〜刹那の恋・淡雪〜 

花は盛りに、春は爛漫

              かめお様作

 

 

 

処は王子の飛鳥山。

将軍吉宗候が、庶民のために花見の名所を作られた。

時は春。

桜は満開。

花見客でごった返す飛鳥山を臨む高台に、剣菱の別邸があった。

そこで、山ほどのご馳走を前に、花見をするは、お馴染の仲間たち。

 

南町奉行の嫡男、松竹梅魅録。

その許嫁、黄桜可憐。

御典医を父に持つ菊正宗清四郎。

そして、富豪、剣菱家の娘、悠理…

満開の桜よりも華やかな、彼らの宴は盛り…といきたいところだが、どことなく

、寂しげなのは、そこに二人の仲間の姿がなかったからだ。

江戸で人気の美童大夫と、小町娘と評判の絵師の娘、白鹿野梨子の。

 

野梨子と美童が一夜限りの契りを結び、野梨子はそのまま出家してしまった。

毎日、二人は寺の門前で、視線を合わせるだけの逢瀬を続けている。

それが、儚くて。

そして、悲しくも美しくて、仲間たちの心に、棘のように突き刺さる。

だが、二人は幸せなのだと、美童は笑う。

そう言われても、やはり、彼らにはそれが切なく感じるのだ。

 

美しい桜が散りゆく様が、二人の恋に思えて、いっそう物悲しさを感じられる。

皆、そんな思いを噛みしめていた。

 

「ごめん、遅くなって」

美童が、晴れやかな顔で、駆け込んできたのは、それから四半刻ほど後のことだ

った。

色とりどりの重箱の料理に、あの悠理ですらあまり箸をつけぬ様を見て取り、美

童は大仰に、

「僕が来るのを待っていてくれたの?お腹空いたよ。さあ、どれからいただこう

かな」

と、明るい声で言った。

 

「そうね、せっかくの花見ですもの。ぱっとやらなくちゃ」

可憐が察するように明るく答え、

「おう、そうだな、飲もう」

と、魅録が杯を手に取った。

だが、悠理だけは、やはり浮かない顔をして、箸がすすまない。

杯を口にしながら、清四郎がそっと悠理の背に手をやった。

 

「これ」

美童が包みを取り出すと、皆の前に差し出した。

「今朝、野梨子から届いたんだ」

その言葉に、悠理が顔を上げると、美童は包みを開けるよう、悠理に促した。

包みの中には、美味しそうな道明寺。

そして、幾辺かの桜の花びらに、短歌が書かれた短冊が添えられていた。

「散ればこそ いとど桜は めでたけれ うき世になにか 久しかるべき…ですか」

短冊を手にした清四郎が、それを読み上げると、

「どういう意味だよ」

と、悠理が問うた。

 

「桜は散るからこそ美しい。辛いこの世に永遠などはないという意味ですよ」

「なんだよ、それ…」

野梨子にとって、うき世は辛いことなのかと、悠理はそう思うと、涙が出てきた

「ちがうよ、悠理」

美童が微笑むと、

「この歌はね、伊勢物語の一辺で、その前にこういう歌があるんだよ。[世の中

に 絶えて桜の なかりせば 春のこころは のどけからまし]…ってね」

「桜がなければ、いつ咲くか、いつ散ってしまうか心配しなくてすむから、春は

のんびり過ごせるのに…ってことか?」

「そんな…桜がなきゃ、つまんないじょ。花見だってできないし」

「だろ。だから、この歌は、桜は散るからこそ美しい、時はそうやって流れてい

く…と歌ってるんだよ。野梨子はね、散りゆく桜を哀れとは思わないで、その美

しさを存分に味わって欲しいという気持で、これを添えたんだと思うよ」

 

どうか、わたくしを散りゆく桜のように哀れに思わないで…

短い間に花をつけ、潔く散ったとしても、わたくしはそれを後悔などしていない

のですから。

そう、野梨子が言っているように思えた。

 

「野梨子らしいわね…」

可憐が、ぽつりと呟いた。

「ほら、悠理、この道明寺は、野梨子のお手製だよ」

涙ぐむ悠理の口元に、美童が道明寺を差し出した。

ぱくりとそれに噛みつくと、

「…美味い」

と、悠理は笑った。

「これ、ずっごく美味いぞ。桜の塩加減と、餡が絶妙だよ」

美味い美味いと、それを次々に口に放り込む悠理を見て、

「ちょ、ちょっとあんた、せめてひとつずつはあたしたちに残しなさいよ」

と、可憐が、道明寺の包みを引き寄せた。

「なんだよ、可憐のケチ」

「ケチって何よ!野梨子の道明寺、あたしたちだって食べたいわよ」

「まあまあ…」

睨みあう女二人を、男たちは苦笑しつつも、どこか楽しげであった。

 

「それでは、あらためて…」

「満開の桜に、一献…」

「乾杯、といきますか」

酒を酌み交わす男たち。

お茶と、道明寺を頬張る女たち。

それぞれが、それぞれの思いで、桜の花をみる。

 

散るは花びら。

桜は吹雪。

花は盛りに、春は爛漫。

 

ここにいぬとも、野梨子はいつも一緒なのだ。

そう思うと、どこか、心が満ちていく。

そんな、ある、春の一日であった。

 

 

 

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時代劇部屋「淡雪」

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