5. ―― ホットドッグ早食い競争の、数ある大会の中で、もっとも有名なのが、ネイサ@ズ国際ホットドッグ早食い選手権である。 七月四日、ニューヨークのコーニーアイランドにて、約二十人の参加者が、十二分間に何本のホットドッグを食べられるかを競う。今までの最高記録は「十二分間で五十三本」という驚異的な数字だ。これは、一分間に四本以上を食した計算になり、前代未聞という他ならない。 「―― 十二分間に、ホットドッグ五十三本。」 「チョロイじゃん。」 悠理のあっけらかんとした返答を聞いて、清四郎はきっと眉を吊り上げた。 「馬鹿を言うのではありません。凡そ十三秒に一本を平らげるのですよ?それに、ホットドッグを五十三本も一気食いしたら、胃が破裂してしまいます!」 清四郎が声を荒げても、悠理はきょとんとしている。 そうだった。彼女なら、十秒に一本くらい軽いかもしれない。 清四郎は、こめかみを指で押さえながら、深い溜息を吐いた。 「まあ、この記録を叩き出した人『も』、特別な胃袋の持ち主なんでしょうが・・・それでも歴代の大会優勝者は平均二十本ほども食べていますからね。どちらにしても、普通の人間では無理な数ですよ。」 独り言のように呟くと、清四郎はまた溜息を吐き、ソファにぐったりと凭れかかった。 幼い頃より神童と褒め称えられ、文武両道、眉目秀麗、沈着大胆、金玉満堂と、ありとあらゆる賛辞の言葉を我が物としてきた菊正宗清四郎が、何が哀しくてホットドッグ早食い競争に参加せねばならないのだろう? ナポレオンに負けずとも劣らぬ、菊正宗清四郎・全知全能の辞書には、「ホットドッグ早食い競争に参加する」という項目は載っていない。これまでも、そしてこれからも、そんなものに参加する予定はこれっぽっちもなかったためだ。 こんな対戦方法を選んだ亀萬ミツルの頭をかち割って、脳味噌が正常に機能しているかどうか点検してやりたいくらいだ。 しかし、その亀萬ミツル、調べてみて分かったのだが、魚眼レンズでブルテリアで水木しげ@のサラリーマン顔ながらも、実はありとあらゆるホットドッグ早食い大会にて、上位入賞を果たすツワモノだったのだ。 まあ、顔と早食いに因果関係は認められないが、とにかく彼が自分のもっとも得意とする競技で勝負を挑んできたのは確かだった。 こんこんとノックの軽い音が室内に響き、ややあってメイドがドアの向こうから現れた。彼女の後ろに、恭しく白い布のかかったワゴンが見え隠れしている。 メイドはワゴンを部屋に運び入れ、これまた恭しい仕草で白い布を取り去った。下からホットドッグの山が現われ、香ばしい動物性蛋白質の匂いが部屋に広がる。 「超うまそう!!」 ホットドッグに喰らいつきそうな勢いでワゴンに身を乗り出す悠理を、清四郎が背後から羽交い絞めにした。 「お前が食べてどうするんです!?これは僕の練習用です!」 悠理を制すために大声で怒鳴る。とは言ったものの、山となったホットドッグを見ただけで、食欲が減退する。清四郎はメイドを見上げ、何本あるのか尋ねてみた。 「五十本でございます。」 「これで五十本!?」 見た目は、それ以上ありそうな気がする。念のため、概算でざっと数えてみると、言われたとおり五十本で間違いないようだった。 「・・・この分量を、十二分間で完食・・・」 「そりゃ凄いね。」 悠理が要らぬ合いの手で突っ込んできた。もの凄く神経を逆撫でする発言だ。これが魅録だったら、鉄拳のひとつやふたつお見舞いしていたかもしれない。愛情とは、げに素晴らしきものである。 「んでもさ、水木しげ@サラリーマンは、五十本喰えって言ってるワケじゃないんだろ?なら、こんなに要らないじゃん。」 悠理の言うとおり、亀萬ミツルが指定してきた競技ルールは、二十本を先に完食したほうが勝利するという、まさしく『早食いのタイム』を競うものであった。 ―― 実際に、一本を何秒で食べられるものだろうか? 清四郎は、ためしに悠理の鼻先にホットドッグを一本差し出してみた。 がぶ!! 悠理は、かの有名な人喰い鮫の映画を思い起こさせるスピードで、それに齧りついた。 はぐはぐはぐ、ごくっ。 もの凄いスピードで、ホットドッグが悠理の口に吸い込まれていく。 ・・・十一秒。 さすがは、食欲大魔神として名を馳せた悠理であった。あっという間にホットドッグを食べ切っただけでなく、また食べているつもりなのか、清四郎の手をはぐはぐ噛んでいる。 手の甲をはぐはぐ噛まれて、痛いのは確かに痛いのだが、清四郎の頭は、その痛みですら妄想に変えられる、特異な才能を持ち得ていた。 柔らかな栗色の髪が、清四郎の眼下で揺れている。 悠理の粘膜は、下半身も素晴らしいが、口腔内の締めつけ具合はまた違う感覚を齎してくれる。 