第八話
僕と悠理が結婚して、初の週末。 結婚祝いの名目で、仲間たちが朝から押しかけてきた。 「来たぜ!」 「お邪魔しまーす!」 挨拶らしい挨拶もなしにやって来た彼らは、大量のツマミと酒を抱えていた。 応接間に通すやいなや、酒池肉林とまではいかなくとも、あまりひと目には晒したくない大宴会へと突入した。十分も経たぬうちに、ワインの空き瓶が二本、三本と転がり、あっという間に持ち込んだワインすべてが空になった。 「ねえ、悠理、清四郎みたいに意地悪な男と結婚して、後悔していない?この先、一生、皮肉を言われて、意地悪されるのよ。」 可憐が真っ赤な顔を悠理に向けた。悠理のほうは、可憐お手製カナッペを食べるのに夢中で、質問に答えるどころではない。悠理は人間の三大欲求の赴くまま、極めて原始的なリズムで生きているのだ。そんな彼女に愛を感じる自分は、知性が臨界点を越えてしまっているに違いない。 「あら、可憐。清四郎は確かに皮肉屋で意地悪ですけれど、けっこう優しいところもありますのよ。」 笑顔で毒を吐くのが得意な野梨子だけあって、誉めるより先にきっちり貶している。 「幼稚舎の頃でしたかしら?一緒に夏祭りへ出かけたとき、私が転んでしまいましたの。持っていた林檎飴が駄目になって、しくしく泣いていましたら、清四郎が自分の林檎飴をくれたんです。それでも私が泣き止まないから、清四郎は買って貰ったばかりのヨーヨー風船や、綿菓子までくれたんですのよ。」 記憶を辿っているのか、それとも懐かしんでいるのか、野梨子は眼を細めている。 そこで、いきなり悠理が立ち上がった。そして、ものも言わずに部屋を飛び出していく。 ここにいる誰もが、彼女の奇天烈な行動には慣れっこになっている。どうせ食べ過ぎでトイレにでも行ったのだろうと、まったく気にもしていなかった。 しばらくして、応接間のドアが開いて、悠理が飛び込んできた。 「野梨子!これ!」 悠理が差し出したのは、プラスチックの細い棒に、苺の形をした飴がつっくいている、昔懐かしい菓子の束だった。 「本当は林檎飴が良かったんだけど、これしかなかったんだ。」 悠理はきっと、昔話をする野梨子が寂しげに見えたのだろう。だから、野梨子が喜ぶよう、思い出の飴を、プレゼントしようとしたのだ。 「私のために、わざわざ捜してきてくれたんですの?」 野梨子はほっこり微笑みながら、苺飴を受け取った。 「うん!あとね、これも―― 」 悠理が後ろ手で隠していたものを、野梨子に差し出す。 それを見た僕と美童は、同時にワインを吹き出した。 不運なことに、僕と美童は真向かいに座っており、どちらもワインの顔面シャワーを浴びた。 「あら、ヨーヨー風船ですのね。」 野梨子は笑顔でそれを受け取り、無邪気にぽんぽんと弾ませている。 「せ、せ、清四郎・・・っ!」 美童が顔からロゼの雫を滴らせながら、僕の袖を引いたが、それに答える余裕はなかった。僕は、赤い雫を拭うことも忘れ、視線を走らせた。可憐と魅録は、微笑みながら、野梨子を見つめている。どうやら何も気づいていないようだ。 「半透明だなんて、珍しいヨーヨーですわね。」 「あら、よく見ると、ツブツブがいっぱいついてますわ。」 「それに、グレープの香りがしますのね。本当に変わったヨーヨー風船ですわ。」 それでも、野梨子は、手にしたものの正体に気づかない。童心に返ったかのように、楽しく「ヨーヨー風船」で遊んでいる。 僕は引き攣った笑みを浮かべながら、悠理の首根っこを引っ掴んで、耳元に口を寄せた。 「悠理っ!なんてことをするんですかっ!?」 「何が?あ、ちゃんと新品を使ったじょ。使用済みじゃないから、安心してよ。」 そういう問題ではない。 使用済みを使っていたら、この場で悠理を張り倒していたところだが。 駄目だ、悠理には何を言っても無駄である。僕は暗澹たる気持ちで、野梨子を見た。 野梨子は、まだ風船で遊んでいる。 願わくば、彼女が手にしたものの正体に気づきませんように。 僕は心の中で、神に祈った。 「そうだ!せっかくだし、二人の部屋を見せてちょうだい!」 可憐がそう叫んだのは、地下のワインセラーから大量のワインが届いた直後だった。 野次馬根性丸出しの提案に、酔っ払いたち全員が賛同した。 止める間もなく、悠理をひっ捕まえて、どやどやと応接間を出ていく。 「待ってください!」 僕たちの部屋には、風船の材料があるだけではない。 もっとも見られたくないものが、鎮座しているのだ。 しかし、僕の言葉など、酔っ払った彼らに届くはずもなかった。 夫婦の部屋に入るやいなや、可憐は寝室に飛び込み、天蓋つきのベッドを見て、笑い転げた。美童もくっくと笑声を漏らしている。魅録のほうは、赤くなった顔をさらに赤くして、ベッドから眼を逸らしている。