2.

 

 

 

清四郎が、神の罰ともいうべき不運な事故に巻き込まれて、一ヶ月。

 

清四郎は、あの事故以来、毎日のように悠理の夢を見るようになった。

もちろん、学校で悠理の姿を見かけるたびに、良からぬ妄想をしてしまう。

最近では、悠理を想うだけで、白昼夢を見る有様だ。

 

ふっくらとした乳房。くびれた腰。熟れた臀部と、すんなりと伸びた手足。

 

それが昼夜問わずに脳裏を過ぎるのだから、学問の徒としては、忌々しき事態である。

しかし、感情の角度が他人とは少々違う清四郎であるから、それが悠理に対する度の過ぎた恋慕の情とは、気づいていない。

 

この一ヶ月のうち、幾度かは、抱きしめようとした。

が、悠理のほうは、野生の勘を働かせずとも、良からぬコトをされると察知したのであろう。最近では、二人きりにもなってくれない。もともと、猫のようにすばしっこい悠理が、易々と捕まるはずもないのだ。

お陰で、清四郎はいつも空を、たまにはまったく関係のない生徒を抱き、そのために眩暈がしたと苦しい言い訳をする羽目に陥った。

そのせいで、清四郎は不治の病に犯されているのではないかとの噂がたったが、本人の眼には悠理しか映っていないので、自戒することはまったくなかった。

 

ここまでくると、逆に立派と言いたくなるが、標的にされた悠理にしてみれば、いい迷惑であろう。それでも何故か、悠理は、いつも清四郎の視界の中にいる。同じ倶楽部に所属しているのだから、当たり前といえば当たり前なのだが、不思議な関係であるのに違いはなかった。

 

 

 

 

清四郎が悶々とした日々を過ごしていた、ある日。

悠理が、泣きながら部室に飛び込んできた。

 

「みんな、聞いてよぉ!父ちゃんと母ちゃんったら、酷いんだ!助けて!」

部室に屯していた面子は、揃って何ごとかと顔を上げたが、また、揃って面倒臭そうな顔をしていた。

「なあに?また観音像でも探せって言われたの?」

「言っとくけど、誘拐の茶番につき合うのは、もう御免だからね!」

「筏レースなら、喜んで見物させてもらうけど、それ以外は勘弁だ。」

「そうですわ。また警視庁を爆破されたら、いくら寿命があっても足りませんわ。」

口々に言われ、悠理は、顔を真っ赤にして、怒鳴った。

「ちがーうっ!!」

それを黙視していた清四郎は、赤らんだ悠理の顔を見て、またもや妄想の世界に旅立った。

 

 

「おねが・・・ゆる、して・・・」

悠理が赤らんだ顔で懇願する。

清四郎は、そんな彼女の表情を楽しみながら、敏感な芽を擽った。

悠理の身体が跳ね、弛緩する。

「イキすぎですよ。そんなに気持ちいいですか?」

快感が強すぎるのか、悠理は喘ぐだけで、何も答えない。いや、答えられないのか。

そんな彼女を追い詰めるように、指を激しく動かす。

「・・・駄目・・・!もう・・・限界・・・!」

悠理の手が、清四郎の股間に伸びる。

怒張した分身を、小さな手が擦る。

「・・・コレが、今すぐ欲しいの・・・」

 

 

「あたい、このままだと本当に知らないオジサンと結婚させられちゃうよ!!」

 

 

がったん。

 

清四郎が座っていた椅子が、転がった。

 

そのとき、彼の周囲にいた友人たちは、揃って竦んでいた。

何しろ、清四郎の身体から、おどろおどろしいオーラが立ち昇っていたのだから。

 

「・・・今、何と言いました・・・?」

清四郎の口が薄く開き、そこから幽鬼のごとき声が漏れた。それを聞いた四人は一様に身を硬くしたが、お馬鹿で名を馳せた悠理だけは、案の定、異変に気づかない。

「だーかーらー!あたい、知らないオジサンと結婚させられるかもしんないんだよぉ!父ちゃんと母ちゃんが、そろそろ現役から引退して、二人でのんびり世界一周でもしたいって言い出してさあ、すぐに跡継ぎが欲しいって・・・」

「とんでもない!!」

清四郎は天に向かってそう叫ぶと、がばっとテーブルに伏した。ハムレット顔負けの動きに、テーブルを囲む面々は、仰け反りながら飛び退った。

「まったく、何という冒涜でしょう!信じられないっ!これは神に対する冒涜としか言いようがありません!」

ありません、の「ま」を発音したのと同時に、伏していた清四郎が胴体ごと顔を上げた。お陰で「せん」とともに飛んだ唾が、よりにもよって美童の顔を直撃し、美貌だけが取り得の彼は、ひいい、と首を絞められた鶴のような悲鳴を上げて、仰け反った。

