも、決して納得してはくれないだろう。 否、ブリッジだの変なポーズだの、悠理が言った時点で、人格まで疑われているに違いない。 僕は諦め気分で野梨子から顔を逸らし、そこに広がる光景に、ぎょっとした。 「魅録!?どうしたんですか!?」 魅録は、前屈みという不自然な体勢を取りながら、滴る鼻血を右手で押さえていた。 可憐が慌ててティッシュを差し出したが、僕と美童は、すぐさまトイレへ行くことを勧めた。 魅録は、初夜、初夜、ブリッジ、と、うわ言のように呟きながら、生徒会室から出て行った。 思春期の青少年は、風が吹いただけでも勃つ。 そう表現されるほど、性欲が強いのだ。 妄想逞しい童貞なら、なおのことである。 それが分かるだけに、魅録にかける言葉がなかった。 情事の最中に、百合子夫人から踏み込まれたことを話すと、美童と魅録は揃って真っ青になり、酷く同情してくれた。 「清四郎・・・よく生きてたな、お前。」 「僕だったら、恐ろしさのあまり、そのまま気絶しちゃうな。清四郎は偉いよ。」 「僕だったら、って、あたいは美童とエッチなんか絶対にしないぞ。」 悠理があっけらかんと言う。 「美童なんて男に見えないしさ、清四郎とのフーフ生活もすっごい満足してるし。」 ―― 夫婦生活。その、生々しい言葉に、野梨子の身体がぐらついた。 慌てて魅録が支えようとしたが、不潔!と理不尽な言葉を投げつけられ、手を払い除けられてしまった。 何もしていないのに、好きな娘から「不潔」扱いされた魅録は、石仏と化した。 済まない、魅録。君の犠牲は忘れない。 「・・・まあ、ともかく、百合子おばさまにがっちり現場を押さえられて、逃げるに逃げられなくなったっていう訳ね。」 可憐がこめかみを押さえながら、溜息混じりに呟く。 「でも、あんたたち、それで良いの?強制的に結婚させられたんでしょ?」 「どうせ将来、結婚するつもりでしたからね。予定が前倒しになっただけと思えば、平気ですよ。」 平気というより、諦観である。 しかし、僕の正直な告白を聞いた悠理は、嬉しさに顔を輝かせている。 「本当?本当に、あたいと結婚するつもりだったのか?母ちゃんに無理強いされたからじゃなく?」 「結婚する気がなかったら、いくら脅されようが、婚姻届にサインなぞしませんよ。」 「嬉しいっ!!」 尻尾を振って飛びつこうとする悠理の頭を鷲掴みにして、強引に押し留める。 頭を固定された悠理は、後ろに10度ほど傾いた状態で、身動きできなくなっている。 それを見ていた仲間たちは、深々と溜息を吐いた。 「新婚夫婦と言うより、猛獣と、猛獣使いね。」 「まあ、二人らしくって良いんじゃない?」 「これで夫婦かと問われたら、首を傾げざるを得ませんけれど、二人が幸せなら、わたくしたちも口出しはいたしませんわよ。」 とにもかくにも、仲間たちは、何とか納得してくれたようで、僕は心の底から安堵した。 ただし、魅録だけは、まだ石仏と化していたため、何も言ってはくれなかったが。
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背景:壁紙工房ジグラット様