そして、野梨子は、飽きることなく、無邪気に風船で遊んでいた。 「ほら、この奥がバスルームになっているんですよっ!こちらは書斎で、その隣が悠理の衣装部屋なんです!見てみますか!?」 彼らの興味を何とかベッドから離そうとしたが、無駄な足掻きだった。 「ぎゃはははは!何コレ!?」 可憐がベッドを指差し、爆笑した。 ああ―― とうとう、見つかってしまった。 僕は、あまりの居た堪れなさに、いっそのこと地球の裏側まで逃げ出そうかと思った。 可憐が指差しているのは、例の「絶滅危惧種・YES NO枕」だった。 まあ、気づかれないほうが、おかしいのだ。 純白のレースで埋め尽くされたベッドと、眼が痛くなりそうな原色ピンク、しかも俗物の権化のごとき枕とは、ミスマッチもここまで来れば見事としか言いようがないほど、気色悪い組み合わせだ。 しかし、悠理は、処分しようと主張する僕の意見を押し切って、ベッドにそれを置いた。 お陰で、毎晩のように、豊作さんが突入してきたときの悪夢を見る。 「YESのほう向いてる!YESよ!YES!」 恐らくは、洋モノのエロビデオでも思い出しているのだろう。可憐がYESと連呼するたび、魅録の顔が赤くなる。赤さが増すにつれ、腰が引けていく。青少年の事情など知らぬ可憐は、さらにYESと繰り返す。魅録は可哀想なほど腰を引き、必死に耐えている。 そして、魅録の隣には、無邪気に風船で遊ぶ野梨子がいる。その後ろでは、壁を向いて、必死に笑いを殺す美童。 個々の事情など知ろうともしない悠理は、へらへらと馬鹿っぽく笑っている。 ・・・最悪だ。 もう、現状を直視できず、顔を逸らす。 そのときだった。 「清四郎はさぁ、どうせNOは使わないから、そんな枕は要らないって言ったんだけど、せっかく豊作兄ちゃんが買ってきてくれたんだし、捨てるわけにもいかないじゃん。」 「NOは使わない!?」 魅録が叫ぶ。 「だって、二人は新婚だしね。」 美童の揶揄を含んだ台詞に、魅録の前傾姿勢がさらに深くなった。 野梨子はまだ風船を突いて遊んでいる。 それを見た悠理が、ああ、と声を上げて、ベッドに乗り上がった。 「野梨子、それ気に入ったなら、まだいっぱいあるから、あげる。」 悠理はにこにこ笑いながら、野梨子の手に、「風船」をいくつか握らせた。 「・・・・」 野梨子は、握らされたものと、ずっと遊んでいた「風船」を見比べた。 五秒後。 「いやああああああっ!!」 ばらばらと、個別包装された「風船」が宙に舞う。 そして「水風船」のほうは、野梨子の手を離れ、魅録の顔を直撃した。 ぱん、と、魅録の鼻先で、音が弾けた。 魅録は無様に踏鞴を踏み、縋って伸ばした手で、僕のシャツを掴んだ。 その日、僕は酒精の火照りを和らげるため、アンダーシャツを脱ぎ、濃紺のシャツを一枚、だらしなく裾を入れずに着ていた。 上半身に外気を感じるよりも早く、魅録が僕のシャツを掴んだまま、引っ繰り返った。 悠理は、まるで所有者を誇示するがごとく、僕の身体に痕をつけたがる。 お陰で、悠理が残したキスや爪の痕で、僕はいつも満身創痍であった。 その場は、水を打ったかのように、しん、と静まり返った。 黙って僕を見つめていた野梨子が、ふっと意識を失い、その場に倒れた。 「きゃあ!野梨子!?」 可憐が野梨子に飛びついた。美童も駆け寄ってきて、野梨子を介抱する。 「清四郎の馬鹿!酷いじゃない!!」 可憐が浴びせた罵声に、僕は思いっきり不満を覚えた。 「言いがかりは止めて下さい!僕の身体に痕を残したのも、風船を作ったのも、すべて悠理じゃないですか!」 「何言ってるの!あんたも悠理と同罪よっ!」 可憐は、この、と言ってから、大きく息を吸った。 「下半身ケダモノ男っ!!」 事実を正鵠に射てはいるが、可憐から、息子をケダモノ扱いされる筋合いはない。 それに、ケダモノと言うならば、勉強中であっても、その気になれば僕の股間に潜りこんで来る悠理のほうが、よほどぴったりだ。 負けじと僕も言い返そうとして、足元の異変に気づいた。 「・・・魅録?」 魅録は、鼻血を流し、白目を剥いた状態で、気絶していた。 どうして気絶したかは、敏感に思考を反映する部分が、きっちり説明しており、男の涙をそそった。 暴走する妄想にオーバーヒートを起こした、童貞の悲劇である。 美童が僕のシャツを拾い上げ、それで魅録の下腹部を覆った。 そして、碧眼に光る涙をそっと拭い、小さく呟いた。 「・・・チェリーとケダモノ、どっちも哀しいね・・・」 同時多発的恋愛遊戯色情魔 に、同情される筋合いはない。
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背景:壁紙工房ジグラット様