しかし、そんな美童の姿など、妄想と現実の堺を彷徨う清四郎の眼に入ろうはずもなかった。

 

清四郎は、すう、と息を吸い、部室の外まで響く大声で、言った。

 

「お前の夫になれるのは、世界広しと言えども、この僕だけです!」

 

そして、清四郎は、全員が茫然自失に陥る中、悠理の肩をがっしと掴んだ。

悠理のほうは、あまりにあまりな発言に、ただでさえ足りない脳味噌が思考を放棄しており、まともな反応などできるはずもなかった。

 

真剣な、と表現すれば麗しいが、その実、箍の外れかかった眼差しが、悠理に急接近する。悠理は条件反射で仰け反り、危険な男から逃れようとした。だが、腕をしっかりと掴まれているため、大した距離など取れようはずもない。

 

清四郎と悠理の顔の距離は、凡そ25センチ。互いの瞳に、それぞれの顔が映りこむ近さである。

 

悠理の瞳の中で、清四郎が、ゆっくりと口を開いた。

 

 

「悠理は僕のものです!絶対に、誰にも渡しません!!ええ、絶対に!他の男に悠理の@@を@@させたり、@@に@@させたりはしません!!」

 

 

しーん。

 

 

オヤジギャグを百連発されたよりも重く冷えた空気が、生徒会室に漂う。

しかし、己の道を突き進む清四郎に、場の空気を読むなどという、高等技術が使えるはずもなかった。

清四郎は、悠理の腋の下に手を差し入れ、大根よりも無造作に彼女を抱え上げた。

「ふぎゃああっ!!」

悠理もたまったものではない。いきなり清四郎の肩に担ぎ上げられ、踏んづけられた猫のごとき悲鳴を上げた。

「お、おい、せいし・・・」

魅録の静止など耳にも入らない様子で、清四郎は、悠理を担いだまま生徒会室を飛び出した。

 

清四郎がドアも閉めずに走り去ったため、室内から、廊下で呆然と立ち尽くす生徒たちの姿が否応なしに確認できた。たまたま通りすがったがために、眉目秀麗完全無欠の生徒会長の、気が狂ったとしか思えぬ言動を目の当たりにしてしまい、驚きのあまり瞬間冷凍された生徒たちの姿は、あまりにも間抜けで、気の毒としか言いようがなかった。

 

茫然自失の状態からいち早く立ち直った可憐が、のろのろと立ち上がり、全開になっていたドアを閉めた。

外界から遮断された途端に、またもや恐ろしく気まずい空気が重く垂れ込めた。が、他の生徒の眼がある以上、あのままドアを開け放しておくわけにはいかない。

「・・・えーと、まず聞くけど、アレは何だったの?」

可憐の質問に、次に立ち直った美童が答える。

「プロポーズじゃない?たぶん・・・」

「プロポーズって、あんなエロい言葉を連発するものじゃねえと思うぞ?」

「じゃあ、何だっていうんだよ?」

「タチの悪い冗談か、もしかしたら清四郎の脳味噌がオーバーヒートしたか・・・」

「もしそうなら、ヒートし過ぎよ!普通、人前であんなこと言う!?」

可憐が顔を赤らめながら、吐き捨てるように叫ぶ。

彼女が言う「あんなこと」を改めて思い出したのか、全員が沈黙した。

 

医療に慣れ親しんでいるという点を差っ引いても、明らかに生々し過ぎる、あからさまな性的用語が、それぞれの頭の中で渦を巻く。

重苦しい空気が、沈黙によって、もっと重苦しくなった。

 

「あれは、清四郎なりの『愛の告白』ですわ。」

 

それまで沈黙していた野梨子が、ぽつり、と呟いた。

「は?」

全員の視線が、野梨子に向かう。

野梨子は、清四郎が出ていった扉を見つめたまま、言った。

「清四郎は、頭でっかちになり過ぎて、ああいう風にしか気持ちを表現できないのだと思いますわ。悠理にしてみれば―― 迷惑以外の何ものでもないでしょうけど。」

はあ、と美童が大袈裟な溜息を吐き、こめかみを押さえた状態で頭を左右に振った。

「あれが愛の告白なら、明日、世界が破滅してもおかしくないよ。」

そんな美童の隣で、魅録が気だるげに頬杖をつく。

「悠理も災難だよなあ。あんな告白をされたうえに、連れ去られたんだから・・・って、おい!!」

魅録が、血相を変えて立ち上がった。

「清四郎のヤツ、どこへ悠理を連れ去ったんだ!?まさか・・・色ボケして・・・」

真っ青になった魅録の顔を見て、全員の脳裏に、「いや、やめて!」と泣き叫ぶ悠理の姿が過ぎった。

 