堪らず清四郎が呻くと、眼下の髪が揺れるのを止めた。 く、と頭が動き、前髪の下から大きな瞳が覗く。 「気持ちいい?」 「ええ、とても。」 満足げに悠理の瞳が細くなり、ふたたび髪が揺れはじめる。 「ああ・・・上手ですよ、悠理・・・」 清四郎は、悠理の髪を撫でながら、うわ言のように呟いた。すると、悠理はしゃぶるのを止めて、今度は赤く剥けた先端に舌を這わせた。 瞬間、鋭い快感に、清四郎の腰が浮き上がる。男の素直な反応を受け、悠理が上目遣いで清四郎を見つめて、艶然と微笑んだ。 「・・・大きくって、熱くって、とっても美味しいよ・・・清四郎のソーセージ。」 ソーセージ???? 瞬間、妄想から醒めた。 清四郎は、目の前のワゴンを見た。 そこには、山盛りのホットドッグ。 柔らかなパンの裂け目に、皮がはちきれんばかりに中身の詰まったソーセージが埋まっている。 このときほど、清四郎が己の想像力を呪ったことはない。 何しろ―― それきり、ホットドッグが食べられなくなったのだから。 練習もままならないまま、あっという間に対決当日となった。 清四郎は、今日までの一週間、不眠不休でソーセージ克服を試みてきたが、すべてが徒労に終わった。大小さまざまのソーセージを準備してみたものの、すべてがナニに見え、口に含むことすら出来なかったのだ。 ここだけの話、お子さま用ミニウィンナーを見たとき、「魅録?」と思ったこともあったが、それは本人の名誉のためにも、口外しないほうが良いだろう。 が、そんな下らない(が、魅録にとっては切実な問題であろう)話など、今の清四郎には、どうでもいいことであった。 刻々と迫る開始時間。 清四郎は、対戦会場の横に設けられた選手控え室で、ひとり頭を抱えていた。 対戦開始まであと十五分、というとき、清四郎の元に悠理が現れた。 「せーしろー、大丈夫か?」 心配げに眉を顰める姿がとても愛らしくて、荒んだ心が一気に癒される。悠理は、清四郎の隣にすとん、と腰を下ろし、大きな瞳をさらに大きくして、清四郎の顔を覗きこんできた。 「あんまり・・・寝てないんじゃないのか?顔色、悪いぞ。」 悪意も、他意もない、馬鹿正直な表情が、清四郎の視界いっぱいに広がる。 「・・・お前、そんなんで、勝てるのか?」 清四郎の目の前で、大きな瞳が、不安に揺れていた。 自分が不甲斐ないせいで、好きな娘を不安にさせるなど、なんと情けない。 幼き日、か弱いと思い込んでいた女の子から突き飛ばされ、幼馴染の女の子に庇ってもらったときよりも、ずっと悔しかった。 「・・・悠理。」 「あん?」 幼い頃と変わらぬ仕草で、悠理が首を傾げる。 「僕が勝ったら、ご褒美をください。」 「へ?」 首の角度が、より深くなる。 清四郎は、真剣な表情で、斜めに傾いた彼女の顔を見つめた。 「悠理のご褒美を目標にすれば、きっと勝てます。」 勝負の最終目的は、その悠理本人を手に入れることなのだが、そんな本末転倒なことに気づかないほど、清四郎は追い詰められていた。 清四郎が負ければ、悠理の可愛い乳首を、魚眼レンズでブルテリアで水木しげ@のサラリーマンが咥えることになるかもしれないのだ。そんなこと、神が許すはずがない。 「痛くなくて、苦しくなくて、面倒臭くなければ、いいよ。」 清四郎はよほど切羽詰った顔をしていたのだろう、迫力に気圧されるようにして、悠理が答える。何も塗っていないくちびるが、妙に艶めいて見えるのは、恋がなせる業か。 「・・・僕が勝ったら・・・」 清四郎は、悠理のくちびるを見つめたまま、掠れた声で呟いた。 「悠理のキスをください。」 それを聞いた途端に、悠理の顔が火を噴いた。 「え?え?ええ!?そんなの無理!キ、キスだなんて、恥ずかしいよ!!」 「では、僕が負けて、魚眼レンズでブルテリアで水木しげ@のサラリーマンと風呂に入って『僕が洗ってあげるよ』『いや、別にいい』『そんなことを言わずに、ほら、僕たちは夫婦なんですから』『やだ!止めて!』『今さら嫌がってどうするんですか。おや、ボディーソープも塗っていないのに、ココはヌルヌルしていますね』なんて事態に陥ってもいいと言うのですか!?」 清四郎の迫真の演技に、リアルな光景を想像したのだろう。悠理は泣き顔でふるふると頭を左右に振った。 「それもイヤだけど、キスも恥ずかしくてできないよう。」 悠理があまりに訴えるので、清四郎も妥協案を出すことにした。 「では、口にではなく、頬か額にキスはどうです?それなら平気でしょう?」 それでも恥ずかしいのか、悠理はかなり渋っていたが、清四郎の酷い消耗ぶりに、さすがに同情する気になったのだろう。おずおずとだが、はっきりと頷いた。 「・・・じゃ、おでこにチューな!あたいがここまで協力してるんだから、絶対に勝てよ!勝たなかったら、ただじゃおかないからな!」 真っ赤になりながら激を飛ばす悠理に向かって、清四郎はほんのわずかに微笑んだ。 亀萬ミツルは、実物もやはり魚眼レンズでブルテリアで水木しげ@のサラリーマンのような顔をしていた。
