2.

 

 

…長かった…。  

それが正直な感想だ。  

それは、ふたりの想いが通じ合うまでの長さでもあり、また清四郎が悠理をその手に取り戻すまでの長さでもあった。  

近づけた顔をそのままに、清四郎は悠理の髪に顔をうずめた。  

立ち上る香りを吸い込めば、内に広がるのは安堵感だ。  

「…清四郎?眠いのか?」  

そのままの体勢で動かない清四郎に、悠理が声をかける。  

「まさか。ちょっと考えごとをしていただけです」  

顔を上げた清四郎はふわりと微笑んだ。  

怪訝そうな表情の悠理が口を開く前に、清四郎は手近なところにあった箱に手を伸ばす。無論、膝の上の悠理はそのままだ。  

「ほら、開けてみるんでしょう?」  

清四郎は、ソファーの空いたスペースに箱を乗せると、掛かっていたリボンをほどいた。  

音を立てて解かれた淡い黄金色が、ソファの曲線をすべり床へと流れ落ちた。  

その優美さと裏腹に、中を見た悠理はうんざりといった風に顔をしかめている。  

清四郎は箱の中に行儀良く収まっているそれを摘み上げた。  

さらりと揺れて零れるは上質な絹の輝き。  

箱の中身は、胸元に瀟洒なレースがあしらわれた真っ白なスリップドレスだった。  

明らかに百合子の趣味であろうその代物は、悠理にとっては傍迷惑以外の何物でもない。  

清四郎にとっては…、さておくとしても。  

あからさまに嫌そうな顔を見せる悠理が可愛くて、清四郎は少し意地悪な質問を投げることにする。  

「…着てくれますか?」  

「わかってて聞くな!!」  

清四郎の言葉に、げんなりどころかしかめっ面を作った悠理は、くつくつと喉の奥で笑う清四郎の手からスリップドレスを奪うと、箱へと投げた。  

「でも…」  

弾みで少し離れた悠理の身体に清四郎は再び両手を回すと、強く引き寄せた。  

悠理の顔を覗き込むように正面に見据える。  

「悠理は、僕には甘いですからね」  

自信たっぷりな笑みと共に言い切られてしまい、悠理は返す言葉が無い。  

結局、そう遠くないいつか、悠理はあのスリップドレスを身に纏うことになるのだろう。  

いつだってそうだ。悠理は、最後には清四郎の言うことを聞き入れてしまう。  

「勝手なこと言ってんな!」  

そんな自分が悔しくて、悠理は身体を捻ると、清四郎の膝の上から逃げ下りた。  

  

  

凍てついた空気が運んできたものは、静寂だけではなかった。夜に紛れて、重い雲から落ちてくるもの。  

「あー、雪降ってるー!」  

サイドテーブルに用意されていたサンドウィッチを頬張りながら、窓の外を覗いた悠理が声を上げた。  

「風邪引いたらシャレになりませんよ」  

「引かないよーっだ!」  

指先を舐めながら、悠理は再びサイドテーブルへと視線を移す。当然のことながら、用意してあるのはサンドウィッチだけではない。  

悠理は、置かれていたラックからパッションピンクのラベルが張られたボトルを手に取ると、無造作な仕草で中身をグラスへと注ぐ。  

細かな気泡が、透明な薔薇色から立ち上った。  

「ロゼのシャンパンですか」  

清四郎は音もなく悠理の背後に立つと、ゆるくその両腕を悠理の身体に回した。  

「お前も飲むだろ?」  

照れ隠しのため、ぶっきらぼうな口調と手つきで2つめのグラスを手に取った悠理を、清四郎が制す。  

「なんで?」  

意図するところがわからず、悠理は不思議そうな顔で清四郎を振り返った。  

「邪魔になりますからね」  

「邪魔?」  

答えの代わりに、清四郎は悠理を横に抱き上げた。そして、再びソファへと腰を下ろす。  

勿論、悠理は清四郎の膝の上だ。  

仲間内では見せないような、熱のこもった、けれどどこか悪戯っぽい目で、悠理を見つめる。  

「グラスを持っていたら、こうやってお前を抱けないだろう?」  

「ばっ…!!」  

気恥ずかしさのあまり「バカ」と発することも出来ず、悠理はふいと横を向いた。  

少し上げ気味の顎から、白い首筋が露わになる。  

胸元のクロスのネックレスが、きらりと光を跳ね返した。  

刹那、清四郎の脳裏に蘇る記憶。  

あの瞬間を、清四郎は生涯忘れることが出来ないだろう。  

音もなく匂いもなく、時さえ止まってしまったかのような灰色の世界の中で、ただ鮮やかだったのは、一文字に滲んだ紅。  

幸いにも、はっきりと見てわかる程の傷ではなくなったが、清四郎には未だにその「傷」が見える。  

些細なすれ違いと称するには、余りにも大きな代償。  

  

たまらず、清四郎は悠理の首筋に唇を寄せた。  

 

 



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