「ま、まさか・・・そんな・・・」

が、現実は、彼らの「まさか、そんな」想像どおりには進んでいなかった。

 

そう―― 残念ながら、読者の希望通りにコトは進まない。

 

 

 

 

清四郎は、悠理を担いだまま学園を飛び出すと、すぐにタクシーを拾った。

行き先は、剣菱邸。それを聞いた瞬間、悠理は安堵のあまり脱力した。

何しろ、学園はじまって以来の優等生が、眼を真っ赤に血走らせて、悠理に向かって、とんでもない単語を連発したのだ。

そう。この、色気など欠片もない悠理に向かって。

 

そろりと隣を盗み見て、清四郎の様子を窺うと、彼は思い詰めた表情で、くちびるを噛み締めていた。頭が良すぎるせいで、変人の部類に片足を突っ込んでいるが、外見は間違いなく飛び切りの上玉である。婚約騒動のときも、清四郎がイイオトコでなければ、百合子も大賛成などしなかったはずだ。

そこまで思考を巡らせてから、自分が清四郎の横顔に見蕩れていることに気づいた。慌てて顔を逸らし、別のことを考える。

 

考えてみれば、ここひと月ほど、清四郎は明らかに様子がおかしかった。

悠理を鬼気迫る表情で見つめているかと思えば、いきなり鼻息を荒くして、悠理を捕まえようとする。彼の中で何が起こっているのか、さっぱり分からなかったが、それでも彼の変化が「アブナイ」ものであるのは、動物的本能が察知していた。だから、ライオンと一定距離を保つトムソンガゼルの群れのごとく、清四郎を避けてきたのだが・・・

 

――― どうしてこんなことになっちゃったんだろう?

 

今の悠理は、群れからはぐれた一頭の仔ガゼルだ。ライオンの標的にされた今、逃れる術はない。

でも、よく考えてみたら―― というか、よく考えてみなくても、おかしな話である。

夫になるだの、素面では到底叫べない性的用語だの、常軌を逸した言葉を連発するからには、何かしらの理由があったはずだ。それに、叫んだのは、秀才の誉れ高い清四郎である。きっと、拠所ない事情が―― 

 

「・・・悠理は、誰にも渡さない・・・」

 

信号待ちをしていたとき、清四郎の低い呟きが、悠理の耳に飛び込んできた。

 

その瞬間、悠理の頭の中で、かちり、と音がして、すべてが揃った。

 

「・・・せいしろ・・・」

悠理は、可笑しいほどに上ずった声で、隣に座る男の名を呼んだ。

「はい?」

清四郎が顔を上げて、悠理を見た。追い詰められたような色が、漆黒の瞳に滲んでいる。それを見て、悠理は思わずどきりとした。何だか、見てはいけないものを見てしまった気がする。見てしまったら、もう、取り返しがつかないような、そんな感覚だ。

 

悠理は、縺れそうになる舌を必死に動かして、何とか声を絞り出した。

「もしかして―― 清四郎って、あたいのこと・・・好き?」

 

「・・・え・・・?」

 

清四郎が、大きく眼を見開いた。言葉を紡ぎたいのか、くちびるが震えるように開いたが、声は出ない。見る見るうちに頬が赤くなり、やがて、顔ぜんたいが熟れたトマトのようになった。理知的な瞳に、怯えに似た色が滲み、秀でた額がじんわりと汗ばむ。

 

言葉にしなくても、彼の変化が、答を雄弁に語っていた。

 

だが、清四郎は、何度も頭を左右に振って、悠理の問いを必死に否定した。

「そんなはずがありません!僕は、僕は、ただ・・・」

真っ赤な顔でうろたえる清四郎は、滅茶苦茶に可愛らしかった。その姿を、にやにや笑いながら眺めると、清四郎は焦ったのか、余計に赤くなった。

胸の前で両手を振り、身体ぜんたいで否定をしようとしている姿は、まるで教室の黒板に好きな人との相合傘を書かれた小学生のようだった。

 

そんな姿を見ていると、余計に苛めたくなるのが人情である。

「否定しなくてもイイじゃん!お前、あたいのこと好きなんだろ!?」

悠理がからかうと、清四郎は悲鳴のような声で、叫んだ。

 

 

「違います!僕は、悠理のサクランボのような乳首を咥えられるは僕だけだと、当然の権利を主張しているだけです!」

 

 

悠理の鉄拳が清四郎の左頬にめり込んだと同時に、タクシーは剣菱邸に到着した。

 

 

 

 

 

 

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