「君が噂の菊正宗清四郎くんですか。非情な資本主義社会の中で、敗者復活戦を望むとは、君も大したタマだ。まあ、こうなった以上は、正々堂々と闘いましょう。」 恰好いいことを言っていても、顔が顔なだけに、どうも決まらない。応援に来ていた可憐などは、亀萬ミツルに背を向けて、必死に笑いを堪えている。百合子に至っては、ミツルと悠理が結婚したときのことを考えているのか、苦虫を噛み潰したような顔で溜息を吐いていた。 が、清四郎には、ミツルの顔など気にする余裕は、微塵もなかった。 壇上に設えられた競技台。その上には、てんこ盛りになったホットドッグ。 主催者である万作夫妻のほか、倶楽部の皆や、清四郎の家族が応援に来てくれているが、彼らの声援ですら耳に入らない。自分がどうして壇上の椅子に座っているのか、それすらも理解できないほど、追い詰められていた。 カウントダウンがはじまり、ミツルがホットドッグを掴む様子が、視界の隅に入った。清四郎もホットドッグを手にしたものの、割れ目に埋まったソーセージを見た途端、理性と本能と感情がスクラムを組んで、食べるのを断固拒否するため、口にすら運べない。 開戦のゴングが鳴り響くと同時に、ミツルがホットドッグを口に押し込んだ。そのスピードといったら、先日の悠理とまけず劣らず。世界に通用するスピードだ。 「清四郎!何をしてるんだ!早く食べろ!」 皆の怒声が、壇上に届く。見下ろせば、皆が必死の形相で清四郎を応援していた。 しかし、食べられないものは食べられない。会場に魅録と美童がいるのもまずかった。脳裏に大小のソーセージが浮かび、余計に気持ち悪くなってしまったが、それも後の祭りである。 ―― もう駄目だ。 菊正宗清四郎。人生においてはじめて、勝負を放棄しようとしていた。 「清四郎!頑張れ!負けるな!!」 そのとき、悠理の声援が、聞こえた。 壇上から、応援席を見下ろす。 悠理は、舞台に齧りつかんばかりの勢いで、清四郎に声援を送っていた。 その姿に、すっかり萎えきっていた戦意が、甦った。 清四郎は、手にしたホットドッグを見た。 横目で対戦相手を見ると、亀萬ミツルは、すでに半分以上を平らげていた。 清四郎は、眼を閉じて、意識を集中した。 ―― ホットドッグは、ナニではない。そして、食べ物でもない。 そして、かっ、と眼を開けて、叫んだ。 「ホットドッグは、飲み物だあっ!!」 そう叫ぶと、ホットドッグを口に押し込んだ。口に半分入ったところで、大きく息を吐き出し、消化器官に命令を放つ。 ―― これは飲み物です!嚥下に苦しむことがあっても、それは気のせいです!! 何とも無理のある命令だったが、追い詰められた男は強かった。 ごっくん。 応援席から、歓声が上がった。 清四郎は次々とホットドッグを掴み、口の中に放り込んでは、咀嚼することなく一本丸のまま呑み込んだ。膨らんだ食道に気管が圧迫され、酸欠状態で意識が飛びそうになる。 しかし、ここで倒れたら、悠理の艶めくくちびるを、可愛いピンクの乳首を、穢れなき女の聖域を、魚眼レンズでブルテリアで水木しげ@のサラリーマンな顔をした男に、譲り渡すことになるのだ。そんなこと、神が許すはずがない。万が一、神が許したとしても、この菊正宗清四郎が許さない。 悠理の乳首は―― 否、悠理は、清四郎のものなのだから。 清四郎は、文字どおり命懸けで、ホットドッグを呑み込みつづけた。(※良い子の皆さんだけでなく、腐れた熟女の皆さんも、真似をするのは止めましょう。) 清四郎の追い上げは実に素晴らしく、あっという間にミツルを追い越した。 そして、十八分二十三秒で二十個のホットドッグを完食し、堂々の勝利を飾った。 しかし、相当に無理をしたのだろう。最後のホットドッグを呑み込んだ直後、そのまま引っ繰り返り、己の勝利を知ることなく、救護室へと搬送された。 まあ、今倒れなくとも、そのあと示される、次の相手が選んだ対戦方法を知った時点で倒れただろうから、どちらにしても同じであった。 いや、次の対戦を知るまでの間、短いながらも休息をとれただけ、マシだったかもしれない。 清四郎が次に闘う、怒涛の対戦種目は―― 小学校低学年女子の間で大流行しているカードゲーム、『おしゃれ魔女・ラ@&ベリー』のファッション対決だった。
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